第14話:学食とは戦場なり(前編)



 ◆◇◆◇◆◇



 初城台高校の混み合う学食で、朝日はエミリーと向かい合わせになって席に着いている。ほどよく日が当たるおかげで明るく人気のある席だが、今日は珍しく二人分の席は空いていた。


「お味噌汁に虫でも入っていましたか?」


 グラタンからフォークを離しつつ、エミリーは朝日に尋ねる。


「え? そんなことないけど」

「でも、今の朝日さんを見ていると、虫が入っているのではないかと勘違いしてしまいそうです。『苦虫』という虫ですけれども」

「あ……」


 そう言われて、ようやく朝日は気づく。今の今まで、自分は苦虫を噛み潰したような顔で納豆定食を食べていたのだ。


「せっかくのランチなんですから、苦しそうな顔をして食べても美味しくないですよ」

「そ、そうだよね。ごめん、迷惑かけて」

「お気になさらないで下さい。私としては、朝日さんが眉を寄せていると、凛々しいお顔が台無しだな、と思っただけですから」


 いきなりそう言われ、朝日はどぎまぎとする。華奢でも起伏に富んだ上半身に白い肌、それに上品な容貌が相乗効果を生み、かなりの美人と評判のエミリーにそう言われると照れる。


「え、エミリーって、結構大胆なこと言うよね」

「そうでしょうか?」

「でも、確かにそうだよ。こんなんじゃ駄目だよね」


 心機一転のつもりで、朝日は表情をキリッとしたものに取り繕うと、エミリーの手を取る。想像通り、驚くくらいに細くて柔らかな感触が伝わってきた。


「ありがとう、エミリー。君のおかげで気づくことができたよ」


 『凛々しい』と誉めてくれたエミリーの評価にふさわしい態度を取ってみたつもりの朝日だったが、返ってきたのはエミリーの笑い声だった。口に手を当てて、彼女は笑っている。


「わ、笑わないでよ。せっかくエミリーが映画とかに詳しいから、それっぽくやってみたのに」

「大仰すぎます。いけません」


 映画部に所属したエミリーの評価は厳しい。


「気取った演技は、ただ単に歯の浮くようなことを言えばいいわけじゃありませんから」

「難しいなあ」


 演技の「え」の字も知らない自分では、これが精一杯だ。しかし、わずかに頬の辺りを赤くして、エミリーはもう一言付け加える。


「でも、少しだけドキッとしたかもしれません」

「そ、そう……」


 その仕草に、むしろ朝日の方がどきりとしたのは秘密だ。



 ◆◇◆◇◆◇



「ほら、あの子。一年の桜木朝日って子だよ」


 少し離れた席で、二人の女子生徒が話しているのが朝日の耳に入る。


「ああ、あの子が?」

「すごいよね、大平さんも、大野も、小机も認めなかった王子が気に入ってる、たった一人の子みたいなんだって」


 話しかけられた方が、しばらく朝日を品定めするように見てから、小さくうなずく。


「へえ、思ってたよりキレイ系だ。クールな感じが二年になったら女子の後輩に好かれそうじゃない?」

「『センパイ格好いいです』って感じ? ちょっとマンガ読み過ぎ」


 話しかけた方が、相手の空想混じりの評価を鼻で笑う。


「でも、あんな感じの子が王子の好みなんだ」

「あんなのなんて言うんだっけ? 大和……大和メキシコ?」

「違う違う。大和撫子。あんな和風な感じ、あたしたちじゃ無理だけどね……」

「だよね。お嬢様になれって今さら言われても無理だし」


 二人は揃ってため息をつく。朝日を狭霧の眼鏡にかなった人間と勘違いしているようだが、朝日としても赤の他人のため訂正する気も起こらない。そもそも、討伐が飯の種の角折リを大和撫子とは笑える話だ。



 ◆◇◆◇◆◇



「お悩みはかなり深刻なようですね」


 食事を進めつつ、エミリーはさらに話を続ける。


「まだ顔に出てる?」

「違いますけど、やはり當麻さんのことで?」

「まあそんなところだよね」


 朝日は否定しない。今のエミリーは、朝日の抱えている問題を大まかに知っている。朝日が事細かではないものの、自分の実家や生業について話したからだ。


「お互いの存続をかけて争ったのは昔の話でしょう? 今はただのクラスメイトとして接すればよろしいのではないでしょうか?」


 朝日から桜木と當麻の因縁について教えられたエミリーの反応は、一般人として当然のものである。


「そうしたいのはやまやまなんだけれどね…………」


 ため息をつくのは朝日だけだ。


「でも、朝日さんの方こそ當麻さんを避けずに、積極的に目で追っているように見えますが?」


 エミリーの疑問ももっともだ。狭霧が嫌なら無視すればいいのに、朝日は何かと彼を意識している。


「そうしないと落ち着かないんだ」

「どうしてです?」

「あいつも一応弱点とか必ずあるはずなんだ。そこが見つかれば、少しは安心できると思って……」

「遠巻きに観察しているんですか」

「そう。でもね……」


 だんだんとストーカーの思考になって、朝日は感情を高ぶらせていく。


「ないんだよ。全然ない。あいつ、まったく隙がない。何あれ? あり得ない。あれじゃ人じゃない! 人の形をした霧だ!」


 大声でそう言いつつ、朝日は納豆を猛烈な勢いでかき混ぜる。周囲の生徒が退くのもお構いなしだ。



 ◆◇◆◇◆◇



「……どう思う?」

「……結構意外」

「だよね」


 案の定、先程まで朝日をキレイ系と評した生徒の二人は、朝日の奇行に呆れた顔をしている。


「あんなのなんて言うんだっけ。ざっくり系? 雑食系?」

「違う違う。残念系だって」


 確かに、今の朝日にぴったりくる言葉は「残念」の一言だろう。だが、二人の生徒の会話は案外とポジティブである。


「王子って、ギャップにぐっとくる感じなんだ」

「結構王子の好みって変わってるよね」

「だよね」

「でも、そういうところも含めて王子なんだけど」


 狭霧は朝日の困ったところも愛おしんでいるのだろう、と二人は解釈しているらしい。


「顔がいいってだけで全部許されるって、幸せだろうな~」


 詰まるところ、彼女たちの感想はこの一言に尽きていた。



 ◆◇◆◇◆◇



「まったく、黙って聞いていれば失礼な角折リもいたものね」


 朝日とエミリーの周囲にできた空白地帯に、そんな言葉と共に入ってきた生徒が一人いる。


「あんたは……」


 胡乱な目で朝日は顔を上げる。


「ご機嫌よう、仕えの山都琲音はいねです」


 おかっぱ気味の髪型をした、小学生に間違えられそうなほどの小柄な少女がこちらを睨んでいた。


「わざわざフルネームで自己紹介ご苦労様」

「あなたの知能では、確実に忘れていると思ったからよ」

「おあいにく様。覚えているよ」

「ああそう、意外ね」


 日本茶の入った湯飲みをテーブルに置き、琲音は朝日の隣に腰掛ける。彼女は仕え家、つまり頭角に仕える人間の家の出身だ。朝日にとっては、狭霧の取り巻きの一人という認識である。


「卑しい目で狭霧様を追いかけ回すなんて、次代の桜木も堕ちたものね」


 だが、琲音の一言で朝日は激昂する。つくづくこの琲音という少女は、朝日のことが気に食わないらしい。何かとこういう陰湿な嫌みを言ってくるのだ。もっとも、朝日は琲音に嫌みを言われても仕方ないような事をしているのだが。


「い、いやらしいとは何だ!」


 椅子を蹴立てて立ち上がる朝日を、軽蔑しきった横目で琲音は見る。


「私は『卑しい』って言ったの。『いやらしい』と勘違いするなんて、下品な聞き違いね。狭霧様の隙を探しに、男性用のお手洗いに張り込みかねないわ」

「ケンカ売ってるわけ?」


 琲音の嫌みを聞き流しつつ、朝日はとりあえず再び座りなおす。


「私は大曲先生の前で、あなたと仲良くするよう約束したのよ。先生の顔を立てて、学校で何かする気はないわ」


 表面上は丁寧に湯飲みを口に運びつつ、琲音は冷たい雰囲気を消さない。


「狭霧様にこれ以上近寄るようなら、話は別だけど。大曲先生には迷惑がかからないよう、密かに始末させてもらうわ」

「始末する、だと?」

「そ、そうよ。何か?」


 朝日の声音の温度が急激に下がったのを感じたのか、琲音はたじろいだ。湯飲みがテーブルに置かれ、彼女の右手が机の下に隠れる。


「今ここでやってみろ。ただし――」


 抜き身を相手に突きつけた剣客そのものの迫力で、朝日は琲音をにらみ据える。


「動けば斬る」


 その一言で、明らかに琲音は怯えたような表情を顔に浮かべた。


「……っ!」


 どうやら彼女は舌戦は得意でも、実戦は苦手なようだ。


「こ、この……野蛮人っ」


 完全に朝日の視線と警告だけで威圧され、琲音が半分泣き声で呟いた時だ。


「あまり、琲音を怖がらせないでくれ」

「――――ッ!?」


 弾かれたように朝日が振り返る。食器をひっくり返さなかったのは奇跡的と言ってもいい。


「當麻さん?」


 エミリーがその名を呼ぶ。


 當麻狭霧が朝日の後ろに立っていた。手には焼き鮭の定食が乗ったトレーを持っている。


「やあ、向かいの席、いいかな?」

「どこかほかに行け」


 朝日は狭霧のお願いを切って捨てる。声をかけられるまで、まったく狭霧の気配に気づかなかった。頭角に無防備な背中を晒していた自分を想像するだけで、体中の血が沸騰しそうなほど恥ずかしい。


「注目されて困るんだ。ちょうど君のところ、周囲が空いているからね」


 朝日の拒絶などまるで気づく様子もなく――あるいは気づいた上で、平然と狭霧はエミリーの隣に座る。


「狭霧様、あの……」


 失態を晒しておどおどしている琲音にも、即座に彼は目をかける。


「琲音、君は気にしなくていいよ」


 主にそう言われ、大人しく琲音は一礼した。


「何の用だ? それと、いきなり後ろに立つな。反射的に斬りたくなる」


 琲音から狭霧に対象を変え、朝日は人を殺せそうな視線を彼に向ける。


「ああ、失礼。それと、見て分からないかな。昼食だよ。まさか、食堂で食べるなと言わないだろう?」


 どこまでもマイペースな狭霧に、朝日はとうとう妥協すると横を向いた。


「……勝手にしろ」



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