第7話 馬上の使者
邸の門を飛び出したのはいいが、すぐにレツィンははっと気が付いて馬の速度を落とした。彼女は左の脇に
それにしても、先ほどから、人々がみな奇異な目で自分を見る。そういえば、瑞慶府にも馬に乗る者はいるが、みな官服を着た殿方ばかりである。おまけにレツィンは、さきほど夢中で飛び乗った馬が、主君の乗馬である「
「ええと、
「もし、そこのお方。馬上からものをおたずねして恐縮ですが、南街の
呼び止められた、市から帰るらしき高齢の青菜売りは、あんぐりと口を開けてレツィンを見上げた。
「こりゃ驚いた…どこぞのお嬢さんが馬に乗ってるとは。あんた、
「いいえ、ラゴ族です。いまはこの国で侍女としてお仕えしてますけれども」
男はああ、と得心した様子だった。
「それにしても、長生きはするもんだ。あの喧嘩っぱやいラゴ族が侍女になっていて、しかも堂々と立派な馬に乗り、都大路を
弦朗君の従兄が当主となっている炎山府では、侍女姿の少女が立派な馬で門前に乗り付け、光山府の使者を名乗ったのでひと悶着が起こったが、割符と函を検分ののち、ようやく正堂に通してくれた。
その炎山府の
「そなたが一人で?随分と光山もふざけた真似をしてくれるな、しかも馬で乗りつけてくるとは」
きつい言葉とは裏腹に、当主は面白がっているようだった。
「あの…我が主君の名誉のために申し上げますが、私が勝手に致したことです」
怒りで我を忘れたとはいえ、いまさらながら自分の無謀さに気がつき、御前に跪いたレツィンは、萎れた花のようだった。
「ふふふ、勇気があるといおうか、蛮勇といおうか……帰ったらさぞかし怒られるぞ。もっとも、あのぽかんとした顔の
レツィンは、主君を悪しざまに言われたのでむっとした。
「ほらほら、そうぶんむくれるな。いずれ宮仕えの身になるなら、表情をやすやすと外に出すものじゃない。……そなたはあれだろう?光山府に入ったラゴ族の姫だろう。噂には聞いているよ。まったく、こんな人騒がせな調子でそなたが入宮したら、半月で瑞慶宮は土台から壊されてしまうだろう」
レツィンは恐縮したが、鳴海君の発した次の言葉は聞き漏らしてしまっていた。
「…まあ、いっそのこと廃墟になってしまったほうが連中のためだ、あそこは」
ぽくりぽくりと、蹄の音を背後に聞く。右手に返書の入った函を持ち、レツィンは馬を引いて光山府に帰った。左手の手綱はじっとりと湿り、自分で自分の犯した過ちに責められ続ける。
帰邸するとまず家令にはこっぴどく怒られ、
恐る恐る割符を返し、返書の函を差し出したレツィンに対し弦朗君は何も言わず、まず書簡に目を通す。それから立ち上がってレツィンを見据えた。口元には笑みが浮かんでいたが、目は笑っていない。
「…まず、私は『二人で』と言ったはずだよ。敏があれこれ言って聞かなかったが、私がその命を撤回しなかった以上は、『二人で』と言われたら、必ず『二人で』行かなくてはならない。それに、使いには使いの作法がある。市場に使いに出され、茄子や鶏を買ってくるのとは訳が違う。炎山府では事情を汲んでくれたから大事には至らなかったが、それは運が良かっただけのこと。悪くすれば、今頃そなたの首と胴は真っ二つだ」
「…申し訳ありません」
「それに、都でやたらに馬を走らせてはならない。しかもうちの侍女の服だと気が付いた者が瑞慶府に通報したので、先ほど府から照会の使いが来たところだ。まあ何とか言い繕って帰したが――まさかこの
「……」
ますます縮こまったレツィンを見て、主君の眼が和らいだ。
「想定外のことも起こったが、これで少しは分かったね」
「はい」
レツィンは小さな声で同意し、そしてもう一つ、気になっていたことを口に出した。
「主君、あの人は…」
「ああ、敏か。彼はもっと厳しく叱責しておいた。彼の、君に対する態度は感心しないし、あの時の食い下がり方も尋常ではなかったからね。働く場所では、常に自分と上手くやっていける人間ばかりとは限らない。助けてくれて、尊敬もできる上司や同輩も確かにいるが、罠をしかけて相手が転ぶのを待っている者もいる。だから今のうちにあの悪癖を直しておかないと、出仕したのちに障りとなる。これは何も敏に限ったことではなく、レツィンも同じだよ……この答えで納得するかい?」
「はい、よくわかりました」
「それから、可哀そうだけれども、今後は私の命がなければ馬に乗ってはいけないよ」
「…はい」
それは辛い約束だが、主君の側からすれば当然のことなので、レツィンは従わざるを得なかった。
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