第20話:丁々発止とは危うい律動なり



 ◆◇◆◇◆◇



(消えた……!?)


 朝日の頭の中で警鐘が鳴り響く。


(捷歩? それにしても速すぎる!)


 ほとんどカンで、朝日は真横に跳ぶ。同時に、それまで朝日がいた場所を狭霧の右手が薙ぐ。彼の手は拳のように握られておらず、かといって手の平を相手に向けてもいない。むしろ五指を長い鉤爪のようにしならせた、猛禽類か爬虫類のような形を取っている。


「姿を現したな!」


 右手が見えると言うことは、即ち全身が視認できるということだ。カウンターで朝日は打刀を振るう。襲い来る刃を、狭霧は左手を顔の前にかざすことで凌ぐ。装甲となった狭霧の素肌に弾かれ、刃が火花を散らす間に彼は滑るように移動して間合いを取る。しかし……。


(また消えた!?)


 舞は終わっていない。


(左だ!)


 狭霧の姿が消えたことに驚く暇さえなく、朝日は小刀を抜いてそちら側に斬りつけるが当たらない。


(まだだ!)


 だが、朝日はあえて右に飛ぶ。攻撃する方向に自ら飛び込むような形だが、朝日には勝算があった。彼女の顔をかすめる狭霧の手。相手の側に一気に接近することで、狭霧が見定めた間合いを狂わせたのだ。


 だが、再び霧のように狭霧の姿は消える。


(三度も同じ手が通じるか馬鹿が!)


 朝日は内心でそう叫ぶと、手を引いて刀を体の軸と平行にし、上半身にぴたりと添える。次の瞬間、突如として現れた狭霧の腕が、朝日の刀に衝突する。彼女の体を打ち据えるはずだった手は、完全に刀身によって防がれた。見えざる攻撃を、朝日は見事防御したのだ。


(この馬鹿力がっ!)


 しかし、防御が成功したにもかかわらず朝日の顔が歪む。尋常ではない衝撃が、刀身を通して朝日の両腕に、ひいては全身に伝わってきたのだ。細腕にもかかわらず、狭霧の腕力は凄まじいの一言に尽きる。まるで、杭打ち機の杭を直接叩き込まれたかのようだ。その勢いのまま、朝日は地を蹴って後ろに跳び、間合いを離す。


「すごい。もう慣れたんだ」


 攻撃の手を止め、狭霧は感嘆の声を上げた。彼はだらりと両腕は下げているが、朝日の目には濃密な気魄が見える。


「同じような動きをする相手とは、もう数え切れないくらい手合わせしたことがあるからね」


 刀を持ったふみの不可思議な動きを脳裏に思い浮かべつつ、朝日は口を開く。


「間隙を使った変則的な歩行か。目で追えないのは厄介だが、どうせこちらに攻撃してくるんだ。当てずっぽうだが見当くらいはつく」


 狭霧の動きは因果の枠外にいるかのように、揺らいで定かではない。だが、どれだけ幻惑しても最終的には朝日へと攻撃してくるのだ。その瞬間を見切れば迎撃の糸口は掴める。


(見当がつかなければ困るんだけど)


 とは言え、朝日の言葉は半ばはったりだ。防御できたものの、さらに狭霧が幻惑してきた場合、果たして止められるかどうかは自信がない。


「さすが人太刀。度胸が据わってるね。実にいいよ」


 しかし、朝日の言葉に狭霧は機嫌をよくしたようだ。


「なんで嬉しそうな顔をするんだよ」

「それくらいじゃないと面白くないからさ」

「ああそう。私はあんたの舞の引き立て役、言わば刺身のツマってわけ。そこまで自己陶酔の気があるとは思わなかったよ」


 どこまでも余裕の狭霧の態度に、さすがに朝日はむっとする。こちらが本気なのに、余裕綽々であしらわれている気分だ。


「それは舞踊というものを完全に誤解している」


 だが、朝日がそう言うと即座に狭霧は首を左右に振った。


「舞においてシテ、アドといった配役こそあるが、すべての役は舞の主題のあらわれであり、主役や脇役という言葉は役割の違いを述べたに過ぎない。舞台の上では平等だ。当然俺と君も」


 思いのほか真摯な返答に、しばし朝日は考える。


「つまりあんたにとって、この決闘は舞台の表現と同じってこと?」

「いかにも。當麻流舞踊は鬼を魅せる故に、自らも鬼と化す舞踊。荒ぶる魂をもって内面を鼓舞し、たおやかなる舞いをもって外面を装う」


 狭霧の両腕が上げられる。構えともつかない構えだ。しかし、彼の気魄の変化を感じ取り、朝日は刀を握りしめる。まだ決闘は続く。続かなければならない。


「我ら當麻の頭角が磨き上げた妙技、とくとご覧あれ」



 ◆◇◆◇◆◇



 対物ライフルのような打撃が、朝日の握る打刀にぶつかる。その正体は、存分にしならせた狭霧の右手だ。


「當麻流舞踊・春月はるづき


 気魄で防がなければ、握っている刀ごと両手が四散するほどの威力だ。これを舞踊と言い切る當麻のセンスに呆れつつ、朝日は刀を握る手をごくわずかだけ脱力させ、徹甲弾の如きエネルギーを受け流す。


 けれども、攻め手はまだ終わっていない。防御に回った朝日を地面に叩き伏せるべく、狭霧の振りかぶった左手が振り下ろされる。


「當麻流舞踊・氷月ひづき


 朝日は逆に頭突きでその手を弾いてやろうかと一瞬考えたものの、消費する気魄を考えると自殺行為だと判断した。体勢を崩しつつも、朝日は後ろに下がって手の形をしたギロチンから逃れる。


 そして本命が来る。既に終えた防御の姿勢がまだ雑に残り、さらに強引に下がったおかげで足元もおぼつかない、死に体の朝日。彼女に対し、一気に踏み込んだ狭霧が、存分に気魄をまとった両の手の平を同時に繰り出す。


「當麻流舞踊・禍月まがづき


 先程の右手が対物ライフルならば、こちらは戦車の主砲の如き一撃だ。


 あまりの威力に、朝日の全身が真横に吹っ飛ぶ。気魄で辛うじて防御できたものの、まともに食らったために意識が一瞬空白になった。さらにごっそりと気魄を持っていかれる。決闘が終わる理由の一つとして、片方が気魄を使い尽くした場合がある。気魄のない相手など、頭角にとっても角折リにとっても赤子同然だ。もはや決闘を続ける理由はない。


(こんなのをあと数回受けたら、間違いなくこっちがへたばる……!)


 先に致命的な一撃を受けた自分を叱咤しつつ、朝日は境内の端に体勢を立て直して着地する。しかし、真正面を向いた朝日の顔が驚愕に彩られた。狭霧の姿がない。當麻流舞踊・影孔雀。間隙を縫って移動するため、はた目には連続する瞬間移動としか思えない異様な高速歩行だ。


 狭霧の右手が朝日に襲いかかる。五指がぴたりとくっついた貫手の形だ。鉄板でも余裕で貫くそれを朝日は姿勢を低くして走りながら躱し、逆にすれ違いざまに足を切ろうと刀を振るう。しかし、なんと狭霧は軽く跳ぶと、振るわれたまさにその刃に足を乗せて事なきを得た。小馬鹿にしたような動きに朝日の歯が食いしばられる。



 ◆◇◆◇◆◇



(これが頭角の、當麻の戦いか)


 朝日の頭の中の冷静な部分が、今までの戦いを分析する。


(呆れるほどに重いくせに、尋常でなく速い)


 間合いが重なった瞬間に幾度となく剣戟が交わされ、いったん退く。


(特に気魄が異様だ。螺旋のように渦を巻いてるせいで、刀で受けても引きずり込まれる)


 けれども息つく暇もなく、また瞬時に重なる。


 まさに天に閃く紫電の如き斬り合いだ。尋常ならざる武技と武技が何度も、何度も何度も交錯する。


(確かにあんたは頭角だ。鬼そのものだよ)


 朝日は狭霧の顔を見る。彼の顔は普段と変わらない。あの謎めいたペルソナには一分の隙もない。その先に届くべく、朝日はさらに気魄を刀に込めて叫ぶ。


「だからこそ、斬るに値する!」



 ◆◇◆◇◆◇



「朝日……」


 狭霧に斬りかかる朝日の背を、母である陽子は桜木の陣営で見つめる。


「陽子さん、心配かい?」


 彼女に声をかけたのはふみだ。


「桜木の妻ですが、娘が修羅の巷にいて、手放しで喜べないのが本音です」


 陽子の言葉に、隣にいた大悟が顔をしかめる。


「おい陽子、ここは朝日にとって晴れの舞台だぞ」


 しかし、ふみが大悟をたしなめた。


「いいさ。思うことは自由だよ」


 陽子の肩を持つふみに、大悟は肩身の狭そうな顔をする。


「俺が同じことを言ったら、母さんは怒りそうだけどな」

「自分のお腹を痛めて生んだ子だ。母親が心を砕くのは当然さね」

「俺だって、陽子と同じくらい朝日のことは思っているさ。本当だぞ」


 大悟がそう言うと、珍しくふみは柔らかな顔を見せた。


「……ああ。ありがとうね、大悟」

「だが、互角じゃないか。あの當麻の舞を見事に剣で迎撃してる。こりゃいけるぞ」


 それに調子をよくしたのか、大悟が気安いことを言う。


「そんなわけないだろう」

「は?」


 ふみはすぐにいつもの表情に戻ると、じっと境内を、そして斬り結ぶ二人を目で追う。


「鬼の舞はここからさ」



 ◆◇◆◇◆◇



「兄さんの舞はここからだよ」


 當麻の陣営で、ふみと同じことを口にする人間が、いや頭角がいる。狭霧よりもさらに女性的な容貌をした長髪の美少年、すなわち彼の弟である夕霧だ。


「安心した? ねえ、安心した?」


 人なつっこそうに彼が顔を近づけるのは、神妙な表情をした琲音だ。


「もちろんですとも」


 琲音は大きくうなずく。


「仮にも當麻の仕手であられる狭霧様が、あんな野蛮人に後れを取ることなど、あってはならないことですから」

「ふうん……」


 夕霧はなぜか、琲音の返答を聞くと露骨に面白くなさそうな顔をする。


「夕霧様、何か?」

「君、結構バカだね」

「は?」

「そんなんで兄さんの付き人を気取るつもり? 何も分かってないなあ。本当にダメだよ。ダメダメ」


 夕霧に面罵され、琲音は慌てて謝罪する。


「め、面目次第もございません」


 だがそこに、第三者の声が割って入った。


「夕霧、言い過ぎだ」


 声の主は、先程から腕組みをしたままの男性だ。


「は~い、お父さん」


 興味が失せたようによそを向く夕霧に父である彼、當麻黄雲こううんは警告する。


「よく見ておけ」


 かすかに、恐れの表情を見せつつ。


「鬼が出るぞ」



 ◆◇◆◇◆◇



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