第39話 月のみぞ知る

 戸口に人影が差したかとおもうと、次の瞬間には、「どさり」という音とともに、首と胸を射抜かれた雉が二羽、そして血抜きを済ませた鹿が一頭、土間に転がっていた。


「…飯」

 無愛想に一言だけいい、籠手を外しながら入ってきたのは兄のサウレリである。

 かまどの焚口で火の勢いを調節していたレツィンは立ち上がり、今日の夕餉ゆうげに化けるであろう鳥獣たちを一瞥した。包丁を一度置き、青菜――ラゴでは貴重な野菜だった――を籠から出す。

「戦果は十分だったようね。今日はトゥルイの伯母さんも、エニシの叔父さんも来てくれたから、にぎやかよ」

 兄は眉を上げたが返事をせず、そのまま台所の隅の桶から水を汲んで手を洗い、指の股から獣臭さを引きはがそうとしている。

「…明日は早くに発って瑞慶府まで行くのだから、お前が食事など作ることないのに」

 レツィンはにこりとした。

「ここでの最後の夕餉になるので、私はラゴの味を忘れないようにしなければならないし、兄さんにも私の料理の味――つまり、母さんの味を覚えていてほしいしね。とにかく、兄さんは早く皆さんのお相手をしないと。ほら行って、行って」

 兄を土間から追い出したレツィンは、もう一度「さあ」と言って腕まくりをし直し、調理の続きをするべく包丁を持って振り返った。その瞬間、

「きゃあっ」

 彼女は悲鳴を上げた。鹿かと思っていた獣は、鹿ではなかった。首のない人間の屍体―――それでもレツィンは恐る恐る近寄ってみると、血まみれの右手に光るものが半開きの拳のなかに納まっているのがわかった。それは大粒で、レツィンもみたことのある掌のなかの海、すなわち彼のくれた真珠だった。


 ――敏!


 自分の悲鳴に驚き、飛び起きたレツィンは、はあはあと息をついた。


 ――夢?夢!?ああ、夢なんだ。


 部屋は薄暗く、窓が月明りでぼんやりとしている。身体をそこかしこ触ってみると、額も、首筋も汗でしとどに濡れている。よほど大きな声を上げたのだろうか。王宮では個室をあてがわれていることにレツィンは感謝した。

 ――なんで、こんな夢を。

 行方不明となった敏のことを気にしているからだろうか。考えるまい、決して悪いほうへと考えるまい、としても無理だった。「悪夢をときどき見る」とは、弦朗君がかつてレツィンに語って聞かせたことである。そのときは主君の言葉の意味がよく掴めなかったが、いまなら多少なりともわかる気がした。瑞慶宮に入ってから、嫌な夢ばかりを見る――。

「…私をこんなに心配させて」

 ――なぜ、彼は行方不明になったのだろう。せめて、生きて無事にいてほしいけれども。

 レツィンは、銀の笛とともに胸から下がっている小さな巾着を握りしめた。その中には、あの真珠が入っている。彼女は窓を開けて跪き、おそらく彼の居場所を知っているであろう月に向かって、しばし祈りをささげた。

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