第2話:初登校とは出会いの場なり
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戸隠峡を越えた電車が駅に到着し、昨年改装を終えた駅舎から沢山の学生たちがアリの行列のようにして歩いていく。何となく、着ている制服ごとに列ができているようだ。やる気の感じられない凡庸なそれもあれば、有名デザイナーによってデザインされた最新のそれもある。後者は初城台高校のそれであり、桜木朝日の着ている制服だ。
片手にカバンを提げた朝日の足取りは、軽やかそのものと言ってもいい。生まれ変わったような気分、とはまさにこの事だろう。何しろこれから、新天地での新生活が新バージョンで新規に幕を開けるのだ。もうここには、自分の中学校時代がデストロイヤー朝日であったことを知る人間は数少ない。正真正銘、かヨワ系女子として学生生活を送れるのだ。
桜木家は、代々桜木流撃剣という剣術を継承してきた武道の家柄である。古来鬼を討つ「角折リ」という役職に就いていた桜木家のそれは、気魄というエネルギーを消費して行う人外の武技そのものだ。朝日はそれを幼少の頃から至極当然のようにして学び、修め、余すところなく継承してしまった。この年で人太刀と呼ばれるのも無理はない。
人間ではなく鬼を標的とした剣を振るう女子に、中学校の男子たちがかなうはずがない。もちろん朝日は桜木流をケンカに使うことはなかったし、手加減もした。だが、腕相撲で柔道部の顧問を一撃KOしたのはさすがにまずかった。おかげでついたあだ名が、デストロイヤー朝日である。陰でメスゴリラと呼ばれたのは、それよりもっと傷ついた。
ほとんどの男子に恐れられ、一部の男子に尊敬され、ほとんどの女子に呆れられ、一部の女子に哀れまれる。それが朝日の過去だ。朝日は弱くなりたかった。だから彼女の高校での目標は、雑誌でちらっと見た「かヨワ系女子」という単語だ。か弱くて、おもわず男子が守ってあげたくなるような庇護欲をそそる女子、それが新たな朝日のキャラである。
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「あれ……?」
浮ついた気分で通学路を歩いていた朝日だったが、不意に立ち止まる。道路を挟んだ向こう側の道。そこに同じ制服の少女が、側溝にはまったスーツケースを持ち上げようと四苦八苦している。白い肌にふわふわした感じの長い金髪。やや大人しそうな容貌。制服こそ同じ高校のそれだが、彼女はどう見ても外国人だ。
「ねえ、あなた」
見てられなくて、朝日は道路を素早く横断し彼女のところに向かう。
「……はい?」
小首を傾げて少女は朝日を見る。吹けば跳んでしまいそうな、か弱そうな雰囲気だ。スーツケース一つに奮闘するのも無理はない。
「そのスーツケース、重そうだから私が持ってあげようか?」
朝日が提案すると、少女は手を離してうろたえる。
「え、でも……そんな……」
「大丈夫、ほら。全然重くないし。よいしょ」
論より証拠とばかりに、朝日は少女が奮闘していたスーツケースを片手で持ち上げる。体内の〈気脈〉に気魄を通せば、この程度空の段ボール箱と相違ない。しかし、そんなことも知らない少女は、朝日の離れ業を見て目を丸くする。そして、朝日も自分のしたことに気づいた。
(しまったぁ!)
朝日は内心で頭を抱える。
(初城台に来て速効で怪力を披露しちゃってどうするのよ私!? これじゃ何のためにこっちに来たのか全然分からないし!?)
せっかくデストロイヤーという不名誉なあだ名を脱しようと高校に進学したのに、これでは元の木阿弥だ。陰でメスゴリラと呼ばれ、バナナをプレゼントされる日々が帰ってくる。
「違うの。嘘だから嘘。ちゃんと重いから……ああっ、違う。やっぱり違うってば。重くないから大丈夫大丈夫私に任せて」
とっさに「重い」と嘘をついた朝日だったが、少女が心配そうな顔になったので、即座に前言をひるがえす。
「本当に……大丈夫なんですか?」
大丈夫、とは頭の中身のことなのだろうか、と朝日は相手の言葉を深読みしてしまう。
(ええい、古人曰く「義を見てせざるは勇無きなり」ってね。なるようになれ!)
だんだん自分で自分を追い込んでいく朝日だったが、破れかぶれで笑顔を取り繕う。
「平気だって。こう見えて、私武道やってるから。ちょっと重いくらいがトレーニングの一環になるし」
そう言って、朝日は軽々とスーツケースを持ち上げる。
「そ、それじゃあ、お願いします! 本当に助かりましたっ!」
「いいのいいの。さっ、行こう」
感謝する少女に、朝日は笑顔で応じつつ歩き出す。
(可愛い上に礼儀正しいし、外国人なのに日本語上手だし物腰低いし。いいなー、重いものが持てないってかヨワ系だし羨ましいなあ)
内心でそう思っていることは、おくびにも出さず。
◆◇◆◇◆◇
「あちゃー、下の車輪が壊れちゃってるんだ」
「ええ、駅から出るまでは大丈夫だったんですが……」
「そういうこともあるよね~」
通学路を歩きつつ、朝日は隣についてくる少女と会話を交わす。確かにスーツケースの下を見ると、車輪が壊れている。
「あ、その、自己紹介がまだでしたね。差し支えなければ、してもいいでしょうか?」
少女がそう言って来たので、朝日は内心その礼儀正しさに舌を巻きつつうなずく。
「私は、エミリー・ヒューストンといいます。初城台高校の一年生です。よろしくお願いします」
エミリーはそう言うと、小さく頭を下げる。
「あ、じゃあ、私と同じだ。よかった。私は桜木朝日。あなたと同じ、今日から初城台高校の一年生だよ。私こそ、よろしくね」
「はいっ。桜木さん、もしよければ、一緒のクラスになれたらとても嬉しく思います」
ぱっと顔を輝かせるエミリーを、思わず朝日はうっとりと見つめた。ケーキ屋で店頭に並べられた色とりどりのケーキを眺める子供の顔だ。
「うん、そうだね。こうなったのも何かの縁だから、なれるよ、きっと」
◆◇◆◇◆◇
「名前からすると……エミリーさんって、イギリスの人?」
自己紹介を終え、二人は再び歩き出す。
「いいえ、違います。アメリカのサンフランシスコ生まれです。といっても、日本での生活も長いですけれどね」
「へえ、そうなんだ。どうりで日本語上手だもんね。アクセントとか、違和感ないし」
実際、エミリーの日本語はほぼ完璧と言っていい。顔を見ないで声だけ聞けば、それがアメリカ人の話す日本語だと分かる人間は少ないだろう。
「じゃあ、このスーツケースは……」
朝日が改めて自分の持つスーツケースに目をやると、露骨にエミリーは恥ずかしそうな顔をする。その仕草も絵になるのがすごい。
「ええ。本当は入学式前に帰国するはずだったんですが、いろいろとトラブルが重なって……。結局、空港のホテルからほぼ直接こちらに来るような形になりました。制服などは届けてもらって……本当に大変でした」
「あはは、お疲れ様」
相当急いでいたのだろう。しかもそこに車輪の破損が重なったのだ。エミリーの苦労は察するにあまりある。
「でも、おかげで桜木さんとお会いできました。ちょっとだけ、感謝しています」
しかし、エミリーは大変そうな顔をしないで、そんな殊勝なことを言ってくれる。朝日としては、何ともこそばゆい。
「私もかな。戸隠峡のこっち側には来た事なんてあんまりなくてね。だから、新しい高校に馴染めるかちょっと不安だったんだ」
何やらとんとん拍子に仲良くなっていくような気がするが、朝日は乗りかかった船の心境で言葉を続ける。
「でも、エミリーさんと早速会えて、少し安心できたかも」
「そう言っていただけると、私も嬉しいです」
幸い、朝日の言葉をエミリーは笑顔で受け取ってくれた。おかげで朝日としてもほっとする。だが――――
「桜木さんは、こちらにはあまり来たことがないとおっしゃっていましたが、遠くから通学ですか?」
「えッ!?」
先程の発言がやぶ蛇だったようだ。一瞬、朝日の表情が硬直する。
「あ、いや、その、そんなに、遠くじゃなくて……」
「はい?」
「し、知ってるかな? 下田貫が、一応、その、実家なんだけど……」
自分の出身がド田舎であることを告白せざるを得なかった朝日だったが、エミリーの反応は首を傾げるだけだった。
「すみません。この辺りの地理には疎くて……」
「し、仕方ないよ。あ、あはは。た、大して大きな町じゃないから、さ。気にしないで、全然」
そうお茶を濁しつつ、朝日はそれ以上エミリーが切り込んでこないよう必死に祈っていた。
「そう言えば……初城台高校は一芸に、特に芸術関連などを修める生徒を率先して入学させる方針と聞きましたが、桜木さんは何か?」
エミリーが話題を変えたので、大あわてで朝日はそれに飛びつく。
「私は武道。つまり、武芸だよ。さっきも言ったでしょ?」
「あ……そうでした。すみません、私ったら」
「じゃあ、エミリーさんは?」
何気なく朝日が尋ねると、エミリーは少しもじもじする。
「私は、映像です」
「映像?」
「将来は映画関連の仕事に就きたいと思っているんです。そのための勉強がこちらでできればと、入学先としてここを選びました」
「ということは……女優志望?」
「ええと……できれば」
そう言ってから、エミリーはオーバーなリアクションと共に声を上げる。
「あ、もちろんその、私、容貌が人並みだってことは分かってますから。別に、その、映像関連ならばほかにも職種がありますし……」
そんなことを言っているが、それは謙遜というものだ。頬を染めつつ何やら言っているエミリーを見て、朝日は正直に一言呟いた。
「かわいい……」
「へ、変な褒め方をしないでくださいっ!」
なぜか怒られてしまった。
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