第21話 風流公子

「承徳!柳承徳りゅうしょうとくはいるか――!?」


 赤く華やかな雪洞ぼんぼりが高殿にいくつも掛けられ、糸竹しちく(注1)の音が蔡河の川面を撫でて広がる。青黛楼せいたいろうの外で、敏はひたすら大声を上げ続けていた。後ろでは常服姿のレツィンが心配顔で見守っている。


「…ねえ、そんなに大声で叫んでいたら、柳家の若様がここにいるって往来の人にもわかってしまうわよ」


 懸命に連れの袖を引く彼女だが、すっかり頭に血が上っている敏は「密かに、穏便に承徳を連れ戻す」ことなど忘れ去ってしまっているらしい。

 そこへ門番が出てきて追い払われそうになったが、敏がすかさず光山府のはいを見せたので、中に入ることができた。それでも門番は女性まで通すことに強く抵抗したが、敏が「主君の厳命だから」と押し切った。


 二人が玄関を通ると、さすがに瑞慶府いち――ということは烏翠いちの妓楼だけあって、紫檀に螺鈿細工の屏風といい、翡翠で作られた鸚哥や玉製の花卉かきの置物といい、いずれも優雅で風格があり、名族高官の贔屓筋に預かっていることがよくわかった。


「まあまあ、光山府様から柳の坊ちゃまにお迎えですか?」


 すぐに女将が出てきて、作り笑いをしながら敏達を二階に案内する。

「実は私どもも困っていたところでございますよ。すでに柳家からお帰りを促すお使いも再三お見えなのですが、茶器は投げるわお使いにはかみつくわで、とにかくひどい有様というわけでして…」

 女将の長広舌に、ただでさえ苛ついている敏は、発火寸前という趣きである。

 お茶引きの妓女連が騒ぎを聞きつけ、ひそひそ囁き交わしながら自分たちを見物している。レツィンは彼女等を横目で見て、軽く肩をすくめた。


 ――本当に、血を見なければいいけれど、果たしてどうなることやら。


 一行がたどり着いた部屋は蔡河に突き出した東南の隅で、丸窓のへりに噂の本人が腰かけていた。右手には酒器をだらんとぶら下げ、顔は窓の外に向けながらぶつぶつとつぶやいている。


 花は桜木さくらぎ、酒はどぶろく

 逢引きのお伴にゃそれが相応

 月は待ってる、私も待ってる

 待ちかねすぎて月は半月

 待ちくたびれて私も白骨


 どこで覚えたのか粋な俗謡まで口ずさみ、いっぱしの遊び人の風情である。

「承徳!」

 敏の大声に当人は振り返ったものの、酒精でどろんと双眸そうぼうは濁り、つくづくと敏とレツィンを眺めるだけで、返事もろくに寄越さない。


「いい加減にしろ、我らが主君の命に背き、こんなところで遊びにうつつを抜かして……情けないにもほどがある。ほら、帰るぞ」

 敏はつかつかと歩み寄り、承徳の腕を掴んで立たせようとする。

「うーるさい!」

 敏の手を振り払おうとした承徳は、姿勢をぐにゃりと崩した。

「おっとっと…」

 そのまま丸窓の外に身を乗り出し、落ちそうになった。敏は驚いて承徳の肩を掴んだが、この酔いどれの尻が半分かた窓の桟をはみ出し、落下寸前である。


「レツィン!」

 敏の声がかかるのと同時にレツィンは飛び出し、渾身の力で承徳の服を掴んで引き戻した。あまりに強く引っ張ったので、敏と承徳もろとも、ごろんと床に転がり込む。


「痛ててて…おや、ラゴ族の女力士のご登場ですかな。俺も蔡河の魚の餌になり損ねて…」

 承徳はしたたかに打った腰をさすりながら、ぐふぐふと笑う。たまりかねて、敏がばちんと平手を食らわせたがまるで効き目がなく、大きな紅葉もみじのような手の跡を頬につけたまま、へらへらしているばかりである。

 手の施しようのない有様に敏は頭を横に振り、レツィンも眉をひそめる。すると、ことの成り行きを見守っていた女将が、ここで口を出した。


「さあ、柳の坊ちゃま、ご同輩方がお迎えにいらしているのですから、ここは酔いをお覚ましになってお帰りくださいまし。明日の登庁にも差し支えます」

 そういって酔い覚ましに梅と蜂蜜の飲料を差し出すが、承徳はその椀を壁に投げつけて吠えた。

「ふざけるな、この強欲ばばあ!燕君えんくんをこんなところに入れやがって、彼女を妓女にしてたっぷり搾り取ろうという腹だろう、ふん、ばばあの考えそうな…」

 そのまま床に崩れ込む。レツィンは、女将の後ろに一人の少女が立っているのに気が付いた。


「あっ…」


 まさしく処刑の時に見た、鄭要明の息女である。彼女は妓女見習いと思しき服装をして、無表情でかつての幼馴染を見下ろしていた。


「あんなことさえなければ、燕児はいずれ王弟様の夫人になるはずだったのに…どうしてなんだ…どうしてこんなことに…」


 酔いが回りに回ったのか、今度は声を立てて泣き始めた承徳に、初めてその少女が口をきいた。


「…あの時殺されなかっただけでもましよ。全て私自身が納得ずくのことなのだから、貴方は余計なことをして掻き回さないでくださる?お気楽な柳の坊ちゃま」


 最後の一言が気に入らなかったのか、承徳の顔はみるみる朱に染まる。


「妓女になるって、どういうことかわかってるのか!?いずれお前とお前の父を陥れた連中と酒を酌み交わして連れ弾きし、臥所ふしどをともにするんだぞ!そんなこと…」

 激高する相手を前に、少女はあくまで冷静だった。


「だから何?いずれ私も水揚げされれば、あなたのお父様とも同じ床につき睦言を交わすでしょうし、やがてあなたとも同じとばりのうちで夢を見ることでしょう。それの何がいけないの?」

「だから!…」

 そこまで言うといきなり承徳は黙り込み、頭を振って立ち上がった。

「…帰る」

 散々な修羅場だったが意外にもあっさりした幕引きで、敏とレツィンは互いに安堵の視線を交わした。これなら何とか任務を果たすことができそうである。

 危なっかしい足取りで階段を降りる承徳を、燕君と呼ばれた少女は彫像のように立って見送っていた。


 ――彼女は本来、王弟の花嫁ともなる女性だった。金枝玉葉きんしぎょくよう(注2)に連なるはずだったのに、どうしてこうも運命は残酷なのだろう。


 楼を覆う白粉と紅の香りに悩まされながら、レツィンは少女の運命をもたらした、まだ見ぬ王について思い描いた。


 ――みな、声を潜めて王様は苛政をなさるという。なぜ王様はそのような政治を執られるのだろう。私と幾つも年の変わらぬ女の子に、あのようなことを言わせてしまう政治まつりごととは?そして、王様が思い描く理想があるとすれば、それは一体何なのだろう。もし私が王宮に入れば、その答えは得られるかしら――。


 レツィンが物思いに沈むいっぽう、承徳を押し出すようにして妓楼を去ろうとした敏は、ちょんちょんと肩口をつついた女将から一枚の紙を渡された。


「何だ?」

 折りたたまれたそれを広げようとした敏は、女将に押しとどめられた。

「どうかそれをそのまま、光山様までお持ちくださいませ」

「だから、ものは何だと聞いている」

「お勘定の書付でございます」

「勘定?」

 女将は涼しい顔で頷いた。


「柳の坊ちゃまがお使いになった玉代ぎょくだい(注3)、駄目にした服飾、壊した什器や家具の代金の総額でございます。坊ちゃまは俸禄をすっかり使い込んでしまったうえ、柳家からは支払いを拒否されましたので、ここは直属の上司であり保証人でもある光山様の『御尽力』を願いたく…」


***

注1「糸竹」…楽器。管弦の音。

注2「金枝玉葉」…天子の一族や子孫。本作では烏翠王家を指す。

注3「玉代」…芸妓や娼妓を呼ぶ金。

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