第7話 馬上の使者

 邸の門を飛び出したのはいいが、すぐにレツィンははっと気が付いて馬の速度を落とした。彼女は左の脇にはこを抱え、右手だけで手綱を操っていた。ここはラゴの野山ではない。人が大勢往来している都の道で、もし同じように疾走すればだれかを蹄にひっかけてしまいそうである。


 それにしても、先ほどから、人々がみな奇異な目で自分を見る。そういえば、瑞慶府にも馬に乗る者はいるが、みな官服を着た殿方ばかりである。おまけにレツィンは、さきほど夢中で飛び乗った馬が、主君の乗馬である「白峰はくほう」だと気がつき、さすがにうろたえた。


「ええと、南街なんがいはどちらだろう…」

 瑞慶宮ずいけいきゅうを起点に都の南北を貫く大路に出たレツィンは、とりあえずその辺りの通行人に聞いてみることにした。

「もし、そこのお方。馬上からものをおたずねして恐縮ですが、南街の炎山府えんざんふはどこですか?」

 呼び止められた、市から帰るらしき高齢の青菜売りは、あんぐりと口を開けてレツィンを見上げた。

「こりゃ驚いた…どこぞのお嬢さんが馬に乗ってるとは。あんた、烏翠うすいの人かい?」

「いいえ、ラゴ族です。いまはこの国で侍女としてお仕えしてますけれども」

 男はああ、と得心した様子だった。

「それにしても、長生きはするもんだ。あの喧嘩っぱやいラゴ族が侍女になっていて、しかも堂々と立派な馬に乗り、都大路を闊歩かっぽするとは。…いや、南街はここの大路をおてんとうさまの方角に行って二つ目の横路を入ったところにある。あんた、どこのお邸の侍女だか知らぬが、粗相のないようにな」


 弦朗君の従兄が当主となっている炎山府では、侍女姿の少女が立派な馬で門前に乗り付け、光山府の使者を名乗ったのでひと悶着が起こったが、割符と函を検分ののち、ようやく正堂に通してくれた。


 その炎山府の鳴海君めいかいくんは弦朗君よりも十は年上で、精悍な顔つきと堂々とした風格は、まるで王者のようだった。彼は宝座にくつろいだ姿勢で座り、従弟からの書状を繰りながら、レツィンを値踏みするように見た。

「そなたが一人で?随分と光山もふざけた真似をしてくれるな、しかも馬で乗りつけてくるとは」

 きつい言葉とは裏腹に、当主は面白がっているようだった。

「あの…我が主君の名誉のために申し上げますが、私が勝手に致したことです」

 怒りで我を忘れたとはいえ、いまさらながら自分の無謀さに気がつき、御前に跪いたレツィンは、萎れた花のようだった。

「ふふふ、勇気があるといおうか、蛮勇といおうか……帰ったらさぞかし怒られるぞ。もっとも、あのぽかんとした顔の従弟あいつが怒っても迫力はないだろうが…」

 レツィンは、主君を悪しざまに言われたのでむっとした。

「ほらほら、そうぶんむくれるな。いずれ宮仕えの身になるなら、表情をやすやすと外に出すものじゃない。……そなたはあれだろう?光山府に入ったラゴ族の姫だろう。噂には聞いているよ。まったく、こんな人騒がせな調子でそなたが入宮したら、半月で瑞慶宮は土台から壊されてしまうだろう」

 レツィンは恐縮したが、鳴海君の発した次の言葉は聞き漏らしてしまっていた。


「…まあ、いっそのこと廃墟になってしまったほうが連中のためだ、あそこは」


 ぽくりぽくりと、蹄の音を背後に聞く。右手に返書の入った函を持ち、レツィンは馬を引いて光山府に帰った。左手の手綱はじっとりと湿り、自分で自分の犯した過ちに責められ続ける。


 帰邸するとまず家令にはこっぴどく怒られ、うまやの世話人にはどやされ、トルグには延々と説教されてから正堂に放り込まれた。

 恐る恐る割符を返し、返書の函を差し出したレツィンに対し弦朗君は何も言わず、まず書簡に目を通す。それから立ち上がってレツィンを見据えた。口元には笑みが浮かんでいたが、目は笑っていない。


「…まず、私は『二人で』と言ったはずだよ。敏があれこれ言って聞かなかったが、私がその命を撤回しなかった以上は、『二人で』と言われたら、必ず『二人で』行かなくてはならない。それに、使いには使いの作法がある。市場に使いに出され、茄子や鶏を買ってくるのとは訳が違う。炎山府では事情を汲んでくれたから大事には至らなかったが、それは運が良かっただけのこと。悪くすれば、今頃そなたの首と胴は真っ二つだ」

「…申し訳ありません」

「それに、都でやたらに馬を走らせてはならない。しかもうちの侍女の服だと気が付いた者が瑞慶府に通報したので、先ほど府から照会の使いが来たところだ。まあ何とか言い繕って帰したが――まさかこの瑞慶府少尹ずいけいふしょういんたる私が、身内の『不始末』で当の府から照会を受けるとはね」

「……」

 ますます縮こまったレツィンを見て、主君の眼が和らいだ。

「想定外のことも起こったが、これで少しは分かったね」

「はい」

 レツィンは小さな声で同意し、そしてもう一つ、気になっていたことを口に出した。


「主君、あの人は…」


「ああ、敏か。彼はもっと厳しく叱責しておいた。彼の、君に対する態度は感心しないし、あの時の食い下がり方も尋常ではなかったからね。働く場所では、常に自分と上手くやっていける人間ばかりとは限らない。助けてくれて、尊敬もできる上司や同輩も確かにいるが、罠をしかけて相手が転ぶのを待っている者もいる。だから今のうちにあの悪癖を直しておかないと、出仕したのちに障りとなる。これは何も敏に限ったことではなく、レツィンも同じだよ……この答えで納得するかい?」

「はい、よくわかりました」

「それから、可哀そうだけれども、今後は私の命がなければ馬に乗ってはいけないよ」

「…はい」

 それは辛い約束だが、主君の側からすれば当然のことなので、レツィンは従わざるを得なかった。

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