第17話 観燈

「わあ…」


 レツィンは思わず声を上げてしまった。

 都の南北をつなぐ紫霞橋しかきょうの楼にはひときわ大きな提灯が下がり、明かりが蔡河の水面に映えてきらきらと光っている。

 すでに河沿いの道には屋台や物売りが出て、そしてそれを目当てに集まってくる人々でごった返していた。赤、黄、青、紫……色とりどりの紙を貼り、技巧と美しさを競う大小の提灯のもと、都人は寒さをものとせず今日ばかりは浮かれてそぞろ歩く。


「いつもと同じ路、同じ家並みなのに、全く違って見えるのね」

「おい、あまりきょろきょろしているとはぐれるぞ」


 心配げな敏の声もレツィンの耳には入っていないようだった。二人は庶民の男女が着る常服を身にまとって毛織物の外套を被り、つかず離れずの距離で歩いていた。ぱっと見には兄妹のような雰囲気である。


 ――今日は、何もかもがきらきらしている。


 彼女が初めて瑞慶府に来たときも、色彩が鮮やかで明るく見えたが、あの処刑の場面を見てしまっただけに、何と怖いところだろうと思った。「動物ではなく人を狩る」この都では人の首が平気で斬り落とされ、将来の王宮暮らしも、「魑魅魍魎ちみもうりょうの巣に踏み込むのと同じだそうだ」と、周囲の人々が異口同音に警告してくる。


 だが、レツィンとすれ違う人達は、みな柔らかな顔つきで、この出歩きを楽しんでいるかのようだった。今夜この都は、濃きも薄きも、闇も光も全てがそろって乱反射していて、活気も人の情も感じられるのだ――。


 路の向こうに人だかりがしているので、レツィンは敏を誘って近寄ってみたが、人の輪を間近に見た途端、彼女は思わずあの日の処刑を思い出してしまっていた。


 だが、むろん今回は処刑などではなく、賑やかな音楽と人の歓声が輪の中から湧き上がっている。二人が輪の外側から首を伸ばして見ると、頭上に造花を挿し、短い裳とを履いた若い舞姫が、領巾ひれを翻しながら旋舞せんぶを披露している。


 たん、たたん。しゃらん、しゃららん。


 太鼓の音、舞姫の動きにつれて揺れる帯の金細工……気が付くとレツィンは舞いに合わせて足拍子を踏んでおり、気持ちのうずうずが止まらなくなった。

「すみません、通してくださると…」

 レツィンは外套を脱いで敏に放りなげ、するりするりと人だかりを縫って、輪の中央に躍り出た。そして、舞姫の踊りの邪魔にならぬような、即興の振り付けで舞い始める。


「これはまた、えらい舞い手が現れたもんだな」

 歓声がまた一段と高くなる。小づくりの顔をした美人の舞姫は、レツィンに頷いてにこりと笑い、新しい舞い手を迎え入れた。手拍子を打ち、何度も見事な旋回を披露しながら、レツィンは踊り続けた。こんなにも舞うのは、絶えてなかったことである。

 彼女が輪の後方に連れの姿を探すと、敏はレツィンの外套を手に、微笑みながらこちらを見ているのがわかった。


 ――あんなに優しい顔ができるのね、彼も。

 舞い終わった後、そこかしこから飛んできたおひねりを舞姫が半分差し出したが、レツィンは笑って受け取らなかった。


「上手いものだな、あんなに踊れるとは」

 敏の感心したかのような声に、レツィンは鼻の下をこすって照れた。

明徳太妃様めいとくたいひさまのところで舞って以来よ。久々だったので足はすんなりと動かず、手はぎこちなさが目立って恥ずかしいけど……でも音楽を聞くとうずうずしてしまうの」

「下手なんてことは、ないと思う」

「だったら、良かった」

 何となくほっとしたレツィンは、そこで敏の肩口をつついた。


「ねえ、久しぶりに踊ったらお腹が空いたわ、何か食べましょうよ」

「…そうするか、府に帰っても今日は夕餉ゆうげにありつけないだろうし」

「あ、でも持ち合わせは?」

 うかつなことに、レツィンは一銭も持っていない。

「残念ね、さっき一つか二つでも、おひねりを受け取っておけばよかったかも」

 だが、敏はにっと笑うと懐に手を入れ小さな巾着を取り出し、ちゃりちゃりと言わせた。

「どうしたの?それ」

「主君が持たせてくれた。それから、食事をするなら、進善橋しんぜんきょうのたもとの、肉饂飩屋にくうどんやがおすすめだそうな」

「あの方も、よくご存じね。やはり瑞慶府の次官というお立場から?」

「いや、まさか。何でも、山房を継がれる前後は、時々お忍びで出歩かれていたそうだ。屋台の類は、はっきり言って俺よりもお詳しいぞ」


 進善橋の肉饂飩屋はすぐに見つかった。その場所からはもうもうと凄まじい湯煙が上がっていたからである。

 屋台の主人は不愛想で、大きな刀で黙々と肉を捌き、麺を大鍋でひたすら茹でている。レツィンと敏は、がたがたという古ぼけた椅子に向かい合わせで腰を下ろした。すぐに麺が運ばれ、二人は箸を忙しく動かして平らげる。


 瑞慶府はラゴの邑よりも気温は高いが、春立つのは暦だけで、夜ともなるとさすがに冷えこみが厳しい。そこに温かい麺はうってつけだった。庶民の味らしく、汁は山房での食事よりもさらに塩味がきついが美味しく、敏はお代わりまでしていた。この間二人とも無言だったが、椀の底まで空になって初めて、顔を見合わせて笑った。


「旨かった」

「美味しかった」

「我が主君には、感謝申し上げないとな…」

「ねえ……本当に」


 二人には弦朗君の気持ちが痛いほどわかった。いずれ王宮という名の籠の鳥になる運命の二人に対し、須臾の間だけでも籠を忘れ、自由に飛翔させてやりたいという心遣いだった。そしてそれは、王族の運命として、得られる富貴や栄誉の代わりに籠の鳥となるしか術のない弦朗君の真情ともいえる。

「そして、私はあなたにも感謝しないと、敏。街での観燈ができたのはあなたのおかげ、本当にありがとう」

 レツィンが微笑みかけると、敏は「む…」と唸って照れ隠しのためか、やや乱暴に席を立った。

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