第四話 悲劇の余韻 前編
セラ先生とカイさんの初めての面会は無事成功し、彼は先生から晴れて正式にわたしとの結婚を認めてもらった。
それからあっという間に時は過ぎ、彼は任務遂行のために帝国へと帰っていった。任務の報告やらでしばらく忙しいけど、落ち着いたら迎えに来てくれるそうだ。わたしはその時が来るのを待ち焦がれていた。
そして、それから数日経った頃、一通の手紙が届いた。差出人はカイさんだった。
手紙の内容は次のようなものだった。仕事は綺麗に片付き、しばらくの休みを貰ったので、明日にでも迎えに行く。それまでに準備を済ませておいてほしい、と。
彼がわたしを迎えに来てくれる。そのことに嬉しさを感じる一方で、この村との別れがもうすぐなのだと実感し、たびたび涙を流すこともあった。しかし、その度に村のみんながわたしを励ましてくれた。「この村が恋しくなったらいつでも帰ってこい」と、みんなが言ってくれた。
そして遂に、その時が来た。
わたしが家で紅茶を楽しんでいると、玄関のドアが叩かれた。わたしがそれに出ると、そこにはミーナちゃんが立っていた。
「リーザちゃん、彼が来たよ!」
それを聞いたわたしは、あらかじめ纏めてあった荷物を掴み、すぐさま村へと向かった。
天気は快晴。日差しは柔らかく降り注ぎ、風は優しく肌に触れ、小鳥たちは透き通ったその声を響かせる。なんて麗らかな日だろう。まるで、すべてがわたしを祝福してくれているかのよう。
村に着くと、真ん中の広場に一台の馬車が停まっていた。馬車は白を基調とし、多くのきらびやかな装飾の施されたものであり、それを引く馬は固く締まった筋肉をその身に収め、たてがみは見事に風にそよいでいた。見るからにこの村とは格の違う馬車を見せられ、わたしは気圧されてしまった。
まさか、カイさんは本当はとっても偉い立場なんじゃないか? それとも、帝国ではこれが普通なのか?
いや、そんなことよりも、早くカイさんに会わなければ。少し緊張しながらも、しっかりと胸を張り、その馬車へと進んでいく。
すると、馬車の扉が唐突に開かれる。そこから現れたのは、わたしの騎士様、カイルさんだった。彼の出で立ちは騎士のそれではなく、おとぎ話の中の王子を思わせるような立派なものだった。
わたしは今一度、自分の全体を見下ろす。彼と比べて見劣りしたりはしないだろうか。そんな心配からだった。
けど、きっと大丈夫。この服はマナナおばさんがわたしのために仕立ててくれたもの。おばさんの腕は確かなんだから。
わたしは再び自信と決意を新たに、彼と向かい合った。
「あの、お待たせしてすみませんでした」
彼を見上げる。彼はその凛々しいお顔をわたしだけに向ける。
「僕の方こそ、君を随分待たせてしまった。僕のことを待っていてくれて、ありがとう」
彼はそっとわたしを抱き寄せる。わたしも、彼の背中に腕を回した。
すると、唐突に喝采が起こった。周りを見渡せば、そこには村のみんなが勢揃いしていた。
「おめでとう、リーザちゃん!」
「式にはちゃんと、俺たちを招待してくれよ?」
「あんちゃん、リーザのこと、頼むぜ?」
いろんな言葉が投げかけられる。その一つ一つが胸に深く響いた。
最後に、セレス先生がわたしの前に立った。
「先生……」
「リズ、帝国でもがんばりなさい。わたしがいなくても、今度はあなたの隣には彼がいてくれるから……」
「うん、がんばるよ……ありがとう、セレス先生……」
わたしは遂に堪えられず、涙を零しながら先生に抱きついた。幼いあの頃のように、先生は優しく抱きとめてくれた。
「こらこら、彼の前でみっともないわよ?」
「だってぇ、だってぇ……」
「もう、仕方の無い子ねぇ」
まるで子供をあやすように、わたしの髪を先生はそっと撫でてくれた。しばらくの間、わたしは子供に戻ったように先生の腕に抱かれていた。
「さぁ、行きなさい。彼が待っているわ」
わたしの涙が止まると、先生はわたしを引き剥がし、強く背中を押してくれた。わたしの前には、カイさんが手を差し伸べていた。
「行こう。一緒に」
「はい」
その手をとり、わたしは彼と並んで村のみんなに向き直る。
「皆さん。リーザのことは、僕が必ず幸せにします」
「みんな……いままで本当にありがとうっ」
再び、喝采が起こる。みんながわたしたちを祝福してくれてる。みんなからの歓声に背中を押されるように、わたしたちは馬車に乗り込んだ。
御者の人が手綱をしならせ、馬が走り出す。村のみんなが大きく手を振る。わたしは、みんなが遠ざかり、見えなくなるまで、窓から手を振っていた。
***
森を抜け、草原を抜け、遂にわたしたちは帝国に辿り着いた。帝国はその周囲を高い壁に囲まれており、その外からでも見えるほどの大きな建物が見えた。あれはきっと、王様の住む城なのだろう。
その大きさに圧倒されていると、馬車は壁の一部に設けられたこれまた信じられないほど大きな門をくぐり抜け、帝国内部に入っていった。
初めての帝国。辺りは道行く人々で賑わい、皆素敵な衣装で着飾っている。所々で開かれた市場には、見たことも無いようなもので溢れていた。
これが帝国。さすが帝国。魔術師の敵ながら、わたしは感心し切っていた。
やがてわたしの乗る馬車はある建物の前で停まった。御者の男の人が扉を開き、わたしとカイルさんを降ろす。すると、見上げるほど高い立派な邸宅が目の前に鎮座していた。
なんだ、この大きさは。他の家と比べても、一回りや二回り大きいという程度ではない。明らかに格が違った。
「さぁ、中に入ろう」
目の前の光景に驚き物も言えないわたしの手を引き、彼はその邸宅の中へとわたしを誘った。
***
中は意外と静かだった。
これほどの大きさの邸宅だ。何人もの使用人を抱えているに違いないと思っていたが、予想に反して中は人影一つ見当たらなかった。そんな、まるで無人に思えるような邸宅の中を、彼はわたしの手を引いて進んでいく。
「帰ったよ、母さん」
ある一つの部屋に入った彼はそう言った。
この部屋に、カイさんのお母様がいらっしゃるのか。わたしは少し緊張しながらも、彼に続いてその部屋に足を踏み入れた。
「おぉ、お帰り。……おや? その娘は……?」
そこには、薄い皺を顔に刻んだ熟年ほどであろう女性がソファに座っていた。彼女はわたしを訝るような目つきでじろじろと見てきた。
その視線に若干萎縮していると、彼が一歩前に出た。
「忘れたのか? 今日結婚相手を紹介するって言ったじゃないか」
「あぁ、そうだったねぇ」
彼女は思い出したようで、手を一つ叩いた。そして、彼女はおもむろに立ち上がり、わたしの前にやってきた。
「紹介するよ。こちらが僕の母さん。そして、こちらが僕とお付き合いしている、リーザさんだ」
わたしは手を前で重ね、深く頭を下げた。
「はじめまして。リーザと申します」
「ほぉ~う」
わたしが名乗ると、お母様はまるで興味無いといったような返事を返し、再びソファに腰掛けた。その様子を見て、カイさんは困ったように言った。
「なんだよ、母さん。その態度は。この人は僕の妻になる人だぞ。そんな失礼な態度はやめてくれ」
彼はそう訴えかけた。しかし、お母様の態度は変わらない。彼女はわたしに、まるで蔑むかのような視線を向けてきた。
「その娘がお前の妻になる、ねぇ。あたしは認めた覚えはないがね」
えっ? わたしと彼の結婚を認めていない? どういうことだ。
「な、話が違うじゃないか!」
その思いは彼も同じなようだ。
「……話が違う、とは?」
「僕が任務から帰ってきた日に話したじゃないか! 愛する人ができた。その人と結婚するって。その時、母さんだって喜んでくれたじゃないか! それなのに、今になってどうしてそんなことを言うんだ!」
「あぁ、そうだねぇ。あんたが結婚するって言った日にゃ、そりゃぁ嬉しかったもんさ」
お母様は天井を仰ぐ。そして、ゆっくりと視線を廻らし、わたしに定めた。
「ただ、まさかあんたが、そんな貧民を連れてくるとは、思わなかったけどねぇ」
「ひ、貧民……?」
思わず、わたしは声を漏らす。それを耳聡く聞きつけたお母様は、たじろぐわたしに言い放った。
「本当のことだろう? 一体どこで拾ってきたのかは知らないが、家名を持たない奴がどのような教育を受けてきたかなど容易く想像できる。そんな卑しい身分の人間を我が家に招き入れるなど、できるものか」
「なんてことを言うんだ!」
わたしの隣に立つカイルさんが、一層の怒りを顕にした。
「家柄なんて関係ない。僕だって、元はと言えば小さな農村の生まれだ。家名だって持たなかった。けど、今僕はそれなりの地位に立っている。だから、家柄なんかでその人のすべてを知ることなんか出来ない!」
彼はわたしのために叫ぶ。しかし、お母様にはその言葉は届かない。相変わらず興味のなさそうな目をわたしに向ける。
このまま彼に守られてばかりではだめだ。この人を認めさせるには、わたし自身が動かなければいけない。今こそ、わたしが頑張る時なんだ!
わたしは一歩前に進み出る。その目はしっかりとお母様を捉える。
「確かに、わたしに家名はありません。帝国の西の、とても小さな村で産まれたのですから、『貧民』であることは間違いないでしょう」
お母様は鼻を鳴らす。しかし、わたしは構わず続ける。
「ですが、わたしの師を侮辱されるような謂れはありません!」
その瞬間、お母様の視線が鋭くなり、わたしを貫く。しかし、わたしは怯まない。
「わたしの師は素晴らしい女性です。聡明で、気品に溢れ、温情をもって人と接する。わたしは彼女から多くを学び、自分のものとしてきました。わたしは今の自分の力に、自信を持っております」
そうだ、わたしは先生から数え切れないほど多くのことを学んだ。薬学も、魔法も、それ以外のものも。だからわたしは胸を張れる。胸を張って、「わたしは帝国の人間に勝るとも劣らない人間なのだ」と言える。
「そうか。では、お前に一体何が出来る? この家の為に、お前は一体何が為せると言うのかねぇ?」
お母様は少し興味の色を滲ませた視線をわたしに注ぐ。わたしはその目を真っ直ぐに見つめ返しながら言い放つ。
「わたしは医者です。わたしの腕は、相手が例えこの帝国一の医者と言えども引けを取りません。わたしはこの帝国で医者になります。そしていずれ帝国一、いえ、世界一の医者になります」
「ふんっ」
お母様は口許を緩めた。その微笑みは、おそらく蔑みのためだろう。
「世界一の医者になる、ねぇ。そんな夢を語ったところで、その行く末なぞ知れたもんだろうがね。まぁ、あんたのその度胸だけは認めるよ。請われれば、使用人として雇ってもいい」
「もういい加減にしてくれ! 母さん!」
とうとう、カイさんがこれまで聞いたことの無いような怒号を上げた。
「母さんが何と言おうと、僕は彼女と結婚する。そして彼女も、いずれ夢を叶えるよ。僕らの前に、母さんの言葉は意味を為さない。だから、もうそんなことを言って僕らを困らせるのはやめてくれ」
「……ふん、勝手におし」
そう言い残し、お母様は部屋を出ていってしまった。部屋にはわたしとカイさんだけが残った。
「すまない。母が随分失礼なことを……」
彼が彼女の代わりに頭を下げる。わたしは無理矢理彼に頭を上げさせた。
「そんな、おやめ下さい。わたしは大丈夫ですから」
そうだ。わたしはここで折れるわけにはいかない。これからきっと、もっと大きな困難が前に立ちはだかるはずだから。
わたしが決意を新たにする一方で、彼は心配の眼差しを向ける。
「結婚して式を挙げたら、この家を出て二人だけの家を買おう。だから、少しだけの辛抱だ」
彼の言い方から、お母様のそういった部分に彼はうんざりとしているようだ。
しかし、わたしにとっては結婚相手のお母様。例えそれが養子の母であったとしても、ぞんざいに接することなど出来ない。短い間かもしれないが、この家で出来ることは精一杯やろう。
わたしは一人、心の中でそう決心した。
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