第21話:決着とは勝負の行方なり



 ◆◇◆◇◆◇



「まだ、ためらっているのかい?」


 篝火を背に、狭霧が朝日に囁く。


「少しずつ剣から怯えが消えてきた。でも内にまとわりつく逡巡は消えていない。鋼の音色がくぐもっている」


 狭霧の無駄に詩的な表現にも、朝日はうっとうしそうに顔をしかめるだけだ。


「あんたは私の師匠か? 稽古をつけてるつもり?」

「違う。憧れていたんだ」

「……は?」


 狭霧の突然の告白に、朝日は目を白黒する。今は決闘の場ではなかったのか。なぜいきなり「憧れ」なんて言葉が出てくるのだろう。


「俺と君が初めて会った時、覚えてる?」

「……忘れもしない。いろいろな意味で」


 そう、すべてはあの始業式の日から始まった。狭霧と出会い、高校生活が始まり、そしてかヨワ系女子を目指しては失敗する日々が。


「一目見て分かった。琲音から桜木の角折リだって聞いて確信した。きみはとても、まっすぐな心と剣の持ち主だ。誰よりも堂々としていて、迷いがなく、そして刃物のように鋭い」

「誉めてるの?」


 狭霧に誉められると、首筋がむずがゆくなる。無意味にぶんぶんと刀を振り回す朝日を見て、薄く狭霧は笑う。


「だから、俺は思ったんだ。君に――」


 だが、続く言葉は異様だった。


「――斬られてみたい、って」


 その言葉を耳にするや否や、あきれ顔で朝日は狭霧を見つめ、次いで舌打ちする。


「被虐趣味め」


 誰もが見とれる美貌の持ち主のくせに、傷つけられて喜ぶ変態とは思わなかった。そんな倒錯した嗜好の道具として、桜木流を用いられるわけにはいかない。


「違う違う、そういう意味じゃないんだ」


 慌てたように狭霧は否定する。


「でも、本音を言わせてもらうと少々見込み違いだったかもしれない」


 何やら一人で納得したのか、狭霧はそう言うと朝日から目を逸らす。


「破の段はこれにて仕舞い。続いて急の段が始まる」


 次の瞬間、朝日の目には狭霧の気魄が彼の体内に凝縮したように見えた。


 変化は気魄だけではない。狭霧の両のこめかみ付近から、骨質の角が瞬時に形成される。


「……鋭角!」


 朝日がその名を口にした。頭角が頭角と呼ばれるゆえん。明らかに人の有しない器官が、衆目に晒される。


「人の舞は終わりだ。これからは“私”の――」


 一人称さえ変わった狭霧が、自らの種族の名を言葉にした


「――鬼の舞が始まる」



 ◆◇◆◇◆◇



「鬼が! 本性を現したなッ!」


 刀を構えつつ、朝日は叫ぶ。とうとう、狭霧が本領を発揮し始めた。今までが人同士の決闘ならば、ついにここからは人と鬼の決闘へと領域は移行した。初っ端から鋭角を生やさなかったのは、作法の一種かそれともこちらを舐めていたのか。


「だけど、私だってそれを待っていたんだ!」


 鋭角を生やしたことで、狭霧の気魄が爆発的に増大する。量も質も、どちらも人間からかけ離れている。あまりにも濃密なそれは、もはや猛毒だ。そばにいるだけで、心根がやすりにかけられたかのように削られていく。だが、朝日は渦巻いてこちらを呑み込もうとする狭霧の気魄に抗い、大上段に刀を振り上げる。


「桜木流撃剣奥義・開花白刃!」


 次の瞬間、五感が加速する。瞬間的に使用者の全精力を極限まで高め、剣客としての理想へと花開く桜木流の奥義、開花白刃。朝日は狭霧が鋭角を形成したことを引き金に、この奥義の使用へと踏み切った。視力が上がり、相手の細部まではっきりと見える。石畳を踏む音が聞こえる。狭霧の匂いも、付随した味も、そして触感までもが伝わる。


 そのすべてを理解し、そのすべてをただ一つ「斬る」という目的への手段へとまとめ、朝日は狭霧の間合いへと飛び込む。刀を下げ、まるで地面に引きずるかのような体勢だ。倍加した速度で刀を振り上げる。狭霧は避けられない。だが、鬼の気魄を込めた右手ではっしと刃を受け止める。素手と刀の鍔迫り合いという、異様極まる光景だ。


「そのまま吹っ飛べ!」


 強引に朝日は刀を斜め上に振り上げ、さらに間合いを詰める。詰めると同時に正拳を繰り出す。朝日の振り上げた刀につられて狭霧の右腕は上に上がり、がら空きになった胴体のまさにその中心。みぞおちのやや上付近に朝日の拳が叩き込まれる。鉄壁を殴るかの如き反発を、朝日は唇を噛んで耐える。


(気魄で耐えるか!?)


 しかし、これでも狭霧の体は揺るがない。頭角と知っていても、なお信じがたい防御力だ。狭霧が体に受けた衝撃を逃すかのように、片脚を軸にその場で回転しつつ、左腕を振り下ろす。それを見越した朝日はしゃがむようにして避ける。冗談ではないほど気魄の濃度が濃い。もはや常人の目にも、空間の歪みか陽炎のように視認できるだろう。


 こんな一撃を首にでも浴びたら、その場で昏倒する。一撃必殺という殺意に、恐懼きょうくが背筋から両手へと流れ込んでくる。だが、朝日はその感情を振り切って迫る。今は千載一遇の機会だ。あとで存分に怖がればいい。震えればいい。この今だけは、朝日は人太刀として恐怖も迷いも感情さえ捨てた――――ただ一振りの太刀として天地に在る。



 ◆◇◆◇◆◇



「大悟、いい顔をしてるね」


 修羅となって鬼と斬り結ぶ我が子を見る大悟の顔は、ふみの言葉とは裏腹に恐れているようにしか見えない。


「ぞっとするな、ああ。本当に」


 悪寒を感じたのか、大悟はそう言うと体を震わせる。


「本当にあいつは人間か? 平安時代の頭角がタイムスリップしてきたって言われても俺は信じるね」

「怖いかい?」


 ふみの問いに、少し考えてから大悟はこう答えた。


「……奴の魔性に当てられてなお、あそこまで食い下がる朝日を尊敬する」

「それが正直な感想だろうね」


 ふみはそう言うと、狭霧を見つめる。


「本当に、とんでもない怪物を連れてきたね」


 そして小さく、誰にも聞こえない声でこう付け加えた。


「本当に、朝日にはもったいないくらいだよ」



 ◆◇◆◇◆◇



「さすがです狭霧様!」


 一方境内の反対側では、琲音が手放しで狭霧を賞賛する。


「君、本っっっっ当に面白くない反応しかしないんだね」


 隣の夕霧は、実の兄が誉められているにもかかわらず反応がすこぶる悪い。


「でも、夕霧様もそう思いませんか? あれが狭霧様の実力です、威力です、戦力です!」


 琲音が目を輝かせるが、夕霧はますます冷める。


「ふ~ん、凄いね~」


 夕霧の反応を無視し、琲音はさらに盛り上がる。


「その調子です狭霧様。今こそ無礼な角折リを懲らしめてやって下さいませ」


 その言葉を耳にした夕霧が、じろりと琲音をにらむ。


「君さあ、バカなことばっかり言ってると僕が痛い目に遭わせるよ」

「私をですか?」

「兄さんにバカがうつる」


 真顔の夕霧を、父の黄雲が注意した。


「夕霧、少し黙るように」

「はいはい」


 とりあえず従う我が子に、黄雲は不快そうに黙ったが、やがて口を開く。


「浮ついた言動ばかり。お前はどちらの味方だ?」

「そんなの決まってるじゃないか。僕はいつだって……」


 言いつつ、夕霧は狭霧の方を向く。ただ、彼の方だけを見る。


「兄さんただ一人の味方だよ。昔も、今も、これからも、ずっと」



 ◆◇◆◇◆◇



(化け物め……)


 朝日は肩で息をする。対する狭霧は小揺るぎもしない。


(あれだけ斬ったのに、なぜ平然としていられるんだ……?)


 いったいどれだけ時間が過ぎたのか。朝日はもう分からない。ただ分かるのは、狭霧が平然としているように見えることだけだ。だとすると、自分と狭霧との間には、埋めがたい圧倒的な実力差があるのか。


 そう感じると同時に、朝日はぞっとした。初めて心底怖くなる。まるで……。


蟷螂とうろうの斧」

「…………ッ!」

「まるで、自分のしていることが蟷螂の斧のようだ。そう思っただろう?」


 心中の考えを言い当てられ、朝日は叫ぶ。


「黙れ!」


 声と共に刀を振り下ろすが、狭霧は既に間合いの外にいる。


「そしてまた乱れる。だから疲労するし、遅れも取る」

「やかましい!」


 朝日が刀を振り上げたその瞬間、狭霧が一気に間合いを詰めた。


「當麻流舞踊・獅子吼虚耗ししくきょこう


 こちらの隙に合わせた、高速の先手。当たれば攻撃の予備動作故、大打撃は避けられない右手の振り。


(舐めるな!)


 だが、朝日は紙一重で受け流す。


「なっ……?」


 驚く狭霧の顔が初めて見えた。


(あんたに合わせる道理なんて何一つない!)


 満を持しての桜木流撃剣・烈風。朝日はカウンターで角を狙う。気魄に横溢おういつとした刃が、狭霧の片方の角に当たる。頭を逸らして刀身を受け流す狭霧。それを許さず、さらに朝日が踏み込みつつ刃を食い込ませようとした時だった。朝日の両膝から、ひいては下半身から、突然力が抜けた。筋力のみならず、気魄も同時に。


(な、なんで……ッ!?)


 その場に膝を付いた朝日の目は、境内の石畳を呆然と見ている。突然の自分の体の変化に、意識が追いつかない。


「思ったより時間がかかった。さすがに桜木の人太刀を絡め取るのには難儀したよ」

「な……に……?」


 朝日は辛うじて頭を上げる。今や脱力は脊柱をヘビのように這い登り、両腕にまで達している。


「當麻流舞踊・綾取リ蜘蛛」


 狭霧の言葉で、朝日は理解した。あたかも巣を張るクモのように、狭霧はずっと朝日に対して技をかけ続けていたのだ。五感の幻惑か、それとも気魄の略奪か、はたまた思考の催眠か、それは分からない。ただ、この境内で狭霧の舞踊に合わせて戦うという行為そのものが、彼の術中にはまることなのだ。


(そんな、あともう少しだったのに……ッ!)


 なおも立ち上がろうとする朝日の額に、狭霧の人差し指が静かに突きつけられる。


「これにて終幕」


 その指は、朝日の額を押しただけだった。だが、指先から伝わった気魄と衝撃は朝日の脳を揺らし、彼女の意識をたやすく刈り取っていた。


 ――――かくして此度の決闘は、當麻家が勝利を収める。それは桜木朝日にとって、正真正銘の敗北だった。



 ◆◇◆◇◆◇



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