第六話 救済の魔女 後編

 夜の空に突然現れたのはドラゴンだけではなかった。光に照らされた影が、ドラゴンの側を浮遊している。良く見れば、それは人間だった。

 空を飛んでいるということは、あれは皆魔術師か? だとすれば、リズが言っていた、帝国を滅ぼさんとする魔術師の集団とは、彼らのことだろうか? もし、そうだとすれば……。


 これは、まずい状況だ。


 わたしは自分の箒を手元に呼び寄せ、彼らに注意を向ける。その隙に大男は氷の枷から逃れたが、わたしを襲おうとはしなかった。彼もまた、新たな魔術師たちに対し警戒の目を向けていた。

 彼ら一団が、わたしたちの集う処刑場の真上に辿り着く。ドラゴンの羽ばたきによる風圧が群衆を襲った。わたしは身を屈め、腕で顔を庇いながらそれに耐える。


「あいつらは……何だ? それに、あの生き物は……」


 大男は小さく声を漏らした。そして、その声はやがて怒号へと変わった。


「お前が呼び寄せたのか!? 魔術師の一団とあの生き物を!?」

「ち、違います!」


 そう主張するが、彼はまったく聞く耳を持たない。彼はボロボロになった得物を掴み、わたしににじり寄ってきた。わたしは片足を引き、応戦の構えを取った。

 しかし、大男は襲い掛かっては来なかった。空の闇夜に紛れた魔術師の一人がドラゴンの前に進み、帝国民に対し口を開いたからだ。


「帝国の愚民共よ、俺の声が聞こえるか……?」


 帝国中に彼の低く、静かで、しかし凄みに満ちた声が響く。

 恐らく、彼があの集団のリーダーなのだろう。闇夜のせいか、彼の姿ははっきりとは見えない。しかし、その声だけははっきりと耳に届いた。


「見ての通り、俺たちは魔術師だ。お前達が忌み嫌う、な。そんな俺たちが一体何をしにここに来たと思う……?」


 誰にともなく、男は問いかける。その問いに対し、群衆は答えない。しかし、誰もがその答えに察しがついているようだった。

 群衆のどよめきが次第に大きくなっていく。それを見て、男は満足そうに口を開いた。


「そうだ! 復讐だ!」


 男は叫んだ。それを聞き、群衆のどよめきも最高潮に達した。帝国民の反応を楽しんでいるかのような口調で、男は続けた。


「お前達がこれまで、どれほどの罪を重ねてきたか分かるか!? お前達は、魔法が使えるという、ただそれだけの理由で善良な人間を差別し、虐げ、殺してきた! それだけではない! 魔法の使えない彼らの家族でさえも、その犠牲となった!」


 男の声は、次第に怒りや憎しみを孕んでいく。


「俺たちは決してお前達を赦しはしない! 故に、これよりこの場で、お前達全員を粛清する! 一人残らず、こいつの餌食となるのだ!」


 男がそう言い放ったと同時にドラゴンが咆哮し、大気を震わす。

 群衆は叫び声を上げながら逃げ惑う。しかし、彼らに逃れる道は無かった。この処刑場が、巨大な炎の壁に囲まれたからだ。

 帝国民がパニックに陥る様を空から見下ろしつつ、男は愉快そうな口ぶりで言った。


「何故ここに全帝国民が集っているかは知らんが、手間が省けた。この場で全員、死ぬがいい!」


 男がそう叫ぶと共に、ドラゴンはその大きな口を目一杯に開く。奴の喉奥から赤い光が漏れ、それが次第に白へと変わる。


 まずい! あれは炎弾だ!


 わたしは両手を空へと伸ばし、即座に空気を圧縮した厚い障壁を処刑場の上空に展開する。それとほぼ同時に、ドラゴンは口から灼熱の炎弾を放った。

 降り注ぐいくつもの炎弾は、わたしの障壁に弾かれ、闇夜に溶けていく。しかし、その中で一つだけ、わたしの障壁を破ったものがあった。

 その勢いは尚も衰えず、真っ直ぐに落ちてゆく。そしてその先には、リズが立っていた。

 リズは咄嗟のことで反応出来ないのか、その場で迫り来る炎弾を見上げるばかり。


「リズ!」


 わたしは彼女に手を伸ばし、新たな障壁を張ろうとする。しかし、間に合わない。弾が速過ぎる。

 そしてとうとう、炎弾がリズの眼前に迫る。

 もう……だめだ……。

 わたしの頭の中が、絶望に染め上げられる。わたしはただ、その様子を見ていることしか出来なかった。


「ッ!!」


 しかし、炎弾がリズに直撃しようとしたまさにその瞬間、風と共に一つの影が彼女の前に進み出る。その影は剣を閃かせ、炎弾を両断した。分断された炎はそのままリズの両脇を通り過ぎ、石の地面を溶かした。


「怪我はないか? リーザ」


 その人は振り返り、リズに問いかける。リズは今度は呆けたようにその人を見上げ、小さく唇を動かした。


「カイル……さん?」


 リズは彼の名を呼ぶ。そして、次の瞬間、リズは涙を流しながら彼の胸に飛び込んだ。


「あぁ! 良かったぁ! ご無事だったんですね! わたし、てっきり……」

「心配をかけて済まなかった、リズ。でも、間に合って良かった」


 カイル君はリズを抱きとめ、彼女の髪を撫でる。

 どうやら、わたしの知らない所でカイル君に何かがあったらしい。しかし、彼は無事で、彼のお陰でリズも生きている。わたしはそのことに、ほっと胸を撫で下ろした。

 わたしたちが安堵する一方で、頭上に浮遊している魔術師の一団には困惑が広まっていた。


「何故だ! 何故帝国に魔術師がいる!」


 リーダーの男が叫ぶ。出鼻をくじかれ、相当頭にきているらしい。今すぐにでも暴れださん勢いだ。

 わたしは周囲を見渡す。大勢の魔術師とドラゴンを相手にするのだ。こちらにもそれなりの兵力がないと……。

 しかし、彼らと戦えそうな者はほとんど見当たらなかった。帝国騎士の多くはわたしたちの立つ処刑場の上で伸びているし、他の騎士もそもそも彼ら相手に渡り合えはしないだろう。

 彼らと対抗できるのはわたしと、リズ。それと、剣の腕の立ちそうなカイル君と、大男くらいだろうか。


 たったの四人で彼らとやり合うなど、正気の沙汰ではない。しかし、何も抵抗しないのでは、この帝国は滅ぼされる。もう二度と、あのような悲劇を繰り返さない為にも、戦わなければいけないのだ。

 わたしは二人に歩み寄る。わたしに気がついた二人はお互いから体を離し、わたしに向き直った。

 二人の隣で、わたしは夜空を仰ぐ。二人も、わたしに続いて空へと目を遣った。


「あれが、リズの言っていた魔術師の集団……?」

「うん、間違いないよ」


 リズが小さく頷く。それに対し、カイル君は戸惑いの表情を浮かべる。


「えっと、一体何の話ですか?」

「あの魔術師たちはね、帝国を滅ぼしに来たの」


 彼の問いに対し、リズはそう答えた。彼は再び空を見上げる。その目には、明らかな敵対の意思が宿っていた。


「……リズ、まだ戦える?」

「もちろん! まだまだいけるよ!」

「僕も戦えます!」


 わたしの問いに、リズは即答する。それに続き、カイル君も戦闘の意思を表した。


「そう、それは心強いわね。じゃあ二人は――」

「おい! お前ら、何を企んでいる!」


 わたしが二人に作戦を伝えようとした時、背後から野太い声が響いてきた。振り向けば、大男がわたしたちを見下ろし、一本の剣を構えていた。


「やはり、お前たちはあの魔術師の連中の仲間なんだろう!? ならば、ここで死ねぇ!」


 そう叫び、大男はわたし目掛けて剣を振り下ろす。

 しかし、その刃はわたしに届くことは無かった。わたしの前にカイル君が立ち、その刃を剣で受け止めたのだ。


「団長、彼女等は敵ではありません! 僕達の味方です!」


 大男の剣を弾き、彼はそう訴えかける。しかし、大男は未だその言葉を受け入れない。


「お前、まだそんなことを!」


 大男は次々と剣技を繰り出す。カイル君はそれらをかわし、受け流し、弾き返していく。その様子を見て、リズはあたふたとしている。

 激しい戦闘が繰り広げられる中、わたしはふと空を見上げた。そこには、再び口許から光を放つドラゴンの姿があった。また炎弾を放つ気た。

 わたしは再び両手を上へと伸ばす。先ほどは焦りのせいか障壁が脆かったが、今度はそうはいかない。わたしは帝国の空に厚く頑丈な障壁を張る。


「帝国に味方する魔術師よ! 姿を現せ!」


 男は叫び、ドラゴンは炎弾を放つ。しかし、今度はそれらはすべて障壁に阻まれ、そのまま闇に消えていった。

 お互いに剣を交えたままの二人が、空を見上げてその様子を見ていた。わたしは二人の剣を押し退け、大男の前に立った。


「帝国騎士団長さん、すぐには、わたしたちのことを信頼できないかもしれません」


 彼は何も言わず、剣を振りかざすこともせず、わたしの言葉に耳を傾ける。


「ですがどうか、今だけは、わたしたちを信じて下さい」

「……」


 わたしの言葉に対し、団長は瞳を閉じて沈黙する。そして、しばらくの静寂の後、彼はゆっくりと言葉を紡いだ。


「……分かった。今だけは、お前達を味方だと認めよう」

「ありがとうございます」


 話は決まった。なら、行動を迅速に開始しなければ。敵は作戦の障害となるわたしを探して躍起になっているはず。次にどんな攻撃が来るかさえ分からない。


「じゃあ、わたしが彼らの注意を引くから、その内にリズとカイル君は後ろへ回って、隙を見て魔術師達を攻撃して。団長さんは速やかに住民達を避難させて下さい」

「うん、分かった」

「セレスさん、気を付けて下さい」

「任せろ」


 それぞれの返事を聞き届けると、わたしは箒に乗り、空へと昇っていく。そして遂に、わたしは魔術師の一団と対峙する。


「お前が、帝国の味方をする魔術師か……」


 リーダーの男が、鋭い眼光をわたしに向ける。しかし、黒のフードを深く被っているせいで、彼の顔は見えなかった。

 その更に奥へと視線を向ける。彼の後ろには巨大なドラゴンが翼を羽ばたかせ、その周りには三人の魔術師が浮遊している。さらに、それらを囲うように十八人の魔術師達が空を飛んでいた。


 なるほど、ドラゴンに最も近くにいるあの三人が奴を操っているのか。とすると、その他の魔術師達はその護衛だろう。

 それにしても、ドラゴンか。確かに、この数の魔術師だけでは帝国の兵力には勝てないだろう。更に、帝国には銃などの恐ろしい武器もある。そうなれば、帝国を滅ぼすなど夢のまた夢だろう。


 しかし、ドラゴンがいるとなると話は違う。奴の鋼鉄にも勝る硬度を持つ鱗は、銃弾など容易く弾くだろう。そして、奴の屈強な体躯が一度暴れだせば、それを止める手段などない。更に、ドラゴン系統は先天的に魔法への適正が高く、どの個体も魔法が使えるという。しかも、適正の度合いが人間の比ではない。ドラゴン相手に戦うなど、普通の人間がいくら束になろうと勝てはしないだろう。

 そんな相手に、わたしは勝てるだろうか。


「おい! 聞いているのか!」


 突然怒号を発せられ、わたしははっとなる。どうやら敵の観察に没頭するあまり、彼の話をすっかり聞いていなかったようだ。


「ごめんなさい。全く聞いていなかったわ」


 悪びれる様子も見せずに、わたしはそう言った。すると、男はますます憤りを顕にした。


「貴様……ッ!」

「そもそも、わたしたちの間に言葉は要らないでしょう?」


 わたしは箒の上で仁王立ちになり、男を挑発する。男はその様を見て、若干口許を緩めた。


「あぁ、そうだな。例え魔術師であったとしても、帝国の味方をするのなら、俺達の敵だ」

「えぇ、そうね」

「ならばここで死ね! 帝国の愚民もろとも!」


 男がそう叫ぶと、それに同調するようにドラゴンが咆哮を上げた。

 ドラゴンはその大きな翼を羽ばたかせ、突風を生み出す。それと同時に、その周囲の魔術師たちがそれぞれ魔法を放った。

 炎に氷柱、飛行魔術を組み込んだ剣などが次々とわたしに襲い掛かる。それらはドラゴンの突風に乗せられ、みるみる速度を上げていく。

 だが、まだまだ甘い。それでは、まだわたしには届かない。

 わたしは腕を横に凪ぐ。すると、わたしの前に疾風が吹きすさび、襲い掛かる攻撃をすべてなぎ払った。

 やはり、魔術師の使う魔法自体に脅威は無い。警戒すべきはただ一つ。あのドラゴンだ。


 あのドラゴンを倒す為にも、先ずは邪魔な魔術師達の数を減らさなければ。彼らへの攻撃は、リズとカイル君にお願いしてある。だから、わたしのすべきことは、彼らに隙を作ることだ。

 わたしは箒の高度を上げ、魔術師達を上から見下ろした。


「どうしたの? そんな稚拙な魔法じゃ、わたしは倒せないわよ?」


 そう挑発してみせる。すると、彼らはわたしに向かって間断なく魔法を撃ち始めた。相当腹を立てているらしい。わたしの狙い通りだ。

 彼らにとってわたしは、計画の障害となる者。わたしが帝国に味方する限り、彼らは目的が果たせないと理解しているのだ。だからこそ、彼らはあれほどまでにわたしを倒すことに躍起になっている。

 それが、彼らの失敗だ。彼らは、障害がわたし一人だと勘違いしている。


「ぐあッ!」


 突如、魔術師の一人が悲痛に満ちた唸り声を上げた。見れば、彼は首から激しく血を噴出しながら、地上へと落ちていった。

 彼を皮切りに、次々と魔術師達が苦しみの声を上げながら落ちてゆく。魔術師達は混乱し、周囲を見渡す。しかし、そこに彼らを討った者の姿は無い。


「まさか、魔術師がもう一人いるのか!?」


 リーダーの男ははっとしたように声を上げた。どうやら、彼は気が付いているようだ。

 そう、彼らを襲ったのはリズ、そしてカイル君。リズが箒を操り、また周囲の光を乱反射させ、自分の姿を晦ましているのだ。そして、透明となったカイル君が、リズの箒の上から敵を斬りつけていたのだ。


「ええい! 姿を見せぬとは小癪な真似を! ドラゴン! やれ!」


 男が叫ぶと、ドラゴンは空気を操り、ある場所へ空気の牢を生み出す。その牢には一見誰も入っていないように見えるが、そこからは確かにリズの魔法を感じる。ドラゴンはそれを感じ取り、そこに敵がいることを認識しているのだ。

 ドラゴンは牢へと突進し、大口を開く。

 まずい! このままではリズ達が食い殺される!

 わたしは箒を飛ばすと同時に、地上に転がっている氷塊たちを再び手元へと手繰り寄せる。手元に集まったそれらを再構成し、巨大な大剣を生み出した。


「させるかぁッ!」


 わたしは巨大な剣を奴の首目掛けて振るう。奴の首を斬りつけると、氷剣は砕け、奴の頭の軌道は逸らされた。しかし、奴の首には傷一つ無い。

 ……なんて硬さだ。

 わたしはリズ達とドラゴンの間に割り込み、奴と対峙する。先ほどの攻撃で集中を切らしたのか、空気の牢は消えていた。リズは既に透明化の魔法を解いていた。


「リズ、カイル君、大丈夫?」


 肩越しに二人に呼びかける。


「わ、わたし達は大丈夫。けど、ごめんなさい。わたし、ヘマしちゃった」


 後ろから、ヘコんだ声が聞こえる。自分の魔法がドラゴンに見破られたことが悔しいのだろう。

 励ましの言葉の一つや二つ言ってあげたいところだが、そんな時間は無いようだ。ドラゴンは首をもたげ、わたし達を血走った眼光で射抜いた。


「ッ!!」


 わたしは何かを直感し、瞬間に風を巻き起こしてリズ達を吹き飛ばす。すると、次の瞬間には、わたしは奴の空気の牢内に閉じ込められていた。


「……っ!!」


 牢の外でリズが何かを言っている。しかし、牢の中にまでその声は届かなかった。

 リズは牢をこじ開けようとする。しかし、牢はびくともしない。魔法の扱いにおいて、あの子とドラゴンでは雲泥の差があるのだ。

 徐々に、空気の壁が押し寄せてくる。このまま、わたしを押し潰す気なのだろう。わたしは両腕を伸ばし、その高熱の壁を何とか押し留めようとする。しかし、壁はじりじりと距離を詰めてくる。

 このままでは、確実に殺される。だが、魔法を一点に集中させれば、この牢に穴を開けられるかもしれない。しかし、その時にはこの灼熱の壁がわたしの身を焼くだろう。

 わたしが逃げるが早いか、壁がわたしを押し潰すが早いか。二つに一つだ!


 わたしは上へと飛び、魔法を一点に集中させる。すると、瞬間的に牢がわたしを包み込み、わたしのローブの裾と箒の先を焼いた。

 高熱に耐えながら、わたしは牢の壁に一つの小さな穴を開ける。その穴を押し広げ、わたしは無理矢理体を通す。そして次の瞬間、牢は大きな爆発と共に霧散した。

 空へと抜けたわたしは、敵を眼下に見下ろす。ドラゴンや魔術師達が、わたしへ向けて様々な魔法を放つ。

 わたしは燃えるローブを脱ぎ捨て、炎の尾を引く箒に跨り、ドラゴンの頭目掛けて急降下していく。例え魔法に於いて向こうの方が上でも、機動性ならこちらが上だ。

 次々と敵の魔法を避け、遂にドラゴンへと迫る。わたしは箒から飛び降りると、腰に下げていたナイフを抜き、それを奴の左目に突き立てた。


「グオオォォン!!」


 ドラゴンは苦しみ悶え、わたしを振り払おうと激しく暴れ出す。周囲に浮遊していた魔術師達はそれに巻き込まれ、弾き飛ばされていった。

 わたしは必死にその頭にしがみ付き、そのまま腕を眼孔の奥へと挿し込んでゆく。

 こいつの体が硬いのなら、内側から破壊するまでだ!

 わたしは意識を集中させる。奴の脳へ、周囲の熱量を集めていく。奴の血は沸き立ち、脳が踊る。


「ッ!!」


 もう少し。そう思った瞬間、奴は急降下し、その頭をわたしもろとも巨大な塔へと打ち付けた。わたしは瞬間的に空気の障壁を展開した。しかし、そんなもので防げる筈もなかった。


「かはっ!」


 血反吐を吐きつつ、石畳にその身を打ち付けられた。

 全身が痛む。骨折しているのか、右脚が動かない。それに、血反吐も止まらない。内臓も深く傷ついたらしい。


「セラ先生ッ!」


 必死に立ち上がろうとするわたしの元へ、リズが箒に乗って飛んできた。そして、わたしの様子を見るなり、彼女ははっと息を呑んだ。


「た、大変! 早く治療しないと!」

「だ、大丈夫よ……」


 わたしに治癒魔法をかけようとするリズを止め、すぐ隣に落ちていた槍を支えに何とか立ち上がる。

 治癒魔法は自然の治癒能力の延長に過ぎない。この傷に対してはほとんど無力だ。それに、敵はそんな暇は与えてはくれないさ。

 槍にしがみ付きながら、前を見据える。すると、前方でドラゴンが、まるで狂ったように暴れ回っていた。

 奴の周囲には竜巻が起こり、空には厚い雷雲が立ち込め、雷が落ちてはそこから火の手が上がっている。中途半端に脳を破壊したせいで、奴に組み込まれた術式は壊れ、魔法が暴発しているんだ。

 まずい! 早く、何とか奴を止めないと!


「あっ! 先生!」


 槍に飛行魔術を組み込み、それに跨って飛び出す。策は何も考えていない。しかし、気が付けば体が先に動いていた。

 奴に向かって飛びながら、わたしは考える。どうする? 一体どうすれば、奴を止められる?

 あいつの鱗は硬すぎる。だから、外側からの攻撃は無意味だ。なら、やはり内側から攻撃するしかない。しかし、どうやって? 不用意に近づけば、奴の魔法の餌食になるだけだ。

 考えても考えても、奴の圧倒的な魔法に対する案は浮かばない。そんな中、奴の視線がわたしを捉えた。その時、わたしは確かに見た。奴の目に、わたしに対する怒りの炎が灯っていたのを。


 ドラゴンはこちらに向かって駆け出した。わたしは一旦逃げようとするが、周囲の風がわたしを捕らえて放さない。後ろを振り向けば、すぐそこには奴が大口を開けて迫っていた。

 やがて、奴の口は閉ざされる。わたしの周囲は、完全な黒へと染め上げられていった。

 太く厚い舌に絡め取られ、わたしは嚥下される。

 このままこいつの食道を進めば、胃酸に全身を焼かれて殺される!


「くッ!」


 わたしは手に持つ槍を思い切り食道に突き刺す。すると、胃に到達する直前で何とか留まることが出来た。

 光球を生み出し、周囲を見渡す。目の前に広がるのは、赤い肉壁のみ。

 それにしても、酷い臭いだ。獣の体内に入るのは初めてだが、こんなにも臭かったとは。

 わたしは悪臭に曲がりそうになる鼻をつまみ、眉をしかめる。そこでわたしは、ふとあることに気が付いた。

 ……ここは、奴の体の中じゃないか!

 ここからなら、こいつの硬い鱗に阻まれることなく、急所を攻撃できる。これは、またとない機会だ。

 わたしは食道を切り裂き、こいつの体内の奥深くへと潜り込んでゆく。

 感じる。こいつの鼓動を。近い。もうすぐそこだ。

 全身を返り血に染めながら、奥へ奥へと進んでゆく。そして遂に、わたしは辿り着いた。

 目の前にあるのは、強靭な筋肉の塊。一定周期で収縮を繰り返すそれは、すべての生き物に共通した急所だ。

 これを破壊すれば、帝国の滅びは免れる。これを破壊するには強力な魔法を使う他はないだろう。その場合、わたしも巻き添えになるに違いない。しかし、そんなことに構っていられるような余裕は無いのだ。

 一つの決意を固めると、わたしは槍に術式を組み込み、その槍頭を心の臓へと突き刺した。しかし、強靭な筋肉はそれをほとんど通さない。だが、それで十分だ。


「……フラム・ロード!」


 わたしは叫んだ。

 その詠唱に反応し、術式が発動する。周囲の熱量が槍頭を経由し、心臓へとすべて注がれてゆく。熱を得た血液は沸騰し、気化し、瞬く間に膨張していく。頑強な筋肉は、それを体内へ押し留めようとする。

 しかし、それも束の間。多量の気化した血液を内包した心臓は徐々に膨張してゆき、遂に、それは爆ぜた。

 行き場を与えられた蒸気が、膨大な圧力を伴いつつ周囲へと拡散していく。わたしはその蒸気に身を晒され、全身を焦がしてゆく。瞬く間に、わたしは全身の感覚を失っていった。


 あぁ、わたしはこれで死ぬんだ。このドラゴンと共に。まぁ、それも構わない。何せ、帝国を滅びから救うことができたのだから。

 ……それに、いくら死のうとも、わたしに死ぬことは許されていない。いくら苦しい思いをいようと、わたしの犯した罪は晴れないのだから。

 薄れゆく意識の中、そんなことを思う。

 そして、ドラゴンの体躯が破裂すると共に、わたしの意識もぷつりと途絶えた。

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