第20話 青黛楼の客 

「そういえば、承徳はどうした?」


 弦朗君から敏に下問があったのは、その日の夕餉ゆうげも済んだころだった。

「はっ…」

 問われた敏も困った顔をした。彼は振り返ってレツィンを見たが、彼女も小さく首を横に振るしかない。

「居場所もわからないのか……参ったな、用事があるから呼んでおいたのに」


 実のところ、承徳はこのごろ怠業たいぎょうがひどくなり、勤務先である瑞慶府の官衙でも居眠りを欠かさぬばかりか、下らぬことで同僚と揉め事を起こしているという。伝聞でそのことを知っている敏も、口では毒づきながらも心配を隠せぬ風だった。


 ――やはり、鄭要明ていようめいという方の処刑が引き金だろうか。


 レツィンは実のところ、傲慢でお気楽な坊ちゃんと陰口をたたかれる承徳が、決して嫌いではなかった。レツィンに対しては「無関心」を宣言していても、そのざっくりした彼の付き合い方はむしろ気楽だった。

「あれも柳の家では異端児だからな」とは、敏の承徳に対する評であったが、それが事実だとすれば、レツィンも烏翠では異端児ゆえに、異端児同士で気が合うということだろうか。


 とはいえ、「事情」を汲んで承徳の「改過遷善かいかせんぜん」――アヤマチヲアラタメ、ヨキニウツル――に期待し、監督に手心を加えていた弦朗君もこれ以上黙認できないことは明らかで、レツィンも気を揉んでいるところだった。ましてや、同じ府で友人かつ同輩として過ごしてきた敏にとってはなおさらであろう。


 そこへトルグがやってきて、主君に対して言いにくそうに切り出した。

「あのう、柳の若様のことですが――」

「居所がわかったのかい?」

 弦朗君は思わず立ち上がって訊いた。

「ええ、分かったことは分かったのですが…」

 トルグがこのように、歯にものの挟まった言い方をするのは滅多にないことであった。

「どこに?」


「あの――蔡河さいが青黛楼せいたいろうに上がり込んで御酒ごしゅを召し上がり、ここへやってきた楼の使いの言葉を借りれば『とぐろを巻いておられる』そうです」


「妓楼に!?」

 弦朗君はもちろん、敏もレツィンも驚きの声を上げた。

「…何故そんなことになっている?」

 トルグはますます困った顔をした。

「…処刑された鄭様のお嬢さんがそこの女将に引き取られたのですよ。それで…」

「…承徳のやつ、迷惑をかけて」

 主君の前にもかかわらず、敏は小さく舌打ちをした。


「私が連れ戻してきます。いくら何でも、出仕して日も浅い名家の子息がやけを起こして妓楼で狼藉なんて、恥さらしもいいところだ。柳家だけではなく、我が府の名誉にも傷がつく、まったく冗談じゃない」


「本当に連れて帰ってこられるかい?」

 溜息混じりに弦朗君が聞いた。

「ええ。引きずってでも――もしあいつが妓楼の柱にしがみついているようだったら、その腕を斬り落としてでも、必ずここに連れてきます」

 怒り心頭の敏を前に、主君は「ん…」と言ったきりしばらく返事をしなかったが、やがてレツィンを見た。


「では敏、そなたの申し出を許すことにするが、一つだけ条件をつけよう。彼女も一緒に連れて行きなさい」


 これには言われた当人だけではなく、敏もトルグも呆然とさせられた。

「…主君、恐れながら、堅気の女子を妓楼などとは危のうございます。これが知られたら、それこそ光山府こうざんふの見識が問われかねません。しかもレツィンはもともとは『姫』と呼ばれる身分で、いずれ入宮して高貴な御方に仕える身の上ですよ」

 しかし、トルグの反対にも動じない弦朗君であった。


「それは百も承知だ。でもねえ、まず承徳のことを考えると、いわゆる『堅気の女子』それも自分を見知った女性に、妓楼での醜態を見られたら、さすがに彼も恥じ入るだろう。それに『あらゆるものを見ておきなさい』ってことさ、たとえ妓楼であってもね。まあ、敏がいるのだし、我が府の使いとして行くのだから、滅多なことにはならないだろう」


 主君の口調は穏やかだが反論を許さないものであり、そこでレツィンは気が付いた。つまり、主君は敏の手前、口にこそ出さなかったが、万一にも敏と承徳の間で流血沙汰になりかけたら、それを止める役回りを自分に期待しているらしいことを。


 ――つまり、私に「力仕事」をせよ、とのことね。


 レツィンは「承りました」と答え、敏とともに拝跪した。

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