第19話:怒濤の攻めとは守りを恐れる故なり



 ◆◇◆◇◆◇



 境内の中央へと進み出た朝日の目が、夜目にも艶やかな姿をとらえる。


(當麻狭霧さぎり…………!)


 反対側からゆっくりと姿を現したのは、朝日と同じく制服姿の狭霧だった。月夜、篝火、そして神社。ありとあらゆるハレの場を作り出す空気が混ぜ合わさり、狭霧の元から人間離れした美貌はさらに冴え渡っている。まるで、色彩の形を借りた猛毒だ。


「よく来てくれたね、心から歓迎するよ」


 狭霧の甘いねぎらいの言葉に、朝日は両足を踏みしめた。血も肉も骨も、目の前のこの頭角に対して臨戦態勢に移行している。


「たいした余裕だね」

「そうでもないさ。こう見えて俺も緊張している。緊張のない舞なんて、糸の切れた操り人形と大差ない。當麻流舞踊の仕手として、恥ずかしくない舞を舞いたいさ」

「向上心があるのは結構だけど、今夜は所信表明が目的じゃないだろ」

「ああ、そうだったね」


 そう言うと、狭霧は横を向く。


「先生、お願いいたします」

「よし、分かった」


 彼に呼ばれ、大曲が境内に進み出てくる。


(いよいよか……!)


 朝日は身構える。長い間待ち焦がれた瞬間だ。だが、どこか自分の心がずれているのもまた、朝日は感じていた。



 ◆◇◆◇◆◇



「拙い身だが僕、大曲利郎が此度の決闘の立会人を務めさせていただく。双方、異論はないか?」

「はい」

「はい」


 狭霧と朝日は同時に返答する。


「ならばここに、頭角と角折リの両名による決闘を執り行う」


 立会人の口上に決まったものはないが、それなりに大曲も基本的なものに沿った口上を述べている。


「頭角の名は當麻狭霧」


 彼の手が狭霧を差す。


「角折リの名は桜木朝日」


 彼の手が朝日を差す。


「両名共に、己の家名に恥じぬ武勇を示すことを期待する」

(もちろん!)


 内心で朝日は力強くうなずくと、打刀の柄を強く握りしめる。


「そして何よりも、これを終えた後は遺恨を捨て、共に学友として切磋琢磨し、文武両道に励むように」


 だが、やはり彼は教員である。決闘を認めつつも、終えれば元の学生に戻ることを期待しているのだ。


「はい」

「……はい」


 そんなことを思い、やや朝日の返事は遅れてしまった。


「それでは――――」


 大曲は数歩後ろに下がる。既にこの間合いは、朝日にとっても狭霧にとっても充分攻撃の圏内である。


「始めッ!!」


 大曲の声が、境内に響き渡った。



 ◆◇◆◇◆◇



 先手を取ったのは朝日だった。爆発的な勢いで地面を蹴り、一瞬のうちに間合いを縮める。靴そのものを気魄で強化していなければ、文字通り靴底が引き千切れる強引な加速である。この〈捷歩しょうほ〉と呼ばれる高速歩行には様々な種類があるが、朝日の使うそれは主に初速から全力の加速である。まるでドラッグレースだ。


 気脈を駆けめぐる気魄と、溢れ出るアドレナリンとで引き伸ばされた刹那。その中で朝日は片脚で強引に制動をかけ、体を捻るように回転させる。同時に右手が打刀の鞘を掴み、指が絡むようにそれを握りしめる。慣れ親しんだ感触を存分に味わいつつ、全力で刀を鞘から解き放つ。体そのものを鞘にするかのような抜刀「桜木流撃剣・柳辻風やなぎつじかぜ」。


 心技体が合一した白刃の一撃に対し、狭霧の体がゆらりと傾く。


(よろけた!?)


 一瞬、朝日は狭霧がつまずいて転んだのかと錯覚した。だが、そうではない。水の流れと争わずになびく水草のように、狭霧の体は白刃の勢いに合わせて間合いからわずかに遠ざかる。結果、刃は斬るべき相手を見つけられず、虚空に軌跡を描くのみにとどまった。


(だが逃がさん!)


 一度抜いた刀身を鞘に収めず、朝日はさらに攻撃を繰り出す。脳天から腰骨まで叩き斬る唐竹割りを、狭霧は完璧にタイミングを合わせて後ろに下がり躱した。だが、朝日は体勢が崩れることを恐れず、下からすくい上げるように斬りつける。肝臓を裂いて肋骨を寸断する攻め手を、狭霧は太刀風に煽られるようにしてなおも回避。


 しかし、その程度で朝日は攻撃の手を緩めはしない。凄まじい勢いの踏み込みに、石畳が割れる。さらに速さと鋭さを増した刀が振られる、と思いきや、朝日はあえて刀の角度を変え、狭霧の目には見えにくくした。同時に脚捌きを変えて幻惑する。けれども、狭霧の動きに変化はない。刃が身に触れる紙一重で、揺らぐようにして間合いの外に逃れる。


(そう簡単には引っかからないか。だが――――!)


 朝日は一度身を退き、次の動きに選択肢を与える。攻撃の方向は三方だが、二つはフェイント。一つだけが本命。


(見切れるか?)


 呼吸一回分にも満たない質疑応答。それまで曖昧だった狭霧の動きがかすかに止まる。それを見逃す朝日ではない。本命を見切れないと知った彼女の剣が唸る。


 万全の体勢で斬りつけるも、狭霧は大きくのけぞるようにして回避する。それまで大きな動きを一切見せなかった狭霧が、初めて明確に朝日の攻撃を躱したのだ。もっとも、これだけで朝日は満足しない。


(生意気な!)


 大上段に刀を振り上げたまま、朝日は狭霧の懐に飛び込む。体と体がぶつかるような異常な近距離である。


 故にこそ、朝日は即座に刀を左手だけで持つや否や、文字通り右手の拳を握りしめて狭霧を殴りつけようとする。猪武者ここに極まれりとしか言いようのない身も蓋もない攻めを、それでも狭霧は不可思議な脚捌きで回避する。


(とことん嫌みな奴だな! 回避に専念する気か!)


 朝日は内心で悪態をつく。これでは霧を刻んでいるのと大差ない。


 とっさに小刀を抜いて突きを繰り出し、狭霧が回り込むようにして逃れたのを確認してから、朝日は体の勢いを踏み込みで強引に押しとどめる。再び彼女の靴底の下で石畳が割れた。刀を振り上げ、気魄を刀身にまとわせつつ袈裟斬りで振り下ろす。以前道場で見せた桜木流撃剣・くろがね。重たい一撃に、ようやく狭霧の右手が伸びた。


(受け止めた!?)


 ようやく朝日の手に、刀からの感触が伝わる。だがそれは、刀身が左右から凄まじい力で押さえ込まれる感触だ。


(それも指でか!?)


 狭霧は二本の指で、刀身を挟んでいる。


(なんて馬鹿力だ。さすがは頭角か!)


 万力なんてものではない。朝日も力を込めるのだが、狭霧の細腕は刀を持ったまま巌のように動かない。


(そのまま死ぬまで持ってろ!)


 瞬時に朝日は思考を切り替え、まるで狭霧の腕にぶら下がるかのようにして跳び蹴りを繰り出した。気魄を充分にまとった爪先が、狭霧の肋骨の間に突き刺さる。だが。


(硬ぁ! 何これ硬い!?)


 朝日の頭の中に、やや間抜けな感想がスパークする。まるで岩盤か巨木を蹴ったような硬さが爪先から伝わってきた。


(これが人間の体か!?)


 いくら何でも異常だ。確かに、気魄に満ちた武人の体は、並の刃物では刃が通らないほどに丈夫だ。しかし、狭霧のそれは常軌を逸している。血の通った人間の五体とは思えないほどに硬いのだ。


「……なるほど。あんたがいつも余裕ぶっている理由がよく分かるよ」


 狭霧が刀を離したので、朝日は数歩下がって口を開く。


「あんた、急所らしい急所が何一つないのか。文字通り鉄心、鉄骨って奴だね。物理的、心霊的に文字通り“硬い”。それなら、いつもしたり顔なのもうなずける」


 朝日の苦々しげな言葉にも、狭霧は薄くほほ笑んだままだ。


「君が思っているよりも、万能ではないよ」

「白々しい嘘をつくな。あんたに血を流させるには、何を使えばいい?」

「君の手にあるものさ」


 狭霧の手が、朝日の握る打刀を指差す。


「そう。業物ではないけど、これしかない」


 朝日は刀を振るう。


「あんたの防御は気魄に依るところが大きい。そして私たち角折リは、己の気魄をもって鬼の気魄を断つ。そのための得物がこれ」


 朝日の構えが変わる。弓を引くような白画の構えへと。


「もう一度行くぞ。次は止められるか?」



 ◆◇◆◇◆◇



 朝日が詰め寄る。だが、揺らぐようにして狭霧はすり抜ける。それをさらに朝日は追う。


(届け……!)


 追って斬る。


(届けっ!)


 斬りつける度に狭霧は揺らぎ、その動きはかすむ。


(もう一太刀……!)


 どれだけ攻め続けたのだろうか。互いの動きに集中し続ける中、時間は意味をなしていない。そして、朝日の攻撃もまた意味をなしていない。


 狭霧の右手がかすむと同時に、朝日は激しく右手を弾かれた。


「くっ……!」


 軽く手ではたくような動きにもかかわらず、角度や勢いが計算され尽くされていたのか、刀が手からすっぽ抜けそうになる一撃だ。


「息もつかせぬ攻めの一手だね」


 反撃を受けて息を荒げつつ踏みとどまる朝日に、狭霧は優しく声をかける。


「勇猛果敢に見えるけれども、その実危うくて仕方がない」

「知ったような口をきくな!」


 まるでいたわるかのような言葉に、朝日は激昂する。決闘の場にもかかわらず、狭霧の声音は不気味なほど穏やかだ。


「心外だな。剣に疎い俺よりも、君の方がよく分かるはずだ」


 しかし、狭霧は言葉を続ける。


「守りを顧みない攻めの一辺倒。裏返すと君は……」


 けれども、次の言葉は穏やかであると同時に猛毒を帯びていた。


「俺の次の一手を恐れている」

「……ッ!」


 容赦ない現状の指摘に、朝日は奥歯を砕けそうなほどに噛みしめる。


(言い当てられた……!)


 どれだけ攻めても、一太刀さえ浴びせられず躱され続ける局面。いつの頃からか、朝日の心に焦燥が生まれていた。それを狭霧は見逃していない。


「分かるんだよ。舞踊は律動だ。君の剣戟もまた、舞踊の如く律動がある。ただの人はだませても、舞い手はだませない」


 初めて狭霧は身構える。緩やかに、その右手がもたげられた。


「序の段はこれにて仕舞い。続いて破の段が始まる」


 そして狭霧は、自らの継承した技能の名を口にする。


「當麻流舞踊・影孔雀かげくじゃく


 ――次の瞬間、狭霧の姿が消えた。



 ◆◇◆◇◆◇



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