第26話:好敵手とは小うるさいストーカーの美称なり(中編)
◆◇◆◇◆◇
狭霧の存在を知られたくないあまり、早々に八重姫を追い返そうとする朝日と、リベンジ目的で朝日の元を訪れたであろう八重姫。
「まあ、いいです」
何とも居心地の悪い空気を、あっさりと八重姫は不問に付す。
「いいの?」
「傷つきましたけど、仕方がないので許して差し上げます」
「どうでもいいから、本気で帰って欲しいんだけど」
はっきりと拒否しても帰らない八重姫に、朝日は本気で嫌な顔をする。
「あら、好戦を絵に描いたようなあなたが珍しいですね。何かありました?」
「あんたにはこれっぽっちも関係ないから」
「即答ですね」
朝日の嫌悪などどこ吹く風。我が道を行く八重姫は、朝日の冷たい視線を浴びながら歩き出す。ここが自宅の庭のような厚かましさだ。
「それにしてもまあ、庭といい佇まいといい、相変わらず下田貫にふさわしい田舎臭さですねぇ」
くるりと彼女は方向転換すると、離れの方向に足を向ける。つまり、狭霧が今まさにいる場所へと。
「特にこの離れなんて――――」
「ちょっと待ったぁー!」
だが、八重姫の進行方向に地響きと共に回り込んだ者がいる。捷歩を使って高速移動した朝日だ。
「この不法侵入者! 警察呼ぶぞ!」
離れには絶対に近づかれたくない朝日の口から、苦し紛れの妄言が飛び出す。だが、いくら何でも「警察呼ぶぞ」は滅茶苦茶だ。確かに八重姫は
「はぁあ!? 同じ角折リとして稽古を付けて差し上げようと、こんなド田舎まで遠征してきてあげた柏崎流に敬意を払うどころか不法侵入者とはどういう意味ですか! こっちこそ訴えますよ!?」
両手を広げて必死の形相で立ちはだかる朝日に対し、八重姫もまた華やかな顔立ちを歪ませて抗議する。割と美人である彼女がやってはいけない表情だ。
「だいたいなんで警察なんですか!? 角折リの立ち会いに国家権力は埒外ですよ!」
当然のことながら八重姫にそう突っ込まれ、渋々朝日は広げた両手を下げる。
「そ、それもそうか。じゃあ……」
用心しいしい朝日は、やはり捷歩で高速移動すると、近くにあった木刀を手に取る。続いて、切っ先を地面に擦りつけて自分と八重姫の間に線を引いた。
「ここから先に入ったら斬る」
改めて、八重姫は自分の立っている場所とその線、そして木刀を持つ朝日とを順番に見る。剣客同士ならば、その線を超えたら確かに首を落とされる間合いだ。しかし――
「柏崎流を剣術と勘違いしていません? 私の愛器はこれですよ?」
八重姫が朝日にも分かるように掲げるのは、遠距離武器のアーチェリーである。
「きょ、今日は防戦の稽古をしたい気分なんだ」
八重姫に狭霧の存在を感づかれたくない一心で、朝日は不器用な言い訳をする。
「あなた、今日はおかしいですよ。まあ、以前からちょっと残念なところがありましたけど」
「う、うるさい。やるなら道場に行くぞ」
しかし、なぜか八重姫は急に意味ありげに笑い出す。
「ふっ、ふふ……」
「何がおかしい」
「相変わらず勝負と聞けばチャンバラしか連想できないんですね。おかわいそうなことですこと」
妙に上から目線で、八重姫は朝日を評する。
「先の試合からずっと、あなたに勝つ方法を私は考えていました。考えて考えて、考え抜いた先にあったのは……」
八重姫は明後日の方向を向いて呼びかける。
「守門、お出でなさい」
「分かった」
◆◇◆◇◆◇
少し離れた場所からやって来たのは、彼女の付き人の守門だ。相変わらず、表情が非常に硬い。外見こそスポーツインストラクターのような雰囲気だが、いかんせんいつも不機嫌なように見える。しかし、朝日は知っている。それが外面であり、本当の彼は真面目で謹厳実直な人間であることを。不器用ながら、いつも彼は八重姫をフォローしていた。
元々馬上での射にも優れた柏崎家は、昔から馬の育成にも長けていた。事実、現在柏崎家は競走馬のオーナーとして財をなしている。そして守門家は柏崎家専属の馬丁の家であり、ひいては召使いのような立ち位置である。平たく言えば、この守門という青年は八重姫の執事だ。朝日の記憶の中で、八重姫と守門はいつもセットのように一緒にいた。
守門を隣に並ばせた八重姫は、これ見よがしに彼と手をつなぐ。
「お分かりになります?」
八重姫の方はにこにこと笑っているが、守門の方は無表情だ。恐ろしく不釣り合いである。
「皆目見当がつかないんだけど」
朝日の正直な感想を、八重姫は鼻で笑う。
「あら、やっぱり鈍感なんですね」
わざとらしくため息をついてから、彼女はこう宣言する。
「私たち、お付き合いすることにしましたので」
お付き合い、つまり八重姫と守門の関係は主従を超え、恋人同士という間柄に進展したということである。
「朝日? きょとんとしてどうなさったの?」
朝日は八重姫を完璧に無視し、隣の守門に声を掛ける。
「守門さん」
「何だ、桜木流」
じろりとこちらを見る視線に気圧されず、朝日は正直に言う。
「本気? 相手はこの見栄っ張りで口うるさくてしつこくてしかもあんまり強くない柏崎八重姫だけど?」
「見栄っ張りなのと口うるさいのとしつこいのは認めますけど、私は弱くありませんから! あなたの強さが異常なだけです!」
子犬がきゃんきゃんと吠えるようなやかましさで、隣の八重姫が抗議する。
(そこは我慢ならないんだ……)
自分の欠点は認めるものの、弱いことは認められない。確かに八重姫は武門の出にふさわしい……のかもしれない。
「ふっ……」
朝日の遠慮のない質問に、守門は唇の端に笑いを浮かべた。
「杞憂だな、桜木流。俺は守門家の人間だ。お嬢がまだ幼い時からずっと知っている。少なくとも、お前よりはずっとな」
いつになく饒舌に、守門は言葉を続ける。
「断言しよう。お嬢は見栄っ張りで口うるさくてしつこいだけではない。強情で単純で調子に乗りやすく、そのくせ失敗するとすぐに落ち込むから実に危なっかしい。子供の頃から何一つ変わらん」
「本人を前にしてさんざんな言い草だと思いません!? とてつもなく傷つくんですけど!?」
恋人にまで自分の欠点を並べ立てられ、八重姫は再び吠える。
「だがな……」
と、ここで守門はおもむろに八重姫の方を見つめた。
「そんなお嬢に、俺は何度となく助けられた」
「は……はい?」
打って変わって急に優しげに語りかけられ、八重姫はフリーズしている。
「こんな口下手で要領が悪くて、世辞の一つも言えないのろまで無粋な男が、今の今まで柏崎に仕えることを許されたのはなぜだと思う?」
固まったままの彼女に、守門ははっきりとこう告げた。
「お嬢、いや柏崎八重姫。あなたが俺を、側に置くことを許してくれたからだ」
何のことはない。二人は似合いのカップルのようなのだ。どちらも不器用で、どちらもその事が分かっている。
「俺はあなたに選んでもらえて、本当に嬉しく思う」
「守門……」
たちまち、八重姫の頬が赤く染まっていく。
◆◇◆◇◆◇
「私たちの仲睦まじい様子、ご覧になりましたか?」
幸せそうに守門に寄り添う八重姫は、得意満面な表情で朝日の方を見た。一方の朝日の表情は、心底うんざりしている。
「ああ、嫌になるくらいしっかりと見たよ」
一瞬だけ守門に同情した気分を返してもらいたいくらいだ。仲睦まじいのは結構だが、それに自分を巻き込まないでもらいたい。
「負け犬の遠吠えが実に心地よいですね。ええ、実に」
しかし、朝日の気のない返事を、なぜか八重姫は曲解に曲解を重ねてそう受け取る。
「おい、ちょっと待て。私がいつ負け犬になったんだ。聞き捨てならないぞ」
勝負事にはこだわる朝日がそう詰め寄ると、八重姫はようやく守門の手を離して彼女の方を見据える。
「ふふふ、私が考え抜いた、あなたに必ず勝てる勝負。それはこれ――」
八重姫のアーチェリーを持たない方の手が、朝日をまっすぐに指差す。
「恋人の有無です!」
自信満々で言い切った八重姫の言葉に、朝日は耳を疑った。恋人の有無。そんなどうでもいいことが何故、桜木流撃剣と柏崎流弓術の立ち会いに取って代わらねばならないのだろうか。
「あんた、正気?」
朝日の疑問に、八重姫は逆に胸を張る。
「失礼ですね。これ以上ないくらい私は正常です」
「あんたが正常だったら、世の中丸ごと異常だよ」
価値観が違いすぎ、お話にならない。
「あなた、お付き合いしてる人はいます?」
「……なぜそんなことを聞く」
朝日の歯切れの悪さを、八重姫は聞き逃さない。
「あら、やっぱりいませんか」
「い、いなくて何が悪い! 桜木流の人太刀になるのは彼氏同伴が条件じゃない!」
「あれこれ言い立てても事実は変わりませんよ。私は守門というお付き合いしている方がいて、あなたは寂しくひとりぼっち。これはどう考えても女性として私の勝利ですよねえ!」
「こ、これから作ればいいだろ。まだ私は高一だ。いくらでもチャンスがある!」
八重姫の一方的な勝利宣言に、大あわてで朝日は抗議する。それにしても、朝日に勝つためにわざわざ恋人まで作ってくるとは。その執念と行動力をもっと建設的な方向に向けてもらいたい。ただ、巻き込まれた守門がまんざらでもない様子なのが唯一の救いである。急ごしらえではあるものの、二人の関係は割れ鍋に綴じ蓋といった感じなのだろう。
「はぁあ? なぁにを寝言をおっしゃっているんですかぁ? だってあなたは――」
朝日の「チャンスがある」という言葉を、八重姫は大げさに笑い飛ばす。
――そして彼女は、禁句を口にした。カタカナで五文字の言葉を。桜木朝日にとっての忌むべき記憶であり、絶対に耳にしたくないトラウマを。すなわち――
「メスゴリラじゃないですか!」
◆◇◆◇◆◇
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