第47話 星屑と白馬

 だみ声を聞いたその瞬間、敏はむしろを巻いていた紐を素早く解いて、道の向こう側のレツィンに剣を放り投げてやり、自身ももう一本の鞘を払った。


「王を弑し奉ろうとした刺客ならば、哀れな道化を串刺しにするなど朝飯前だ。といっても、お前さん達は朝飯どころかここ三日ほど何も食っていないような、しけた顔つきだな」


 いっそう大胆になった道化のからかいに、一座からどっと哄笑が沸き起こった。

「…お前達の正体は?いったい何が目的だ?」

「そんなおっかない顔をするとせっかくの男前が台無しだぜ、粋な兄さん。それにそこの可愛い嬢ちゃん、そんな物騒なものを持ってちゃいけねえ、女の子が持つのは花と鏡って相場が決まっている。ああ、でもラゴ族の女は代わりに剣を持つんだっけな」

 レツィンは警戒を通り越して薄気味悪さを感じ、剣を降ろしてまじまじと一団を眺めた。


「…人をからかうのもいい加減におし、彼等の逃げる時間がなくなっちまうよ」

 二人の前に出てきたのは一人のごく若い女形で、この戯班の班首であるらしかった。

「…うちの人間どもは何しろ口が悪くて、済まないね。あたし達は、かねてより烏翠一の芝居好き、すなわち安陽公主様のご贔屓に預かっていてね。先日、『かくかくしかじかの風体の男女がもし二廟の近くに現れたら、これを彼等に渡して欲しい』と公主様から頼まれたの」

 そして、二頭の馬を連れてきた。しかも、鞍には弓矢までついている。

「どう?これでお役に立つかしら?」

 レツィンと敏は信じられない思いで馬の手綱を取る。「逃がしてあげる」と約束した、あの方の約束に嘘はなかったのだ。


 さらに、

「兄上!」

 前に進み出てきた若者を見て、敏は硬直した。

「…政。まさか、この班に預けられたとは」

「兄上!」

 兄弟二人は駆け寄って、ひしと抱き合った。

「…良かった…生きていてくれて良かった」

「――もう、二度と会えないかと」

 自分より体つきがしっかりしていて、涙声になった弟の肩を、敏は軽く、撫でるように叩いた。

「政、家門の再興など考えるな、だが必ず生きていてくれ。たとえ天下の隅であっても、生きていてさえいれば、またどこかで会える」

「兄上…」

「不思議だな。家があのようなことになる前は、あれほど喧嘩ばかりしていたのに。だが、父がお亡くなりになってから、お前に対する気持ちがこんなに変わるとは…」

「そんなこと、言わないでください…」

 敏はなかなか離れようとしない政を引き剝がし、班首を振り返った。

「どうか、弟をよろしくお願いいたします」

 班首はしなを作るように一礼した。

「どうぞお任せくださいな、きっと一人前の俳優にしてみせますから……あら」

 班首は何かに気が付いたのか、レツィン達と馬を見比べている。


「この立派な馬にその伶人の恰好では、明らかに不審がられるでしょう。芝居の衣装があるから、それを着ていきなさい」

 そういって女形が班員に命じてひつから出させたのは、烏翠の官服と既婚者の女性が着る衣装であった。

「遠目から見れば、芝居の衣装だとはわからないはず。お役人様とその奥様の、夫婦連れで行く蓬莱山への巡礼ということになさいな」

 「夫婦」という言葉を聞き、決まり悪げに顔を赤くしたレツィンと敏だったが、有難く気持ちを頂戴し、その衣装を受け取った。

「芝居にとって何より大切なものを……ありがとうございます」

 女形はにやりとした。

「あらいいのよ、公主様からはたっぷりはずんでいただいているから」


 まさにその日

 星屑が地に降りるように

 白馬が空から降ってくる

 姫をさらって逃げる盗賊にも

 若い駆け落ち者にも渡りに舟


 遠ざかる戯班の歌声は、二人の駆る馬、その蹄の音にかき消されていった。

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