第14話 二人の使者

 光山府こうざんふ瑞慶宮ずいけいきゅうの東側で、二人が御用を言いつかった柳柴栄りゅうさいえいなる高官の邸は反対の西側にあり、レツィンは見舞いの品が入った包みを持ち、書簡の函を手にした敏の後について歩いていた。二人はどちらも口をきかず、黙々と歩みを進めていたが、左手に蔡河さいがを望み、龍鳳大路りゅうほうだいろを越えたあたりで、レツィンは遠慮しいしい声をかけた。


「あの…」


 振り返った敏はいつものような嫌悪感は見せなかったが、そもそも表情というものがなかった。その代わり、レツィンの眼には首の包帯が痛々しく、自分を咎めているように見えた。


「何だ?」

「…昨日は本当にごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはなかったの」


 そして立ち止まり、深く頭を下げた。敏はしばらく何も言わず、こちらを見下ろしている。


「…先に喧嘩を売り、そなたと一族を侮辱したのはこちらだ。今では愚かなことをした、と悔いている」


 意外な言葉にレツィンは眼を見開いた。

「――本当に?」

 敏は深く頷いた。

「なぜあんなに頑なだったのか、自分でもわからない。私がそなたの立場であれば、きっと同じことをしたであろう。――こちらこそ、すまない」

 彼の言葉はぶっきら棒ではあったが、真情がこもっているようにレツィンは思った。いや、そう思いたかった。

「しかも謝るのでさえ、私はそなたに先を越されてしまった。役にも立たぬ意地ばかり張って、本当に、我ながら情けないな」

「そんなこと…」

 これは、和解というものだろうか。でも、もし和解が生まれればもっと気分が落ち着くかと思ったのに、いざそうなってみると、ぎこちなく、心穏やかではない。

 敏も同じ気持ちなのか、「さあ、早く行かなければ」とつぶやき、またさっさと歩きだした。


 そのあくる朝、レツィンはふらふらしながら厨房で朝の茶の支度をしていた。

「…空いた」

 さっきからひっきりなしに腹の虫が鳴っている。それもそのはずで、使いから帰った敏とレツィンはともに昼食から一日分の食事抜きを命じられたからである。

 それでもトルグが言うには、伝来の家法では「主命に背いたものは鞭打ちのうえ、自省斎じせいさいと称する部屋に監禁」との決まりを、弦朗君が特に軽減したもので、鞭打ちは免除となり、しかも水を飲むことも許可されたという。


 ――今日の夜になるまで何も食べられないなんて。


 痛い思いをせずに済んだのと水が飲めるのは有難いが、あと半日以上はこの状態かと思うと、レツィンは倒れそうだった。

 そこへ中庭のほうで力のない足取りが聞こえたかと思うと、同じ罰を受けた相手が現れ、井戸端でごくごくと水を飲んだ。それは、先ほどレツィンがしたのとまったく同じ動作だった。口を手で拭って顔を上げた敏は、レツィンと眼が合った。

「…おはよう」

「おはよう」

 挨拶を交わしたものの互いにぎくしゃくしていて、レツィンがはにかんだ様子を見せると、敏も口元に微笑を浮かべた。

「腹、減ったな」

「うん、空いた」

「水ばかり飲んでいるが、水腹みずばらもいいところだ」

「私も同じ…気持ち悪くてたまらない」

 レツィンにも、まるで身体が一つの溜め池のように感じられる。


「あれ、食べられないかな?」

 敏の指さす方角を見ると、邸で飼われている白毛の番犬が寝そべりながら骨をかじっている。だが犬は身に迫る危険を感じたのか、二人に向かってしきりに吠え出した。レツィンは顔をしかめた。

「『雪松せっしょう』をばらすことくらいは私でもできるわよ、やれといわれればね。その肉で鍋を作ることも」

 敏は目を瞠った。

「とても女子とは思えぬことを言う」

 レツィンの眉間の皺が一層深くなる。

「好きでこんなことを言っているとでも?烏翠でも飢えは起きると思うけど、ラゴはそれよりも頻繁で……。小麦の粉も肉も尽き、私の可愛がっていた飼い犬が連れていかれた日のことは、いまでも忘れられないわ。それはともかく、今は雪松を何とかしようなんて、やめておいたほうがいいのでは?私も嫌よ。第一、よくそのようなこと言えるわね。あなたは私以上に雪松を可愛がっていたじゃない」

「…それもそうだな」

 敏は後頭部を掻いた。どうやら、彼はレツィン以上に腹を空かせているらしい。

「もう、何もかもが食い物に見えて仕方がない。池の鴨を見ると、頭から齧りつきたくなる」


 ――多少は身体が弱いといっても、やはり男子は男子ね。


 レツィンは可笑しくなり、また安堵の息を漏らした。

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