第12話:告白とは監視される行為なり(前編)
◆◇◆◇◆◇
時刻は昼休み。場所は総合体育館の裏手。訪れる生徒が少ないわりには、手入れの行き届いた花壇がある。園芸部が自分たちの領土として、思う存分腕を振るった結果だ。その植え込みに隠れるようにして、二人の人影がある。一人は桜木朝日。風にそよぐポニーテールっぽい髪の毛を手で押さえつつ、姿勢を低くしている。
「なんて言ってる?」
彼女のすぐ隣に、植え込みから顔をのぞかせつつ遠方をうかがっているのは、柔道部の寺谷忠雄だ。その隠しようもなく軽薄な容貌と物腰は、見間違えようもない。以前朝日に柔道部への勧誘を断られた寺谷だが、今日は彼女と共にいる。それというのも、ここから向こうをうかがっている朝日の背に声をかけたのが原因だ。
「『手紙は読んでくれましたか?』」
朝日は寺谷の問いかけに手短に答えた。結果として二人で向こうをうかがうことになったが、やることは変わらない。朝日と寺谷の視線の先。そこには一組の男女がいる。一人は朝日の知らない女子だ。そしてもう一人は狭霧。風が吹く度に、男とは思えない長い黒髪が、妖しげな蜘蛛の足のようになびく。
「ラブレターかよ。今時古風ッスねえ。ハイここでポイントアップ! それでそれで?」
「『二年の大平渚です。部活はバレー部。実家は老舗の呉服屋です。ほかには何か、聞きたいことあります?』」
「履歴書みたいな自己紹介ご苦労様でした。あ~あ、可哀想に。すっかり緊張しちゃってるのが丸わかり」
朝日が向こうで行われている会話を逐一報告する度に、寺谷の大げさな反応が返ってくる。今の二人がしていることは、狭霧の監視であり盗聴である。総合体育館の裏手で誰かを待っている狭霧を朝日が見つけ、それを遠目から見張っていたら、寺谷が首を突っ込んできた。かくしてここに、狭霧への監視体制が成立したことになる。
「『ここに来てくれたってことは、少しは、期待してもいいんでしょうか』」
「お、始まりそうですね。始まりますか、始まっちゃいますかぁ!?」
頬を赤らめてうつむく女子の反応に、ますます寺谷は身を乗り出して注視する。
「ちょっと黙って下さい」
隣の朝日は冷静だ。耳を澄ませ、その先の言葉に意識を集中する。
「『當麻狭霧さん、私と付き合っていただけないでしょうか』」
ついに、決定打となる一言を朝日の耳がとらえ、即座に口が動く。
「ハイいただいちゃいました『私と付き合って下さい』宣言! 皆さん拍手ぅー! WOW!」
「だから黙って下さいってば!」
とうとう朝日は寺谷の方を向いてどなる。まったくもって騒々しい男だ。
◆◇◆◇◆◇
「それにしても、桜木ちゃんすごいッスね」
「何がですか」
狭霧と女子生徒がいなくなり、監視と盗聴を終えた二人は何となく惰性で会話している。ちなみに、告白の結果はもちろん女子の惨敗だ。狭霧の反応は丁寧であるものの冷淡だった。「そういうことには、今は興味がわかないんだ」という答えに、女子は結果を受け入れざるを得なかったらしい。
「よくこんな遠くからあの二人が言ってることが分かったよね。なに、読唇術って奴?」
「いいえ、普通に聞いているだけです」
朝日の聴力に、改めて寺谷は驚く。朝日は普通と言っているが、これは「遠耳」という、気魄によって空気中を伝わる音波を確実に聞き取る技能だ。気魄を用いなければ、さすがにあれほど離れた場所の会話は聞こえない。
「それがすごいって言ってるッスよ。将来婦警にでもなれば? 犯罪者サン一斉検挙しちゃいますって感じで出世間違いなし?」
「将来は決まってますから」
「何よ?」
「実家の道場を継ぎます」
「ふ~ん」
朝日の迷いのない即答に、なぜか寺谷は複雑そうな顔をする。チャラチャラした雰囲気には似つかわしくない、どうにも表現しにくい表情だ。
「そういう寺谷先輩は?」
だからこそ、つい朝日は寺谷の個人的なことを尋ねる。すると――。
「……何で笑うんです」
今度は寺谷がにやにや笑う。
「いや~桜木ちゃんみたいな後輩に『センパイ』なんて言われると結構ヤバいッスねぇ。もう一回言って?」
「セクハラですかそれ」
朝日が柳眉を逆立てると、慌てて寺谷は弁解する。
「違う違う違う違う。男のロマンって奴よロ・マ・ン。男ってのは誰だって、後輩に『セ・ン・パ・イ』って呼ばれたいワケ。分かる?」
「柔道部の後輩に毎日呼ばれてるんじゃないですか。『セ・ン・パ・イ』って」
「お、うまい切り返し。ポイントゲット」
朝日としては皮肉のつもりだったが、うまくいなされてしまった。
「ん~とね、俺は、俺は……まだあんまり考えてないって感じッスね」
しばらく考えたような態度を見せた後、寺谷は奥歯にものが挟まったような物言いをする。
「柔道が好きじゃないんですか?」
「別に。親父が結構いいところまで行ってた柔道選手でねぇ。なんて言うか、俺は親父の夢の跡継ぎって奴なワケ。期待背負っちゃってるんですよハイ」
ああ、なるほど。何となく朝日は理解した。この寺谷忠雄という男子は、要するに親に柔道選手となるよう期待されているのだ。彼に柔道の才能があるのかどうか、彼が柔道が好きかどうかに関わりなく、父親が叶えられなかった夢を叶えるために。それは良く言えば親子の二人三脚であり、悪く言えば単なる代償行為でしかない。
「大変なんですね」
朝日がかすかに同情すると、すぐに寺谷はへらへらと笑う。
「でもでも、俺取り柄とか特にないし、やっぱり人様と違うポイントって奴がないと埋もれちゃうでしょ? パーソナリティーアピールしちゃいますって時に柔道得意でしたとかあると、わりとヤバくない?」
「就職面接の時にですか?」
「違う違う。彼女作っちゃうとき」
朝日は絶句した。知らず、目つきが鋭くなり、相手をにらみつける眼差しに変わる。気魄を乗せた凝視は、それだけで対象を射竦め、場合によっては物理的に傷をつけ、さらには死に至らしめる。西洋や中東で邪視として恐れられた視線に近いものを、ごくわずかだけ朝日は再現してしまった。だが、寺谷は一度体を震わせたものの、すぐにおどける。
「何その見下す目ゾクゾクしちゃうんですけど?」
朝日の殺気も、寺谷にはふざける要素でしかなかったようだ。ある意味大物の素質がある。
「武道を色恋沙汰の手段に用いるなんて、心底呆れますよ」
朝日は深々とため息をついた。桜木流撃剣の人太刀からすれば、武道が女性を口説くための方便に用いられるのは汚らわしささえ覚えるのだ。
「まあ、達人の桜木ちゃんから見ればそうかもしれないけど、俺らみたいな凡人はそういう煩悩プラスアルファのモチベーションがなけりゃやってられねーワケよ。分かって?」
寺谷の言うことにも一理ある。……あるのかもしれない。それに、寺谷は桜木流の門下生ではない。彼が武道についてどう考えようと、朝日には関係ない。
「……一応は」
「サンキュー。桜木ちゃんも結構ルックスはいい線いってるんだから、そんな格闘技一直線の青春してないで、恋とかしちゃえば?」
「こ、恋ぃ!?」
突然そんなことを言われ、朝日の声が裏返る。自分でも、なぜいきなりこんなに動揺したのか分からない。まるで、遠間から不意に矢を射られたかのようだ。
「お!? お、お、お、初々しい反応いただいちゃいましたぁ! これはポイント高いですよお客さん! 男心をぐっとつかむ仕草間違いなしでぇーす!」
「ふざけた反応は好きじゃありません」
鋭利極まる手刀を寺谷の首筋に突きつけつつ、朝日は低い声でそう言う。
「あっはいスミマセン」
手を降ろすと、彼女はしばし黙る。
「…………いやほんとに。ゴメンって。ついいつものノリでやっただけで、いやらしかったらマジで謝るから」
朝日の沈黙を、傷ついたと勘違いした寺谷は弁解する。こういうところは、チャラチャラしているわりには心配りがある。
「……率直に聞きます、寺谷先輩」
「……はい」
「今の私に女子として足りないものって、何でしょうか?」
大まじめに朝日は尋ねる。かヨワ系を目指してつんのめってばかりいる自分。対する寺谷は、実に今風で砕けていて、青春を謳歌しているように見えないこともない。だから、ついこうして朝日は聞いてみたのだ。
「それ、俺に聞く? 普通」
「先輩は色恋沙汰が好きそうですから」
「好きっていうか……人並み? 高校生男子としてはフツーじゃない?」
「とにかく、評価お願いします」
「ふーん、そうッスねえ……」
姿勢を正す朝日を、何やら寺谷は半分真面目に、半分ふざけた感じで頭の先から爪先まで見る。
(やっぱり人選を誤ったか……?)
と朝日が思い始めた頃、第三者の声が後ろから聞こえた。
「やめときなって、桜木さん。忠っちの言ってることまともに聞いてたら頭バカになるよ」
朝日が振り返ると、そこには西木美世がいた。片手にカフェオレが入ったパックを持ち、ストローを口に半ばくわえている。
「お、ニッシー」
すぐに寺谷が親しそうに片手を挙げた。
「人をネス湖の怪獣みたいな呼び方するなっての」
対する美世は、丹念に描いた細い眉を寄せる。
「友だちなんですか?」
朝日が尋ねると、二人の口が同時に動いた。
「知り合い」
「近所」
どうやら、幼なじみに近い間柄のようだ。
「そういう桜木ちゃんこそ、ニッシーと仲良かったんだ」
「同じ部活です」
寺谷を半ば無視する形で、美世は朝日に近づいてくる。
「桜木さんも、そういうことはまず男じゃなくて同じ女子に聞きなよ。相談に乗るからさあ」
「あ、ありがとう」
何やら、話が大ごとになりそうな感じだった。
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