第38話:鎮魂とは遺族のための儀礼なり(後編)



 ◆◇◆◇◆◇



 かつての天瀬幸貞の残響が巨大な鬼形へと変じてから、しばらく時が過ぎた。


「……正真正銘の鬼め」


 朝日が吐き捨てる。彼女のにらみつける先に、天瀬と狭霧がいる。既に天瀬は鬼の巨躯を失い、ただの人の大きさに戻っていた。満身創痍で倒れ伏し、息も絶え絶えの状態の天瀬とは対照的に、狭霧は身にまとった狩衣に返り血一つ浴びていない。


「顔色一つ変えず膾切りか。何なんだお前は」


 朝日の感想は狭霧に向けられる。今の今まで、狭霧は己に宿る頭角の異能を存分に振るい、徹底的に天瀬を破壊し尽くした。異能といっても、それは純粋な暴力である。彼がただ腕を振るうか手で軽く触れただけで、鬼の巨躯の皮は剥がれ、肉は弾け飛び、骨は砕け、血しぶきが周囲にまき散らされた。


「此度の鎮メ物もまた、終幕の時となりました」


 血の海に一人立つ狭霧は、相変わらず感情のない声でそう言う。嗜虐を楽しむわけでもなければ、天瀬を哀れんでもいない。淡々と、畑の野菜につく害虫を潰しているかのようだ。


「これはもう、要りませんね」


 無造作に狭霧は天瀬の鋭角のうちの一本をつかむと、めりめりと音を立てて引き抜く。


「ギャアアアアアアッ!」


 額から血をまき散らし、天瀬が絶叫する。額に生えた物を強引に引き抜かれたのだ。激痛に叫ばない方がおかしい。


「痛いでしょう。そうでしょう。でも、それもじきに終わります故」


 狭霧の言葉は天瀬をいたわっている。しかし、その行為は酸鼻を極めている。あまりにもちぐはぐなそれは、おぞましいとしか言いようがない。


「何処だ……何処にいる……」


 どうと倒れた天瀬は、自らの血糊で染まった地面を掻く。


「見えぬ……何も見えぬ……」


 うつ伏したまま虫のように無様に這う天瀬を、静かに狭霧は眺めている。


「なぜ……なぜ何も言わぬ……」


 身を震わせる天瀬の目から、一筋の涙がこぼれて頬を伝った。


「なぜ何も言ってくれぬ…………!」



 ◆◇◆◇◆◇



「これがあんたたち頭角の言う鎮メ物か?」


 一部始終を眺める朝日が、怒気を含ませた声音でそう言う。


「はい、そうですが?」


 対する銀子の声には、何の感情もない。


「何が目的だ」

「慰撫と鎮魂。死せる頭角の残響を再現し、こうして解消させることにより、溜まり濁り穢れた気魄を天地に還すのが鎮メ物ですわ」


 朝日はきっとそちらを睨む。


「死者を一方的にいたぶることが鎮魂なのか!?」

「あれは死者、つまりかつての天瀬幸貞殿などではありませんわ。ただの残り香。鋭角に宿った無念がヒトの形を擬しているだけの代物ですよ」

「だからといって、あそこまでする必要はないはずだ」


 朝日の言葉に対し、銀子は口元を袖で覆いつつ、半ば嘲りの混じった笑みを浮かべた。


「おや、これは異な事を申しますなあ。ほかでもないあなた方角折リが、かつてあの頭角を討ったというのに。見当違いの仏心ですかねえ?」


 侮蔑の念を向けられても、朝日は応じない。


「鬼は斬る。けれども斬るなら一太刀だ。生殺しなど武門の恥でしかない」


 快刀乱麻を断つ勢いの朝日の言葉に対し、銀子は少し困ったような表情になった。


「そうは言いましてもなあ。何しろあの鋭角に宿る怨念はとにかく一筋縄ではいかない相手なんですわ。人でなくなったのですから話は通じませんし、脅しても宥めてもすかしても無駄。仕方ないからこうやって定期的に暴れさせて、言わばガス抜きさせるしかないんです。分かって下さいな」


 分かって下さいと頭角に言われ、応じる桜木流ではない。


「ちょっと、桜木さん?」


 銀子の声が背にかけられるが、朝日は完全に無視した。彼女は立ち上がると、つかつかと狭霧と天瀬の側に近づく。いい加減我慢の限界だ。


「どけ、邪魔だ」


 用件だけを告げると、狭霧は振り返る。今彼女の存在に気づいた、という表情が白々しい。


「ここは鬼の舞う舞台だよ。人の立つ場所ではない」

「やかましい。だったらなぜ私を呼んだ。下らない三文芝居はもう沢山だ。この二流め」


 演者に対する最高度の侮辱をぶつけても、狭霧の表情に変化はない。だから、朝日は銀子に次いで狭霧も無視した。


「……何故、泣かれるのですか」


 天瀬の側にひざまずき、彼女はそう尋ねる。焦点の合わない瞳が、朝日の方へと向けられた。


「…………秋水?」



 ◆◇◆◇◆◇



「秋水……なのだな?」


 天瀬がうつ伏したまま、朝日の方へと手を差し伸べる。


「おお、秋水……角折リの柳井秋水よ。何故、吾に刃を向けたのだ」


 元より天瀬の意識の残響は、いまわの際で固定されている。眼前の人間を正しく認識することなど不可能なのだろう。故に天瀬は、朝日の姿に自分を討った角折リの姿を重ねている。


「あなたが鬼である故」


 半ば独り言の天瀬の言葉に、律儀に朝日は返事をする。


「鬼は現世に害をなすもの。人に倣い生きるのならばまだしも、都を焼き、男を殺し、女を殺し、子をさらい、牛馬を食らう妖は、人の敵にございます」


 朝日の言葉は厳しい。しかし、真摯な思いが込められている。優雅でありながら、ぞっとするほど無感情の狭霧の言葉とは、まさに対照的だ。


「敵は、討たねばなりません。帝のうまし国に繁る人草のため、鬼は斬らねばなりません」


 それは、桜木朝日の抱負でもある。初代桜木流から連綿と受け継がれてきた、角折リの総意である。朝日の断言に、天瀬は差し伸べた手をゆっくりと地面に降ろす。


「――――知っておる」


 不意に、朦朧としていたその言葉にはっきりとした意志と感情が戻った。


「好きに生き、心のままに貪った。壊し、殺し、奪った。ならば壊され、殺され、奪われるのも道理。人道を外れれば、歩むは修羅道か地獄道か。どちらも吾にとっては同じ無明の険路よ」


 それは、初めて聞く天瀬幸貞のまともな言葉だった。


「だが……それでも…………」


 その頬を、再び涙が伝う。


「覚悟されておいでならば、何故泣かれるのです」


 いまわの際、天瀬は死を恐れたのか。その恐れ故、自らを討った角折リを心の底から憎んだのか。狭霧と同じ朝日の問いに対し、天瀬は答えなかった。


「ふ、ふふふ、秋水よ、もっと近くへ」


 促され、朝日は少し近寄る。


「もっと、もっとじゃ」


 言われ、さらに顔を近づける。


「そうじゃ――――」


 瞬間、天瀬の顔が破顔した。恐ろしい鬼の顔で。


「その顔じゃあ!」


 伏せた体勢から、まるで獣のように天瀬は朝日に飛びかかった。両手を染める血が煮立ち、最後のあがきとばかりに気魄と混ざった歪な刃となって朝日の首を狙う。しかし、天瀬幸貞は知らなかった。この少女が真の桜木流撃剣の申し子であり、人太刀と称される現代に蘇った角折リの魂そのものであることを。


「ガッ――――!」


 邂逅は刹那。歪な刃の生えた天瀬の手は空を切っていた。口から出るのは苦しげな吐息。朝日の姿はその刃のわずかな外。彼女はまるで動揺する様子もなく、目を伏せている。その右手に握られているのは、気魄でできた白刃だ。ややあって、地面に何かが落ちた。それは、一撃で切り落とされた天瀬の鋭角の、残りのもう一本である。


「往昔の柳井流ならぬ、当今の桜木流にて御免」


 静かに、朝日は手の内の気魄を消し、立ち上がる。天瀬が計略を使って襲いかかってくることを、朝日は読み切っていたわけではない。しかし、この程度の不意打ちなど、朝日には十全に見切ることが可能だ。


「黄泉路の手向けにはいささか不本意と承知ですが、これで何卒ご満足を」


 仰向けに倒れた天瀬を朝日は見つめる。


「ああ、なんと――――」


 最後の一撃さえ無駄に終わった彼の口元に、なぜか笑みが浮かぶ。


「なんと、美しき太刀じゃ……」


 満足げに彼はうなずき、おもむろに朝日の方を見る。


「……ようやく、思い出したぞ」


 その目がはっきりと、朝日の全身を捉える。


「吾は、お前を手に入れたかった」

「……え?」


 唐突な告白に朝日は戸惑うが、すぐにそれが柳井秋水という故人に向けられたことを理解する。


「その美しい太刀筋が、吾を狂わせた。おお、手に入れたかったぞ。その太刀を握る強き腕も、滑らかな髪も、清らかな心もすべて、吾一人だけの宝にしたかった……!」


 天瀬が身もだえする。恋慕の炎は、この鬼の五体のみならず心まで焼いたのだ。


「できぬのならば、いっそ壊したかった。戦いの果てにお前の首を胴より千切り、かぐわしい血潮を浴び、そして…………」


 誰が予想しただろう。次の言葉を、鬼に変じた頭角はわずかな恥じらいの感情と共に言ったのだ。


「……お前の血の気の失せた唇に、吾の唇を重ねたかったのだ……!」


 それは遠い昔の物語。


「――――慕っていたぞ、柳井秋水」


 一人の頭角が、一人の角折リに恋をした。それは血みどろの恋。あってはならない恋。我と我が身を焼き尽くし、死に至らしめた破滅の恋だ。鬼は所詮鬼としてしか生きられず、積んだ業はあまりに深かったのだ。


「誰よりも何よりも、お前一人にこの天瀬幸貞は恋い焦がれたのだ」


 けれども、それを後悔する様子など微塵もなく、天瀬は天を仰いだ。


「くくっ、くくく。やはり、手に入らぬなあ……」


 実らなかった己の恋を振り返り、しかし満足そうに笑い目を閉じる。


「手に入らぬからこそ、美しいものよ…………」


 その言葉が、旧き頭角である天瀬幸貞の残響が放った最後の言葉だった。風が吹く。吹いて、咲き誇る梅の花弁を散らしていく。積もり積もった怨恨と未練を、消し去るかのようにして。



 ◆◇◆◇◆◇



 ――はたと朝日が気づくと、彼女は七城家の庭に立っていた。足元には、あの呼ビ子と呼ばれた少女が倒れている。見たところ、外傷は一つもない。


「……終わったのか?」

「ええ。まこと、十全に鎮まりました」


 朝日の疑問に答えたのは、隣に立つ狭霧だ。


「お見事です、桜木流撃剣」


 そう言うと狭霧は、深々と彼女に対して一礼したのだった。



 ◆◇◆◇◆◇



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