第六話 救済の魔女 中編

 氷剣の柄の上から周囲を見渡す。眼下に広がるのは帝国民の群れ。そして、わたしの下には筋骨隆々の大男が立ち、後ろには四肢を鎖に繋がれたリズが力なくそこにいた。

 よかった……。リズに大きな怪我は無いようだ。わたしは一人、ほっと胸を撫で下ろした。

 誰もがわたしを見上げていた。突然のわたしの来訪に皆が戸惑う中、そのしばしの静寂を破ったのは、わたしの眼下に立った大男だった。


「新手の魔術師……だと!? そこの魔術師を助けに来たって訳か。……はっはっは! 面白れぇ! 二人まとめてぶっ殺してやらぁ!」


 大男はそう叫ぶと、大斧を振りかざしてこちらに突進してきた。

 わたしは氷剣から後ろへ飛び降り、それと同時に氷を融解させる。剣だったそれは大量の水の塊となり、わたしたちを取り囲むように徐々にその形を変えていく。わたしが地面に足を着いたとき、わたしは再び水を凝固させ、それは半球状の障壁となった。


 その直後、金属を弾く甲高い音がドーム中に響いた。その後、立て続けに何度も甲高い音が響く。あの大男が、この障壁を破壊しようと躍起になっているんだろう。

 わたしはそれを無視し、リズと向き合う。リズは真っ直ぐにわたしを見上げるが、わたしは後ろめたさのせいか、その瞳を見つめることが出来ない。彼女から目を逸らしながら、わたしはリズの元へと歩み寄っていく。


 光球を生み出し、周囲を仄かに照らす。彼女の体を見ると、両の手首と足首に枷がはめられ、さらに右の二の腕には何かが貫通したような傷跡が見られた。恐らく、銃に撃たれたんだろう。


「これ……あなたの箒よ。湖の畔で見つけたの……」


 リズの前でしゃがみ、リズの箒を前に置いた。リズはそれに一瞥をくれただけで、何も言わなかった。

 わたしは胸がチクリと痛むのを感じながら、彼女の腕の傷を癒し、水で作った鍵で枷を解除していく。その間、わたしの中には後悔と申し訳無い気持ちが渦巻いていた。


「……ごめんないさい、リズ。わたしのせいで、こんな辛い思いをさせて。ごめんなさ――」


 わたしは静かに謝罪の言葉を漏らす。赦される筈がない。そう分かっていても、わたしの口から自然と言葉が漏れ出てくるのだ。

 しかし、わたしの言葉は言い終えることなく遮られた。手足の枷を開錠した途端、リズがわたしの胸に飛び込んで来たのだ。


「先生っ……! 会いたかったよぉ~!」


 わたしを力一杯抱きしめながら、リズはまるで幼子のように声を上げた。


「もう、先生に会えないと思ってた……。あんな酷い別れ方をしたまま、わたし、死んじゃうんだって……。もうこのまま、二度と先生とは仲直り出来ないんだって……!」


 リズの声に徐々に熱が篭る。


「ごめんなさい、セラ先生。わたし、先生に酷いことした。先生もきっと辛かったはずなのに、わたし、先生の気持ちをちっとも考えてなかった」


 そんな、リズが謝ることなんて何も無い。間違っていたのはわたしだけ。謝らなきゃいけないのは、わたしだけなのに。

 しかし、その気持ちを言葉にすることは出来なかった。その代わり、たった一言だけがわたしの口から漏れた。


「……ありがとう……」


 彼女の体をそっと抱きながら、独り言のようにそう呟いた。

 弱い光に照らされながら、わたしたちはしばらく何も言わずに抱きしめあっていた。周囲には甲高い音ばかりが鳴り響いていた。


「はっ! そうだった!」


 少しして、リズが急にわたしの胸から顔を上げ、何かを思い出したように目を見開いた。

 一体どうしたんだろうか。そう思い、尋ねようとしたが、先にリズが口を開いた。


「先生、大変なの! 魔術師の集団がね、今夜、帝国を滅ぼそうとしてるの!」

「なんですって!?」


 帝国を滅ぼす!? しかも今夜だって!? 日はとうに沈み、今はすでに深夜だ。魔術師の集団がどれ程の規模かは分からないが、この状況で襲われたりなんかしたら、大勢の死傷者が出ることになる。

 いや、そもそもその情報は本当なのか? そんな疑問がわたしの脳裏を一瞬よぎった。が、リズの目を見ればそれは嘘ではないことがわかった。彼女の目は一片の曇りもなく、わたしの目を見つめていた。

 わたしは一つの使命感を胸に抱きながら、リズの手を引いて立ち上がった。


「分かったわ。わたしが何とか――」


 次の瞬間、周囲に氷の砕ける音が鳴り響き、わたしの言葉をかき消した。後ろを振り返ると、わたしの張った障壁が音をたてて崩れ落ちていた。そして、そのぽっかりと開いた穴の先には、あの大男が斧を構えて仁王立ちしていた。


 開いた穴を中心に障壁はひび割れてゆき、程なくしてすべての障壁がただの氷塊へと戻り、崩れ落ちた。障壁を失ったわたしたちは、帝国中からの鋭い視線に晒されることとなった。

 まさか、わたしの障壁を破壊するとは。 ……少し、あの男を見くびっていたようだ。

 動揺するわたしの心境を見抜いてか、大男はニタリと笑った。


「俺を甘く見すぎたな。さぁ、もう逃げ場はないぞ」


 男がそう言うと、処刑場に次々と帝国騎士が上ってきた。わたしたちはあっという間に周囲を取り囲まれてしまう。わたしとリズは背中合わせになって彼らと対峙した。


「どうやら、悠長に話してる暇は無いみたいね」

「うん……そうだね」


 わたしの言葉に対し、リズは若干震えた声で答えた。リズは怯えているのだ。まぁ、それも無理も無いことだろう。

 わたしたちを取り囲む帝国騎士達。彼らは間違いなく手練れだ。そして、その中でも異様な存在感を放つあの大男。彼はここに集まる帝国騎士達の中でも飛び抜けている。恐らく、彼は帝国騎士団長だろう。あの男はわたしの障壁を破壊するほどの馬鹿力を備えている。そんな彼の攻撃を一度でも喰らったらひとたまりもないだろう。攻撃の矛先がわたしならまだ良い。でもそれが、もしリズに向いたりしたら……。


 最悪の場面が無意識に脳裏に映し出され、わたしは緊張の汗を滴らせる。何としても、あの子を彼の攻撃から守らなくては。

 握る拳に力を込め、敵を見据える。敵もそれぞれ武器を構えるだけで、依然としてこちらに襲い掛かってはこなかった。


 お互いが睨み合う中、先ほどまで静かだった群衆の中から、ぽつりぽつりと声が上がり始めた。それはやがて帝国中に広まり、一つの声として夜空に響き渡った。彼らは叫ぶ。「魔術師を殺せ! 帝国を守れ!」と。

 その叫びに鼓舞されたかのように、騎士たちは各々の武器を天高く掲げ、雄たけびを上げた。例の大男も、自分の得物を頭上で振り回し、騎士達に向かって叫んだ。


「行くぞ、お前ぇら! 憎っくき魔術師を殺せ!」


 男はそう叫ぶとともに、わたしたちに向かって駆け出した。他の騎士たちもその後に続く。遂に、戦いの火蓋が切られたのだ。


「リズ、後ろをお願い」

「わ、分かった」


 リズに後ろ半分の敵を任せ、わたしは前の敵に集中する。

 敵は全部で十三人。その全員が厚い鎧を身に纏い、立派な剣を携えている。

 この勢力差だ。わたしには分が悪い。

 がしかし、幸いなことに武器は沢山ある。そのことに、彼らは気が付いていないのだ。


 騎士達が得物を振り降ろし、わたしを斬りつけようとする。しかし、その刃はわたしには届かない。わたしは空高く跳ね、それらをかわしたのだ。

 風を操り、空気中で体勢を整える。それと同時に、わたしは周囲に転がっている氷塊を水へと還元し、呼び寄せる。そしてそれを手甲、具足に変化させ、それを纏った。


 そのまま敵の背後に着地したわたしは、すかさず敵に向かって加速する。狙いを定めた騎士はわたしの動きにまだ反応し切れていない。

 わたしは、がら空きとなった彼の鳩尾に向けて拳を繰り出す。わたしの手甲は彼の鎧を打ち砕き、彼を遥か彼方へと吹き飛ばした。


 しかし、騎士達は怯まない。わたしの左方向から、三人の騎士が突進してきた。

 わたしは周囲の氷塊から激しい水流を生み出し、それで彼らの足元を払う。彼らは空中に投げ出され、体の自由を失う。その間に、わたしは続けざまに、彼らに手甲を繰り出した。


「この……クソ尼ぁッ!」


 後ろから怒号が響き渡る。振り返ったときには、既に大男はわたしめがけて斧を振り下ろしていた。

 今から回避するのでは遅すぎる。

 わたしは手甲と具足を解除し、それを瞬時に大盾へと変換する。その盾を上にかざし、男の攻撃を受ける。


 しかし、盾が即席であった為か、それは易々と砕かれた。わたしは、彼の斧の軌道をわたしからずらすことしか出来なかった。

 敵の攻撃はこれだけでは終わらない。間髪入れずに、別の騎士がわたしの左から斬りかかってきた。

 わたしはその反対方向に回避する。が、間に合わない。彼の刃は、わたしの左腕を深く切り裂いた。


「くッ……、はぁ……はぁ……」


 敵から間合いを取り、左腕を押さえながら荒い息を漏らす。四人倒したとはいえ、まだ相手は九人もいる。それに、今のわたしは手負いだ。状況は悪くなる一方だった。何か、策を講じなければ。

 しかし、彼らはわたしにそんな暇を与えてはくれない。彼らは既に駆け出していた。

 とにかく今は、腕の傷を癒さなければ。

 トクトクと血が流れ出る傷に治癒魔法をかけつつ、目の前に氷の障壁を生み出す。しかし、焦りのせいか、障壁の組み方が悪く、それはいとも容易く破られた。


「くッ」


 騎士達が迫り来る中、わたしは足元に水を集めていく。そして、騎士の一人がわたしに剣の切っ先を突き立てようとした時、わたしは波に乗ってそれを避けた。

 その後も次々と騎士達の刃がわたしを襲う。それに対し、波に乗りながら、わたしは氷の礫で応戦した。しかし、わたしの攻撃はことごとく弾かれ、遂に当たることは無かった。


 その一方、彼らの刃は着実にわたしを追い詰めていった。いくらかわせど、数の力には勝てない。わたしはいくつもの生傷を、この身に刻んでいった。

 これでは埒が明かない。いくら傷を癒しても、次の瞬間にはまた別の傷を付けられる。こんないたちごっこを続けていては、この先どのような展開になるかなど知れたものだ。


 ……どうやら、本気を出さなければいけないらしい。

 本当はこんなことはしたくはなかった。それで誰かを殺してしまうことなど、あってはならないからだ。しかし、殺す気で彼らに立ち向かわなければ、逆にこちらが殺される。もしそうなれば、次に殺されるのはリズだ。あの子だけは、どんな命に代えても守らなければならない!


 一つの決意を抱きつつ、わたしは前を見据える。

 迫り来るのは三人の騎士達。彼らの剣が松明の光を反射し、燃えるような赤に染まる。

 わたしは彼らを瞳に捉えたまま、右足で地面を踏み鳴らす。すると、周囲の水が辺り一面を薄く覆い、彼らの足を絡め取った。

 彼らが必死にもがくのを尻目に、わたしは空へと腕を伸ばす。すると、真っ暗な夜空に暗雲が立ち込め始めた。暗雲は雷を孕み、轟音を響かせる。騎士達の怯えた声すらも、わたしの耳には届かない。

 わたしは空に向かって指を鳴らした。次の瞬間、大気を裂くような轟きとともに、眩い閃光が大地に降り注いだ。


「ガアアァァァ~ッ!」


 騎士達の悲痛な叫びが響く。そして、彼らはその身から若干の黒煙を吐き出しながら、力なくその場に倒れこんだ。

 すべては一瞬のことだった。そして、目の前の光景を目の当たりにした群衆が息を呑んだ。これを見た全員が、恐れを抱いたのが分かった。

 残るは、あとは六人だ。


「お前ぇら! 怯むんじゃねぇ!」


 他の五人の騎士達が及び腰になる中、あの大男だけは違った。彼は大声を張り上げ、騎士達の士気を上げる。

 大男は斧を構えながら駆け出した。彼に鼓舞された騎士達も、その後に続く。

 しかし、彼らは遅すぎた。わたしは既に傷の治療を終え、次なる術式の構成まで済ませている。


 わたしは地面に手の平をつき、意識を集中させる。そして、地中で爆発を起こすことで、周囲の石材を粉々に粉砕した。

 それに水を染み込ませ、空気でそれを圧縮し、周囲の熱量をそれに凝縮していく。石材はドロドロに溶け、高温のために眩しい光を放っている。

 そのまま腕を上に持ち上げれば、眩いそれも追随するように空へと昇った。それはまるで、二つ目の太陽のように煌々と輝いていた。


「はあぁぁぁ~っ!」


 わたしはそれを、散弾のように撃ちだした。

 徐々に小さくなっていく太陽。そして、勇敢に駆けて来る騎士達は、その欠片によって次々に倒れていく。

 そして遂に太陽は消滅し、辺りは再び暗闇に包まれる。処刑場の上を、小さな松明の光が照らし出す。

 そこには、一人の男が立っていた。

 わたしの、あれほどの攻撃を受けても尚、あの大男だけは膝を折ることは無かった。

 彼の鎧はほとんどが焼け落ち、得物の大斧も刃が大分欠けていた。しかし、彼の闘志――いや、復讐心だけは欠けることは無かったのだ。


「……この、程度でッ! くたばって堪るかぁッ!」


 男はボロボロの体のまま、わたしに向かってくる。声を張り上げ、殺意を滾らせ、得物を振り上げる彼は、まさに隙だらけだった。

 わたしは水の鞭で彼の足を絡め取る。すると、彼は無様にも前のめりになり、そのまま転んでしまった。

 彼の首から下を氷で固め、身動きを取れなくする。そして、わたしは彼の上に立ち、周囲を見渡した。

 わたしの攻撃に敗れた者たちは皆動かない。しかし、何とか息はあるようだ。少し遠くを見ると、丁度リズも敵を全員無力化したところのようだった。


「クソッ! 放しやがれ!」


 足の下で、大男が叫ぶ。こんな状況になってもまだ闘志を燃やし続けているとは、見上げたものだ。


「あなたの負けです。もう諦めて下さい。それに、わたしにはあなたたちと戦う理由がない」


 男に向かってそう言った。すると、男は一層声を荒げて言った。


「俺にはある! お前たち魔術師が、これまでどれ程の災厄を帝国に呼び込んだことか! 俺はその恨みを晴らすまで、倒れるわけにはいかない!」


 彼の言葉が、胸にグサリと突き刺さる。そうだ、彼にそう言わせしめたのは、他の誰でもない、わたしなのだ。

 後悔の念が急にわたしを支配する。その一方で、男は体に力を入れ、氷の枷から逃れようとする。

 そのようなボロボロな体になっても馬鹿力は健在なようで、氷に次々とヒビが入っていく。

 わたしは慌てて氷の大鎌を形成し、刃の先を彼の喉笛にあてがった。


「もう無駄な抵抗はしないで! お願い! これ以上やっても、自分を傷つけるだけよ!」


 男に向かってそう叫ぶ。しかし、男の抵抗は止まない。

 やむを得ない。暴れられても困るから、とりあえず気絶させておこう。そう思い、鎌を振りかぶった、その時だった。

 帝国中に、一陣の風が吹いた。それが自然のものではないことはすぐに分かった。この風は、魔法によるものだった。


「先生、あれ……」


 リズがわたしの隣に駆け寄り、ある方向を指差した。それは、先ほど風が吹いてきた方向だった。

 そちらへ視線を向けて、良く目を凝らす。すると、遠くにそびえる帝国を囲う壁の上に、幾つもの光が浮かんでいるのが見えた。

 あれは一体何だ? 頭の上に疑問符を浮かべていると、突然、獣のようなけたたましい声が響き渡った。その声は空気を震わし、聞く者すべてに恐怖を与える。

 その声を聞き、わたしは驚愕した。何故なら、その声が一体何のものなのか、知っていたから。

 何故だ!? どうして、ドラゴンがこんな所に!?


 光の群れは次第にこちらに近づいてくる。そして、遂にその正体を現し始めた。

 巨大な体躯に太い腕と脚。鋭い爪と牙を備え、背中には突風を生み出す翼が生えている。全身は艶やかな鱗に覆われ、その双眸はギラギラと血走っていた。

 見紛うことはない。そこには確かに、ドラゴンが飛んでいた。

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