第五話 再来 後編

 ジェイさんが『革命軍』と称したこの集団の団員は男女合わせて二十三人だ。いや、今はわたしも入れて二十四人か。

 この集団には、いろいろな年齢の人が居る。わたしと歳の近い人から、七十歳を越えていそうなおじいさんまで。今は自由時間なのか、皆思い思いのことをしている。その光景を見て、わたしは少し肩透かしを喰らったような感じがした。

 みんなと違ってすることが無く手持ち無沙汰なわたしは、机で一人厚い本を読んでいるジェイさんのところへ駆け寄った。


「あのぉ~、ジェイさん。何かする事は無いんですか?」

「今は休憩時間だ。リーザも、好きなことをして過ごすと良い」

「は、はぁ……」


 やっぱりそうだったか。好きなことといっても、この穴蔵の中で出来ることなんて本当に限られている。本を読むか、ごろごろするか、あるいは筋肉でも鍛えるか。

 わたしが箒を両手に握り締めながら困り顔を浮かべていると、女性が一人わたしの方に歩み寄ってきた。顔からして歳は……セラ先生と同じぐらいだろうか? はっ! いけないいけない。先生は不老不死のせいで今はだいたい四百歳だった。彼女がそんな歳のはずはない。まあ、彼女はおよそ二十前半くらいだろう。


「こんにちは、リーザちゃん」

「こ、こんにちは……」


 彼女は明るい声で話しかけてきた。


「あたしはシェリー、これからよろしくね」


 自分の名前を名乗ると、シェリーさんは握手を求めてきた。わたしは少し戸惑いながらもその手を取った。


「こちらこそ、よろしくお願いします……」


 わたしが頭を下げると、彼女はわたしの肩を軽く叩いた。


「もぉ、そんなに畏まらなくていいのよ? あたしたちは同じ志を持った仲間なんだから、くだけた感じでいいの」

「わ、わかりました……」


 くだけた感じだなんて。そんなことを急に言われても困ってしまう。なので、わたしはつい敬語で答えてしまう。

 そんなわたしを見て、シェリーさんは呆れたような表情を浮かべた。


「全くもう、ここでは敬語は禁止よ? 分かった?」

「はい、あ、いや、うん。分かったよ、シェリー」

「よろしい」


 わたしが言い方を直すと、シェリーはニカっと笑った。

 こんな陰気な洞窟の中に居ながら、この人はなんて元気なんだろう。この集団に属しているということは、彼女自身も辛い経験をしているはずなのに。

 わたしはつい、彼女のことを知りたくなってしまった。


「あの、シェリー」

「ん? 何だい?」

「シェリーは、過去に一体何があったの?」


 わたしは彼女に問いかけた。

 すると、彼女はその明るかった表情を少し曇らせた。彼女はわたしの肩に手を置き、静かに口を開いた。


「リーザ、良く聞きなさい。ここでは過去に何があったのかを訊くはご法度よ」


 わたしははっとした。辛い過去を思い出させるようなことを言われて、気分の良い人は居ないだろう。わたしだってそうだ。なのにわたしは考えなしにあんなことを言ってしまって……。


「ご、ごめんなさい、シェリー。わたし、無神経だった」


 頭を下げると、彼女はわたしの頭を優しく撫でた。


「いいのよ、あたしは気にしてない。でも、中にはそういうことに敏感な人もいるから、気をつけなさい」

「うん。分かった、ありがとう」


 頭を上げると、そこにはさっきまでの明るい表情のシェリーがいた。


「みんな! 時間だ! いつもの場所に集まれ!」


 突然、一人の男の人が全員に向かって呼びかけた。それを聞いた団員たちはそれぞれの作業を中断し、この部屋の奥に開いた穴の方へと向かって行った。


「時間ね。行こうか、リーザちゃん」

「えっ、あ、うん」


 シェリーさんに手を引かれ、わたしもその流れに沿っていった。

 再び薄暗い道を進んでゆく。今回も長い長い道のりのようだ。くねくねと曲がる道を進み、幾多の分かれ道を越えたあるとき、わたしは妙な音を聞いた。それはまるで、雨音のようだ音だった。ここは岩山の内部にある洞窟のはず。どうして雨の音が聞こえようか。


 自分の耳を疑いながら進んでゆくと、遂に集団は一つの部屋に辿り着いた。いや、そこは部屋と呼んでいいのか分からない空間だった。異様に広いこの空間の真ん中には大量の雨粒が降り注いでおり、上を見上げればそこにあるはずの天井は無く、代わりに雨雲が顔を覗かせていた。

 先ほどの部屋とは違い、ここに一切の光源は無く、周囲は天井に開いた大きな穴から降り注ぐ微かな明るさによって照らされていた。普段なら問題ないかもしれないが、今は日を厚い雲が覆い隠しているので、ほとんど辺りを見通すことが出来ない。


 ここは一体何なのか。何をするためにみんなはここに集まったのか。さまざまな疑問が湧きあがる。そんな中、わたしは目の端で何かが動いたような気がした。そちらへ目を向けるが、辺りが暗過ぎて全く見えない。きっと気のせいだろう。


 そう思った瞬間、周囲を眩しい光が照らし出す。魔術師のみんなが光球を生み出したのだ。

 薄暗く全く見通せなかったこの空間が光を取り戻してゆく。そしてわたしは、目の前に信じられないものを見てしまった。

 何かが動いたような気がしたその場所に、見慣れない黒い『何か』があった。それが生き物だということに気がついたのは、それがその大きな首をもたげたときだった。

 全身が黒く艶やかな鱗で覆われたそれは、天に向かって咆哮した。その声は空気どころか、この岩山そのものさえも震わした。


 光球がそれを隅から隅まで照らし出す。全体の大きさは一軒の家ほどであり、その鱗で覆われた巨体からは太い腕と脚、大きな翼、長くしなる尻尾が生えている。腕や脚の先にはすべてを突き通すほどに鋭い爪が光り、その足元には大量の深い爪痕が残されていた。太い首の先の頭部には真っ直ぐな角が二本生え、その目はギラギラと輝き、口からは鋭利な牙が覗いていた。


 これは、この生き物はまさか……ドラゴン!?


 わたしは目を瞠った。ドラゴンは他種との交流を嫌う。故にそれらは、生き物の生息しない高山の山頂付近に巣を作ることが多い。だからドラゴンが人前に現れることは無い。ましてやこんな場所に居るだなんて。

 ドラゴンをこんな間近で見るのなんて初めてだ。これまでは図鑑の挿絵でしかその姿を見たことがなかった。まさか、こんな日がくるなんて。


「リーザよ、本物のドラゴンを見るのは初めてか?」


 口をあんぐりと開けているわたしの横にいつの間にかジェイさんが立ち、そう問いかける。わたしは言葉を発することが出来ず、頷くことしか出来なかった。


「ふむ、そうか。では、良く見るといい。滅多にない機会だからな」


 そう言い残すと、ジェイさんはドラゴンの前へと進み出る。ドラゴンは彼を視界に捉えると、咆哮を上げて暴れだした。しかし、ドラゴンは思うように身動きがとれず、おじさんの前でもがくばかり。良く見れば、ドラゴンの腕や脚、首には幾つもの枷がかけられ、それらは鎖で地面と繋がっている。

 おじさんを食い殺そうとするように首を伸ばすドラゴン。しかし、ギリギリのところでおじさんには届かない。おじさんはドラゴンの大きな頭に手をかざし、目を瞑った。彼が魔法を使っているのが分かる。すると、ドラゴンは次第に大人しくなり、遂に地面に伏してしまった。

 一体彼は何をしたのか。そして、この集団は何故このドラゴンをここに閉じ込めているのか。疑問に思ったわたしはジェイさんの前におずおずと進み出た。


「あの、ジェイさん。一体このドラゴンに何をしたんですか? そもそも、どうしてこんな所にドラゴンがいるんですか?」

「一度に複数の質問をするものではないよ」


 知りたい一心でつい熱の入ってしまったわたしを、振り向いたジェイさんがやんわりと諭す。しかし、彼の口許は少し緩んでいる気がした。


「まず、一つ目の質問に答えよう。俺はさっき、暴れるドラゴンを鎮めた。魔法を使ってな。こいつは卵の頃からここで育った。俺たちが育てたんだ。そして、こいつはある術式を頭に組み込まれている。まだ未完成のそれは、対象の行動をすべて意のままに操る術式だ」

「ドラゴンを、意のままに……?」

「そうだ。君も知っているだろう。ドラゴンは個体に依らず、すべてが魔法を使える。故に、人や獣に対して使えるこの手の魔法は、こいつには効かない。こいつの場合、より長い時間をかけて術式を組み込むんだ。こいつ自身の力で解呪できないほど強力なやつをな。その術式を、俺たち全員で組み込んでいるんだ」


 ドラゴンを思うままに操る……? しかし、どうしてそんなことを……?

 ジェイさんは続ける。


「二つ目の質問に答えよう。何故、人前に姿を現すことあないドラゴンがここにこうして縛られているのか。さっき言ったように、こいつは卵の頃からここにいる。だが、勿論ドラゴンの母親がここに卵を産み落としたわけじゃない。俺が攫ってきたんだ。ドラゴンの巣からな」

「さ、攫ってきた……!?」


 そんな、命知らずな。ドラゴンがどれ程強大な生き物かなんて誰もが知っている。ドラゴンに纏わる伝説や言い伝えなんて腐るほどあるのだから。だから分かる。ドラゴンの巣から卵を攫い、生きて戻ることがどれ程危険であるか。それはもう奇跡に近かった。

 でも、どうして……。


「どうして、そんなことをしたんですか? 一体何のために、この子を親元から攫い、こうして魔法を組み込んでいるんですか?」


 わたしがそう尋ねると、彼は不思議そうに首を傾げた。


「あぁ、そうか。君には俺たちの計画について話していなかったな」


 計画、それはきっと、革命に繋がる何かだろうか。

 ジェイさんは静かに語りだした。


「今の帝国は腐りきっている。本来、魔法とは誰しもが使える力である。実際、過去において帝国はその力を用い、頼ることによって繁栄した。しかし、やつらはその事実を無視し、魔法は禁忌だと民に教え、今では俺たち魔術師を一人残らず排除しようとしている。俺たちはこれ以上、仲間たちが苦しむ姿を見るのは御免だ。ここにいる全員が帝国により辛い思いをしてきた。だからこそ思えるはずだ。これ以上、帝国の好きにさせてはいけないと」


 そうだ。帝国の好きにさせてはいけない。帝国を止めなくてはいけない。しかし、そこで何故ドラゴンが出てくるんだ? このドラゴンの一体何に使うというのか。

 わたしは、それが分かったような気がした。固唾を飲み込み、おじさんの次の言葉を待った。


「故に俺たちは、帝国を滅ぼすことにした!」


 ジェイさんは天に向かって叫んだ。まるで、その言葉を帝国まで響かせようとしているかのようだった。


「帝国を滅ぼし、魔術師に対する偏見を持つ輩をすべて殺し、そして、魔術師だけの国を作る! こいつはそのためのドラゴンだ。帝国に攻め入ったとて、俺たちの人数は高が知れている。個々がどれ程強かろうと、数で押し切られてはどうしようもない。さらに、帝国は近年『銃』新たな武器を発明した。そんな状況では、俺たちは一方的に不利だ。

 しかし、このドラゴンは違う。この強靭な肉体、そして人間の域を遥かに超えた魔法。そして、剣も槍も、銃弾すら通すことのない鱗を備えたこのドラゴンならば、帝国を滅ぼすなど造作も無いことよ」


 そんな、帝国を滅ぼすだなんて! 帝国にはわたしの愛する人が、カイルさんがいるのに!


「遥か四百年も昔に一人の魔術師が帝国を滅ぼしたという言い伝えを、皆も知っているだろう。その出来事のせいで、今、魔術師は帝国から差別や迫害を受けている。がしかし、そもそも魔法を使えない人間などそういう奴らなのだ。己よりも大きな力を持つものを恐れ、それを排除しようとする、愚かな奴らなのだ。そう考えれば、嘗て帝国を滅ぼした魔術師も、あながち間違ったことはしていなかったのかもな」


 そんなはずはない。先生は言った。魔法は人々みんなが幸せになるために使うものなんだって。確かに先生は昔は、帝国を滅ぼした悪い魔女だったのかもしれない。でも今は違う。先生だって後悔しているはずなんだ。嘗て帝国を滅ぼしたことを。


「計画は既に最終段階にまで来ている。こいつに組み込む術式もあと少しで完成だ。予定では今日術式が完成し、明日の夜、日が沈んでから帝国を襲撃する」


 明日の夜!? そんな、時間が無い!

 ジェイさんはわたしと向かい合って立ち、その復讐に燃えギラギラと光るその目をわたしに向けてくる。


「リーザよ、協力してくれるだろう? 俺たちと共に、この世界を変えよう」


 そう言うと、おじさんは手袋に包まれたその大きな手を私に差し出してきた。わたしが既に一度取った手だ。

 わたしは、一体どうすれば良い?

 この手を再び取れば、わたしはこの計画に参加することになる。それはつまり、わたしの愛するカイルさんを敵に回すということだ。一方で、この手を取らなければどうなる? 少なくとも、ここにいる魔術師のみんなを敵に回すことになる。ここは敵の拠点だ。地の利は向こうにある。逃げられるのか? この数の魔術師達から。

 緊張からか、箒を握る手に力がこもる。


「どうした? リーザよ」


 おじさんがわたしの答えを促す。わたしは恐る恐る差し出された手へと自分の手を伸ばす。このとき、おじさんの口許が微かに緩んだような気がした。


「ッ!!」


 次の瞬間、わたしはおじさんの手を払い退けた。この空間の空気が僅かにどよめいた気がした。わたしの前に立つジェイさんは驚いて目を見開いていたが、すぐに普段どおりの鋭い目つきに戻った。わたしはそんな彼に臆することなく言い放つ。


「そんなの、間違ってるよ! 帝国を滅ぼすなんて、して良いはずが無い!」


 ジェイさんをはじめ、この空間に居るだれもが口を開かない。わたしは続ける。


「確かに、今の帝国の魔術師に対する態度は酷いよ。わたしだって辛い思いをした。みんなもそう。でも、ここでわたしたちがまた悪さをしたりしたら、ますます魔術師の立場が危うくなる。今度は帝国だけじゃなく、周囲の王国にも嫌われる存在になるかもしれない。それじゃあ本末転倒だよ。

 ねぇ、こんなことやめよう? 昔の出来事を繰り返したって、状況はきっと良くならない。だから、革命を起こすっていうんなら、他の方法を探そうよ!」


 わたしは、思うすべてを言葉にした。しかし、尚も誰も口を開かない。きっと、みんなは待っているんだ。頭であるジェイさんがなんと言うのか。


「……そうか、それは残念だ」


 ようやく、ジェイさんが口を開いた。彼はまるでため息をつくような口調で言った。


「仲間が増えたと思ったんだがなぁ。帝国の味方をするということは、つまりは俺たちの敵かぁ」


 ジェイさんがじりじりとにじり寄ってくる。一歩、また一歩と、わたしは後ずさっていく。


「お前は俺たちの計画のことを知った。である以上、生きたまま帰すわけにはいかんなぁ!」


 次の瞬間、おじさんの手袋が燃え、炎を纏った拳を振りかざしてきた。わたしはそれを後ろへ退くことで避け、握っていた箒に飛び乗った。幸いここは天井が無く、そのまま外に出られる。このまま何とか逃げられるか?


「あの小娘は敵だ! 殺せ!」


 背後でジェイさんが叫ぶのが聞こえた。上へ上へと上昇する最中、下を肩越しに振り返ると、頬を氷の刃が掠めた。降り注ぐ雨を刃に変えて飛ばしてきたのだ。

 次々に氷の刃がわたしめがけて飛んでくる。わたしはそれをかわし、炎で溶かし、風でその軌道を逸らし、それらを退けていく。


「グッ!!」


 もうすぐ、もうすぐでこの洞窟から出られる。そう思った瞬間、右脚の太ももに激痛が走った。見ると、手首程の太さの氷の刃がそこに深々と突き刺さっていた。下を見ると、魔術師たちが各々の魔法道具に跨り、わたしを追って飛んできていた。その中には、さっきまでわたしと話していたシェリーさんもいた。さっきまでの明るい表情の彼女はそこにはおらず、その視線はするどくわたしを貫いた。

 このままじゃ追いつかれる。何か、あいつらを足止めできるものは……そうだ!

 太ももから氷柱を引き抜くと、わたしは目を瞑り、詠唱した。


「ロトン!」


 次の瞬間、周囲は眩い光に包まれた。不意打ちを喰らった奴らは前後左右も分からず壁に衝突している。なんとか効いたようだ。周囲が薄暗くて助かった。

 奴らが目を眩ましている隙に、わたしは雨を掻き集め、一枚の厚い氷の板を形成する。


「これでも、喰らえ!」


 わたしが穴から出た瞬間に、それを蓋をするように穴の中に落とした。氷の塊はすっぽりと穴にはまり、どんどん下へと落ちていく。

 わたしは一刻も早くその場から離れようと、箒を必死に飛ばしていった。


 ***


「はぁ、はぁ……なんとか、逃げられたみたい……」


 後ろを振り返り、彼らが追ってきていないことを確認する。一先ずは安心できそうだ。

 でも、これからどうする? 彼らは明日の夜に帝国を襲撃すると言った。時間は無い。早く誰かに伝えて対策を講じないと。


「うっ」


 突然、右の太ももに痛みを感じる。軽く触れると、そこには大きな穴が開いており、血がべっとりと付いていた。そうだった。逃げる際に奴らに一撃貰っちゃったんだった。

 痛みに耐えつつ箒を飛ばすと、丁度例の湖の畔に差し掛かった。ここで少しの間傷を癒すことにしよう。

 畔に降り立ったわたしは、嘗てカイルさんとお昼を共にした倒木に腰を下ろし、治癒魔法をかける。傷は徐々に塞がってゆき、痛みの次第に取れていく。この程度の傷なら、後遺症は無いだろう。


 傷を癒しつつ、わたしは考える。一体この事実を誰に伝えれば良いのか。帝国騎士団か? いや、それじゃあ逆にわたしが捕まって処刑されちゃう。なら、村の誰かに代わりに伝えてもらうとか? う~ん、それじゃあ向こうに着くまでに時間が掛かりすぎて帝国も準備が追いつかない可能性がある。それに、そもそも周辺の村人の話をまともに聞いてくれるかさえ怪しい。あぁ、一体わたしはどうすれば?


 考えても答えは出ないまま、傷の治療が終わった。ええい、もう考えるだけ無駄だ。決死の覚悟で帝国に赴き、この事実を伝えよう。そう思い立ち、箒を握り締めて立ち上がった。その時だった。

 湖の畔に、雷が落ちたような轟音が響き渡る。聞いた事のある音、そうだ、銃の発砲音だ。

 そう確信した瞬間、右の二の腕に鋭い痛みが走った。見ると、そこからはダラダラと血が流れ出ており、小さな穴が開いていた。


 撃たれた!? 一体誰から!? いや、そんなことよりも先に治療だ。


 傷口を左手で押さえつつ、わたしはその場にうずくまる。意識を集中させ、治癒魔法をかけようとする。がしかし、上手く魔法が発動しない。集中しようとしても、どんどん意識が霧散していく。まさか、弾丸に麻酔薬か催眠薬を仕込んだのか?

 意識が遠のいていく。わたしは耐え切れず、遂にその場に倒れ込んだ。朦朧とする中、誰かがわたしの下に駆け寄ってきた。


「報告にあったのはこの女か?」

「あぁ、間違いない。報告通りだ」

「なら、さっさと運ぶとしよう。ほら、そっち持て」

「あぁ、分かったよ」


 二人組みの男に運ばれていく。一体どこへ……?

 重たい首を回し、進む方向へ視線を向ける。すると、その先には一台の白い馬車が停まっていた。その馬車にはよく見たことのあるシンボルが、帝国のシンボルが刻まれていた。


 *** ***


 わたしは、傷つけてしまった。わたしの大切な人を。

 きっとわたしは忘れていたんだ。この村に越してきてから、平和な日々が続いていたから。わたしは自身の罪と向き合うことを、いつからかしなくなっていた。

 でも、いくら忘れようと、罪は決して消えることは無かった。嘗てわたしの引き起こした災厄の余韻はまだ世界中に響いていて、今でも誰かを傷つけ、苦しめている。それなのに、わたしはこの村の平和な空気にあてられ、いつしかそのことを忘れていたんだ。わたしは今も、罪を重ねているというのに。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 玄関で一人、己の肩を抱いて身を震わす。目からは涙が止め処なく零れ落ち、口からは謝罪の言葉しか出なかった。

 あの子がここを去ってから、どれ程の時間が経ったのだろう。日を厚い雨雲が隠しているせいで、時間を知ることが出来ない。しかし、時間などもう気にする必要もないだろう。いくら時間を掛けようと、あの子はもうここには帰ってこないのだから。


 薄暗い家の中には、激しい雨音と、わたしの謝罪の声だけが響いていた。

 もう、わたしはここにいられない。あの子の故郷であるこの村に、わたしは居てはいけない。わたしはここを去ろう。涙に暮れつつそう思ったとき、突然玄関のドアが叩かれた。その激しさから、急ぎの用のようだった。

 わたしは涙を拭って普段通りの顔を作り、ドアを開いた。すると、そこにはウルカさんが立っていた。やはり急いで来たのか、息を切らしている。


「あぁ、セレスさん。すみません、急に」

「いえ、大丈夫ですよ。随分急いでいらっしゃるようですが、何かありましたか?」


 話の本題を促す。すると、彼は一度深呼吸して答えた。


「先ほど帝国騎士の二人組みが村に訪ねてきたんです。何でも、帝国から女の魔術師が一人逃げたらしく、その後を追っているそうです。うちに魔術師は来ていないと言って彼らには帰ってもらいましたが、どうも胸騒ぎがして。セレスさん、何か心当たりはありませんか?」


 帝国から女の魔術師が逃げて、その後を追っている? まさか……リズ!?

 こうしちゃいられない。リズの身が危ない。すぐに助けに行かないと!


「あっ、ちょっと、セレスさん!?」


 わたしは玄関に立てかけてある箒を掴むと、ウルカさんに返事を返すこも無くその場を後にした。

 リズがどの方向に向かったのか、わたしは知らない。しかし、あの子が飛行魔術を使ったのなら、その痕跡が残っているはずだ。意識を集中させる。すると、空気中に魔法が使われた跡を見つけた。それはずぅっと北の方へと続いている。間違いない。あの子はこれを辿った先にいる。

 わたしは全力で箒を飛ばしていった。


 しばらく進むと、ある所でその痕跡が途絶えていた。そこは湖の畔だった。あの子はここに降り立った後、歩いて進んだのだろうか。何にせよ、痕跡が無い以上、あの子の後は追えない。

 何か手がかりは無いかと周りを見渡す。すると、遠くに何かが落ちているのが見えた。駆け寄ってみると、それは一本の箒だった。しかも、ただの箒じゃない。リズの箒だ!

 その下の地面に視線を落とす。そこには、雨で薄まってはいるが血の跡が残っていた。間違いない。ここで、あの子は帝国騎士に襲われたんだ!


「早く、助けに行かなきゃ!」


 わたしはリズの箒を携え、雨降り空の下を再び箒で駆けていった。

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