第四話 悲劇の余韻 後編

 次の日から、わたしの帝国での生活が本格的に始まった。

 わたしの基本的な仕事は邸宅の家事全般だった。食事の用意から掃除洗濯、庭の手入れまで。迷いそうになるほどの大きさを誇るこの邸宅だが、実際に住んでいる人数は3人と少ないので、食事や洗濯は難なくこなすことが出来た。しかし、掃除や庭の手入れまではさすがに手が回らなかった。


 広い邸宅の中、ほとんど使わない部屋はこれでもかというほどある。しかし、お母様はすべての部屋の掃除を毎日させようとするのだ。逆らうわけにもいかず、頑張って掃除をするのだけれど、何かにつけてお母様にダメ出しを喰らっていた。その度に、この邸宅に召使いの一人もいないのは、彼女の性格故なのだと思った。何をやっても文句ばかりで、召使いの方から逃げていってしまうのだろう。

 しかし、わたしにそんなことは許されなかった。なぜなら、ここで逃げ出してしまえば、カイルさんとの結婚など決して叶わないのだから。


 それにしてもこの邸宅、見た目に反して中は意外と整理されていない。部屋の隅には物が無造作に置かれているし、滅多に使わないという部屋にはその傾向が顕著だった。

 安全面にも配慮していないのか、棚の上に大きなビンが置かれているところもあった。何かの拍子に落っこちて、それに当たったらどうするというのだろうか。

 そんな光景を見過ごすことが出来ず、それらを整理しようとすると、それはそれでお母様に怒鳴られる。「勝手に家の物に触るんじゃない」と。

 仕方ないので、わたしはモヤモヤした気持ちになりながらも、お母様の指示に従った。

 そんな日々だけど、決して不幸せなどではなかった。愛するカイルさんと同じ屋根の下にいられるだけでも、わたしの心は躍った。嘗ては彼とは昼食のみを共にすることしか出来なかったが、今ではより長い時間を一緒に過ごすことができる。わたしはそれだけでいくらでも頑張れる気がした。


 そんな毎日が続き、遂に明日に挙式を控えたある日のことだった。空は暗雲で覆われ、洗濯物が乾きにくい日だった。

 カイルさんとわたし、それとお母様で一つのテーブルを囲み、一緒に昼食を摂っていた。テーブルの上には勿論、わたしの作った料理が並ぶ。


「美味しいよ」


 カイさんはそう言って、わたしの料理を褒める。


「ダメね。味が薄いわ」


 お母様は相変わらずのダメ出しを欠かさない。

 双方の意見を聞きつつ、食事を終える。わたしは食後の紅茶を淹れる為、食器と共に台所へと向かう。皿洗いは後に回し、紅茶を手早く淹れる。先生直伝の紅茶だ。こればかりはお母様も文句を言うことはなかった。

 お盆に紅茶の入ったポットと人数分のカップを載せ、食堂へと運んでいく。ちょうどわたしが食堂に足を踏み入れた時、それは起こった。

 足に微かな振動を感じる。地鳴りだろうか。もしかしたら、近くを馬車の行列が通っているのかもしれない。わたしはそんな暢気なことを思っていた。


「ッ!!」


 しかし、次の瞬間、その地鳴りは激しい衝撃となってわたしたちを襲った。

 地面が激しく揺れる。わたしは何とかお盆から物を落とさないようにその揺れに耐えていた。

 まるで家中が引っ掻き回されているかのように部屋が荒れていく。家具は倒れ、中身は散乱し、それが皆砕けていく。

 一体何が起きている!? カイさんとお母様は無事か?

 片膝立ちになりながらも、必死に揺れに耐えながら食堂の中央へと目を向ける。カイさんは席に着いたままテーブルにしがみついており、お母様は近くの棚に寄り添いながら何とか揺れを凌いでいた。

 二人は無事だ。そのことに小さな安心を覚えたその時、棚の上の一つの大きなビンが目に入った。部屋が激しく振動する中、それも不安定にその身を揺らす。そして、遂に棚の上から転げ落ちた。それが落下する先には、棚に必死にしがみついているお母様がいた。


「危ないっ!」


 わたしは叫び、腕を伸ばす。すると、それに釣られるかのようにポットに入った紅茶が一斉にそこから飛び出した。紅茶は一つの塊となり、お母様の頭めがけて落下するビンに衝突する。すると、ビンはまるで弾力に富んだ物体にでも当たったかのように大きく弾み、その軌道を変えた。ビンはそのまま床に叩きつけられ、粉々に砕けた。その後少しすると、さっきまでの揺れは嘘だったかのように辺りは静寂を取り戻した。

 良かった。さっきのは一体何だったのかは分からないけど、お母様を守ることができた。わたしはほっと胸を撫で下ろす。

 しかし、安心するのはまだ早かった。見ると、お母様は目を見開き、わたしを見つめていた。彼女の足元には紅茶が広がっていた。

 まさか、わたしが魔法を使ったところを見られてしまったのか……?

 戦慄していると、彼女はわなわなと腕を震わせながらわたしを指差した。


「お、お前は、まさか……魔術師……」

「……ッ」


 全身から血の気が引いてゆくのが分かる。

 あぁ、もうお終いだ。わたしが魔女であることがバレた。よりにもよってお母様に。


「あぁ、そうか。そう言うことだったのか……!」


 お母様は天を仰ぎ、そう呟く。


「ずっと疑問だった。何故、カイルがお前のような貧民を嫁に選んだのか。家柄も教養もないお前が、何故格式ある我が家に招かれようとしているのかを。だが、すべてお前の仕業だったのか。お前が魔法でカイルを操っているんだな!」

「ち、違います!」


 あぁ、もうだめだ。こうなった帝国の人に何を言っても無駄だ。こちらの話に聞く耳など持ち合わせていないのだから。


「さっきまでの揺れもお前がやったんだろう!? あたしたちを殺そうってのか!?」

「母さん、待ってくれよ!」


 カイさんが横から割って入る。


「母さんだって見ただろう? リズは母さんを守ったんだ。彼女が何もしなかったら、母さんはあのビンに頭を打ちつけて、今頃どうなっていたか――」

「お前は黙っていなさいっ!」


 わたしの味方をするカイさんに対し、お母様はピシャリと言った。


「お前はずっとこの女に騙されていたんだ。いい加減目を覚ましなさい!」

「でも、リズは母さんを助けて――」

「そんなことは関係ない!」


 カイさんの言葉にも耳を傾けるとこなく、お母様はさきほどの揺れの後でも無事だった棚の中を漁る。その中から取り出したのは、長い筒状も物だった。

 あれは見覚えがある。帝国で開発されたという、遠く離れた生き物も瞬時に殺すことができる武器だ。

 彼女はそれを構え、筒の先をわたしに向ける。


「よくも息子をたぶらかしてくれたな! この雌犬め! 死ねぇ!」


 次の瞬間、部屋中に轟音が鳴り響いた。

 わたしは死を覚悟した。目を瞑り、それがわたしを貫くのを待った。

 しかし、一向にその時は来なかった。痛みは無く、ただ甲高い金属音が一つ聞こえただけだった。

 薄っすらと目を開く。すると、目の前には大きなカイさんの背中があった。彼がわたしを守ってくれたんだ。


「逃げろ! リズ!」


 彼は叫んだ。


「に、逃げるってどこへ……?」

「どこでも良い。ここじゃないどこかなら。このままじゃ、お前は殺される」


 どの道、わたしはもう帝国にはいられない。わたしが魔女だと知られてしまったのだから。

 ならば、逃げなきゃ。帝国から。


「早くっ!」

「……ッ!」


 彼の言葉に背中を押されるように、わたしは走り出した。


「逃がすかぁ!」


 すかさずお母様は筒の先をわたしに向け、轟音を鳴らす。しかし、今回も金属音と共にそれは阻まれた。さっきは隠れていて見えなかったが、カイさんの手には食事の時に使用したナイフが握られていた。


「君のことは、僕が守る」


 かつて彼の言ってくれた言葉が頭の中に蘇る。彼は確かにわたしを守ってくれた。でも、こんなにも早い時期にだなんて。


「……ごめんなさいっ」


 わたしはカイルさんの勇ましい背中にそっと言葉を残し、食堂から去った。

 わたしが向かうのはわたしの寝室。わたしに与えられたその部屋には、わたしの持ち込んだすべての荷物が置かれている。その中に、わたしの箒もある。

 帝国から逃げるのに自分の足だけでは無理だ。いずれ追いつかれ、そして殺される。逃げる為に箒は必須だった。

 カイさんがお母様を押し留めていてくれているお陰か、あれかあ轟音は聞こえない。わたしは揺れの為に散らかった廊下を脇目も振らずに走った。

 自室に辿りついたわたしはすぐさま箒を掴み、窓から飛び出した。最早何かに構っている時間は無い。殺されるかもしれないという恐怖がわたしを焦らせた。

 さきほどの激しい揺れによってメチャクチャになった帝国の上空を、わたしはこれまでに出したことの無いほどの速度で飛んでいった。


 ***


 帝国から西にある森の上を、のんびりと飛んでゆく。

 わたしが魔女だと、帝国にバレてしまった。もう、あそこには戻れない。もし見つかれば、否応なく殺される。

 今頃、お母様は帝国騎士にわたしの存在を知らせていることだろう。あの帝国のことだ。魔術師を殺すためなら周囲の村々にまでその捜索範囲を広げるだろう。顔は既に知られている。どこか、遠くへ逃げなくては。

 そうか、もうわたしは帝国にはいられないのか。それだけじゃない。もう二度と、カイルさんとお会いすることもできない。彼と一緒になるという未来は潰えたのだ。


 ふと、涙が零れ落ちた。

 どうして、こんなことになってしまったんだろう……? わたしはただ、お母様を助けただけなのに。わたしは何も悪いことをしていないはずなのに。どうして魔法が使えるというだけで、命を狙われなければいけないんだ……?

 そうだよ。わたしは何も悪くない。悪いのは、帝国の人間にそんなくだらない思想を植えつけた一人の魔術師。四百年前に帝国を滅ぼしたというあいつが悪いんだ。あいつのせいで、わたしは愛する人と結ばれるはずの未来を失った。あいつのせいで、わたしはこれから命を狙われる身となった。あいつがわたしの人生をメチャクチャにしたんだ!


 不意に、ポツリと頬に雫が落ちた。わたしの涙ではない。雨が降り出したんだ。雨脚は次第に強くなり、わたしのすべてを濡らしてゆく。

 降り注ぐ雨を凌ぐこともせず、わたしは箒に行く先を任せて飛んでゆく。


 *** *** ***


 リーザがこの家を出て行ってから数日が経った。これまで長い間彼女と生活を共にしてきたわたしにとって、その数日は本当に長かった。一人の朝、一人の食事、一人の夜。そのすべてが懐かしく、寂しく思えた。こんなにもわたしはあの子を心の拠り所にしていたのかと驚いたものだ。

 そして今日も、わたしは一人の日を迎える。その日、空は厚い雲に覆われていた。日課の畑仕事を終え、家に帰り着く昼頃には、空から大量の雨粒が零れ落ちてきた。

 降りしきる雨を魔法で退けつつ、家へと向かう。今日も今日とて、薬の研究を進めるとしよう。

 家に着いたわたしは、いつもの如く紅茶を淹れる。ソファに座りながらそれを楽しみ、畑仕事で疲れた体を休める。


 そういえば今日、畑仕事の最中に地震が起きた。中々規模の大きなものだったが、村に被害は無かったようだ。それにしても、この地域で地震とは珍しい。これが自然のものなのか、それとも人為的なものなのか。そんなことを思案していたその時だった。

 何の前触れも無く、玄関のドアが開かれた音がした。声の一つも掛けることなく訪問とは、一体誰だろうか。わたしは紅茶をテーブルに一旦置き、玄関へと向かった。


「リ、リーザ……?」


 そこには、全身ずぶ濡れになったリーザが立っていた。彼女の立つ床にはいくつもの雫が滴り、その手には箒一本だけが握られていた。

 何か帝国であったに違いない。わたしが声を掛けようとしたが、それよりも早くリーザはわたしに縋り付いた。わたしの腕の中で、リズは静かに嗚咽をもらす。


「わたしね……失敗しちゃった……わたしが魔女だって、バレちゃった……」


 リズは言葉に熱がこもる。


「わたし、ただ……助けただけなのに! ……悪いことなんかに魔法、使ってないのに……!」


 それだけで、あらかたの察しがついた。リズを抱く腕に力を込める。


「わたし、もう……帝国にいられない。カイさんとも一緒にいられない……。全部、あの魔術師が悪いんだ。ずっと昔に帝国を滅ぼしたっていう魔術師のせいで、こんなことになったんだ!」

「……」

 胸の奥がずきりと痛んだ。


「大好きだった! 誰よりも愛していたのに! もう彼とはいられない! わたしの未来を全部、台無しになったんだ!」


 嘗て帝国を滅ぼした魔術師のせいで、未来を潰された。とリズは言う。一滴の涙が頬を伝った。


「リズ……ごめんなさい……」


 ふと、言葉が漏れた。

 リズは尚もわたしの胸で嗚咽を漏らす。


「うぅ、どうして……先生があやまるの……? 先生は何も悪くないよ。悪いのは全部、四百年前に帝国を滅ぼした魔術師なんだから……」


 そうだ。悪いのはそいつ。リズをこんなにも傷つけたのは、遥か昔を生きた一人の魔女。

 だから、わたしは……。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 何度も赦しを乞わねばならない。


「ごめんなさい、リズ……」

「……」


 リズは何も言わない。が、わたしを抱く腕の力がふっと弱まった。唐突に、彼女は口を開く。


「……先生って、四百歳は越えてるって言ってたよね……?」

「……えぇ」


 リズはわたしから体を離し、おもむろに立ち上がった。


「もしかして、四百年前に帝国を滅ぼしたっていう魔術師って……先生?」

「……えぇ、そうよ」


 わたしを見下ろす彼女の目をわたしは見ることが出来ない。俯きつつ、わたしは答える。


「わたしが、四百年前に帝国を滅ぼした魔女よ」

「ッ!!」


 リズは後退り、そしてその場にへたり込んだ。


「うそ……そんなの嘘よ! でしょ? 先生! 嘘だって言ってよ!」

「……本当よ」


 静かにそう告げる。すると、リズは火がついたように声を上げて泣き出した。その様子を見て、わたしの胸の奥がずきずきと痛んだ。


「リズ……」


 そっと彼女に手を伸ばす。すると、リズはわたしの目の前に細い火の柱を生み出した。


「来ないでっ!」


 リズはだらだらと涙を流しながら歯を食いしばり、わたしを睨みつける。


「先生の、先生のせいで、わたしは……! あああッ!!」


 リズは半狂乱になって駆け出した。


「ま、待ちなさいっ! リーザ!」


 わたしの声に足を止めることなく、リーザは箒を掴んで外へ飛び出した。

 一人残されたわたしは、自分の体を抱く。寒くないはずなのに、体の震えが止まらなかった。


「あぁ、リーザ……ごめんなさい……ごめんなさい」


 まるで木偶のようになりながら、そればかりを繰り返していた。

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