第23話 色彩の河
「それにしても、承徳の家って大した権勢ね」
虫干しをする衣服を
「だってそうでしょう?主君が預かる羽目になることをわかっていながら、かりにも息子の帰宅を拒否するなんて。どんな名家だか知らないし、主君と柳家は遠戚だと伺っているけど、普通はもっと王族には遠慮しているものでは?」
「柳家は歴代、五人の王妃を出している名門だからね……お高く止まっているので有名だよ」
風通しの良い
「あれは?」
ああ、とレツィンは笑った。
「今日は主君のお母さまのご体調がよろしいので、虫干しをご覧いただこうかと思って。衣装のなかにはお母さまのものがいくつもあるから」
油紙にくるまれ大切に保管されてきた、格式の高い光山夫人の
レツィンは光山夫人の介添えをして、廂の下に座らせると、自身は夫人のため心を込めて菊花茶を入れ、麦粉の打ち菓子を添えた。
彼女がことあるごとに夫人の世話を焼くのは、敏との撃ち合いで彼女の心の平静を乱してしまった、そのせめてもの償いのつもりだった。
「まあ、……綺麗ねえ」
夫人は眼を細めて、毛氈の上で繰り広げられる布の競演に見入った。あのときの狂乱とは打って変わり、上品でもの静かな女性である。おそらくこの姿が、本来の彼女なのであろう。その様子を見て、敏がくすくすと笑う。
「何?」
しかめ面をしてつかつかと近寄ってきたレツィンに、敏は耳打ちをした。彼の息が、彼女の耳をくすぐる。
「恐れ多いことながら、母君とレツィンは
――母さん。
レツィンは口のなかでその響きを確かめた。彼女が物心ついたとき、父はすでにこの世にいなかった。母も一昨年に亡くなり、以来レツィンは
こうして、レツィンは夫人とひと時和やかな会話を楽しんだのち、また夫人の寝室に介添えして送っていった。虫干しの場所に戻ってくると、中庭に面した敏の部屋の戸が開き、承徳が大欠伸をしながら出てきた。
「ふああ……おはよう」
今日も目の覚めるような若草色の常服を着崩し、中庭に降り眼をこすっている柳家の御曹司。そののしどけない姿にレツィンは吹き出し、いっぽう敏は渋い顔をした。
「おはよう、どころではない。いま何刻だと思っている」
承徳は
「寝すぎで首の角度が間違っているのでなければ、いまは巳刻というところかな」
そう言って、肩や腕をぽきぽきと慣らす。
「それにしても敏、お前の寝台はひどい寝心地だな。硬いわ、狭苦しいわ……よくあんなものの上で毎日寝ていられる」
「その硬くて狭苦しい寝台を占領して、部屋の主を冷たい床に寝かせたあげく、大鼾をかいて一晩中うるさかったのはどこの誰だ。……もう昨日で謹慎も解けて明日から職務に復帰するのだから、いい加減お前の家に帰れ、迷惑な…」
敏の小言をまるで聞いていない承徳は衣装の虫干しに気が付き、庭から殿舎の上に駆け上がった。とろんとした眼が一転、まるで子どもが玩具を見つけたように興味しんしん、一枚いちまい、布地に鼻先をつけんばかりに観て回る。
「ふうん、さすが王族の衣装は違うなあ。うちも着道楽の家族が何人もいるけれども、こちらのものは織りといい染めといい、格が一つ上だ……この鴛鴦の刺繍なんか名人のなかの名人、今は誰もこう精緻にはできないぞ。それに、へりの折り返しなんか綺麗に始末してあって…」
敏は慣れているのか何も言わないが、レツィンは眼をしばたたいた。
「何でそんなに詳しいの?まるで王宮のお針子みたいよ」
「まあね……、おや、ここにほつれがある」
承徳はつぶやくや否や、レツィンが側に出して置いた針箱を素早く引き寄せ、針と糸をもって修繕にかかる。
「ちょっと、勝手な真似を…」
大切な衣を傷つけたら大変とばかり、レツィンが止めようとするが、なぜか敏は笑って見守るばかりである。
承徳の眼がいつになく真剣となる。両手が忙しく、だが優美に動き、ほつれをあっという間にかがってしまった。
「…驚いた」
眼を見張るレツィンに、承徳は得意満面である。
「どうだ、きちんと直っただろう…ああ、こういうものも作れる」
懐から取り出したのは小さな毬で、白地に五色の糸でかがってあり、職人が作ったといっても通るほどの出来栄えである。
「綺麗ねえ。……これ、承徳が作ったの?まさか」
「毬でも服でも何でも、針と糸で作れるものだったら得意だよ。そうだ、今度、ラゴの服を見せておくれよ。どんな材料や縫い方をしているのか知りたいんだ」
そういえば、承徳の私服はいつも華やかで、そして時々奇抜だったが、全て彼の自作だったのかとレツィンは合点した。
「見せるのは構わないけれども……そういえば敏の服は?縫ってあげたことはあるの?」
承徳とは対照的に、敏の常服はいつも黒か紺の地味なものだった。
「ああ、縫ってやってもいいんだが、彼は嫌がるんだよ」
「金輪際ご免蒙るね。そんな浮ついた色の浮ついた服なんか着たら、お前のように浮ついた人間になってしまう」
「ほらな?……レツィン、もし気に入ったのならその毬はやるよ」
「本当?嬉しい。ありがとう」
レツィンは毬を抱いてご満悦となった。
「それにしても、どこでこんな特技を?」
「俺、母上とお部屋様つまり側室のお腹で、全部で五人の姉と六人の妹がいるんだ。特に妹達と遊んでやって、こういうものを作ったり、見せてやったりすると喜ぶんだよ、ほら」
レツィンが「きゃっ」と叫ぶのもかまわず、承徳は彼女の前で上衣を脱いだ。だが下にはもう一枚、赤と緑も派手派手しい道化の衣装を着こんでいる。
「こうしておくと、いつ妹達にせがまれても相手できるのさ」
「なるほど…、そういうことには熱心なのね」
「さあさあ、おいたをする子は俺様が天帝様に言いつけちゃうぞ、天帝様の宮殿に行けなければ、天子様に言いつけちゃうぞ、天子様の宮殿に行けなければ、王様に言いつけちゃうぞ…」
柳家の若様は調子はずれの歌をがなり立て、身体を伸び縮みさせながら踊って見せた。敏もレツィンも笑い転げたが、後者はすぐに我に返り、おごそかな顔で託宣のごとく断言した。
「…承徳がどうして実家からはみ出し者扱いされているのか、よくわかったわ」
そして、踊り飽きた承徳が「腹が空いた」と厨房に行くのを見送りながら、承徳がレツィンにつぶやいた。
「あいつ、どうやら燕君のことで落ち込み過ぎて、一周してしまったようだな」
***
注1「補服」…官位を表す刺繍(補)の付いた服。
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