第五話 再来 前編

 ざあざあと雨が降りしきる中、わたしはどこへともなく箒を飛ばしてゆく。行き先なんてどこでもよかった。あの人から、セレス先生から離れられるのなら。

 先生はずっとわたしを騙していたんだ。自分が四百年前の帝国の悲劇を引き起こした張本人だってことをずっと隠して、わたしの先生を演じてたんだ。

 信じてたのに。セラ先生は素晴らしい魔女だって。

 先生はいつだって人の為に魔法を使ってきた。決して魔法を悪いことには使わなかった。そんな先生が、わたしは大好きだったのに。いつか先生みたいな素敵な魔女になりたいって思ってたのに。


 でも、違ったんだ。先生は素晴らしい魔女なんかじゃなかった。四百年前、先生は帝国の罪も無い多くの人々を殺した。そのせいで、魔術師は差別され、迫害されてずっと辛い思いをしてきたんだ。そして、わたしも……。

 ふと、脳裏にカイルさんの笑顔が蘇る。大好きだったのに、愛していたのに。あの人と一生添い遂げる覚悟があったのに。それなのに、先生がすべてを台無しにしたんだ。

 幾つもの滴が頬を伝ってゆく。雨も涙も一緒になって溶け合い、わたしを濡らしてゆく。それに構うことなく、ただひたすらに、まるで逃げるかのように箒を飛ばした。


 ***


 あれからどれほどの時間が経ったのだろう。流れ出る涙が枯れかけた頃、飛び疲れたわたしは地上へ降り立ち、その場にへたり込む。ふと回りを見渡せば、ここは嘗てあの人と、カイルさんと逢瀬を重ねた湖の畔だった。

 頭の中で過去の映像が再生される。初めて彼に会ったあの日、颯爽と現れた彼はわたしに襲い掛かる獣を退治してくれた。あの時の彼の後姿を思い出しただけで、今でも胸が高鳴るようだ。

 それから傷ついた彼の傷を癒すため、わたしはうっかり治癒魔法を使ってしまった。その直後に彼が帝国騎士だと気づいた時には、心臓が飛び出そうな程に焦った。てっきりわたし、殺されるんじゃないかって思ったから。けど、違った。彼はわたしのことを良い魔術師だと言ってくれた。初めてだった。彼のような理解ある帝国の人間に会ったのは。

 その時からだろうか。彼に恋してしまったのは。


 それから彼との逢瀬を重ね、わたしの彼への想いは日に日に強くなっていった。そして彼もわたしのことを愛してくれた。

 幸せだった。彼と離れたくなかった。ずっと一緒にいたかった。でも、それはもう二度と叶わない。叶わないんだ。

 再び、涙が溢れてきた。溢れ出したら止まらなかった。降り続けるこの雨のように。


 先生のせいだ。全部全部、先生が悪いんだ。魔術師が帝国の人間から差別や迫害を受けるのも、それに対して魔術師が反乱したのも、わたしがカイルさんと一緒になれなくなったのも。全部、先生が昔に帝国を滅ぼしたからだ。

 一体何があって先生がそんなことをしたのかは知らない。けど、先生のもたらした災厄の余韻がまだ帝国に響いていて、それが多くの人々を苦しめるんだ。

 だから、先生は悪い魔女なんだ。わたしの憧れの存在なんかじゃなかった。

 なかった、筈なのに……。


「せ、せんせぃ……セラせんせぃ……」


 わたしは、先生のことを完全に憎むことができない。

 瞳を閉じる。瞼の裏に映し出されるのは幾つものわたしの思い出。昔過ぎて色あせてしまったものから、鮮明なものまで。そのほとんどに、先生が映っていた。記憶の中の先生はとても美人で、気品に溢れて、そして、わたしの憧れの存在だった。


 先生はわたしにすべてを教えてくれた。薬学も魔法も料理も、紅茶の淹れ方だって先生から教わった。そして、そのすべてが今のわたしを形作っている。

 先生に師事するようになってからおよそ十二年。その間に見た先生の姿は、まさにわたしの目指すものそのものだった。わたしは、これまでずっと先生の背中を追いかけていたんだ。

 そして先生は、そんなわたしに対しいつでも真摯でい続けてくれた。良いことをすれば褒められ、悪いことをすれば叱られた。そんな先生の態度には一切の嘘偽りはなかった。セラ先生はいつでも、わたしの先生であり続けた。いつでも、わたしの憧れであり続けたんだ。


 だからわたしは、先生を憎めない。確かに先生は昔、帝国に災厄を引き起こした。そして、その余韻は四百年経った今でも多くの人々を苦しめている。でもそれは、わたしの知る先生じゃない。わたしの知る先生は、わたしの師事するセレス先生は、たった一人だけ。その人はいつだって人々の為にその力を振るう、素晴らしい魔女だ。


 それなら、わたしは一体どうしたら……? 帝国にいるカイさんの所に戻ることが出来ず、元凶であるセラ先生を憎むことも出来ないのであれば、わたしは一体どうしたらいいのだろう……?

 自分にそう問いかける。しかし一向に答えは出ないまま、時と涙だけが徒に流れてゆく。

 わたしは膝を抱えながら、ただただ雨に打たれていた。


「君も……失ったのか?」


 不意に後ろからそう声を掛けられた。低い男の声だった。

 首を後ろへ振り向かせると、そこには黒のローブを着込んだ背の高い男が立っていた。髪は白く、その厳つい顔には皺が何本も深く刻まれている。厚い雨雲の下、薄暗いこの畔で彼の目はぎらぎらと光っていた。

 いつからそこに居たんだろう……? 全く気がつかなかった。まるで、この雨の中に溶け込んでいるかのようだ。いや、単にわたしが全く周りに注意を払っていなかっただけか。


「……あなたは……誰?」


 涙をびしょ濡れの袖で拭い、かすれた声で男に問うた。彼はその鋭い眼光をわたしに向けた。


「俺の名はジェイ。見ての通り、魔術師だ」


 そう言うと、彼は手の平を天に向ける。すると、その上に降り注ぐ雨粒が次第に集まり、彼の手の平の上には一個の水の球体が出来上がった。そんなことは、魔法でも使わない限り出来はしない。確かに、彼は魔術師のようだ。


「君の名は、何と言う?」


 彼はその水の塊を後ろへ放り、そう尋ねてきた。


「……リーザ」

「ふむ、良い名だ」


 彼は口角を緩めることもなく、一貫して巌のような顔つきを浮かべている。その表情からは、一体彼が何を考えているかが読み取れなかった。

 彼は無愛想な顔のままわたしに近づいてゆき、わたしの隣に立った。


「君も、魔術師なのだろう?」

「……どうして、知ってるの……?」

「君がその箒に乗って空を飛んでいるところを見たからな」


 そっか。見られてたんだ。ということは、このおじさんはわたしがこの畔に着いた頃からわたしの後ろに居たのかもしれない。まあ、そんなことはどうでもいいか。


「……リーザよ」


 おじさんは早速わたしの名を呼ぶ。そんな馴れ馴れしい真似に、少しだけ不愉快になる。


「……何? おじさん」

「最初の質問について、まだ答えを貰っていないな」

「最初の質問……?」


 そんなものあっただろうか? きっと、このおじさんが突然後ろから声を掛けてきて、驚いて聞き逃しちゃったんだろう。

 おじさんの顔を見上げる。おじさんも、表情をピクリとも変えずにわたしを見下ろしている。


「……では、もう一度問おう。リーザよ、君も失ったのか?」


 失った……? 何を? わたしは自分に問いかける。わたしは、一体何を失ったんだ?

 わたしは、愛する人と共に歩む未来を失った。あの方も所へも、先生の所へも、もう帰れない。わたしは居場所も失った。そして、先生との繋がりさえも……。

 そうだ。わたしはたくさんのものを失った。だからこそ、わたしはここで一人涙を零していたんだ。


「……えぇ、そうね。失ったわ。たくさんの、大切なものを」

「そうか」


 おじさんの声は低く無感情のままだ。


「それは、帝国によって失ったのか?」


 無機質な声が、再び質問を投げかけてくる。

 帝国によって失った、か。半分はそうだろう。そしてもう半分は、セラ先生だ。


「……多分、そういうことになるんだと思う」


 わたしは曖昧な答えを返す。おじさんはまた「そうか」と言っただけだった。

 しばらくの沈黙が続く。激しい雨音だけが、この空間を支配していた。


「……俺も、失ったよ……」


 唐突におじさんは口を開いた。


「俺には嘗て、妻と一人の娘がいた。もう、十数年前のことだがな。俺たち三人はある小さな村に住んでいた。質素な生活だったが、幸せだった。妻と娘がいてくれるだけで、俺は他に何も要らなかった。

 ……こんな、雨の日のことだった。深夜、みんなが寝静まっていた時、帝国騎士の小隊が俺の家を襲ったんだ。あっという間だった。俺は状況を理解する間も無く、目の前で妻と娘の死に様を見たのさ。二人は魔術師じゃなかった。本来死ぬのは俺だけで十分だった筈なのに、あいつらは俺の……大切な家族を殺しやがったんだっ……!」


 おじさんは会って初めて、感情を声に乗せた。その声を聞いただけで分かる。彼の巌のような顔の下に、どれほどに怒りが渦巻いているのか。


「……俺は、もう二度と、こんなことは繰り返させないと誓った。だから、革命を起こす」

「革命……?」

「そうだ。俺は今、ある魔術師の集団の頭をやってる。そいつらも、みんな帝国にすべてを奪われた連中だ。そいつらと一つの計画を進めている。この腐りきった世界を変えるためのな」


 革命。世界を変える。本当にそんなことが出来たら、どれだけ嬉しいことか。魔術師が世界に、帝国に認められ、皆が魔法で幸せになれる世界。そんな世界でなら、わたしはカイルさんとも一緒になれるはずだ。


「リーザよ、君も俺たちと一緒に来ないか?」

「……」

「俺たちは皆、帝国にすべてを奪われた。もう、こんなことを繰り返させる訳にはいかない。そうだろう? 共に、革命を起こそう。魔術師が大手を振って歩けるような、そんな世界を作ろうじゃないか」


 おじさんは鋭い眼光をわたしに注いだまま、黒の手袋に包まれた大きな手をわたしに差し出してくる。

 魔術師が大手を振って歩ける世界。それは、なんと素晴らしい世界だろう。もしそんな世界を作ることが叶うのだとしたら、わたしは……。

 わたしはおずおずと、おじさんの手を取った。すると、おじさんは勢い良くわたしを引っ張り上げ、隣に立たせた。


「うむ、リーザよ。君はこれから俺たちの仲間。同士だ。共に、より良き世界を目指そう」

「は、はい……」


 そんな素晴らしい世界が作れるのなら、わたしは喜んで力を貸そう。きっとそれは、世界中の魔術師たちが望む世界だから。

 しかし、わたしは何か嫌な予感を感じていた。何か、良くないことが起こるような気がする。これは、気のせいだろうか……?


「さぁ、行こう。俺たちの拠点はこの近くだ」


 そう言うと、おじさんは足早に歩いていく。はっとしたわたしは、彼に遅れないようにその後に続いていった。


 ***


 わたしはおじさんの後に続き、湖の畔から東へと進んでゆく。相変わらずの雨模様のせいで日の光が差さないので、一体どれほど歩いたかは分からないけど、おそらく一刻ほどだろう。その間、わたしたちは草木がまばらに生えるだけの山岳地帯を、言葉を一切交わすことなく進んでいく。

 少し足に疲れを感じ始めた頃、おじさんは立ち止まった。それがあまりに急だったので、彼の後ろを歩いていたわたしは、危うくその背中に額をぶつけてしまうところだった。


「ここが、俺たちの拠点だ」


 彼の背中で何も見えないわたしは、彼の隣に並んだ。すると、目の前には大きな岩山がそびえていた。そして、その根元には大人二人分の高さを持つ大きな穴が開いていた。もしかして、あの中におじさんの言う拠点があるのだろうか。


「さぁ、行こう」


 短くそう言うと、おじさんは再び歩き出す。わたしも、その背中について行った。

 岩山の内部は、手を伸ばした先さへも見通せない程に暗かった。まあ、当然と言えば当然だが。そこで、おじさんは魔法で小さな光球を生み出した。わたしたちの進む先を、その仄かな光が照らし出す。

 岩山内部の道は複雑だった。行く先々で分かれ道があり、進んでいくうちに、自分がどの道から来たのか分からなくなってしまいそうだった。その一方で、おじさんは一瞬たりとも足を止めることなく分かれ道を進んでゆく。きっと、ここに住んで長いのだろう。

 小さな光で照らされているとはいえ、洞窟内は薄暗く、先が良く見通せない。さらに、聞こえるものはわたしとおじさんの足音だけ。おじさんの後を歩くわたしは、恐怖に似た何かを感じていた。


 そうしてしばらく洞窟内を進んでゆくと、この先の曲がり角から光が漏れているのが見えた。もしかしたら、誰かそこにいるのかもしれない。若干の嬉しさを感じながら、わたしたちはその曲がり角に差し掛かった。

 その先は、大きな部屋に繋がっていた。さっきまで歩いていた洞窟の何倍も天井は高く、そこには大きな光球がいくつも浮かんでいる。光に照らされている部屋の内部には机や椅子、ベッド、棚などの家具が大量に置かれ、そこで二十人ほどの人々が各々の活動をしていた。


「おっ! ジェイじゃないか。おかえり。おぉ~い! みんな~! ジェイが帰ってきたぞ~!」


 わたしたちがひょっこり顔を出したすぐ近くの机で書き物をしていた男がわたしたちに気づき、他のみんなに呼びかける。すると、ベッドで寝転がっていた人も、棚の整理をしていた人も、腕立て伏せをしていた人も皆、おじさんの所へと駆け寄ってきた。誰もがおじさんと同じ黒いローブを身に纏っていた。


「あぁ、ただいま」


 皆が口々におかえりと言うのを一通り聞くと、彼は短くそう返した。


「首尾の方はどうだ?」

「問題ない。奴らには見つかっては居ないはずだ。詳しい話は後でな」


 集団の中の一人がおじさんにそう問いかけると、彼はそう答えた。

 一体何の話だろう。わたしも彼らの一団に加わるのだ。決して無関係な話じゃないと思うんだけど……。


「ところで……その娘は誰?」


 集団の中からそんな声が上がり、わたしの思考は妨げられた。周囲から注がれる視線が、なんだか警戒の色を滲ませているような気がした。


「あぁ、この子は帰りの途中で見かけた魔術師だ。今日から俺たちの仲間だ。安心してほしい」


 隣に立つおじさんがそう答えると、その大きな手でわたしの背中を軽く押した。

 そうだ、はじめましてなんだから、自己紹介をしなければ。


「あ、あの、皆さんはじめまして。リーザって言います。どうぞよろしくお願いしますっ」


 自己紹介を終え、頭を下げる。すると、集団の中から次々と歓声が上がった。


「仲間が増えるたぁ、嬉しいねぇ」

「えぇ、そうね。しかもこんなに可愛い娘が」

「男共、色目使うんじゃないわよ?」


 そんな彼らを、おじさんは右手を挙げて制する。そして、彼はわたしの肩に手を置いて言った。


「みんな、この子はこれから俺たちと活動を共にする。仲良くしてやってくれ。そして、リーザよ。ようこそ、我ら革命軍へ」


 次の瞬間、集団から拍手が沸き起こった。誰もがわたしを歓迎してくれている。みんなに囲まれながら、わたしはそれを実感した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る