第六話 失踪

 翌日も変わらぬ朝だった。

 小鳥の声に目を覚まし、身支度を済ませ、着慣れたローブを身に纏い、質素な朝食を取る。

 何気ない、幾度と無く繰り返された朝。しかし、今日に限って、わたしは妙な違和感を感じていた。今朝は何か、普段と違う。何かが足りない気がする。

 朝食を取り終わる頃、わたしはその違和感の正体に気がついた。そうだ、リーザが家に来ていないのだ。

 毎朝欠かさずわたしの家に遊びに来ていたのに、何故今朝は来ていないのか。別に大した理由は無いのかもしれない。単に寝坊してしまったとか、外に出る気力が無かったとか。


 そもそも毎朝あの子がここに寄る決まりがあるわけでもないのだから、何も気にすることはないじゃないか。

 そうは思うけれど、普段そこにいる人が急に姿を現さないとなると、やっぱり少し物悲しい気持ちになる。こんなにもわたしは、孤独というものに弱かっただろうか。

 まあ、そんなことを考えて気を落としていても仕方が無い。それに、寂しいのなら村に行けばいい。村人たちはいつでもわたしに温かく接してくれる。それに、リーザにも会うことができる。


 さて、今日も元気に自分の勤めを果たしに行きましょう。勤めといっても、本業の医者としての仕事は全くないので、いつも通り畑仕事に専念することになるだろうが。

 わたしは支度をし、元気良く玄関のドアを開く。その瞬間、眩しい朝日がわたしに降り注がれる。

 わたしはその光に目を細めながら、我が家を後にした。


 ***


 いつも通りの畑仕事を終えて一段落したところで、わたしは家に帰ってくつろいでいた。日中は作業をし、夜は薬草についての研究。中々その疲れが取れないのか、まだ日が傾き始めた頃だというのに、わたしはソファに体を預けながらうとうととしていた。

 やがて意識が朦朧としていき、わたしはこっくりこっくりと船を漕ぎ始めた。

 そして、無意識のうちに脳裏をよぎるのはリーザのこと。

 両親に会わせてとせがんだときの声、その願いを聞き届けられないと言ったときの表情、そして、俯きながらここを去るあの子の背中。

 わたしは、あの子のために何ができるだろう。何が一番あの子のためになるだろう。

 そんなとりとめもない考えが浮かんでは消えていく。まるで湧き立つ泡のように。

 わたしの意識も、やがてその泡の中に埋もれていった。


 ***


 わたしの眠りは突如として破られた。

 家中に大きな音が響き渡る。音は玄関から聞こえてきた。どうやら、何者かが玄関のドアを激しく叩いているようだ。

 随分と荒っぽい客人か、あるいは焦っているのだろう。わたしは無理矢理意識を夢の中から引きずり出し、少々おぼつかない足取りで玄関に向かう。尚もドアは叩かれ続けている。


「は~い、今開けますよ~」


 気のない返事をしながらドアを押し開ける。すると、我が家の前には額に汗を滲ませ、すっかり青い顔をした村長さんが立っていた。


「済みません、セレスさん。突然お邪魔してしまって」

「いえ、わたしは構いませんよ。それより、相当急いでらっしゃるご様子ですが、なにかあったのですか?」

「それなのですが、その、リーザはこちらに遊びに来てはいませんかな?」

「リーザ、ですか? いえ、うちには来ていませんが……」

「そ、そうですか……」


 わたしの返事を聞くなり、村長さんはますます顔を青くしてしまった。

 村長があの子を捜している? しかし何故? まだそんなに遅い時間ではないはず……。

 わたしはここでやっと気がついた。周囲は既に暗く、とっくに日は沈んでしまっているということに。

 こんな時間になっても、リーザは村長宅に帰らなかったのか。


「村長、まさか、あの子はまだ帰らないのですか?」

「そうなんです。村中を捜しましたが、あの子の姿はありませんでした。なので、ここにまた遊びに来ているのではと思ったのですが……」


 しかし、リーザはここにも居なかった。じゃあ、一体あの子はどこに?

 その瞬間、脳裏に昨日言ったあの子の言葉が浮かび上がった。


「……おとーさんとおかーさんに会いたい」

「だったら、おねーさんのまほうでわたしをてーこくまで連れてって?」


 ……まさか!


「村長、わたしは東の森に捜しに行きます。村の男性の皆さんはこの森と南の森を調べ、女性の皆さんは村で引き続き捜索するよう指示をだしてください」

「わ、分かりました。しかしセレスさん、お一人で東の森へ? 危険です。騎士をお連れください」

「わたしは一人で大丈夫です。急いでください。もしかしたら、あの子は今危険な状況かもしれない」


 わたしは彼にそう伝えると、返事を待たずに玄関に立てかけてあった箒を手にし家を飛び出した。

 助走をつけ、箒に飛び乗る。箒は高度と速度をどんどん増してゆく。

 もし、わたしの予想が正しいのなら、リーザは帝国に向かったはずだ。

 帝国に行くには東の森を通らなければいけない。森の中は平地ではないし、しかも子供の足だ。そんなに遠くには行っていないはずだ。

 しかし、本当にあの子が東の森にいるのならまずい状況だ。既に日は落ち、夜が訪れている。人間の視界はまるで利かなくなり、多くの獰猛な獣の活動は活発になる。さらに、東の森には危険な獣が多く生息していると聞く。最悪の場合、あの子は獣に食い殺されかねない。


「お願い、無事でいて……」


 わたしはひたすら先を急いだ。


 ***


 森の中は、まさに闇の中に閉じていた。

 木々が密集し、月明かりさえ届かないこの空間では、魔法の光球がなければ上下さえ分からなくなりそうだ。

 わたしは魔法の光の照らす森の中を箒にまたがって進んでいく。


 残念なことに、わたしの予想は当たっていたようだ。光球の照らす道は昨晩の雨でぬかるんでおり、そこにはちょうど子供くらいの足跡がずっと先へと続いている。この森を子供がたった一人で通ることなんてほぼありえない。この足跡はリーザのもので間違いないだろう。

 気が逸るのを抑えられず、わたしはさらに速度を上げていく。


 あぁ、こんなことになるなら、いっそのこと真実を話してあげればよかった。もし死んでしまったら、どうにもならないのだから。

 今更、そんな後悔の念がこみ上げてくる。わたしは唇を噛みながらひたすら闇の中にリーザの姿を捜した。


「きゃぁぁ~~~!!」


 突然、森の中に幼女の悲鳴が響き渡った。その声は間違いなくリーザのものだった。


「リーザ!」


 彼女の名を叫び、先を急ぐ。あの子が悲鳴を上げたということは、今まさにあの子は危険に晒されているに違いない。早く、早く助けにいかないと!

 暗い中で必死に目を凝らすと、先のほうにぎらぎらと光るものがいくつも見えた。あれは獣の目だ。わたしの光球の光を反射して、獣たちが目を光らせている。

 目の前の獣たちはわたしに目を向けることなく、その場でもぞもぞと動くばかり。一体何をしているのか、それはすぐに分かった。


 光球がそれらを仄かに照らし出す。灰色の毛皮に覆われた中型の肉食獣が三匹、『何か』を取り囲んでそれに夢中になって牙を突き立てている。食事ではなく、単に殺すための行為だった。

 それらが夢中になっているその『何か』も、光が照らし出す。年端もゆかぬ幼女がうずくまっている。体中を獣に噛まれ、着ている服はボロボロに引き裂かれ赤く染まっている。頭の右側に一つに纏められた髪が小さく揺れていた。

 それは、間違いなくリーザだった。


「お前ら! その子から離れろ!」


 気がつけば、わたしは獣たちに向かって怒号を放っていた。奴らはようやくわたしに気がついたようで、わたしに向かって吠え始めた。

 わたしは怒りを抑えられなかった。獣の内一匹に向かって右手をかざす。すると、突然そいつの体から火が熾った。獣は情けない鳴き声を上げながら必死に火を消そうと地面の上を転がる。しかし、火は全く消える気配を見せず、遂に全身を覆いつくし、獣はその場に動かなくなった。

 他の獣は立ち上る火に恐れをなしたのか、道を外れた茂みの中に逃げていった。


「リーザ!」


 わたしは箒から飛び降り、傷だらけのリーザへと駆け寄る。リーザは意識があるようだが、痛みのためかうつ伏せのまま動かない。


「いたいよぉ……いたいよぉ……」

「痛いわよね……ごめんなさい、もっと早く来てあげられなくて……」


 手早くこの子の傷の具合を診ていく。腕や脚に負った傷は深く、そこから血が絶え間なく流れ出ている。しかし、幸いなことに顔やお腹に傷は負っていない。これなら後遺症なく治すことができるだろう。

 わたしはリーザに両手をかざし、呪文を唱える。


「ラハル・ヒエラ」


 すると、リーザの体は仄かな光に包まれ、負った傷がみるみる塞がっていった。

 治療が終わった後も、リーザは動かなかった。どうやら気を失っているようだ。


「さぁ、村に帰ろう。もう怖くないからね」


 わたしはそっと囁きつつ、その小さな体を抱きかかえた。

 その時だった。

 二匹の獣が逃げていった茂みの奥から、ぎらぎらと光る目と、ゆらゆらと揺れる火がこちらに近づいてきた。

 わたしは一歩後ずさり、リーザを抱く腕に力を込めた。

 やがて、近づいてくるものたちはわたしの光球の下に姿を現した。薄汚い軽装の男が二人、それと先ほど尻尾を巻いて逃げていった獣が二匹。奴らは皆、鋭い眼光でわたしを睨みつけていた。

 二人の内の一人が一歩進み出てきた。


「おう、女ぁ。俺たちの相棒を可愛がってくれたそうじゃねぇか」


 どうやらこの二人組みはリーザを襲った獣の飼い主らしい。そう知った途端、怒りが沸々と湧いてきた。


「相棒? あぁ、そこで燃えカスになってるヤツのことね」

「ったくよぉ、よくも殺してくれちゃってよぉ。獣を躾けるのがどんだけ大変だったか、お前にわかるかぁ?」

「分からないわね。まあでも、あなたみたいな人間に従うように躾けるのは、確かに大変そうね」

「くっ、このアマぁ!」


 男が憤りをあらわにし、わたしに殴りかかろうとする。しかし、もう一方の男がそれを制した。


「まあ落ち着け。ほら、よく見ろよ。あの女、魔女だぜ。こいつぁ高く売れる」

「あぁ確かに。今時魔女だってぇことを隠さねぇなんて珍しいもんだなぁ」

「なんでも、魔女の血を飲めば千年寿命が延びたり、心臓を食らえば超人の力が手に入ったりするんだとか。それに、魔女をペットにしたいってぇ物好きの貴族も居るって話だ。こいつはぜってぇ生け捕りだ」

「あぁ、そうだな。こんなに良い獲物にありつけるたぁ久しぶりだなぁ」


 売れるだの獲物だの、不穏な単語が聞こえてくる。こいつらはもしかして……。


「あなた達は盗賊なの?」

「ぁあ? 見りゃ分かんだろぉ?」

「これからお前をとっ捕まえて、闇市場で売りさばくのさぁ。精々、儲けさせてくれよぉ」


 盗賊……。東の森の盗賊。

 リーザの両親はこの森で死んだ。体中を獣に噛まれ、荷物はすべて持ち去られていた。村長さんは言っていた。これは盗賊の仕業だと。

 今、わたしの目の前にいるのは二匹の肉食獣、それとそいつらを従える二人組みの盗賊。


「ねぇあなた達、三十数日前にも、ここで通行人を襲ったりした?」

「ぁあ? そんな昔のこたぁ覚えてねぇな」

「いや、俺は覚えてるぞ。確か、騎士と女が馬に乗っててよぉ」

「ああ、あれか。あん時は儲けたな。良い思いさせてもらったぜ。はっはっは」

「だな。ただよぉ、あの女はかなりの上玉だったのによぉ、こいつらが勝手に殺しちまったもんだから楽しめなかったんだよなぁ」

「まったくだ。お前達、あん時はひでぇことしてくれたなぁ!」


 盗賊の一人が、相棒と呼んだ一匹の胴を強く蹴り飛ばした。情けなく声を上げた獣は、反撃しようともせず再び男の下へと戻っていく。

 それにしても、随分ぺらぺらと喋ってくれたものだ。今日はわたしという獲物にありつけて気分が良いのだろう。そのお陰で、わたしの知りたいことはすべて聞き出せた。

 そうか、お前達が、この子の両親を……。

「あなた達、そんなことをしておいて、ただで済むと思わないことね」

「ぁあ? なんだこの女ぁ。やる気か?」

「まさか、俺たちに勝てるとでも思ってんじゃねぇか? ははっ、だとしたらこいつぁとんだバカだな」


 盗賊の内の一人がなにやら鞄をまさぐると、中から球状の物体を取り出した。仄かに光を放つそれを、男はわたしの足元めがけて放った。


「食らいやがれ! ペトライズ!」


 男は叫んだ。すると、先ほど放った物体が一瞬のうちにその光を増した。

 いや、それだけじゃない。わたしの中に、魔法が侵食してくるのが分かる。体が全く動かない。

 そうか、さっきヤツが放った球は魔法道具。効果は、発動時に一定範囲にいる生物の脳に作用し、体の自由を奪うこと。無条件発動ではなく、呪文によって発動するらしい。そして、効果時間は……凡そ一日、か。


 なるほど、こいつらが大口を叩いていた理由はこれか。今までもこの魔法道具を使って散々悪さをしてきたんだろう。

 わたしは、村長さんからリーザの両親が亡くなったと聞かされたときから疑問だったのだ。どうしてたかだかこのような盗賊ごときに騎士が敗れたのか。確かに相手が一人でなく、さらに獣まで連れているともなれば厳しいのかもしれない。しかし、この二人は見るからに戦闘訓練をしていない。つまり、この集団の中で戦えるのはこの哀れな獣のみだ。

 ただの獣三匹相手なら、訓練を受けた騎士なら難なく倒せることだろう。しかし、実際はこいつらに殺された。その理由がこの魔法道具だったって訳だ。


「どうだぁ? 動けねぇだろぉ」

「さて、今の内に縛り上げてやるか」

「いやいや待てよ。こいつよく見たら中々の顔と体してんじゃねぇか」

「おぉ、確かになぁ。なら、商品にする前にちょっくら楽しませてもらうとするか!」


 下卑た笑い声を上げながら、盗賊二人はこちらへ近づいてくる。その顔を見ていると、気持ち悪さのあまり怖気立ってしまう。あぁ、なんと気持ちが悪く、そして愚かな男たちだろう。

 わたしは堪えきれず、吹き出してしまった。


「あははっ、あはははっ」

「あぁ? なんだこいつ」

「怖くておかしくなっちまったんじゃねぇの?」


 今度は男達の方から気味の悪いものを見る目を向けられる。しかし、わたしは我慢できなかった。


「あははははっ、はぁ~~。全く、これでわたしの動きを封じたつもりか?」

「はぁ? 何言ってやがる。強がりは通用しねぇぜ」

「くふふっ、だからお前達は愚かなんだよ」

「あぁ! 今何つった!?」

「何度だって言ってあげるわよ。こんな低級魔法が魔女相手に通用すると思い込んでるあなた達は、全くもって愚かだ」

「こいつ、言わせておけば!」


 男の一人が手に持った木の棒をわたしの頭めがけて振り下ろしてくる。

 はぁ、それじゃあ全くだめだ。訓練をしていないどころか、鍛えていないことまで丸分かりだ。振りは遅く構えは隙だらけ。こんなの、どうぞ急所を突いてくださいと言っているようなものだ。

 わたしは振り下ろされた棒をひらりとかわし、リーザを腕に抱えたまま男のみぞおちに回し蹴りを食らわした。


「ぐぉ……こ、こいつ、どうして……」

「何故だ! 確かにお前の動きは封じたはずだ! 一体、何をした!」


 男達は何が起こったのか理解できず、混乱するばかり。全く、これだから……。


「言ったでしょう? あんな低級魔法は通用しないって。あんな魔法、発動して一秒もしないうちに解呪したわよ」

「そんな、ばかな……ありえねぇ……」

「く、くそぉぉ~~!」


 男の一人が闇雲に棒を振り回しながらこちらに突進してくる。まあ、先ほどと同じようにかわして反撃するのも芸が無い。ここは、『本物』を見せてあげるとしよう。


「……ッ!」


 わたしは瞬時に術式を組む。すると、突進してくる男は徐々に速度を緩め、やがてわたしの目の前で止まった。


「お、おい! 何してんだよ! 早くぶっ殺せよ!」


 後ろで怯えている男がそう呼びかける。しかし、わたしの目の前の男はそれに答えない。いや、答えられないのだ。


「どうだい? 『本物』を味わった感想は」


 目の前の男にそう問いかける。すると男は顔からダラダラと冷や汗を流しながら答えた。


「はい、こんなに良い気分になったのは初めてです。どうぞ、愚かな僕にもっと魔法をかけてください」

「お、おい! 一体どうしちまったんだよ!?」


 相方の意味不明な言動に、もう一人の男が混乱と怯えに満ちた声を上げる。しかし、もちろんその言葉に男は答えない。男はただ、わたしの魔法を堪能するのに精一杯だった。


「ふふふっ、そうかぁ。そんな風に言ってもらえるだなんて、わたしは嬉しいなぁ。じゃあお望み通り、もっと魔法、かけてあげる」


 わたしは男に向かってにっこりと微笑んだ。すると、男は次第に顔を赤くし、瞳の焦点が合わなくなっていく。そして遂に、男は白目を剥いてしまった。

 ちょん、と男の腹を足で押す。すると、なんの抵抗もなく男は地面に崩れ落ちた。


「ひぃっ! いい、一体何をしたんだっ……!」


 怯えた男は腰を抜かし、その場にへたり込んでいる。目の前で起こったことが怖くて仕方なかったのだろう。


「一体何をしたのか……ですって? それはお前達がわたしにやったことと同じよ」


 わたしは男の方へ、転がってる魔法道具を蹴飛ばした。


「それは対象の脳に作用してさまざまな効果をもたらす術式が組み込まれてる。けど、そいつの中に入ってるのは全くもって幼稚な術式ね。

 まず、こいつでできるのは対象の能動的な動作を制限すること。しかも、その範囲は手足に限られてる。こんな魔法、解呪するなってほうが難しいわ。

 そして、わたしがあそこで伸びてる男にかけた魔法。あれが本物よ。対象の脳に作用して、動きの制限だけじゃなく、能動的な動きのすべてを操る。手足から発声、瞬きさえもね。わたしを生け捕りにしたいんだっけ? だったらこれくらいしてくれなきゃ。

 あっ、ちなみにあの男は死んでないわよ。ちょっと息を止めさせて気を失ってるだけだから」


 ご要望通り、懇切丁寧な説明を怯えた男にしてやった。それなのに、男の耳には全く届いていない様子。男は人形にでもなってしまったかのように、ただふるふると体を震わせるばかりだ。


「はぁ~、この人はもうダメね」


 この男にはもうわたしに立ち向かう勇気も気力も無いだろうけど、念には念を。ちょうどそこに転がっている魔法道具を使ってみることにしよう。


「えぇと、確か呪文は……ペトライズ?」


 おぼろげな記憶から呪文を呼び起こし、それを唱えると、先ほどと同じように球は一瞬光が増した。

 男は元から恐怖で動けなかったのでちゃんと魔法が発動されているか分からないが、まあ大丈夫だろう。


「さて、もうこれは用済みね」


 地面に転がっている魔法道具をつま先で転がす。この二人が再び動けるようになったとき、また悪用されては元も子もない。こんな術式、さっさと破壊してしまおう。

 わたしは、トンっとそれにつま先を打ち付ける。すると、さっきまで仄かな光を放っていたそれは、命を絶たれたようにただの球に戻った。術式が破壊された今、もうこれはガラクタだ。


 気がつけば、いつの間にかこいつらに従っていた獣は姿を消していた。仕方が無い。あいつらは勘弁してやることにしよう。

 それにしても、わたしも少々はしゃぎすぎただろうか。あまり度が過ぎた魔法は村の皆の前では使わないようにしなければ。そうでないと、皆を怖がらせたりするかもしれないから。

 わたしは未だ腕の中でぐっすりと眠っているリーザをしっかりと抱え、箒に座る。


 さぁ、帰ろう、リーザ。村のみんながあなたの帰りを待ってる。

 わたしとリーザを乗せた箒は、静かに帰路を辿っていった。


 ***


 村に着くと、村人の皆はまだリーザを捜し回っていた。

 わたしがリーザを見つけ、連れ帰ってきたと知った皆は大いに喜んだ。

 しかし、リーザの着ている服は獣によって引き裂かれていた。これを見た皆からは安堵の気持ちはたちまち消え失せ、誰もが心配そうにこの子を見つめた。

 村長が進み出て、わたしに皆が思っていることを代弁した。


「セレスさん、リーザを連れ帰ってくれて、本当にありがとう。それにしても、この子の服は酷い有様じゃ。一体何があったのですかな?」

 ここは皆の前であることを考え、わたしは内容を絞って話すことにした。


「森の中で、この子は獣に襲われていました。幸い致命傷は無く、すでに治療は終わっています。今は少し眠っているだけです。ですから皆さん、安心してください」


 それを聞いて、村の皆は再び安堵した。リーザも、朝を迎えれば自然と目を覚ますだろう。

 夜も更け、松明の光が辺りを照らす村の中。皆リーザが無事帰ってきたことで緊張の糸がほぐれたのだろう。みんなあくびをしながら家へと帰っていく。わたしもリーザをベッドで寝かすため、村長宅へと歩いていった。

 村長宅に着くと、村長の案内でリーザをベッドに寝かす。リーザの寝顔は少し険しい。何か嫌な夢を見ているのかもしれない。あんな怖い目に遭ったのだから、それも無理はないかもしれない。

 わたしはこの子の耳元へ唇を近づけて、そっと囁いた。


「怖かったわよね。でも、もう大丈夫だから。安心して休みなさい」


 そして、わたしはその額にキスをした。

 唇を離すと、リーザの寝顔はとても安心に満ちていた。もう恐怖を見てはいないのだろう。

 わたしはその安らかな寝顔をしばらく見つめ、寝室を後にした。

 居間に戻ると、村長が待っていた。わたしが戻ってきたことに気がつくと、彼は再びわたしにお礼の言葉を述べた。


「セレスさん、本当に、本当にありがとうございました」

「いえ、いいんですよ。わたしも、あの子のことが大切ですから」


 わたしはにっこりと微笑みかける。


「それに、わたしたちは同じ村で暮らす、言わば家族みたいなものじゃないですか」

「ほほっ、それもそうですな」


 こうして、少しの間二人で笑いあった。このとき、わたしは初めてこの村の一員になれたと、そんな気がした。

 不意に、ふっと机の上に置かれていた蝋燭の火が一つ消えた。どうやら風で消えたのではなく、蝋をすべて燃やしてしまったようだ。

 実際にはそうではないのに、なんだかとても長い時間こうしている気がする。村長も同じ事を感じているようだ。


「さて、もうこんなに時間が経ってしまいましたな。セレスさんもさぞお疲れでしょう。今晩はゆっくりなさってください」

「はい、そうさせていただきます。しかし、その前に……」


 昨日、村長からリーザの両親の話を聞いてから、ずっと考えてきた。わたしたち大人が、本当にあの子のためにしてあげられることはなにか。しかし、答えは中々見つからなかった。

 ところが今日、やっとその答えが見つかったんだ。わたしが思う、あの子のための最善案。

 しかし、これはあくまでわたしの考えだ。村の皆には否定されるかもしれない。でも、言ってみる価値はある。だって、あの子を思う気持ちは、みんな同じなのだから。


「村長、リーザのことで、大事なお話があります」

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