第28話 王命
三日後、よく眠れず眼をしょぼしょぼさせたレツィンは、弦朗君の着替えを手伝うため後房の寝室に
弦朗君はあの日以来崩さぬ硬い表情で、黙々と朝服に袖を通し、肩に若草色の、光山府の徽章をかける。いつもは朝服姿の主君を見ると我知らず胸が高鳴るのに、いまはレツィンの心を重くするだけだった。処罰か無罪放免か、今日で敏の運命が決まってしまうのだ。
着替えを済ませ、弦朗君は家令やレツィンを伴って正堂に赴いた。そしてレツィンには部屋の隅で控えるように命じ、自身は正堂に置かれた宝座に対し、北面して起立した。
レツィンはこの時になって、敏が連れて来られているのに気が付いた。顔色はひどいもので、眼からは生気が奪われていたが、髪を結い直し服もきちんとしていて、人前に出られる状態にはなっていた。彼は弦朗君のはるか後方、扉の近くに立たされている。
「お使者の御到着――!」
先触れが呼ばわると、弦朗君以下一同は跪く。レツィンも慌ててそれに倣った。紺色の官服を着た使者が、足音も高く宝座の前に南面して立ち、随従の者が差し出す箱から令書を出して広げる。
「光山弦朗君は王命を受けよ。先ごろ大逆罪人として捕らえられた趙翼の嫡長子なる敏、出仕前であることに
「光山弦朗君、王命を謹んで承りました。寛大なご処置に深く感謝申し上げます」
弦朗君は一礼し、立ち上がると令書を拝受して家令に預けた。敏は頭を垂れたまま、微動だにしない。
用件を終えた使者は無駄口を一切聞かず、復命するためさっさと光山府を後にした。彼等を送るため表門まで出て行った弦朗君は、踵を返して中庭に戻り、そこへ集まった一同を見渡した。
「…そういう次第だ。誰か、彼を厨房に連れて行って温かいものでも食べさせてやりなさい。それが終わればまた自省斎に戻すように」
レツィンは厨房で大鍋に湯をわかし、小麦粉をこねて休ませ、生地を畳むと包丁でそれを切った。ぐらぐらと沸き立つ大鍋に麺を入れ、厨房師から分けてもらった鶏がらの汁を調味し、麺とともに椀に入れる。仕上げとして麺の上に置いたのは茹でた肉と菜の漬物である。彼女は椀に匙と箸を添え、卓についている敏の前に盆を差し出した。
この間二人は無言で、敏はレツィンの方を見ようすらしなかったが、彼女は敏をじっくり観察した。眼の下の濃い隈、ここ数日でそげた頬、監禁されている間についたであろう手首の縄目のあと――。
敏はのろのろと箸を取り、麺をすすった。時間をかけて噛み、喉がごくりと鳴る。一瞬遅れて、彼ははじめて眼を上げた。
「この味――」
レツィンは無理にほほ笑んだ。
「覚えている?味を似せて作ってみたけれども、あの屋台には及びもつかないわね、ほら、進善橋のたもとの店」
つられて、敏も微笑した。
「でも、旨い」
匙と箸が交互に動く。レツィンは安堵した気持ちで、ものを食べるひとを見守った。だが、途中で箸が止まり、敏の頭が前に落ちた。
「――敏?」
その肩が小刻みに震え、すすり泣く声が漏れた。箸を握りしめる手が白くなっている。
レツィンは声をかけるのもためらわれ、席を外すと厨房を出た。外は曇天で、鳥の声も鈍く感じる。空を仰ぎ見るレツィンの眼から涙が一筋、流れ出て消えた。
***
注1「伺候」…貴人の側近くに仕えること。また、貴人のご機嫌伺いに参上すること。
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