第25話 白藤山での約束
丘の近くの
そこかしこに座り、食事を楽しむ人々を避けて、レツィン達はもう少し高いところまで登り、遠くに瑞慶府がかすんで見える開けた場所で蓆を広げ、昼食の籠の蓋を開ける。
「ふうん…」
「わ…」
敏は目を見張り、承徳は喉をごくりと鳴らした。
野菜の酢の物、笹でくるんだ粽、鯉の甘露煮、塩漬けの卵、ラゴ族の得意料理である鹿肉の焼き物、そして水菓子。
「どう?」
レツィンは得意満面である。
手づかみで卵を取ろうとする承徳の手を箸で押しのけ、敏は鹿肉をつまんだ。
「…いける」
「でしょう?」
レツィンはにっこり笑うと、
「特にこれに合うのよ」
と、籠の底から小さな瓶と、三つの盃を取り出した。
「へえ…」
「おお…」
男二人の眼が輝く。
「主君が、これくらいの量ならいいだろうって。それでね、『承徳もこの量では乱暴狼藉も働けるまい、野山には
「もう、よしてくださいよ…」
承徳が、その場に不在の主君に向かって返事をしたので、残る二人は声を上げて笑った。そして、三人は盃を手に立ち上がった。
「では、一つの盃は我らが主君に、一つは敏のお母さまに、そしていま一つは光山府の……いや、瑞慶府のはみ出し者たちに!」
酒が入れば、会話も箸の動きも一層滑らかになる。
「うん、どれもこれも美味しい。ラゴの味は珍しいし、
「私が王宮で料理を作ることはないの?」
レツィンの問いに、男性陣は頷いた。
「それは別の人間がやるからな、レツィンが携わることはないはずだよ」
「光山府はざるのように抜けているから、厨房師以外にもトルグ達が料理を作ることもあるし、毒味も形式的だけれども、王宮ではそうはいかないしね」
「そうなんだ…」
レツィンは少しがっかりした。乗馬、剣術、そして料理……。王宮に行けば、光山府で習ったことも役に立ちそうだが、ラゴ族としての特技はお呼びではないらしい。
――ラゴの心を忘れぬよう。
あの謁見の日、太妃様はそうおっしゃった。でもラゴの心って何だろう?また、そういうものが私にあるとして、入宮しても私はそれを失わずに済むのだろうか――。
暗くなったレツィンを見た承徳は、ことさらに明るい声を出した。
「ああ、落ち込むのは俺も同じだ。敏は出仕こそ遅れてしまったけれども、母上の墓前で立派に物が言える。レツィンはしっかり者で、王宮でもきっとうまくやっていけそうだ。それに引きかえ俺は――」
「おや、承徳らしくもない殊勝な言い草だな」
「失礼な、俺だってそういうときくらいあるの。わかる?」
「まあ、百歩譲ってお前にもそういう時があるとしても、悲しいかな、
「この…」
どうやら酔いが回ったらしく、承徳が箸を放り出し、敏に飛び掛かりかねない勢いで迫っていくのを、レツィンが籠の蓋で防いで事なきを得た。
「情けないわね、二人とも。踏青のときくらい、のどやかに野遊びさせてよ…」
承徳はのろのろと座り直し、ほうっと大きな息をついた。敏もいつになく友人をからかい過ぎたと気づき、黙り込んだ。
何となく、三人とも疲れが押し寄せてきた気がして、そのまましばらくそうしていた。遠くで告天子が鳴いている。やがて承徳はばったりとあおむけに倒れ、春のもやにかすんだ青空を見上げた。
「レツィンの言う通りだ、本当に情けない奴だな、俺は。
そこで敏もレツィンも倒れ込み、三人は並んで天空を仰いだ。
そのままどれだけぼんやりと空を見上げていただろうか、レツィンはふと思いついて、寝たまま胸元から銀の鎖を引き出した。鎖には、小さな銀の笛がついている。彼女はそれを口に咥えて鳴らした。高く低く、笛の音が風に乗り響いていく。
「…聞きなれないが、綺麗な音色だな。――少し寂しげでもある」
敏がつぶやいた。
「ラゴ族のものかい?」承徳がこちらに顔を向ける。
「いいえ。ラゴだけではなく、私たち北方の諸部族はみな、旅する時、この笛を持ち歩くのよ。これで遠くの人と会話をして、情報を伝えあったり、何かの時に助けを求めたりする――」
「ふうん…」
レツィンはもう一度高く笛を吹きならしてから、大事そうにそれをしまった。
「ここにも山はあるが、…やっぱりラゴの山がいいか?」
「そうねえ……ラゴでも烏翠でも、どこでも山は好きよ。ラゴでは毎日高い山、低い山をすぐ近くに見て暮らしていたから。でもね……二人とも聞いてくれる?」
「何?」
レツィンは半身を起こして二人を見下ろした。
「本当はね、一度『海』というものを見てみたかったの。あなたたちは見たことある?」
「いや…」
「俺もないね」
「湖は見たことあるけど、海はないの。天空よりも青く、世界中の青を集めたようで、とても広いんですってね。ほら、私は入宮したら最後、出宮してラゴに帰れるかわからない。多分、一生を瑞慶宮で過ごすことになると思う」
「レツィン…」
「だから、あなた方に頼みがあるの。どちらかでも、あるいは二人とも、王が天朝に行かれるときの随従になったら、海のある場所を通るでしょう?だから、その眼で海を見て、どんなだったか私に教えて欲しい。会って語るのが無理なら、手紙でもいい。だから…」
二人も起き直って、頷いた。
「約束する」
「じゃあ、約束」
そして、それぞれの右手を重ね、三人であたたかな額を寄せた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます