第38話 明徳殿の女官
秋風に乗って、
「
弦朗君は額をかいた。
「いえ、この子のもともと持っていた資質ですよ。それに、私がぼうっとしているうちに、我が府の者達が寄ってたかって育て上げてしまった次第で…」
笑みをこらえ澄ました顔で侍立しているレツィンに、弦朗君は声をかけた。かつての主君の瞳には、
「もうすっかり海星も『女官顔』になったね」
「?……女官顔ですか?何のことでしょう」
「そう、権高くて、つんとした顔つきのことを『女官顔』というのさ」
「まあ、弦朗君様!」
レツィンの怒った声に、柳眉を逆立てた他の女官達の抗議も重なる。
「ははは、昔のレツィンに戻った」
レツィンは照れながらも、この人に対する叶わぬ想いを思い出していた。女官の名を賜ったことでその恋は終わりを告げ、いまは懐かしく、暖かな思い出となっている。
「そうだ。何時だったか、海星に絵を描いてあげる約束をしていたね…どれ、今日は
――はて、絵の約束などしたかしら?
レツィンは首を
「さあ、何を描こうか…
かつての主従で積もる話もあろうから――。
太妃のそんな配慮でレツィン一人を脇に侍らせ、弦朗君はうきうきした口調で、流れるように次々と動植物や妖怪の絵を仕上げていく。レツィンは元の主君の優しさと絵の変わらぬ技量に感心すると同時に、そのいささか突飛とも思える言動には疑念を抱かざるを得なかった。
「さあどうしよう、『
傍らのレツィンに話しかけながら、弦朗君の右手は忙しく動き、いっぽう左手はさっと絵の上に一枚の小さな紙を置く。それには、あらかじめ何かが走り書きされていた。不思議に思い、レツィンは覗き込む。
〔――敏の姿が消えた〕
それはまさしく弦朗君の
〔密かに探させているが
そしてやおら大きな声で、
「やれやれ、描き損じがこんなに出てしまった。すまないが、手桶に火を起こしてきてくれるかい?」
レツィンが急いで炭の熾った手桶を持って戻ると、弦朗君は「これは駄目」「あれも上手く書けていない」と言いながら、走り書きを巧妙に混ぜて燃やし、レツィンのための数枚を除き全て灰になるのを見届けたのち、そしらぬ顔でぱっと席を立った。
***
注1「四君子」…蘭・竹・梅・菊の四種。君子の特性に喩えてこのように呼ぶ。
注2「帝江」「魁星」…ともに空想の産物で、「帝江」は顏なし・四つ足に翼を持つ妖怪、「魁星」は北斗星の第一星で、神格化して科挙合格の神として崇拝された。
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