第7話:勧誘とは余計なお節介なり



 ◆◇◆◇◆◇



 桜木朝日が惨憺たるデビューを飾ってから、少し時間が流れたある日の放課後。総合体育館の片隅で、時代劇の一コマのような状況が展開していた。


「駄目ったら駄目! 絶対に駄目ですから!」


 まるで、武士に無礼を働いた農民たちが土下座して許しを請うシーンだ。もちろん武士とは、腕組みをして苦い表情を浮かべた朝日である。


「そんなぁ! それってちょっと薄情すぎねーッスか?」


 朝日のつれない否定の言葉に、それまで平伏していた三人の農民ならぬ男子たちがいっせいに顔を上げる。最初に口火を切ったのは、口調も顔立ちもどこかチャラチャラした雰囲気の男子だ。そのくせ着ているのは柔道着である。彼は柔道部所属の二年、寺谷忠雄という。


「まったくである! それほどの武力がありながらどこにも入部しないのは宝の持ち腐れであるぞ!」


 寺谷に続いたのは、がっちりした上半身をはち切れそうな制服に包んだ男子だ。その顔は、レスラーがつけるようなマスクに覆われている。見ての通り彼はプロフェッショナルレスリング部所属の三年、野田正春、人呼んでバルバロイ野田だ。


「お、お、お願いします! じ、じ、自分を鍛えて下さいっ! こ、この通りです!」


 そして三人目。こちらに至っては野田をさらに上回る巨漢である。その巨躯と下膨れの顔は、どう見ても学生でなく力士のそれだ。だが、表情と態度の方は力士には程遠く、むしろネコに怯えるネズミに近い。こちらは相撲部所属の二年、串原友満である。


「先輩たちに教えることなんかありません! なにも! な ん に も !」


 今にもすがりつきそうな三人を前にして、ますます朝日の声音はヒートアップする。今の時間、新入生たちはほうぼうの部活を見て回り、これから所属する部を選んでいる。朝日もまた、見学目的で総合体育館に足を運んだのだ。


 需要あれば供給あり。当然上級生たちも新入生の獲得に余念がない。ましてそれが優秀な人材ならばなおさらである。エミリーと一緒にここを訪れた朝日は、早速格闘技専門の部活三つから熱烈な勧誘を受けているのだ。


「そもそも、私は柔道もレスリングも相撲もやってませんから。なんで私を入部させたいんですか?」


 剣道ならばいざ知らず、「武道」以外何ら結び付きのない三つの部から勧誘され、朝日は首を傾げる。


「決まってるッスよ。ちょっと前に始業式の前に見せたあの気合い、マジで痺れたって」

「プロのマイクパフォーマンスもかくやという迫力があったのである。まさに益荒男ますらおよ」

「こ、怖くて、自分はお腹が痛くなりました。す、すごかったです」

「ああ、あれね…………」


 朝日はげんなりする。以前始業式の直前に狭霧に対して切った啖呵は、この三人にとって凄まじく格好良かったらしい。かヨワ系を目指す朝日にとってはまったく嬉しくないが、三人の反応も当然である。気魄を込めた大音声は「雷声らいせい」と呼ばれ、遣い手ともなると声だけで敵を殺めるとか。


「だからぁ、アンタがうちの柔道部に入部してくれれば、もう全国優勝間違いなし。超余裕、超楽勝。超最高。でしょでしょ?」


 寺谷はそう言うと立ち上がり、ヘラヘラ笑いながら右手を伸ばして朝日の手を取ろうとする。


「ってことで、桜木朝日ちゃんは今日から柔道部特待生決定。OK?」


 朝日が「絶対嫌です!」と言おうとしたその時。


「そうはいかん! 彼女は我が部の希望の星である!」


 抜け駆けは許さない、とばかりに続いて野田が立ち上がり声を張り上げる。


「見える! 俺には見えるぞ! 四角いリングを弱肉強食のジャングルに変え、観客に原初の生存本能を呼び覚ます桜木朝日の活躍が! まさに彼女はカラミティ・ウーマン! ホモサピエンスよりもむしろゴリ……」

「ゴリラって言ったら斬るッッ!」


 陰でメスゴリラとあだ名された中学校時代のトラウマを想起し、朝日は怒鳴る。


「ひぃっ!」


 まさに落雷の如き怒声に、ひとたまりもなく野田は縮こまった。


「あ、あ、あの……」


 そして最後に、遠慮がちに串原が立ち上がる。彼は恵まれすぎた巨体を落ち着かなく左右にゆらしていたが、結局再び土下座する。


「お、お願いです! 相撲部に入って下さい! じ、自分、強い力士になって、と、父ちゃんと、か、母ちゃんに孝行したいんです! ど、度胸をつけて下さい!」


 心がけとしては、人の意見を聞かない先の二人に比べれば立派だ。けれども、朝日はにべもなく言い放つ。


「それ、私にお願いする内容じゃないでしょ。顧問の先生に言って下さい」

「せ、先生は……こ、こ、怖いです……」


 しかし、串原の返事に朝日は呆れる。まさか顧問が怖いから、自分を入部させて鍛えてもらおうと思っているとは。


「呆れました。心技体の中で心が完全に死んでます。力士なんて夢のまた夢ですよ」

「う、うぅ……」


 朝日の刃物のような言葉に、串原は唇を噛んで目を潤ませる。だが、朝日の言う通りだ。


「とにかく! 私は絶対に入部しませんから。いいですか!」


 三人の勧誘を振り切り、朝日は一歩下がってはっきりと宣言する。


「でも……」

「だが……」

「そ、そんな……」


 なおも三人は何か言いたげだったが、朝日は「友人が待ってますので、これで失礼します!」と言い、一礼だけしてきびすを返した。まったく、付き合っていられない。



 ◆◇◆◇◆◇



「ふふふっ。朝日さんったら必死でしたね」

「エミリー、笑い事じゃないよ」


 同じ体育館で行われている新体操部の演技を見ながら、朝日とエミリーは言葉を交わす。朝日が三人の先輩を袖にあしらう一部始終を、エミリーはしっかりと目撃していたのだ。というより、エミリーを少し離れた場所に待たせて、朝日は三人に応対していたのだが。


「ごめんなさい。でも、なんだかおかしくて……」


 必死になって勧誘を断る朝日の姿がおかしかったのか、エミリーは謝りつつも笑いを抑えきれないでいる。確かに端から見ればコメディかもしれないが、朝日にとっては死活問題だ。高校でかヨワ系を目指す自分が、どうしてあんな拳と拳、肉と肉がぶつかり合う部活に所属できようか。


 柔道を極めれば女傑になり、プロレスを極めればヒール系女子レスラーになり、そして相撲を極めれば……どうなるのか想像もつかない。いずれにせよ、待っているのはゴリラでありかヨワ系ではない。ちなみにゴリラの語源は現地語で「毛深い女」から来ているそうだが、朝日にとっては余計なお世話以外の何ものでもない。


「ああ、笑いたいならこらえなくていいから。別に怒ってないよ」


 とうとう朝日は諦めて、エミリーにそんなことを言う。本当にこの子は笑い方さえも可愛らしい。体形も結構起伏があり、さすがアメリカ人、と朝日は思う。一方自分は表情も鋭利だし、筋肉はあるけれどシルエットは女性らしさに欠けているような気がしてならない。特に上半身が。


「でも、朝日さんは剣道を習っていますのに、剣道部には入部されないんですね? なんだかもったいないです」


 笑いがおさまってから、エミリーは改めてそんなことを尋ねてきた。


「うちの剣術はちょっと剣道と違うからね」


 新体操部が演技を終え、一年生たちが散っていくのに合わせて朝日たちも歩き出す。


「古武道、と言うのでしょう? 昔のサムライやブシやローニンが使った技術を今に受け継いでいるなんて素敵です」


 映画好きだけあって日本の時代劇にも詳しいのか、エミリーが目を輝かせる。


「ああ、ちょっと違うんだ、ちょっと……」

「え?」


 何と説明していいものか分からず、朝日は言葉を濁す。


 桜木流撃剣は人ではなく鬼を斬る、頭角を専門とする剣術だ。遣い手は地脈から気魄を取り入れて体内に満たし、さらに手に持った武具にそれを流し込む。その身体能力は人間離れしたものだ。走れば自動車に追いつき、ただの一刀で鉄柱を両断する人外の剣術など、到底現代の剣道のルール内に収められるはずがない。そもそも戦う対象が異なる。



 ◆◇◆◇◆◇



「ほら、エミリーの好きそうなのがいるよ、あっち」


 話がそれるちょうどよい対象を見つけて、朝日は進行方向を指差す。そちらでは、何やら新撰組の格好をした学生が思い思いのポーズを取っている。よく見ると、男子だけでなく女子も新撰組の出で立ちだ。どうやらコスプレらしい。一年生の何人かが、興味津々な様子でその周囲に集まっている。


「う~ん、私としてはもうちょっと無骨なのが好みです」


 しかし、エミリーの返答はあまり芳しくない。


「黒澤明の映画に出てくるような?」


 何気なく朝日がその名を口にすると、打って変わってエミリーは飛びつく。


「はい! もう大好きです! 幼少の頃にあれを見て、人生が変わりました!」


 どうやら、エミリーの映画好きは筋金入りのようだ。


 二人が新撰組の横を通り過ぎると、その内の一人の男子がチラシを差し出してくる。


「マンガ研究部所属のコスプレ愛好会でーす。もしよかったらどうぞー」

「はい、ありがとうございます」


 先程の気乗りしない返事はどこへやら、エミリーは笑顔でそれを受け取る。笑顔を向けられたその男子は、どぎまぎした様子で顔を赤らめている。


「そろそろ文化部の方を見たいな。エミリーはどう?」


 そつのないエミリーの態度に内心舌を巻きつつ、朝日は尋ねる。


「ええ。でも、後一つだけ見てみたい部活があるんです。ご一緒いただけます?」

「もちろん。で、どこ?」

「創作ダンス部です」


 彼女のその誘いが、自分と狭霧を再会させるとは、朝日は残念ながら予想だにしていなかった。



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