第18話:決闘とは儀礼的闘争なり



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 頭角という混血が人として生きるようになり、彼らを狩ってきた角折リは頭角と講和を結ぶこととなった。しかし、だからといって二つの勢力が遺恨を捨て、仲良しこよしとなったわけではない。現代に至るまで、幾度となく頭角と角折リとの間に、そして頭角同士、さらには角折リ同士の間に衝突はあった。その際に行われてきたのが決闘である。


 この儀礼的な闘争こそが、頭角や角折リたちにとっての問題の解決策だった。立会人の存在などを初めとする種々の規則は、異能の者たちが全面的に争わないための安全装置なのだろう。だが、同時に決闘とは、互いの領地にある結節という要地を取り合う、一種の争奪戦でもある。故にこの二つの勢力は、どちらも決闘を好む一面を持ち合わせていた。



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 時刻はもうじき深夜。場所は国道をはずれ、しばらく山道を延々と登った先にある古びた神社の境内。山奥の神社にしては異常なほど大きなこの神社は、當麻たいま家の管理する物件らしい。普段は野生動物くらいしか訪れないはずの境内は、今夜は徹底的に掃き清められている。石畳の上に葉っぱ一つ落ちていない。


 境内の左右は、當麻家と桜木家、頭角と角折リの両陣営がそれぞれ占めていた。角折リの方には朝日の父母である大悟と陽子、それにふみしかいないが、頭角の方には多くの人影がある。頭角以外に仕え家の人間も混じっているらしく、琲音の姿もある。落ち着いた様子でどっしりと腰掛けて腕組みをした壮年の男性は、恐らく狭霧の父だろう。


 頭角の陣営から、再び視点を角折リの陣営に移す。赤々と燃える篝火に照らされ、じっと戦いの時を待つのは制服姿の桜木朝日だ。手に大刀を持ち、腰には小刀を差した出で立ちだ。落ち着かない様子で、彼女は握った打刀をいじっている。取り立てて特筆すべき拵えもない、ごく普通の日本刀だ。朝日はあの名刀、比翼安國をこの場に携えていない。



 ◆◇◆◇◆◇



 数時間前のことだ。


「まかり成らないね」


 床の間に飾られた合計四振りの刀の前に、ふみが座っている。


「ちょっ、母さん?」


 抗議の声を上げたのは朝日の父の大悟だ。朝日と大悟と母の陽子。この三人と二対の大小との間に、ふみが障壁となっていた。


「桜木家の比翼安國、比翼永國ながくに。どちらも此度の決闘に持ち出すことは許さないよ」


 桜木家が奉る至高の宝刀は二対。すなわち中条安國作の比翼安國と、阿児あご永國作の比翼永國だ。だが、ふみはそのどちらも朝日に握らせるつもりはないらしい。


「おい、そりゃないだろ。相手はあの當麻の御曹司だぞ。言わば一世一代の大勝負だ。ここで使わないでいつ使うんだよ」


 さらに食い下がる大悟を、ふみは眼鏡の奥の鋭い目で睨む。


「大悟。お前、桜木流が當麻流に勝った理由を、秘伝の名刀を使ったからってことにしたいのかい?」

「ま、まさか。うちの朝日はどこに出しても恥ずかしくない人太刀だ。素手だって負けるわけないだろ。なあ、朝日?」


 大悟のいい加減な安請け合いでは、朝日に宝刀を使わせたいのかどうか分からなくなりそうだ。


「本当に持ち出しちゃいけないの?」


 大悟の問いかけを無視して、朝日はふみに尋ねる。


「使いたいのかい?」

「もちろん」

「だが、駄目だよ」


 にべもなくふみは首を左右に振る。


「どうすれば、朝日が使うのを許してもらえますか?」


 続いて口を開いたのは陽子だ。


「陽子さん、なにも私は、朝日がこの二振りを使うことを一生禁ずるなんて言ってないよ。ただ、今は時じゃない」


 確固とした理由があるらしく、ふみの言葉に妥協はない。


「でもあの當麻家との決闘ですよ? 今が時ではないのですか?」


 日本最強の頭角である當麻との決闘を前にして、伝家の宝刀を使わない。ふみの意図が、朝日たち三人には分からなかった。


「朝日、お前は本当に、此度の決闘にこれを使うつもりかい?」


 今度は逆に、ふみが朝日に尋ねる。


「四刀を身に帯びる『四器一身しきいっしん』として、ふさわしい人太刀だと自負できるのかい?」


 四器一身、あるいは「四ツ物一ツ身」。それは、桜木流撃剣の人太刀が、比翼安國と比翼永國を同時に身に帯びた姿を表す言葉だ。まさに人太刀の到達点、桜木家を背負って立つ晴れ姿である。ふみにそう言われ、朝日はじっと考える。自らの姿を思い描く。


「……分かりました。使いません」


 しばらくして、朝日は結論を出した。理屈は分からない。納得もできない。しかし、彼女はふみの判断と天眼を信じることにしたのだ。


「それでいい」


 ふみは満足したようにうなずいてからこう言う。


「朝日、お前は剣に愛された子さ。たとえお前が剣を捨てたとしても、剣の方がお前を放っておかないだろうね」



 ◆◇◆◇◆◇



(「今は時じゃない」っておばあちゃんは言っていた。じゃあ、この決闘にはどんな意味があるんだ?)


 時刻は戻る。篝火の熱を肌で感じつつ、朝日はただひたすら思考を巡らす。


「気をつけてね、朝日」


 つい先程、陽子は朝日にそう言った。


「勝とうなんて思わないの。ただ、凜としてあなたらしくいられれば、それだけで充分よ。桜のように咲きなさい」


 まさに陽子らしい言葉だった。


「大丈夫だ、朝日。お前なら勝てる。何のために今日この日まで鍛練を積んできたんだ?」


 続いて大悟が、大声でそう言うと朝日の肩を叩いた。


「心配するな。帰ったら勝利の祝杯だ。って言っても、一緒に酒を飲めるのは二十歳まで我慢だけどな。がははははっ!」


 勝利を確信している大悟の言葉に、朝日の口元も緩む。


「――朝日」


 そして、ふみ。彼女は朝日の全身を眺めてから、こう言い放った。


「一度死んできな」


 それが、決闘に赴く孫娘に対する、祖母のはなむけの言葉だった。


(おばあちゃんは、どうして私にあんな事を言ったんだ……?)


 死ね、とふみに言われて、平静でいられるほど朝日は無感動ではない。


(だめだめ。考えれば考えるほど雑念が混じる)


 頭では分かっている。雑念や迷いは太刀筋を鈍らせる。この決闘は、生半可な気合いでは負ける、と。しかし、朝日の頭からはふみの言葉が消えない。


(我は角折リ。桜木流撃剣の継ぎ手。我が身は即ち刃、我が刃は即ち身。この世に生を受けた理由はただ一つ。鬼を斬り、その角を折るため……!)


 念仏のように、ひたすら朝日は同じ思考を繰り返す。



 ◆◇◆◇◆◇



「とうとうこうなったか、桜木」


 目を閉じて集中していた朝日の耳に、聞き慣れた声が届いた。


大曲おおまがり先生?」


 目を開けると、そこにいたのは相変わらずくたびれた容貌の大曲利郎だった。風采の上がらない背広姿も、ついさっき万年床から起きてきたかのようなのろのろとした動きも、学校で担任をしている時と何ら変わらない。


「まったく、僕の仕事をずいぶん増やしてくれたな。明日も早いってのに」


 開口一番、大曲は朝日にぼやく。


「先生も、仕え家なんですか?」


 朝日は彼も頭角の関係者だとは思わなかった。


「いや、そこまで立派なものじゃないよ。単に、頭角と少し関わりのある家の出さ。一応、今夜の決闘の立会人は僕なんだ。よろしく」

「よろしくお願いします」


 きびきびと一礼する朝日を見つつ、大曲はぼりぼりと頭をかく。


「あ~、當麻と喧嘩でもしちゃったのか?」


 今回の決闘の理由を聞いているらしい。


「私は角折リです。頭角とは一生相容れません」

「そりゃ実家の家訓じゃないか。お前個人の思想じゃないだろ」

「當麻狭霧にも、同じことを聞かれたんですか?」

「いや、そうじゃないけどさ」


 歯切れのよい朝日に対し、大曲の物言いは実に要領を得ない。


「なんだか大変だな。お前たち二人共、生き急ぐってレベルじゃないぞ。だいたい、今時決闘って何だよ? レトロすぎだろ?」

「問題を遺恨を残さずに解決するには、良い手段だと思います」

「いやあ、僕には分からない境地だなあ」


 大曲はへらへらと苦笑するが、すぐに表情を改める。


「でも、何はともあれ立会人を務めるからには、真面目にやるよ。決闘の規則は知っているよな?」


 朝日はうなずく。


「まず殺人は禁止。僕の生徒が殺し合うなんて、絶対にあってはならないからな」

「承知しています」

「決着はどちらかが降参するか、意識を失うか、気魄を使い切るまで」

「はい」

「勝者には敗者の結節を一時的に貸与する」

「そうです」

「立会人の指示には従うこと」

「当然です」

「細かいことはお前たちの両親が決めたらしいから、安心しろ」

「はい、全力で望ませていただきます」


 どれもこれも、朝日には周知の事実だ。この決闘の報償は、互いの土地にある結節である。地脈の集中する地点であるそこは、とどまることによって大量の気魄を吸収できる一種の霊地だ。


「いや~、それはちょっとなあ。女子が男子と真っ向勝負で斬り合いなんて、僕としてはいただけないんだが」


 決闘を当然のこととして受け入れる朝日に対し、大曲はしごく一般的な感想を述べる。確かに彼は、多少なりとも頭角にかかわる家の出身とはいえ、ごく平凡な感性の持ち主と言えよう。


「修羅道の身故、ご容赦を」


 朝日は小さく頭を下げる。


「はいはい、分かった分かった。それにしても桜木、それがお前の地か? ずいぶん口調が硬いな」


 大曲が驚いたようにそう言うので、朝日は気づいた。


「あ、いえ。違います。その、集中するとつい……」


 どうも自分は、殺気立ってくると口調が変わるようだ。


「ああ、すまんすまん。余計なことを言っちゃったな」


 大曲が謝ったその時、ふっと周辺が暗くなった。篝火が燃え尽きてきたのではない。


「曇ってきたな」


 空を見上げて大曲が呟く。確かに、それまで皓々と照らしていた満月に、のたうつような叢雲がかかっている。まさに今夜は、かつて狭霧が言った「叢雲の迷う月夜」だ。


「さあ、時間だ」


 大曲の言葉に、朝日は短く応えた。


「委細承知」



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