第11話:スイーツとは洋菓子なり



 ◆◇◆◇◆◇



 朝日が入部したのはスイーツ研究会という、調理部から分かれたお菓子作り専門の同好会だった。刀の代わりに包丁を持ち、鎧の代わりにエプロンを身にまとう部活が、朝日が学生生活を送る上で選んだ課外活動というわけだ。切った張ったの大捕物もなければ、血も汗も流れない実にスウィーティーでデリシャスでガーリッシュな課外活動である。


 不器用ながらもかヨワ系への道を模索する朝日がここを選ぶのも、理の当然と言えよう。今日は初日。こうして一年生たちと先輩たちがお互いに顔を合わせ、親睦を深める日である。改めて朝日は周囲を見回す。思ったよりも新入部員の数は少ない。調理室がやたらと広い分、なおさら人数が少なく思える。


 初城台高校は学食もさることながら、調理関連の設備が非常に整っている。それというのも、この学校の卒業生に有名シェフが何人もいて、彼らが後輩のために多額の寄付をしたという噂がある。一芸を極めた、もしくは極めようとしている人間を率先して入学させる初城台高校の方針が、こういうところで学校にとって利得となっているらしい。


「ねえ、ねえ」


 さぞかしすごい額が学校に寄付されたのだろう、と朝日が思っていると、不意に隣から声がかけられた。


「ん、どうしたの?」


 なるべく優しい声と共に、朝日はそちらを向く。そちらに座っていたのは、同じ学校の制服姿なのに、着崩した形でアレンジされた外見の女子生徒だった。


「あたし、西木美世みよ。よろしくね」


 丁寧に整えられた長い長いまつげの下、これまたしっかりと引かれたアイラインで強調された目をしばたたかせつつ、彼女は自己紹介する。今時の流行そのものといった出で立ちだが、意外と取っつきやすそうなので朝日は胸をなで下ろす。こんな感じの派手な女子は、当然のことながらド田舎の下田貫には一人もいなかった。


「こちらこそよろしく。私は桜木朝日」


 挨拶されれば返すのが道理。姿勢を正して、朝日は自己紹介する。すると、美世はにっと白い歯を見せて笑う。丁寧なメイクと明るくて今風な容貌が相まって、まるで売り出し中のアイドルと会話しているような気になる。


「知ってる知ってる。始業式前に王子にケンカ売った子ってことで有名だし。ねぇ?」


 美世が周囲に賛同を求めると、彼女の友人らしき周囲の女子がうんうんとうなずく。


「有名って言うより悪名じゃないか、それ」


 夏の夜のカのようにつきまとう登校初日の失態に、朝日は心底げんなりする。


「……私、相当まずいことしちゃった?」


 いったい自分は、周囲にどれほどの影響を与えたのだろうか。改めて朝日は美世に聞いてみた。


「う~ん、たぶん平気じゃない? あたしは見てないけど、なんて言うか……お似合いだったみたいだし」


 コケティッシュに首を傾げつつ、美世は奇妙な返答をする。


「お似合い?」

「その辺のおバカが王子にちょっかい出すようだったら生意気だけど、桜木さんだったらこう、映画とかドラマとかの撮影みたいにぴったりはまるんだよね。不思議」

「ならいいけど……」

「大丈夫大丈夫。だって王子が平気な顔してるんだから。誰も文句言う子なんかいないってば」


 いかにも交友関係が広そうな美世にそう請け合われると、少しは朝日も安心できる。自分の知らないところで、どんな悪名が広まっているかと思うと気が気でなかったからだ。


「ねぇ。王子と桜木さんってどんな関係? 教えてよ」


 続いて本題とばかりに美世がこちらに身を寄せると、調理室には場違いのシャンプーか香水の香りが朝日の鼻をくすぐる。


「別に」

「あ、もったいぶってなにその余裕。いいな~、あんな美形とコネがあってさ。嫉妬するぜ」


 狭霧のこととなると身構えてしまう朝日の態度を、美世は焦らしていると勘違いしているらしい。


「本気で聞いてる?」

「半分ジョークで半分本気ってところかな」


 今ひとつ彼女の意向が分からないものの、朝日は正直に答えることにした。


「あいつとは初対面。ここに来て初めて会った相手。ただそれだけだよ」

「へ~そーですか。初対面なのにケンカ売っちゃうんですか。おかしくない?」

「自分でもそう思うけど。一言で言うなら、あの顔が微妙に腹立つだけ」


 率直な感想を言うと、美世は目を丸くしてこちらをまじまじと見つめる。


「何?」

「桜木さんって、かなり変わってるよね」

「そう?」

「だってさぁ、王子の顔見てムカツクって思う人、桜木さんくらいだって。絶対」


 しばしこちらの顔を凝視してから、美世は急に声を潜める。


「ってことはさ、桜木さんの好みって不細工? ゴブリン系? オーガ系?」

「ゴ、ゴブリン?」

「そう。ファンタジー系とか、ダーク系って奴。ゲテモノだよね~。やっぱり男子はハンサムじゃないとさ。芸能人なら常葉悠貴ときわゆうきやKAZUとかSOUNDSCAPEの迅とか、外人ならステファン・ブルームとかアンドリュー・グラッドストーンとかじゃないと男じゃないって」


 呪文のように人名を連発する美世に、朝日はついて行けない。


「ごめん、さっぱり分からない」

「あ、ごめん。あたし一人で盛り上がっちゃってた」


 美世はすぐに謝る。朝日の知るよしもないが、彼女の挙げた男性の外見は皆様々だ。特にステファンは頬髭の似合うワイルドな男性である一方、アンドリューは正統派の甘いマスクな俳優という対極である。要するに、美世は今人気の有名人を連呼しただけだろう。



 ◆◇◆◇◆◇



「ところでさ」


 ひとしきり美世に喋ってもらってから、朝日も質問する。


「何?」

「何で當麻狭霧が王子なの?」


 今さらの質問だが、朝日は一応聞く。話の内容から王子とやらが狭霧を指していることは即座に理解できたが、意味不明なことおびただしい。朝日がそう聞くと、美世は少し首を傾げて考える。


「別に。あたしがつけたあだ名じゃないけど、みんなそう呼んでるよ。だって王子って感じじゃない? あんな美形、映画でだって見たことないよ。ちょっと怖いくらい。ねえ?」


 朝日は脳内で狭霧と王子という語を結びつけようとするのだが、うまくいかない。


「全然理解できない……」


 深刻な顔をして首を振る朝日に、美世は苦笑して肩に手をかける。


「まあいいじゃん。これからよろしくってことで。同じ部活だし」

「うん、そうだね。同じ部活なんだから、仲良くやろう」


 流行やファッションに疎い自分と、今風でおしゃれな美世。二人は凸凹だが、それでもこうして声をかけてくれたことが嬉しく、朝日は笑顔になる。その明るい顔に気をよくしたのか、さらに美世は尋ねてきた。


「ちなみにちなみに、これから何作りたい?」

「えっ!?」


 いきなりそう聞かれて、朝日は言葉に詰まる。実を言うと、スイーツという横文字に引かれてここに入部したのだ。お菓子作りはほぼ素人である。


「え、えーと、ケーキとか、クレープとか、そう、クレープなんかいいよね?」


 何とか朝日は、頭の中からスイーツらしき単語を拾い出す。


「ふーん、いいね。じゃあさ、ペール・ノエルのメニューでどれが好き?」


 だが、美世の質問は終わらない。あたかも、防戦一方の相手に次々と攻撃が打ち込まれるかの如き有様だ。


「えっ? ええっ?」


 朝日は、ペール・ノエルという単語が、初城台で一番有名なクレープ専門店であることを知らない。


「えーとね、あたしはやっぱりトリプルベリーレアチーズか、シンプルにニューフルーツアラモードとか。あ、ちょっと高いけどプレミアムデコレーションショコラ、ってのもいいかも。桜木さんは?」


 再び呪文の連呼が始まった。もはや朝日にとっては、全部が外国語である。まるで溺れるかのように、彼女が目を白黒して返答に窮していたその時だ。



 ◆◇◆◇◆◇



「はいは~い、新入生の皆さん。ようこそスイーツ研究会に。これから一緒に、楽しく部活動を行いましょう」


 調理室の引き戸が開き、入ってきたのはかなりふくよかな女子生徒だった。


「どうもどうも、私が部長の忍野野々おしのののです。よろしくお願いします」


 ぺこり、と彼女は頭を下げる。いつも笑っているかのように目が細く、とても優しそうな容貌だ。


「え~とですね、本日はスイーツ研究会の面々の親睦会ですけれども、せっかくですから母体である調理部の皆さんもここに出席していただきたいと思いまして、むこうの部長さんともお話ししたところ、快く応じて下さいました。嬉しいですね~」


 何やら長ったらしく説明しているが、要するにスイーツ研究会と調理部が合同で親睦会をするらしい。


「ちょっと今回調理部にはすごい方が入部して下さいまして、皆さんをびっくりさせたくて、時間差で調理室に入っていただくことにしちゃったんです。それじゃあ、調理部の方、どうぞ~」


 何やら嫌な予感がする。朝日が身構える暇もなく、野々が開けた引き戸から、ぞろぞろと調理部の部員が入ってくる。こちらには男子もいる。そしてやはり……。


「え~大変喜ばしいことにですね、始業式に新入生総代として式辞を読み上げた、當麻狭霧さんが調理部に所属してくれたんですね。すごいですね。なんか、有名になっちゃいそうですね」


 空いている席。それも朝日の一番近くに腰掛けたのは、當麻狭霧だ。調理室だからか、長い髪を一つに結んでいる。


「こんなところまでつきまとって、何の嫌み?」


 刃物のような朝日の言葉にも、狭霧は表情一つ変えない。


「さあ、偶然だよ。偶然」

「料理できるの?」

「最近はまってる」

「何に?」

「イタリアン」


 狭霧はそう言うと、女性顔負けの白く長い指を組んだ。美世とはこれから仲良くやろう、と言った。しかし朝日には、どう控えめに見積もってもこの鬼と仲良くやるビジョンが浮かばないのだった。



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