第4話:頭角とは鬼の血縁なり



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 そもそも、桜木朝日の実家と違い現代の日本において、頭角と呼ばれる人種はれっきとした現生人類として扱われている。基本的人権において、彼らは他の日本人と何ら変わりない。同時に普通の日本人にとって、頭角とは「そういう種類の人もいるらしいけれど、詳しいことはほとんど知らない」といった感じの存在だ。


 では、彼ら頭角とは何か。それに対する明確な答えは、未だ提出されてはいない。一般的な生物学の見地からすれば、頭角はおおよそホモサピエンスと変わりない。ただ、頭部に伸縮する――というより、状況に応じて瞬時に形成される――角状の突起物を有し、異常なほどに強靱な肉体を有する点は異なるのだが。


 〈鋭角〉と呼ばれる角を頭から生やした彼らを見た場合、日本人は十中八九「鬼」という名称を連想することだろう。事実、かつて頭角はそう呼ばれていた。ちなみに、頭角から言わせてみれば、自分たちは純粋な鬼ではなく、鬼と契ったヒトの末裔らしい。そうなると、彼らの遺伝子には、人間以外の情報が混じっているのだろう。


 だが、今は科学万能の時代である。角のある人間を見ても、本物の鬼だと思う人間はいない。何かの病気か体質だと思うくらいだし、事実頭角に対する一般人の認識は、特殊な体質が遺伝した人たち、という認識だ。幸い、頭角の一族は財力と権力に恵まれている。彼らに対する差別を撤廃するために、この二つの力は大いに用いられたことだろう。


 しかし、昔はそのようなことはなかった。当時頭角とは文字通りの鬼であり、人々が恐れ忌避する化け物だったのである。たちの悪いことに、当時の頭角は本当に怪物でもあった。今でこそ人間と変わりなく生きている彼らだが、当時は自らの力に溺れ、本物の鬼のような異形に変化して破壊と殺戮の限りを尽くす外道たちも沢山いたのだ。


 当然、人間の側もただ黙って鬼になぶり殺しにされてばかりではなかった。その時代、文字通り鬼神と渡り合う豪傑たちがいたのだ。武芸に優れた彼らは徒党を組み、その身を賭して頭角と渡り合う。彼らは鬼を狩った証として、首を斬るのではなく角を折った。すなわちこれが、角折リと呼ばれる鬼狩りの武人たちの始まりである。


 頭角と角折リたちの戦いがもっとも熾烈を極めたのは、平安時代から鎌倉時代にかけてだった。酒呑童子、茨木童子、温羅うら両面宿儺りょうめんすくななどそうそうたる顔ぶれが暴れ回る昔話は、当時の頭角と角折リの戦いをベースにしたものだろう。まさに頭角と角折リとは不倶戴天の宿敵として、命をかけた戦いを日本中で繰り広げていた。


 しかし、時代が下るにつれて双方の立ち位置は変化していく。まず、大きく変化したのは頭角だ。彼らは次第にヒトとして振る舞うことを苦にせず、その鬼の力を完全に制御できるようになっていったのだ。むしろ頭角たちは、鬼の力に溺れて異形に変じることを恥とするようになり、堕ちた者を自ら討伐することさえ行うようになった。


 なおかつ、頭角の一族は非常に裕福でもあった。彼らが居を構える場所は大地のエネルギーが流れる〈地脈〉が活性化した場所、それも〈結節〉と呼ばれる重要なスポットがほとんどである。当然そこに住む住人も活性化するし、活性化するということは経済や政治の重点ともなることだ。地主である頭角に、財力と権力が集まるのも無理はない。


 逆に、徐々に立場を失っていったのが角折リである。時と共に、彼らの立ち位置はあやふやなものに変わっていく。方やヒトとして完璧に振る舞い、かつ政経に通じた地元の名士。方や鬼を討つことだけに全精力を傾け、それ以外を知らないただの武芸者の寄り合い所帯。どちらが時代に適応しているのかは一目瞭然だ。


 昔のように頭角が鬼の顔を有するならば、それを免状に討つこともできよう。その角を折ってから、頭角の悪行を暴露すれば鬼退治の名目は立つ。だが、もはや頭角はヒトの中に溶け込んでいた。かくして、京都で頭角と角折リの代表者による講和が結ばれ、二つの勢力がお互いを宿敵とすることはなくなった。


 ……というのは建前である。長年にわたって敵対し続けた者たちが、講和を結んだだけで過去の遺恨を水に流すはずがない。角折リにとって気に入らないのは、今の頭角が自分たちよりも圧倒的に豊かで恵まれた存在であることだ。悲しいことに、角折リたちはあまりにも鬼を斬る武道に身を入れすぎた。今さら、他の道への転向が困難なほどに。


 元より、鬼を狩る者は自らも鬼になる。角折リの武芸は人間を相手にするものではなく、鬼を相手にする異形の技。まして気魄や気脈といった、余人の知らない超人的な力を扱うのだ。彼らの多くは受け継いだ鬼狩りの技を自らの子孫に伝えるよりほか生きる術を知らず、時折討伐に付き合うのがせいぜいといった寂しい存在となったのである。


 そして現代。ここ初城台は亀裂に近い位置と強力な結節という、二重に頭角にとって優れた土地となっている。この場所を支配するのが、あの狭霧の実家である當麻たいま家だ。日本に数多いる頭角の一族の中でも、とりわけ尊く、とりわけ優れ、とりわけ強く、さらにとりわけ恐ろしいとされる、正真正銘の名家がこの當麻の家である。


 一方、亀裂を挟んで初城台をド田舎の下田貫から睨みをきかせていたのが、あの朝日の実家である桜木家だ。角折リの筆頭である桜木家は、戸隠峡から来たる鬼たちから市井の人々を守る役割を担ってきた。だがその役目もいつしか失われ、今の桜木家は自流の桜木流撃剣を次代に伝えることのみが存在意義の、少々懐具合が寂しい家である。


 一応、朝日の母である陽子は時代に取り残されまいと、桜木流撃剣を一般人でも扱えるエアロビクスの類にアレンジして教えている。曰くダイエットやエクササイズに効果的な武道、とか。彼女の夫の大悟は、誇り高き桜木流撃剣を下腹や二の腕の贅肉を削ぐために用いるとは嘆かわしい、と思っているのだが、いかんせん背に腹は代えられない。


 二つの家、二つの種族、二つの伝統。頭角と角折リとの間には、これほど長く深い因縁が積み上げられているのだ。それはもう、桜木という角折リの家に至っては血に、遺伝子に、本能に刻まれている。意思とは無関係に、頭角を見るや否や戦闘態勢に入ってしまうほどに。悲しいことに、それは朝日の目指すかヨワ系とは真逆のスタイルなのであった。



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「やってしまった…………」


 講堂で始業式を終えた朝日は、教室で自分の机に突っ伏して呻いていた。完全に、完璧に、完膚無きまでに高校生活の出だしは失敗した。だが、それはすべて自分の不徳の致すところだ。


「人前で殺気を全開にした上に啖呵を切るかヨワ系がどこにいるのよ…………」


 朝日は先程の自分を思い出して、さらに身もだえする。


 桜の木の下。多くの生徒たちが見ている前で、自分は狭霧に対して身構え、大声でこう言ったのだ。


「――――今私が斬るッッ!!」


 と。自分の意思とは別の、反射的な言動だ。余程この桜木の血は、當麻の鬼を目の仇にしていたのだろう。何度か朝日は頭角と会ったことがあるが、ここまで殺気をむき出しにしたのは初めてだ。それも無意識に。


 朝日はちらりと目を後方にやる。外見は伏したままだが、「八方睨み」と呼ばれる視線のやり方だ。困り果てた朝日とは正反対の、艶やかな美貌が椅子に腰掛けている。その周りには、クラスの面々。皆狭霧を取り囲んで、忙しげに話しかけようとしていた。どの顔も上気し、彼に魅せられているのが分かる。怖いことに、男女を問わず。


 恐ろしいことに、當麻狭霧の容貌には女子だけでなく男子も見とれてしまうのだ。容貌だけでなく、仕草や声にまでも。朝日はつい先程終えた始業式を思い出す。全校生徒の前で、新入生総代として式辞を読み上げたのはあの狭霧だった。その時の講堂の雰囲気は、異様の一言に尽きる。全員がぽかんとして壇上の狭霧を見つめ、完全に呆けていた。


 魂を抜かれる、とはまさにあの状態を言うのだ。あれならば気配を消さずとも、背後に回って次々と大根の如く首を刎ねられる。まさに撫で斬りだ。あまりにも無防備な醜態をさらすクラスメイトに、朝日は内心で歯がみするがどうしようもない。一方で、周りに同調できず一人だけ素面でいる自分にも歯がみしていた。


 そもそも、なぜよりによって自分と狭霧が同じクラスなのだ。エミリーと一緒だったのは嬉しいが、これから一年、何かとこの鬼の末裔と顔を合わせなければならないのは憂鬱だ。朝日の視線に気づいたのか、にっこりと狭霧は笑う。艶美な牡丹の花が開くかのような笑みを向けられ、朝日は跳び上がるようにして身を起こす。


 水たまりに前足を突っ込んだネコと同じ動作の朝日を見て、狭霧は笑顔で手を振る。実に見事なペルソナだ。頭角としての恐ろしい側面を丁寧に覆い隠し、誰もがうっとりするような好男子を演じきっている。その得体の知れなさに、ついつい朝日は殺気を放ってしまう。抜き身の白刃を突きつけるような気魄を露わにしても、狭霧の余裕は変わらない。


「死地にあって退くは不肖、進むが道理。槍先の功名こそ我が本望。ここを千軍万馬のかんと心得よ」


 気分を落ち着けようと、朝日は大悟から伝え聞く桜木の家言を呟きつつ九字を切る。その姿にますます周囲が退いているのを、彼女は気づきもしなかった。ちなみに、格好良く思っているのが一人だけいる。エミリー・ヒューストンだ。



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