第5話:仕え家とは取り巻きなり



 ◆◇◆◇◆◇



「桜木朝日さん」


 授業を終えて教室を出ようとした朝日を、後ろから呼び止める声があった。


「ん?」


 振り返ると、そこにいたのは今朝狭霧の隣にいたあのおかっぱ気味の髪型をした少女だ。相変わらず、こちらを不審者を見る目で見ているが、口調そのものが穏やかだ。しかし、朝日としても文句は言えない。事実、今の彼女の言動は不審だからだ。


「ちょっと、いいかしら?」


 どうせ、狭霧と親密そうだったし、彼女は頭角の関係者だろう。だが、彼女からは頭角独特の気配は伝わってこない。正真正銘の人間だ。問責かそれとも実力行使か、いずれにせよ穏やかならぬ雰囲気だ。しかし、ここで退いては角折リの名が廃る。朝日が無言でうなずくと、少女は彼女の脇をすり抜けて先導する。



 ◆◇◆◇◆◇



 少女が足を止めたのは、使われていない化学室だった。そこでようやく少女は振り返り一礼する。


「改めて初めまして。『仕え』の山都琲音やまとはいねです」

「あ、どうも。桜木流の桜木朝日です」


 喧嘩をふっかける様子もなく挨拶した少女に、朝日もつられて挨拶を返す。


「…………はぁ」


 だが、続いて琲音が見せたのは呆れたと言わんばかりの態度だ。


「何で露骨にため息をつくわけ?」

「初対面でいきなり狭霧様に斬りかかろうとするから、どれほどの手利きかと思いきや、ただの猪武者のようね」

「何よ。わざわざ喧嘩を売りに来たわけ?」

「最初に喧嘩を売ってきたのはそちらでしょう? あれはどういう了見? まさか、狭霧様の鋭角を折って手柄にしようと思っているわけじゃないでしょうね?」

「そんなことするわけないじゃない!」

「どうだか」


 今朝の狭霧との邂逅について朝日は弁解するが、琲音は疑惑の眼差しをやめない。顔形は日本人形のように整っているのに、苦労性というか、陰気な顔をした少女だ。


「そういうあなたこそ、どうして首を突っ込むの? あいつの彼女?」

「…………はぁ」


 朝日の物言いに、再び琲音はため息をついた。


「私は仕え家の者よ。桜木なら知ってるでしょ? 頭角に仕える人間の家の出身よ。だから、私も狭霧様に仕えるのがお役目なの。主に情報収集だけど」

「それで、こっちのこともよくご存じって言いたいの?」

「一通りはね。初城台に受験に来たときから、あなたのことはマーク済みよ。頭角の本拠地に来て、そのまま帰してもらえると思っていたの?」


 頭角は角折リと違い、政財界に影響力を及ぼす存在だ。その傘下に加わった人間の一族も多い。それが仕え家と呼ばれる者たちだ。琲音の実家である山都家もその一つらしい。


「大人しく下田貫に引きこもっていればいいものを。時代遅れの武者振りを見せつけたところで、頭角の優位は変わらないわ」


 自分も頭角のような琲音の口調が、朝日の気に障る。


「うるさい。あんなド田舎に一生いるなんて絶対に嫌だから。私だって、もっと普通の女子高生の生活がしたいの。そのためにこっちに来たのよ」


 下田貫に引きこもるなどまっぴらごめんだ。それが嫌で、わざわざ朝日は鬼の根城にまで足を伸ばしたというのに。


「…………はぁ」

「これで三回目」


 朝日の返答は、ただ琲音のため息を誘っただけだった。


「三回もため息をつきたくなるような相手は初めてよ」


 軽くめまいを覚えたような仕草を見せつつ、琲音はこちらを見据える。


「いい? あなたの知能に言っても通じるかどうかは不明だけど、この三年間、身の程を弁えて神妙にしていることね」


 そこまで言ってから、彼女は身構える。


「もし、狭霧様を闇討ちするようだったら、この私が――――」


 琲音が右手を顔の前にかざす。何やら武芸の心得があるようだ。だが、それは朝日も同じである。武威を誇示されて黙っていられるほど、朝日はのんきではない。琲音の気魄に応じて、腰を落とした朝日も内奥の気魄を解放していく。真剣を構える侍同士が対峙したときのような気配が、無人の化学室を満たした時だ。



 ◆◇◆◇◆◇



「おい、何してるんだ?」


 化学室の扉を開いて、ひょっこりと顔を出した人影がある。くせの強い髪の毛に目の下に隈、どことなくくたびれた服装の男性だ。


大曲おおまがり先生!?」


 一瞬で琲音の気魄がかき消えた。跳び上がらんばかりの勢いで琲音は身を翻し、男性の方を見る。彼の名は大曲利郎としろう。朝日たちのクラスの担任だ。


「なんだか深刻そうな顔してるが、大丈夫か?」


 気の抜けた物言いと共に、大曲は室内に入ってきた。


「あ、はい」

「ご、ご心配には及びませんっ。ただ、ちょっとお話ししてただけです」


 気魄を戻して普通の姿勢に戻った朝日だが、隣の琲音は妙に戸惑っている。


「本当か? まあ、僕が突っ込むようなことじゃないけどな」


 どうにも大曲の態度はのろのろとしている。まるで万年床からついさっき起きてきたばかりのような動きだ。


「い、いえ、その……お気遣い感謝します…………」


 だが、なぜか琲音はもじもじとしつつうつむいてしまった。


「そうか。ならいいけどな」


 深い追求もせずに、大曲は彼女の一言であっさり納得したらしい。


「いろいろ家の都合とかあるだろうけど、まあ、お前らまだ子供なんだ。そんなに思い詰めることなんかないぞ」


 どこまでこの教師は知っているんだろう。朝日はやや不審な目を彼に向ける。


「ご親切にどうもありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから。むしろ、桜木さんとは仲良くしたいと思っています。ねえ。桜木さん?」

「えっ?」


 琲音の突然の発言に、朝日は目を丸くした。そちらを見ると、琲音は完全にネコをかぶった優等生の顔でいる。


「え、ええ。まあ、そうです。仲良く、仲良く……?」


 よく分からないまま、朝日は同調する。


「そりゃよかった。桜木、お前もよそから来て不慣れだろ。何かあったらほかの奴を頼れ。もちろん、僕もな。山都も、あまりきついこと言うなよ」

「はいっ。もちろんです」


 張り子のトラよろしく大きくうなずく琲音を見て、少しだけ大曲は笑う。


「邪魔したな。悪い」


 のそのそと去っていく彼の背中を、うっとりとした眼差しで琲音は見送る。


「先生……ご多忙なのにわざわざお時間を取って下さるなんて……」


 完全に恋する少女の目だ。だが、朝日に向き直った時、その表情は元に戻っていた。


「い い で す か ?」

「何が……?」


 猛烈な勢いで顔を近づける琲音に、少々朝日は退く。


「大曲先生の手前、見得を切ってしまったんです。あなたとはとりあえず仲良くしてあげますから、くれぐれもおかしな行動は慎んで下さいね。ね? ね? ねっ?」

「……考えさせていただきます」


 朝日の答えは、彼女にしては珍しく曖昧なものだった。



 ◆◇◆◇◆◇



「なんだか滅茶苦茶だったな……」


 琲音に念を押されつつ別れ、すっかり疲れた顔で朝日は校門に向かって歩いていた。


「まあ、初日は失敗したけど、まだ新学期は始まったばかりだし。明日から気を取り直して、かヨワ系女子を目指して……」


 だが、その顔に生気が突如みなぎる。


「目指し、て……!」


 打って変わった武人の表情で、朝日は振り返る。


 それは今朝の再現だった。桜の木の下に立っているのは、見間違えようもない。揺らめく陽炎のような痩身が、そこにいた。


當麻たいま、狭霧――!」


 燃え上がる炎と同じ声音で、朝日は彼の名を発する。かヨワ系女子などという妄言は、朝日の頭から消し飛んでいる。どれほど気を遣っても、狭霧の気配一つで朝日の全神経は戦闘態勢に移行するのだ。


「今帰るのかい?」


 自分の存在を主張しておきながら、何食わぬ顔で狭霧は口を開く。


「あんたには関係ないよ」


 そう言い放って朝日は背を向けた。


「そんなに怖がらなくていいよ」

「っ!」


 無視して帰ろうとしたのに、無視できない言葉がさらに続く。


「取って食おうなんて思ってないから」

「誰がっ!」


 臆病者呼ばわりされ、朝日が激昂した。


 ただの数歩で朝日は狭霧に詰め寄る。


「怯えが伝わってくる」


 一気に間合いを詰められたにもかかわらず、狭霧は悠然としたままだ。


「君の足取りは、左右共に弱く安定感に欠ける。鍛えた武人がそんな動きをする理由はただ一つ。恐怖だ」


 狭霧に内心の動揺を見抜かれ、朝日は叫ぶ。


「私は怖がってなんかいない!」


 それは嘘だ。狭霧は恐ろしい。


「ならば俺を斬るか?」


 彼は名の通り、人の形をした霧だ。斬ろうとしてもすり抜けてしまう。


「それがあんたの望みなら!」


 挑発に乗るな。頭の片隅でそう思っていても、高ぶる感情は止められない。気魄を集中させて居合の体勢を取る朝日に対し、狭霧は右手をもたげた。その手は無手だ。だが、気魄がゆっくりと渦巻いていく。


「當麻流舞踊――――」


 彼の言葉に、朝日は地を踏みしめた。次の瞬間に解放されるであろう鬼の暴威に、全身全霊で備える。


 ――さあ、どう来る?


「いや、今はやめよう」


 しかし、狭霧の左手は何もせず緩やかに降ろされた。同時に気魄がおさまっていく。


「そもそも俺の方が言ったっけ。『続きはまた、叢雲の迷う月夜にでも』って」

「挑発したと思ったらすぐに退くなんて、言動に一貫性がないね」


 姿勢を戻した朝日が憎まれ口を叩く。


「確かに、俺もそう思う」

「一瞬で認めないでよ」

「悪いね、普段はこんな感じじゃないんだ。もう少し、言行一致を心がけてるよ」


 かすかに狭霧は苦笑する。そんな仕草さえも雅やかなのが、余計に朝日のかんに障る。


「もう帰る」


 今度こそ背を向けて大股で歩き出した朝日の背中に、狭霧の声がかけられる。


「たぶん――」


 聞くまい、と思っていても、意識はそちらに向いていた。


「俺は、君に少しだけ興味があるんだよ」


 振り返らずに、朝日はこう言った。


「あっ、そう」


 そんな何でもない一言に鼓動を激しくする自分の心臓が、朝日はひどく憎たらしかった。



 ◆◇◆◇◆◇



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