第1話:桜木朝日とはデストロイヤーなり



 ◆◇◆◇◆◇



 ここ、下田貫しもたぬきという土地を表す最も適切な語は「ド田舎」である。元々昔から交通の便が悪い場所なのだが、少し奥まっただけでどうしてこれほどまでに田舎っぽくなるのか、不思議に思えるほどの垢抜けなさが特徴だ。町並み、風景、設置物、その他諸々が一つ前の時代に取り残されている。古風なのでなく、古臭く鈍くさくかび臭く田舎臭い。


 そんな下田貫の西にある太竹山たたけやま。そのふもとに一軒の屋敷がある。離れと道場を備えた、立派な門構えの屋敷だ。見るからに、先祖代々武家として名を馳せていたのが分かる家の造りである。ただ、下田貫という土地柄にふさわしく、あちこちが古び、経年で劣化し、田舎っぽさがそこかしこに見受けられるのだが。そこの表札は「桜木」である。



 ◆◇◆◇◆◇



「それじゃあお母さん。行ってきます!」


 四月。始業式を迎えた早朝、桜木朝日さくらぎあさひは自宅の玄関で元気よく声を上げる。長身を包むのは真新しい制服。ポニーテールに近い形の黒髪が揺れ、声と同じはつらつとした容貌が笑顔に変わる。どこから見ても、これからの新学期に期待する高校一年生の出で立ちだ。


「気をつけてね、朝日」


 玄関で見送るのは、彼女の母親である桜木陽子ようこだ。こちらは彼女とは打って変わって、大人しそうな容貌だ。髪の毛も朝日がストレートなのに対し、陽子は強いウェーブがかかっている。似ているのは長身くらいだろう。特に朝日は手足が細くはないが長い。体形は起伏に乏しいが、稀に友人がアスリート体型だと言うことがあった。


「はいっ! 今までお世話になりましたっ!」


 溢れ出る元気を全身から発散する朝日は、力いっぱい頭を下げる。兎にも角にも、これからの学生生活が楽しみでしょうがないのが一目で伝わってくる。


「何言ってるのよ。別に寮生活になるわけじゃあるまいし」


 今生の別れのような朝日の物言いに、陽子はやや呆れた様子で相好を崩す。


「そりゃそうだけど、心機一転、って感じじゃない?」


 無邪気に朝日は笑う。


「まあ、確かにそうね。何しろ、高校は戸隠峡とがくしきょうの向こうにあるんだし」


 陽子の言葉に、少しだけ朝日は真面目な顔になる。戸隠峡。日本最大の〈亀裂〉の一つ。大地を東西に二分する巨大な裂け目。それを電車に乗って越えれば、待っているのは正真正銘の新天地だ。


「お母さん、安心して? 向こうに行っても、ちゃんとみんなと仲良くするから」

「ええ、そうしてね」


 朝日はなぜか、自分が喧嘩っ早いかのような物言いをする。


「なんて言っても、高校での私の目標は――――」


 と、彼女が意気揚々と高校三年間の抱負を宣言しようとしたその時だった。


「朝日ぃぃぃぃいいい!」


 野太いどら声と共に、家の奥から足音も騒々しく一人の男性が突進してきた。かなり小柄で胴長短足だが、重心がしっかりとしていて、極めて均整の取れた体形でもある。着ているのはなぜか白装束。手に持っているのは巨大な片鎌槍だ。


「お父さん?」


 いぶかしげな声を上げる朝日の進行方向に回り込み、ようやく男性は急停止する。


「どこに行く気だ朝日ぃ!」


 言うまでもないが、彼こそが朝日の父親である桜木大悟だいご、古流武芸である桜木流撃剣の師範である。普段の絵に描いたような質実剛健の武道家、といった外見をかなぐり捨て、大悟は槍を突きつけつつ朝日を詰問する。


「高校」


 しかし当の朝日は、うるさそうに槍の柄を手で押しのける。刃物を恐れる様子さえない。


「県立犬里いぬさと高校か!?」

「そんなわけないでしょ。あんなド田舎丸出しの無茶苦茶かっこ悪い学校、頼まれたって行くわけありません」


 朝日が嫌悪感もあらわに否定するのは、ここ下田貫にある恐ろしく古びた高校である。校舎から制服から学風から、何から何まで時代に取り残されたような、実に田舎臭い高校だ。「タヌキ高」という蔑称まである。


「私が行くのは、校舎も制服も学風もぜんぶがおしゃれで素敵できれいで清潔で最新の、私立初城台はつしろだい高校だよ。お父さんも知ってるでしょ? 何で今さら聞くの?」


 歌うように朝日はその名を口にする。可愛い制服にきれいな校舎、おしゃれで素敵な学校生活。それらに恋い焦がれて、朝日は戸隠峡の向こうを目指したのだ。


「ゆ……」

「ゆ?」

「ゆ る さ ん !」


 だが、目の前の大悟は不動明王の形相で大喝する。今さら娘の進学先に異を唱えるつもりらしい。


「もう支度したし、何で今さら?」

「〈頭角とうかく〉の高校に通うなど言語道断! 桜木のご先祖に顔向けできん! ここは通さんぞっ!」


 言うに事欠いて、ついに大悟は槍を放り投げると、朝日の進行方向に両手を広げて立ちはだかる。


「邪魔。どいて」

「どかん」

「どいてって言ってるでしょ。初日から私を遅刻させたいの?」

「断じて通さぬ! どうしても通ると言うならば!」


 その次の発言は、果たしてどういう意図があったのだろうか。本気だったのか、それともはったりだったのか。とにかく、大悟はこう叫んだ。


「この父を倒してから――――!」


 瞬間、朝日が動いた。息を吸って、吐く。ただそれだけの動作。それだけで、彼女の意識は切り替わる。無造作に、あまりにも無造作に、朝日は腰を落として大悟の懐に潜り込む。体内の〈気魄きはく〉を一気に励起させ、すり寄るかのような体当たり。よろめいたところにみぞおちへ肘の一撃。すかさず足を払い、上体を回転させつつ頭から地面に叩きつける。


「桜木流撃剣・落暉追蹤らっきついしょう


 落日を追うが如く、体勢を崩した相手を追い打ちで沈める桜木の武技である。その目的は相手の体勢を崩すことと追い打ちに集約され、そのためならば状況に応じて千差万別に攻めの手段が変化する。時には相手の膝頭を踏み抜き、時には心臓を殴って衝撃を与え、時には顎を一打ちし脳を震盪しんとうさせる。


 一連の流れるような動作を、朝日は表情一つ変えることなく行った。これらは、彼女の心身に正確に複写された動作だ。息をするかのようにそれをなぞれることこそ、朝日が桜木流撃剣を修めたことの証明である。言わば、インストールやダウンロードのような感覚だ。彼女の境地を桜木流はこう呼ぶ。


 ――人太刀ひとたち、と。


「大丈夫、心配しないで?」


 見事にノックダウンした大悟に、人形ひとがたの太刀は平然と言い放つ。


「だって、私の高校での目標は心機一転、生まれ変わって――」


 しかし、何の反応もないことに気づいたのか、朝日は顔を上げた。


「『かヨワ系女子』、を目指すんだから。ね? お母さん?」


 同意を求められた陽子は、困惑しつつ笑顔を装ったようだ。


「う~ん、お母さん思うんだけどそれってちょっと難しいかも知れないわね。具体的に言うなら、ダチョウにハンググライダーを取り付けて走らせながら空を飛べって言うくらいに」


 ――かくして桜木の家が作り出した人太刀は、下田貫という垢抜けない此岸から、戸隠峡という三途の川をわたり、きらびやかな初城台という彼岸を目指すこととなる。



 ◆◇◆◇◆◇



「大悟さん、もう起きて下さい」


 朝日がいそいそと出かけてからしばらくして、陽子は倒れている大悟に声をかける。


「すまんが、おぶってくれ。足腰が立たん」

「弱くなった、ってことかしら?」

「馬鹿言え。これくらい余裕だ」


 どうしてこう、男は強さにこだわるのだろう。慌てて跳ね起きて健常をアピールする大悟を見て、陽子はそう思う。


「演技とは言え、少しやり過ぎじゃないかしら?」


 陽子が責めるのは、大悟が朝日を止めようとしたことだ。


「演技じゃなくて、俺は本気だ」

「それはちょっと困るかしら。具体的に言うなら、芸人が番組で体を張ったギャグを見せたと思ったら実は事故だったって後から知った感じで」


 朝日の覚悟を試すためかと思ったが、大悟は本気だったらしい。


「いずれにせよ、戸隠峡の向こうに行くなんて朝日は正気か? 好きこのんで鬼の巣窟に飛び込む境地、俺には理解できん」

「朝日だって年頃よ。女の子なんだから……」


 この人は、本気で朝日をあのタヌキ高に通わせるつもりだったらしい。乙女心の「お」の字も分からない夫に、深々と陽子がため息をついたときだ。


「あ! そうか!」


 大悟が手を打つ。


「武者修行だな。向こうで頭角どもを八面六臂の活躍でなぎ倒し、角折リの桜木ここにありと知らしめるつもりに違いない。さすがは俺の娘だ。がはははははっ!」

「桜木流撃剣・蛾眉がび穿ち」

「がッ!?」


 桜木の遠い分家から嫁入りした陽子である。気魄を練り、武技の糧に変えることはできる。手刀が大悟の首筋を横から打ち据え、彼は地に伏した。


「あなた、朝日があれほど連呼していることをまるで聞いていないのね。それでもあの子の父親なの? まったく、口を開けば、一に武芸二に武芸。あの子がスポンジみたいに桜木流を吸収したからいいものの、普通の子だったらとっくの昔に体を壊していますからね」

「そ、そんなに……俺の娘は……やわじゃないさ……」

「それが朝日の悩みの種なのよ」


 地面にうつぶせになったまま、大悟は首を傾げる。


「なぜだ? 健康で丈夫のどこが悩みなんだ。わけが分からんぞ」


 本当に、大悟は骨の髄まで武道家である。先程朝日にこっぴどくやられたことさえ、実の父を娘が超えたと内心では大喜びだろう。陽子は不毛に思いつつも、言葉を続ける。


「あの子の中学校時代のあだ名、知ってる?」

「知らん」

「『デストロイヤー朝日』っていうのよ。駆逐艦って意味じゃなくて、破壊者って意味で。十代の女の子がそんなあだ名をつけられて、嬉しいと思う?」


 陽子の言葉に対する大悟の返答は、こんな一言だった。


「何だよ、滅茶苦茶格好いいじゃないか」


 一方、大悟の言葉に対する陽子の返答は、気魄をまとった二度目の手刀だった。



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