第3章 水底の夜の都

第16話 元宵節

 正月の元宵節げんしょうせつ(注1)は、烏翠うすいでも他国と同じように「観燈かんとう」が行われる。


 王宮では王の出御のもと宴が開かれ、また瑞慶府では一晩中往来の通行が許される。そして、老若男女が街に繰り出し、そこかしこに吊るされた燈明を愛で、夜店での食事や買い物を楽しむのが常だった。


「――ああ!ちぇっ今年も留守居役か」

「わあ、当たった、当たった!蓬莱ほうらいの神様、烏翠うすいの烏神様、そして天京てんけいにおわす天子様、ありがとうございます、ありがとうございます」

「当たったのなら、せめて山査子さんざしの蜜漬けでも土産に買ってきてくれよう」

「あんた、普段は威張り散らしているくせに、そんなに惨めったらしい声も出せるのねえ、感心しちゃった」


 この日の朝、光山府の一角で悲鳴や笑い声がしきりに上がっていたのは、使用人の誰が観燈に行き、誰が留守居役として府に残るかをくじで決めているからで、最初から留守居と決まっている家令のほかは、みなその籤引きに参加し、悲喜こもごもの結果に大騒ぎとなっていた。


 厨房師に結果を問われたレツィンは、引き当てた空の籤を示し、首を悲し気に振った。レツィンは観燈を経験したことはないが、府の皆から飽きるほどその楽しさを聞かされていただけに、空の籤が恨めしかった。

 実はレツィンを最初から観燈組に入れてあげようとする声もあったのだが、レツィン自身が「公平に扱ってほしい」と辞退したのである。しかしこうなってみると、行けぬことが口惜しい。宮中行事でも観燈はできるはず、周囲はそう慰めてくれたが、やはり街歩きの楽しさは格別なのである。


 ――王宮に入る前に、せめて街で観燈をしたかった。これが最初で最後の機会だったのに。


 そこへトルグがレツィンを呼びに来た。「早くなさい、主君がお待ちよ」


 ――そうだ、弦朗君様が王宮に行かれる日でもある、身支度をお手伝いしなければ。


 急いで後房の弦朗君のもとに赴き遅参の詫びを入れると、敏に手伝わせ、すでに途中まで朝服に着替えた主君がにっこりと笑った。

 当人は着心地が悪いとたいそう嫌がるが、レツィンは弦朗君の朝服姿が好きであった。今晩は王が崇孝門すうこうもんに出御して観燈、その後は御宴ぎょえんがあるため、それに列席する主君の帰邸は明け方近くなるという。


「もう籤は引いたかい?みんなの声がここまで聞こえてきたよ」

 だが悄然たるレツィンの様子に気づき、弦朗君もそう、と声を落とした。すると寝衣しんいを畳んでいた敏が振り返った。


「私のは当たり籤だったから、それをレツィンにやります。留守居の組でもかまいません」

「いいの?そんな……嬉しいけど、でも」


 レツィンは眼を丸くして、口を引き結んだ敏に問うた。敏はレツィンの眼差しを受け止め、しっかりと頷く。いっぽう弦朗君は即答せず、ただ考え深げに光山府の徽章が入った肩掛けを取り上げた。

「敏、あえて譲るその心意気は素晴らしいが、レツィンが出かけるならば誰かついていてやらねば、ね…」

「私、一人でも平気です!」


 今日くらいは自由に歩き回りたい。でもやはり、女子一人の夜歩きなど駄目だ、とでも言われるのだろうか。弦朗君が口を開く前に、敏が急きこんで言った。

「いや、我が君。やはり一人では行かせないほうがいいですよ。彼女と一緒に行ってもらえるよう、観燈組の誰かに頼みましょう。もし一人で行かせたら、万一の時、レツィンが……というより、相手の身が心配だ」


 敏は涼しい顔でそう言ってのけると、自分の首――あのとき彼女に斬りつけられた箇所――をするりと横に撫でた。レツィンは恥ずかしさで顔を伏せ、主君は「ふむ」と頷いた。


「では、こうしよう。レツィン、その外れ籤を私に預けなさい。この籤の借りはいつか、何らかの形で私に返してくれればそれで良い。だから、今晩は出かけてもかまわない。その代わり、敏が一緒についていてやるように」

 顔を見合わせるレツィンと敏を前に、着替えを終わらせた弦朗君は声をあげて笑った。


「さあ、今夜は楽しんでおいで。特にレツィン、今のうちに見られるものは全て見ておきなさい。瑞慶府で見たもの聞いたものは、宮廷暮らしのなかでもきっと役に立つからね」


***

注1「元宵節」…旧暦1月15日で、最初の望(満月)の日。中国では盛大に節句の行事を行う。

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