第32話:火のある所とは煙の立つ所なり(後編)



 ◆◇◆◇◆◇



「ふ、二人とも他人事だと思って……」


 胸に手を当てて、朝日は乱れた気魄を整える。


「いいか。何度も言うけど、私は當麻狭霧のことは何とも思っていない。付き合う付き合わない以前の問題だ」

「それは知ってますけど……」

「ぶっちゃけた話、桜木さんがどれだけ主張しても無駄だと思うな~」


 美世は自分の髪を指先でいじりながら、言葉を続ける。


「とにかく、あそこで肝試し中のあたしたちと出会ったのが運の尽きだね。あたしはともかく、みんなに知れ渡っちゃったから。桜木朝日が王子と夜密会してたって、もうニュースになってると思うよ」

「あああぁ……。なんで、なんでこんなことに……」


 朝日はとうとう机に突っ伏してしまった。だが、ひとしきり嘆いてから彼女は真顔で身を起こす。


「――いや、私が悪い。決闘に私が負けたからだ。武人として未熟故、致し方ない」


 豹変した朝日の態度に、美世とエミリーは顔を見合わせた。


「桜木さん、たまに口調がサムライっぽくなるよね」

「はい。本心を言うと、ちょっと素敵です」

「あ、そう。ふ~ん、そうなんだ」


 少し頬を染めるエミリーに対し、美世はあくまでも冷めている。


「どうせ、身の程知らずの愚行としてみんなには伝わっているだろう」

「ううん、その逆。むしろ桜木さん、王子と公認カップルになりそうだよ。って言うか、たぶんもうなってる」

「こ、公認カップルぅっ!? なんでそうなるんだ!?」


 再び朝日が跳び上がる。何とも騒がしすぎるリアクションだ。


「いえ、今さら驚かれても、話の流れとしてはそうなるのが自然ですが?」

「あたしも全員に聞いたわけじゃないけどさ。桜木さん応援してますってコメントが結構多かったよ。王子と釣り合うような子って、桜木さんくらいだって思ってるみたい。よかったね、嫉妬されなくて」


 エミリーと美世はそう言うが、朝日はぶんぶんと頭を左右に振る。


「冗談じゃない! 付き合ってもいないのに応援されても困る!」

「だーかーらー、本人がそう言っても意味ないの。分かるかなぁ?」

「逆に聞きますが、いったい何が不満なんですか?」

「そうそう、だってあの當麻狭霧だよ。家柄よし、成績よし、外見よしの超々々々優良物件だよ。しかもクラス公認のカップル。ちょっとサービスしすぎでしょ?」

「だ、だって、私は角折リで、あいつは頭角だぞ。桜木と當麻は昔から不倶戴天の間柄だ。それを付き合えなんて……」


 歯切れの悪い口調で、朝日はそう主張する。だが、二人にはまったく通じる様子はない。


「いいじゃん。仲悪い家同士の恋、ばっちりロミオとジュリエットって感じで。むしろ障害があった方が燃えるんじゃない?」

「そもそも、犬猿の仲と言っても昔の話でしょう? まして、それは家の宿怨であって、朝日さん個人とは無関係なのでは?」

「だいたい、王子を『あいつ』呼ばわりするなんて、知ってる限りじゃ桜木さんだけだよ」

「……え?」


 美世にそう言われ、改めて朝日は考える。「あいつ」という呼び方は、確かに他人行儀な「當麻さん」ではない。


「みんな王子、王子、王子。だって仕方ないよ。あたしたちにとって當麻狭霧って男子は、高嶺の花そのもの。手を伸ばしたって絶対に届かない超完璧男子。だから、王子って呼んで、遠巻きに見つめてるだけ。そりゃまあ、少しは下心アリで近づくけどさ。でも、仲良さそうに『あいつ』なんて呼んだことなんてない。そう呼ぶのは桜木さんだけ」


 珍しく丁寧に説明する美世をフォローするように、エミリーが続きをつなげる。


「それだけ、あの人を親しく思っていることの裏返しではないでしょうか?」

「タメ口叩けるっていうのは、ある程度仲良く思ってないとできないからねー」


 二人にそう諭され、朝日はしばらく黙った。じっとうつむいている。


「どうよ、納得? 論破されちゃった?」


 しばらく考えた後、朝日は顔を上げた。


「私は……」


 その顔は真面目で、いつもの彼女が戻っている。あの、桜木流撃剣の人太刀にふさわしい凛々しい面持ちに。


「うんうん」

「私は?」


 ついに朝日の本音が聞けるのか。勢い込む美世とエミリーに、朝日は真っ正面からははっきりと自分の思いの丈を告げた。


「――私は、あいつに勝ちたい」


 勝ちたい。それが、朝日の本音だ。


「は?」

「え?」

「一度私は負けた。でも、今度は負けない。もう、私は負けたくないんだ。あいつに、當麻狭霧に」


 朝日は拳を握りしめる。刀剣を握る手とはとても思えない、ごく普通の少女の手だ。だが、その手は体の内奥からわき上がる気魄で覆われている。彼女の戦意に、気魄が応じて臨戦態勢を整える。


「あいつに対してはっきりと感じるのは、それだけ。私は、あいつを斬りたい。桜木としても、朝日としても。それがこの私の、私だけの本音」


 朝日としては、それが偽らざる本心からの言葉だった。付き合えだの、公認カップルだの、あれこれ言われても分からない。ただ一つ自分がよすがにできるのは、この胸を支配する勝利への一念だけだと。


 だが。しかし。されど。いかんせん。朝日の全身全霊の抱負は、美世とエミリーというごく普通の世界に生きる二人には、まったくと言っていいほど通じていないようだった。


「……なんて言うか、面倒だね。すごく面倒なキャラしてるよ、朝日さん」

「好意と殺意が、それはもう複雑に絡み合っているように思えるんですが」


 同時にやってられないといった顔をする二人に、朝日もまたげんなりした顔で言った。


「私が自分の思ってることを正直に言った感想がそれ?」


 古人曰く「女三人寄れば姦しい」。かくして美世とエミリーによる朝日への審問は、最終的に全員がやる気をなくすことによってなし崩し的に終わるのであった。



 ◆◇◆◇◆◇



「はあ……。疲れた……」


 公園で朝日は一人深々とため息をついた。初城台の公園は隅々まで整備され、芝生も青々としている。雑草の生い茂る荒れ地なのか、放棄された田畑なのか判別がつかない下田貫の公園とは大違いだ。珍しいことに、今の朝日は寄り道の真っ最中だ。手には、先程自販機で買った無糖のコーヒーが入った缶が握られている。


「なんであいつは私に構うんだ……」


 狭霧は他者に価値を見出さない。だから、彼の行動のすべてはペルソナだ。


(ふん。能面を普段からつけているなんて芸達者だな)


 ならば、朝日を妙に気にかけるあの姿勢も、ペルソナの一つなのだろうか。本気なのか戯れなのか、区別がつかないのが朝日にとって非常に苛つく。


 気になるならば、直接狭霧に聞けばいい。普通ならば、朝日はそうする。だが、狭霧は名の通り霧だ。何を言っても煙に巻かれる。だから気に食わない。そのくせ、これもまた霧のようにまとわりついてくるのだ。絶対に面白がっている。だからなおさら噛み付く。そうするとますますつきまとうのだ。


(いっそ斬り捨ててやりたい)


 だが、朝日ははたと気づく。


(今の私では、あいつには勝てない)


 詰まるところ、朝日の懊悩はそこに帰結する。狭霧は強い。正真正銘の頭角であり、生ける異能と言っていい。一方、桜木流撃剣の角折リである自分は、その頭角に負けた身だ。負けた以上、どうしても狭霧に対しては強く出られない。だから、朝日は一人で悶々とするのだ。


(そもそも、私が何かあいつの気を惹くようなことをしたのか?)


 改めて朝日は首を捻る。桜木朝日の才能は、剣に特化している。だが、それ以外は正真正銘の人間だ。狭霧を満足させるような気の利いたことは言えないし、外見だって人類の範疇である。狭霧のような異性同性を問わず魅了するような魔性の美貌など持ち合わせていない。


 考え込む朝日の目の先を、一組の男女が通り過ぎていく。恐らく中学生だろう。眼鏡をかけた真面目そうな少年と、色白の淑やかな感じの少女が手をつないで歩いていく。相思相愛な二人の姿が視界を塞ぐに任せ、朝日はため息をつくとコーヒーの缶を後方に放り投げる。空き缶は宙を舞うと、少し離れたくずかごの中へと狙い過たずに落ちる。


(かヨワ系か……。私ももっとか弱かったら、あんな風な彼氏がいたんだろうか?)


 朝日が、自分が憧れつつも現在進行形で遠ざかっていく「かヨワ系」という言葉を、少女の後ろ姿に認めたその時だった。


「こんな所にいたんだ。角折リさん」

「……ッ!?」


 張り詰めた表情で、朝日は声の聞こえた方向を見る。


 それまでの疲れたような顔は消え去り、既に体は臨戦態勢に入っている。聞こえてきたのは、まさに鈴を振るような美声だ。狭霧のそれよりも、さらに女性的である。狭霧の声は中性的であるが低く囁くようなのに対し、今の声はより高く、あどけないと言ってもいい響きだ。だが、どこかその声音は狭霧のそれと似通っている。


 少し離れたブランコの側に、輝くような美少年が立っていた。狭霧と同じ、長い髪が風に揺れた。


「お前は……!」


 少年は朝日と目が合うと、にっこりと笑う。


「初めまして、かな。うん、きっとそうだよね」


 その、人なつっこそうな仕草と雰囲気。狭霧と似ているが、彼よりもさらに幼く、かつ女性的な容貌。


「決闘の晩、當麻の陣営にいたな」

「へえ。覚えていてくれんだ」


 朝日の言葉に少年は少し驚いた様子だったが、すぐに丁寧に一礼する。


「初めまして、桜木朝日さん。僕は當麻夕霧。兄がいつもお世話になっていますね」


 朝日には感傷に浸る暇はない。角折リである彼女が接するのは、現世よりもむしろ異界だ。そして異界はいつでも、すぐそこにぽっかりと口を開けて待っているのだ。



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