第43話 清算
三日後、弦朗君が参内して明徳殿に赴き、太妃へ賀宴の御礼言上を済ませるとともに、女官達への
さえずる鳥のように女官達が喜ぶ様子に目を細め、彼はレツィンにも小さな毬を差し出した。
「実は全て承徳の手になるものだが、何でもこれは会心の出来で、ぜひ君にもらってほしいそうだ」
レツィンは礼を申し上げてそれを袖に入れ、茶の支度をすべく御前を下がった。
その夜。
着替える前にレツィンは弦朗君から拝領した新たな毬を眺めていた。紫、橙、桃色の糸の渦――相も変わらず美しく、そして見る者の気分を楽しくさせる毬を承徳は作る。だが、何か――何かが気になる。
彼女は卓上の明かりをつけ、壁にかけておいた剣を手に取り、鞘を払う。そして、左手の毬を「やっ!」と上に投げ上げ、落ちてきたところをすっぱりと薙ぎ払った。毬は見事に真っ二つとなり、床に転がった。拾い上げると、思った通り、中には折りたたまれた紙が入っていた。
広げるのももどかしく、彼女は明かりを引き寄せてその紙切れを読んだ。それとわからぬように筆跡を微妙に変えているが、弦朗君のものに間違いない。
「数日中に狩りが始まる雲行きなれば、自身の進退を決めるべし。その結果、もし獲物となる道を選ぶのであれば、それも良し。いずれにせよ、巳の日、巳の刻に折れたる楓の樹のもとへ。ただし、狩りでは私も
ことが白日のもとに晒され、敏が国君弑逆未遂の下手人と露見するのも時間の問題らしく、手紙は敏を逃がす手助けをするか否かを問うていたが、レツィンの心はとうに決まっていた。しかし気がかりは、果たして期限の時刻まで出宮できるか否か、一刻の猶予も許されないのに――。
だが、その心配は杞憂だった。太妃が、毬と菓子の礼を述べるために光山府へ遣わす使者として、レツィンを指名したのである。そして口上を覚えさせ、割符を渡した太妃は、レツィンに思わせぶりな視線を投げてよこした。
「久しぶりに、古巣も悪くなかろう?ついでに、少々帰りが遅くなってもかまわぬゆえ、孫の近況を詳らかに尋ねて参れ」
巳の日、巳の刻になんなんとするころ、宮中からの使者として来府したレツィンは、笑いを嚙み殺して居並ぶかつての同輩や先輩たちを前にして、権高い女官がするように、やや大仰な歩き方をしてみせ、いつか自分も目撃したごとく、正堂で南面して立ち、北面する弦朗君相手に、何度かつかえながらも長い口上を述べおおせた。
「…ということで、太妃様が光山様の近況をお知りになりたいそうですが」
第一の目的が終わり、正堂の客間に案内され茶を喫したレツィンは、おもむろに切り出した。相手は眉を上げ、起立して恭しく一礼する。
「光山弦朗君、太妃様のご命令に従い近況をお知らせいたしますが……百聞は一見にしかず、ですな。実はお見せしたいものがございます、お使者にはどうかご足労願いたく…」
レツィンが案内されたのは、懐かしい「自省斎」であった。そこからは、折れた楓の立つ中庭も見えた。
「これが近況でございます」
そう弦朗君は言って、彼女を部屋に招じ入れた。隅に、人の影がうずくまっている。気配を感じたのか、それは顔を上げた。
「――敏」
「レツィン…」
驚きのあまり、レツィンは弦朗君を振り向いた。かつての主君は、それに応えて自身の頬をぽりぽりと掻いた。
「実は、伯母上が『かつて彼はここの見習いだったから、都合よかろう』と預けていかれてしまったのだ。全く困った御方だ」
「では、主君は全てのご事情を…」
「いや、私は『何も知らない』んだ」
そう言って、弦朗君は微笑んだ。
「まあ、いまは公主のお邸のほうが危ないから、これで正解なんだが。それはともかく…」
弦朗君はレツィンの手を取る。その手はいつものように温かかった。彼はレツィンの掌のなかに、何かを握らせる。
「これは――」
小さく折りたたまれた、一枚の紙。
「あの時は王を救ってくれてありがとう。これで私の預かった
敏は複雑な表情をしていたが、元の主君はかまわずに続けた。
「レツィン、そんな不安そうな顔をしなくてよろしい。君が王のお命と国運の盛衰について、あのときした選択の是非を案ずる必要はないよ。むしろ、そなたに心の重荷を負わせたのだから、詫びるべきは私たちだ。本来、私たちが自身で何とかすべき問題だった筈だから」
「主君…」
レツィンは両の掌を合わせて籤を挟み、眼を潤ませた。
「それと、実は敏がここを出て縛につき、命を投げ出すつもりだと言っている。まず彼の選択を尊重すべきだ。しかし、君はあの場で王の命だけではなく、敏の命も救った。だから君にも言いたいことがあるだろう。したがって、二人に選択の機会を与えるべきだと私は考える。敏が自首するか、逃げるか。いまここで話し合い、決めなさい」
そして弦朗君は部屋を出ていき、後ろ手に扉を閉めた。
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