第23話:アイドルとはプロデューサーあっての存在なり



 ◆◇◆◇◆◇



 駅のホームに、戸隠峡の方角から来た電車が停止する。スマートなデザインかつぴかぴかに磨かれた電車だが、安普請な下田貫の駅舎の前に停車すると田舎臭さと貧乏臭さに染まっていきそうに見える。ドアが開くと、いつになく大勢の乗客が降りてきた。しかし、一つ異変がある。真ん中付近の車両から降りた乗客たちの顔が、全員虚ろなのだ。


 ホームの古びたベンチに座る桜木朝日の目の前を、ふぬけになった乗客たちが歩いていく。まるでホラー映画のゾンビのように、彼らと彼女らの動きはぎこちなく足取りもおぼつかない。その醜態に、朝日は小さく舌打ちする。朝日はホラー映画を嫌っている。怖いからではなく、彼女にとっては馬鹿げた内容だからだ。


(あいつは妖怪変化の類か!? いい加減にしろ!)


 朝日の舌打ちの理由は、この異変が明らかに當麻狭霧たいまさぎりによるものだからだ。狭霧と同じ車両に乗っていた乗客たちは、彼の美貌に当てられてしまったのだ。まったくもって許し難い。存在するだけで周囲を魅了するなど、つくづく鬼の所業である。人外とは、ヒトの社会にとっては害毒でしかない。


 そして何よりも。朝日は自分の現状に苛ついている。決闘に負けた桜木家は、當麻家の頭角を自分たちの土地に招かなければならない。結節という一種の霊地に逗留させ、しばらくの間もてなすのが決まりとなっている。すべては、自分が狭霧に決闘で負けたせいだ。だが、あの頭角にこれから平伏しなければならないのは憂鬱以外の何ものでもない。



 ◆◇◆◇◆◇



「――だから、これは運命なんだ! 分かるかい?」


 騒々しい男性の声が、突然駅のホームに響き渡った。


「世の中には偶然じゃなくて必然の出会いがある。天の配剤、シンクロニシティ、共時性、なんでもいい。とにかく、僕と君が同じ電車に乗り合わせたというのは、神様か何かの計らいなんだ!」


 ものすごい早口で男性は喋っている。


「そうですか」


 かん高く情緒不安定な男性の早口に対し、落ち着き払った美声が応じる。


(狭霧……?)


 朝日が声の方向に目をやる。そこには、大きなスーツケースを引いて電車から降りる狭霧と、彼に追いすがる一人の男性がいた。小柄な割りにかなりの肥満体だ。男性は転がるようにして狭霧の行く手を塞ぐと、何かを突き出す。


「と、とにかく、名刺だ名刺。これ、これが僕の名刺だ。受け取ってよ、ね?」


 どうやら名刺らしい。


「いいえ、必要ありません」

「名刺だけでも!」

「受け取ってしまうと、あなたの申し出に関心があると誤解させてしまいますので」


 あくまでもそれを受け取らず、狭霧は小さく頭を下げる。


「ご期待に添えず、申し訳ありません」

「は、はは、は……」


 ため息が出るような優美な仕草を間近で見た男性は、口を半開きにして乾いた笑いをもらした。


「き、君は自分の持つ破格の魅力というものを眠らせたままだよ。それはあまりにももったいない!」

(世のため人のため、眠らせておいた方がいいものがあるんだけどな)


 一部始終を見ている朝日は、内心でそう呟く。


「ぼ、僕はこれまで数多くのアイドルグループのプロデュースを手がけてきた。蜃気楼、ドリームメーカー、オン・ユア・マーク、どれもこれも有名だろう? あのSOUNDSCAPEが国民的アイドルに上り詰めたのも、僕の助力があったからだ。その僕が断言する。君は間違いなく最高のアイドルになれる逸材だ!」


 どうやら、この肥満体の男性は芸能プロデューサーらしい。


「素晴らしいお仕事ですね」


 次々と有名バンドの名を上げる男性に対し、以前として狭霧の口調は変わらない。その完璧なアルカイックスマイルのペルソナを見て、男性は一度深々とため息をついた。


「み、見ての通り僕はチビだしデブだしブ、ブサイクだ。君も、そう思うだろう?」

「他人をそう評したことなど、今までありません」


 男性の自虐に対し、狭霧はそう答えた。果たしてそれは、人を外見で判断しない優しさなのか、それとも人の美醜などまったく関心がない異質さなのか。


「で、でも僕が手がけたアイドルは違うよ。みんな輝いてる。たくさんのファンが、アイドルを見ただけで歓声を上げるんだ。すごいだろう?」


 黙ってほほ笑む狭霧に、同意されたと思ったらしく男性は勢い込む。


「少しはアイドル活動に関心を持ってくれたかな?」

「いいえ」

「ああ、ああ、もったいないなあ」


 すげなく断る狭霧だが、男性は身もだえしつつも諦めない。確かにプロデューサーからすれば、ここで狭霧を諦めるのは道ばたに落ちている金塊をまたぐようなものだろう。



 ◆◇◆◇◆◇



「いい声をしているね。張りがあって伸びやかなのに、囁くような感じがすごくステキだ。君、カラオケとかではよく歌うのかい?」


 勧誘の方向性を変えて、プロデューサーは狭霧を誉めちぎる。


「昨今の邦楽には疎くて」

「ならダンスだ。見た感じ結構鍛えているね。姿勢が凄くいいし、手足が長いからダイナミックな動きが画面に凄く映えるよ」

「踊りにはそれなりに自信があります」


 さすがに當麻流舞踊の仕手として、ダンスに対してだけは狭霧も無反応ではいられなかったようだ。


(あんたのダンスは殺人的だけどな。文字通りの意味で!)


 朝日は心の中で突っ込みを入れる。狭霧のダンスはダイナミックどころの話ではない。文字通り人間を軽々と引きちぎる破壊力だ。絶対に放送できない。


「いいじゃないか。そしてルックス! これはもう及第点どころか満点だ! 今すぐ写真集を出しても確実にヒットする! 僕が保証する。間違いない。一冊出しただけで、君のサイン会には全国の女性が殺到するよ!」


 さらにプロデューサーは狭霧を煽る。確かに、狭霧が写真集でも出そうものならどうなるか。桁違いの売れ行きになるのは間違いない。


 朝日は狭霧の写真集の表紙を想像してみた。モルディブかどこかのビーチで、青い海と白い砂浜をバックにポーズを取る水着姿の狭霧。上半身は素肌に雑にワイシャツを引っかけただけという、ラフな出で立ち。カメラ目線でこちらを見、長髪をかき上げて笑みを浮かべる狭霧。


 ――うん。出版されたら一冊買って、道場で手裏剣の標的にしてやろう。


「残念ながら、興味がありません」


 朝日の妄想はともかく、いくら誉められても狭霧の反応は変わらない。横をすり抜けて先に進もうとする狭霧の背に、プロデューサーは叫ぶ。


「待ってくれ! 君はどこへ行くんだ? こんな田舎に、下田貫みたいなド田舎にくすぶっていい人材じゃないよ、君は!」

(余計なお世話だ。田舎田舎と連呼しないでよ)


 田舎、それもド田舎と言われ、下田貫生まれの下田貫育ちの朝日はむっとする。事実なのだが、だからといって連呼されるいわれはない。


「僕たちが君をどこへでも連れて行ける! 全国ツアーも、東京でのライブも、全部プロデュースする! いや、君なら海外だって行ける。ハリウッドだ、ハリウッド! 世界に行こうじゃないか!」


 安直な誘い文句だったが、なぜか狭霧は振り返り、じっとプロデューサーを見つめる。


「そこに、宿神しゅくじんはいますか?」

「……は?」


 言葉の意味が分からず、プロデューサーは固まる。宿神。それは古来より日本に伝わる芸能の神の名称だ。スクウジン、シャグジなどとも呼称されるそれの本質は、歴史の闇に隠れて曖昧となり、未だ定かではない。


「俺の舞は宿神に捧げる儀式。そして俺もまた宿神に捧げる供物。どちらも、本来は観衆に見せるためのものではありません」


 高校生が口にする言葉とはとても思えないその内容に、完全にプロデューサーは硬直している。


「申し訳ありませんが、本当にこれ以上は人を待たせてしまうので」


 そう言って、再び狭霧は丁寧に一礼する。


「それに、あなたは今ここ下田貫をド田舎と言いましたが……」


 だが、そのまま立ち去るかと思いきや、彼はさらに言葉を付け加えた。


「俺の行くべき場所は東京やハリウッドなどではなく、ここ下田貫なんです」


 はっきりと下田貫という地名を強調し、今度こそ狭霧はきびすを返した。残されたプロデューサーの方を一顧だにせず。



 ◆◇◆◇◆◇



「待っていてくれたのかい」


 狭霧が近づくのに合わせて無言で立ち上がる朝日に、彼は優しげな言葉をかける。


「別に。出迎えなしじゃ礼儀知らずって思われるから」

「光栄だね」


 いつもと変わらない丁寧なペルソナ。けれども、かすかに朝日は感じた。狭霧の声に、プロデューサーと話している時と比べて、わずかに感情が加味されていることに。


 改めて、朝日は狭霧をじっと見る。彼の容貌が異様に思えるのは、顔が完全に左右対称であり、ぶれがないからだ。まるで作り物、いわゆる人形やマネキンを連想してしまう。直視しなければ絶世の美形かもしれないが、まじまじと見つめる朝日からすれば、狭霧の容貌は人間味に乏しく、ペルソナと相まって得体の知れない不気味さがあるのだ。


 しかし。朝日は再び想像を膨らませる。ライブ会場で満員の観衆に向けて、マイク片手に歌う狭霧の姿を。激しいダンスを踊りつつ、ファンに笑顔で手を振る狭霧の姿を。


 ――朝日は吹き出した。似合わなすぎる。狭霧は烏帽子狩衣姿で能面を付け、能を舞っている姿の方が余程しっくり来る。


「なんで笑うんだい?」


 狭霧が首を傾げる。


「なんでもない」


 朝日が歩き出すと、後ろに狭霧が続く。横目でまた、朝日は狭霧を見る。彼は言った。用があるのはここ下田貫だ、と。東京でもハリウッドでもなく、このド田舎だと。


「……何か?」


 再び狭霧に問われ、慌てて朝日は目を逸らした。


「……なんでもない」


 たとえ頭角の言葉でも、自分の生まれ育った下田貫が卑下されないのは、少しだけ嬉しかった。



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