第六話 救済の魔女 前編

「うぅ……うぅん……」


 頭がクラクラする。気持ちが悪い。吐きそうだ。

 不快な感覚を抱きながら、わたしは意識を取り戻した。まだ意識がはっきりしていないせいか、記憶が曖昧だ。ここは一体どこで、わたしは何をしていたのかが思い出せない。

 何か記憶の手がかりを探そうと、首を廻らす。しかし、目も前は真っ暗で何も見えない。顔に違和感を感じる。どうやら、目隠しをされているようだ。


 頭に巻かれた目隠しの布を取ろうと腕を動かす。しかし、わたしの両腕はそれぞれが何かに縛り付けられているようで、自由に動かすことが出来なかった。ここでわたしは、自分が何者かに囚われていることを悟った。

 未だ朦朧とする意識の中、少しずつ耳が聴力を取り戻していく。この状況の中、少しでも情報を得ようと耳を澄ますわたしが初めに聞いたのは、歓声だった。

 まるでわたしを取り囲むように歓声が沸き起こる。大勢の人がそれぞれ別のことを叫ぶものだから、彼らが一体何を言っているのかは聞き取れない。しかし、彼らの声は喜色に満ちていた。

 嫌な予感がする。わたしの首筋を一筋の汗が伝った。


 次の瞬間、わたしの視界を奪っていた目隠しの布が強引に剥ぎ取られた。わたしの前に世界が広がっていく。その先にわたしが見たのは、嬉々とした表情を浮かべ歓声を上げる帝国民たちの姿だった。

 日は沈み、頭上には夜空が広がっている。暗闇の中、松明の灯りに照らされて、皆でわたしを取り囲み口々に何かを言っている。やはり彼らの言っていることは聞き取れない。しかし、わたしにとって良くないことを言っていることは確かだ。

 わたしは周りより数段高い位置に拘束されていた。手首足首には枷がはめられ、腕は背後の支柱へ、脚は地面に鎖で繋がれていた。

 わたしはようやく、これから自分の身に一体何が起きるのかを悟った。わたしはこれから処刑されるのだ。


 そっかぁ。わたし、捕まっちゃったのかぁ。そんなことをぼんやりと思いながら回りを見渡す。皆、わたしが処刑さえるのを心待ちにしている。帝国の民を脅かす存在である魔術師がどんな苦しみを味わいながら死んでいくのか、楽しみで仕方ないのだ。そう感じたとき、わたしは一瞬身を震わせた。


 死にたくない! 逃げなきゃ! 生への衝動がわたしを駆り立てた。鎖に繋がれた手足を闇雲に動かす。しかし、当然ながらそれらはびくともしない。それを見て、帝国民たちは一斉に笑い声を上げた。


 嘗て誰かが言っていた。魔術師の処刑は帝国で一番の娯楽だと。彼らは本当に、心の底から楽しんでいるんだ。わたしが痛み苦しむ姿を、まるで喜劇でも見るかのような感覚で見に来ているんだ。そう感じた瞬間、わたしは、本当にこれから自分は処刑されるのだと実感した。


 いやだ! いやだいやだ、死にたくない! こんな、酷いことされて、見世物にされて死ぬのなんて嫌だ! お願い、助けて……! 誰か、この鎖を解いてよ!


 必死にもがき、そう叫ぶ。しかし、わたしの口から一切の声は出なかった。代わりに、体中からは大量の汗が、両目からは涙がダラダラと流れ出ていた。

 そんな状態のわたしを尻目に、一人の大男がわたしの隣に進み出た。その人は全身を白く厚い鎧で覆い、それをうるさく鳴らしながら歩く。そんな彼の太い右腕には、彼の身の丈ほどの長さを持った両刃の斧が掴まれていた。


「静粛に!」


 そう叫ぶと共に、彼は斧の柄の先を地面に強く打ちつけた。帝国中にその太い声と甲高い音が響き渡り、帝国民は一斉に沈黙した。口を噤み大男を見上げる帝国民をぐるりと見渡すと、彼は口を開いた。


「我らが神、マーサベーレ様の愛により守られたこの帝国には、未だ数え切れぬ脅威が潜んでいる! その最たるものが魔術師の存在だ! 魔術師は己の魂との対価として得た奇怪なる力で以って、帝国を滅ぼさんと企んでいる! この女も、その一人である!

 この女は、恐ろしいことにその魔法によって帝国の人間を操り、騙し、自ら帝国に潜入することで、我らが帝国を内側から滅ぼさんと企んでいた! そして、あろうことか、その犠牲となったのは我ら帝国騎士団三番隊隊長、カイル・アーガレアであったのだ!」


 そんな! わたしそんなことしてない! 勝手な嘘をでっち上げないで!

 しかし、わたしの叫びはやはり口から漏れることはない。一方で、帝国民からは再び声が上がり始めた。その内容は、わたしに対する怒りに満ちていた。大男は右手を挙げてそれを制し、再び語りだす。


「騎士団隊長を騙し、操った罪は決して晴れることは無い! しかし、我らが神はその大いなる愛のために、ご自身の手でこの女に罰を下すことはなさらない! 故に! この女への罰は! 犠牲になった者自らの手で下さらなければならない!」


 大男はそう叫び、再び斧の柄の先を地面に強く打ち付ける。すると、それを合図に背後から誰かが歩いてくる音が聞こえる。それが誰なのか、見なくても分かる。大男は言っていた。犠牲者自らの手で罰を下せと。だから、わたしの背後からやってくるその人はわたしの愛する人、カイルさんだ。

 靴音がわたしの隣でぴたりと止まった。わたしは流した涙でぐしゃぐしゃになった顔をそちらへと向ける。そこに立っていたのは、白い鎧に身を包み、右手には一振りの剣を携えたカイルさんだった。そして、彼の胸元には帝国のシンボルが深く刻まれていた。


「さぁ! カイル・アーガレアよ! 己が手でその女の首を切り落とし、お前の無念を晴らせ!」


 大男がそう叫ぶと、それに共鳴するかのように群衆たちからも声が上がる。「その女を殺せ!」と、誰もが叫んでいる。カイルさんはそんな彼らに背を向け、わたしと向かい合う。わたしは泣き腫らした顔で彼を見上げる。彼は瞼を閉じ、顔には苦渋の色を浮かべている。剣を持つ彼の手は、わなわなと震えていた。


 カイルさんは今、苦境に苛まれているんだ。わたしを選ぶか、騎士としての己の立場を選ぶか。

 もし騎士としての立場を選んだなら、彼はこれまで通りの生活を送ることができるだろう。帝国が信頼を置く帝国騎士の一隊長として。しかし、その代償としてわたしの命を自分の手で散らさなければならない。


 一方で、もしわたしを選んだなら、彼は今の立場を失うことになるだろう。魔術師の味方をしたとなれば彼は帝国からの信頼を失い、牢屋に放り込まれるか、或いは死刑になるだろう。そして、わたしの命も助かることはないだろう。帝国の群衆や騎士に囲まれたこの状況から抜け出せる方法など、ありはしないのだから。


 彼がどちらを選ぶにせよ、わたしはもう助からない。帝国に捕まり、こうして鎖に繋がれた時点でわたしの死は確定していたのだ。

 ならばいっそのこと、彼に……。


「カイさん……」


 瞳を瞑ったままの彼にそっと声を掛ける。


「お願いです。わたしを殺して下さい。もしわたしを殺さなければ、あなたは帝国騎士としての信頼を失ってしまいます。その時、あなたに一体何が起こるのか、わたしは想像することすら恐ろしいのです。それに、もしあなたがわたしを殺さなくても、わたしに生き残る道はありません。わたしはどの道、ここで死ぬ運命にあるのです」


 彼にだけ聞こえる声で必死に呼びかける。しかし、彼は尚も心を決めることが出来ない。わたしは、それが嬉しかった。なぜなら、それは彼がわたしのことをまだ愛してくださっている証拠だから。

 わたしは更に言葉を続ける。


「どうせ死ぬのなら、せめてあなたに殺されたい。他の誰でもない、あなたに。なぜなら、あなたはわたしを愛してくださっているから。他の、憎しみに満ちた剣でこの身を裂かれるくらいなら、わたしは、あなたの剣でこの身を裂かれたい。だから、お願いします。わたしを、殺して下さい……ッ!」

「……僕は……ッ」


 彼はようやく目を開き、わたしと視線を交し合う。彼の変わらぬ優しい目を見て、わたしの心が和むのを感じた。


「カイルさん……愛しています」

「ッ!!」


 精一杯の笑顔を彼に送る。その時、わたしの頬を新たな涙が伝った。

 彼は目を見開き、歯を食いしばる。そして、剣を高々と掲げた。

 ここに集う誰もが息を飲んだ。遂に罪深き魔術師の一人が無様にもその首を切り落とされるのだ。全員が興奮の色を抑えられないまま、その視線をわたしたちに向ける。


 わたしは瞳を閉じ、首を力なく垂らす。もうすぐ、わたしは死ぬ。しかし、カイルさんの為になるのなら、それも良いのかもしれない。それに、彼に殺されるのなら、悔いも無い。あぁ、でも最後に、もう一度だけセラ先生に会いたかった。先生とは酷い別れ方をしたものだから、それだけが心残りだ。わたしが死んだと知れば、先生は悲しんでくれるだろうか。

 いろいろな思いが頭の中を駆け巡る。しかし、それらももうすぐ無に帰すだろう。彼が一度剣を振り下ろせば、流れ出る血液と共に意識は霧散していくのだから。わたしは、ただひたすらにその時を待った。


 ……しかし、一向にその時は来なかった。帝国民たちからざわめきが聞こえる。何があったんだろうか。そう思い、わたしは再び彼を見上げた。

 カイルさんはわたしに背を向け、剣を下ろしていた。彼はまるでわたしを背後に守るかのように、群衆に向かって立っていた。


「……何のつもりだ? カイルよ」


 大男が凄みの利いた声を響かせる。しかし、カイルさんは全く怯む様子もなく、真っ直ぐに言い放った。


「僕は、彼女をこの手に掛けることは、出来ない!」


 どよめきが周囲にこだまする。誰もが彼の言葉に困惑し、その真意を掴めない。そんな中、大男がカイルさんの前に進み出た。


「それは一体何故だ? まさか、その魔術師に操られているのか?」

「いいえ、違います!」


 カイルさんは大男の言葉を真っ向から否定する。そして、帝国中に響き渡るほどの声で彼は言い放った。


「僕はっ! 彼女を心の底から愛していますっ!」


 その瞬間、帝国中が一斉に静まり返った。誰もが彼の言葉の意味を理解できずに困惑している。そんな中、彼は構わずに続けた。


「魔術師は敵だ。帝国に災厄を呼ぶ者だと、皆さんは言います。確かに、魔術師の中にはそういった人もいるかもしれません。しかし、彼女は違います。彼女は、僕の負った傷を癒してくれました。僕のために魔法を使ってくれたのです。

 それだけではありません。彼女は度々こう言っていました。『自分の魔法を人々の為に使いたい』と。時間を共にした僕には、その言葉が嘘でないことが分かります。

 彼女は災厄を呼ぶような魔術師ではありません。僕たちと何ら変わらない、一人の女性なのです!」

「ええい! 黙れ!」


 カイルさんの言葉を遮るように、大男は大声を張り上げる。大男は大斧を手に持ち、ゆっくりとカイルさんに詰め寄っていく。彼は剣を構え、大男と対峙する。


「そこを退け! お前がやれぬと言うのなら、この俺がそいつを殺してやる!」

「例え団長の命令といえど、聞けません。彼女と約束しましたから。絶対に、彼女を守ると!」

「俺に逆らうだと? ならば、その魔術師もろとも、こいつの血錆にしてくれるわ!」


 そう言い放つと、騎士団長と呼ばれた大男は大斧を両腕で振り上げ、力一杯にそれを振り下ろした。カイルさんは剣を逆手に取り、刃を斜めに構えてこれを受け流す。軌道を逸らされた大斧はわたしたちの立つ石造りの地面を音を立てて砕いた。

 カイルさんはそのまま大男へと肉薄し、その顔に左の拳を突き出す。しかし、男は体を反ってそれをかわし、それと同時にカイルさんの左腕を掴んだ。木の幹のように太いその腕は軽々とカイルさんを持ち上げ、そして勢いよく放った。

 カイルさんは投げ飛ばされながらも受身を取って体勢を立て直し、再び男に迫る。


「お前は俺には勝てんよ!」


 男は挑発しながら右腕で大斧を掴み、横に薙いだ。カイルさんはそれを跳ねてかわす。しかし、それを見越していてか、男はカイルさんに向かって左腕を伸ばす。カイルさんは慣性に身を任せるまま、男の腕に掴まれようとしていた。しかし、カイルさんは既の所で体を捻ってそれをかわす。そして彼は空中で刃を振るい、男の篭手の隙間を見事に裂いた。


「ウグッ!」


 男は痛みに顔を歪める。しかし、それに構わずカイルさんはさらに追い討ちをかけるように刃を閃かせた。彼は男の周りを縦横無尽に駆け巡り、剣を振るう。男はその速さについていくことが出来ないのか、カイルさんのされるがままとなっていた。

 男の白い鎧からは真っ赤な鮮血が滴り落ちてゆく。男はやり返すことも無く、ただ防御の姿勢をとり続けていた。それを見て、わたしはほんの僅かな期待を抱いていた。カイルさんなら、本当にこの男に勝つんじゃないか。彼は約束通り、わたしを守ってくれるんじゃないか、と。

 しかし、その希望はすぐに打ち砕かれることになった。

 カイルさんがどれほどの斬撃を浴びせようとも、男が地に膝をつくことはなかった。決して膝を折ることなく、ただカイルさんの攻撃に耐えていた。そして、彼が何度目か分からぬ刃を振りかざしたそのときだった。男の太い腕が唐突に動き、カイルさんの頭を鷲掴みにしたのだ。


「ッ!!」


 驚き目を見開くカイルさんに、男はニヤニヤした表情を向けた。


「言っただろう? お前は俺に勝てないと!」


 男はカイルさんを放すと同時に、彼の腹に拳を振るった。男の拳はカイルさんの鎧を砕き、腹に深くねじ込まれた。そして次の瞬間には、彼は彼方へと飛ばされていた。


「カイさん!」


 激しく殴り飛ばされた彼へと声を掛ける。しかし、カイルさんはピクリとも動かず、返事もまた返さなかった。


「そいつを独房にぶち込んでおけ!」


 大男がそう叫ぶと、さっきまで観客の一員だった帝国騎士たちが帝国民の中からぞろぞろと現れた。彼らはカイルさんを枷で拘束すると、全員でどこかへと彼を運んでいく。

 そんな……。わたしのカイルさんになんて事を……!

 わたしは腹の底から沸々と怒りが湧いてくるのを感じた。しかし、その怒りはすぐに消え失せ、恐怖へと変わった。わたしの目も前に大きな影がそびえる。顔を上げれば、帝国騎士団長がわたしを見下ろしていた。

 男の纏う鎧は己の血で真っ赤に染まっている。にもかかわらず、男は何事もなかったかのような涼しい顔をしてわたしの前に立っていた。男は側に突き刺さったままだった大斧を地面から引き抜いた。


「さぁて、よくもあいつをあのような木偶にしてくれたなぁ」


 眉間に深い皺を寄せ、男がわたしをきつく睨んでくる。わたしは怯えと恐怖で指一本動かすことが出来なかった。


「あいつが騎士団に入りたての頃は、俺があいつの面倒を見てやったもんだ。俺があいつに剣術を叩き込み、そして今じゃあいつは騎士団の隊長だ。あいつは俺の自慢の弟子だ」


 男は斧の刃をわたしの喉笛にあてがった。


「だが、お前の怪しい術のせいで、あいつはイカれちまった! 俺はお前を赦さねぇ。あいつの代わりに、俺がお前を殺す!」


 男は大斧を振りかぶる。あぁ、わたしはこのままあれに首を刎ねられて死ぬんだ。嫌だ。嫌だよ! こんな死に方したくない! 誰か……ッ! 誰か助けてッ!

 そんなわたしの思いを知る術もない男は、そのまま斧をわたしの首めがけて振るう。わたしはその時を、瞳を閉じ、項垂れたまま待った。


 頭の中にさまざまな想いが木霊する。村のみんな、最期の挨拶も出来ずにこの世を去ることを、どうか赦して下さい。カイルさん、あなたと共にこの先の人生を歩みたかった。例えそれが叶わぬことだとしても、わたしはあなたのことを愛しています。どうか、わたしのことを忘れないで……。


 そして、セレス先生。最後にもう一度会いたかった。会って、仲直りしたかった。大好きだよって伝えたかった。わたしがこれまで生きてこられたのは、全部先生のお陰。だから、最後に伝えたかった。『セラ先生、ありがとう』って。


 さまざまな後悔の念が頭の中を渦巻いてゆく。そして、とうとう男の大斧がわたしの首を切り裂こうとして……。


「ッ!?」

「なッ!? 何だこれは!?」


 突如、大地を砕く音と共に甲高い金属音が響き渡る。何事かと目を見開けば、わたしの目の前にあの大男の背丈の倍はあろうかというほどの巨大な氷剣が地面に突き刺さっていた。この巨大な剣によって、男の斧は弾かれたのだ。

 帝国民も、大男も、わたしさえも驚き困惑する中、頭上から一つの影が氷剣の鍔の上に降り立った。闇夜から突然現れたその影を、松明の弱い光が照らし出す。その人は、いえ、彼女は、わたしの良く知る人だった。

 彼女は紺のローブと三角帽に身を包み、片手には箒を携えている。見間違えるはずもない。わたしの前に現れたのは、わたしの恩師であるセレス先生だったのだ。

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