第41話 黄龍の剣、鳳凰の舞

 迷いに迷ったあげく、レツィンは意を決し、肉切り用の短刀を手に殿上から跳んだ。そして、周囲の悲鳴もかまわず殿庭の中央に飛び込むと、悪役の剣を薙ぎ払う。他の俳優達は一瞬面喰ったようであるが、すぐに班首――座長と思しき男が即興で歌をつづけた。


「さあ、ご用心めされ、明徳太妃様のいと高き徳に感じ入った烏神うしん眷属けんぞくが、こうして加勢に駆けつけました!」


 レツィンは主役を助けて悪役と撃ち合い、牽制するのに懸命だった。何しろ自分は短刀を得物にしているので、剣を遣う残り二人とは間合いが合わせにくい。おまけに、主役の俳優はさして技量がないが、悪役はがつん、と刃と合わせてきた。そして、白い顔をレツィンに近づけごく小さな声で囁く。


「なぜ邪魔をする」

 ――それは、想像していた通りの人物の声だった。

「あなたこそ、なぜこんな真似を?」

 二人はぱっと飛び離れて呼吸を整える。ちょうど良い時に、じゃあん、と銅鑼が打ち鳴らされる。


 レツィンは足を踏みしめ踏みしめ、踊るように敏と戦った。あくまで剣舞に見せかけなければならなかったが、それは非常に骨の折れる仕事だった。

 ――彼に王を殺させてはならない。敏を死なせてはならない。

 彼女が敏と刃を合わせるのは、ただその一心だった。平素ならば敏より自分のほうが技量は上だが、死に物狂いの人間の力を侮ってはならないことを、レツィンはよく知っていた。


 どうしても彼女の防壁を突破できない敏は、諦めたのかやがて剣を引き、それを後方に放り投げ、降参の型を取る。主役は、主役の恋人役である女形とともに舞台の中央に進み出た。


「…かくて烏神のお導きをもって、悪はついえ、善が栄える絢爛けんらんたる御代みよになりにけり。桃下とうかにて春女しゅんじょは才子と結ばれ、鴛鴦えんおう蔡河さいがに羽を休め、黄龍は朝陽を掴んで昇り、鳳凰は夕陽をくわえてやすむ。さてもめでたきかな美しきかな、福寿に恵まるることたぐいなき御方に、拙い曲をお目にかけ申しました…」


 曲が終わるや否や、公主はことさらに大きな声で

「さても見事な一曲なり、この者達に褒美を取らせよ!」

 と叫び、御前に控えていた女官達が手に持った籠から、銀や菓子の入ったおひねりを雨あられのように降らせる。そこでレツィンはやっと緊張を解き、のろのろと動いて隅に退いた。


「…お母様、いかがでしたか?珍しい趣向、お気に召しましたか?」

 太妃は、娘に覗き込まれ、一瞬返事が遅れた。

「…ええ、確かに……大したもの」

 それを聞いて王はふん、と鼻をならした。

「伯母上、悪ふざけが過ぎますぞ。太妃様の女官まで抱き込んで、危なっかしい剣戟をお目にかけるなど」

 公主は眉を上げた。

「でも迫力がありましたでしょう?街では最近、このように激しく現実に起こっているかような剣戟のある曲が、大変な人気なのですよ」

 同席していた弦朗君も微笑んで言葉を添えた。

「まあ、私も胸をどきどきさせながら拝見致しましたよ。公主様は、いつもこうして人を驚かせることがお好きですね」

 太妃も相槌を打ったがどこか上の空だった。

「ええ……本当に、海星かいせいをいつの間に引き込んだのか…」

「ふふ、母上から彼女の剣舞のことを聞いたことがあるので、思いついたのですよ」


 むろん、レツィンには初めて聞く話ばかりだったが、毛筋ほども否定のいろを見せず、御前に進み出て拝跪すると、ただこれだけを啓上した。


「王の宸襟しんきんを騒がせたてまつり、まことに恐縮でございます」


 安陽公主は声高らかに笑い、手を打って戯班を下がらせた。立ち上がったレツィンは殿庭を後にする敏と一瞬目が合ったが、彼はふっと視線を泳がせた。



 宴がお開きになって王が便殿に還御したのち、宝座にくつろいだ明徳太妃は女官達を並ばせ、にこやかにこう述べた。


「ほんに、今日は楽しいこと、驚くことばかりで、長生きするのも悪くないとつくづく思いました。そなた達も準備や片付けで疲れたろう。今晩は安陽公主も我が殿に泊まるというので、彼女の床を私の寝室に取って、な。久しぶりに母娘水入らずの語らいを楽しみたいゆえ、宿直は海星に任せ、他は下がって休みなさい」

 そこで一同は太妃に就寝の拝礼を行い、めいめいほっとした表情で散開していった。


 実のところ、レツィンは先ほどの剣舞で全ての気力と体力を使い果たしてしまい、一刻も早く寝台に倒れ込みたかったので、宿直の命令には落胆したが、まさか拒否もできない。

 レツィンが自室に剣を取りに戻る間に、太妃と公主の就寝の支度が整った。彼女達が寝室に入るのを見届けてから、レツィンは任務を果たすべく回廊に出たが、扉から半身を覗かせた太妃が彼女を鋭い声で呼び止め、部屋に招じ入れた。


 見ると、太妃は今までレツィンが見たことのない、極めて厳しい顔つきである。彼女は娘を床に座らせ、自身は寝台に腰かけたが、その異様な光景に、レツィンは眼を丸くした。


「安陽――正直に答えなさい。さっきのあれは何じゃ?誰の差し金であのようなことを?」

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