一章
第一話 はじめまして 前編
「ふぅ~、やっと荷解きが終わった」
しばらくの重労働からやっと開放されたわたしは、一つ息をつきながらソファに疲れた体を預けた。
大分重い物をたくさん運んだせいか、肩や腰がじんじんと痛む。はぁ、わたしもそろそろ年だろうか。
痛む腰を手でさすりながら、ソファの上から先ほど出来上がったばかりの家の内装を見回す。
見慣れた我が家の風景。あぁ、わたしはやっと家に帰って来れたんだ、とそんな気がしてくる。
それにしても、これで何度目の引越しだろうか。住処を移す度にこんな重労働を強いられたんじゃあ、自分の老後が心配になるばかりだ。
まったく、人々は魔法を便利だと言うけれど、引越しのことになるとてんで使えない。魔法じゃ家にある家具のほとんどを、移動させるなんてことはできないのだ。
そんな愚痴を心の中で零しながらしばらくソファで落ち着いていたお陰か、大分体の痛みも取れてきた。もう動いても平気だろう。
さて、無事に引越しも終わったことだし、少しばかり紅茶でも楽しもうかしら。
わたしはソファから立ち上がり、先ほど整理したばかりの棚の前へと進んだ。中には薬草やら薬味やらの入ったビンがきれいに並んでいる。わたしはその中から数本を取り出した。
ビンの中の薬草たちを適当にブレンドし、ポットに入れる。さあ、ここにお湯を入れてしばらくすればお茶の出来上がり。疲労回復とリラックス効果の付いたわたしのオリジナルブレンドティーが楽しめる。
しかし、ここでわたしはお湯を沸かしていないことに気がついた。なんてことだ、お湯が無ければお茶が淹れられないじゃない。
しかしそこは魔法の便利なところ。お湯を沸かすなんてことはお茶の子さいさいなのだ。
わたしは水の入ったビンを一つ取り出した。蓋を開き、そっとビンに手をかざす。すると、水がウネウネとビンから這い出ていき、空気中でまとまり一つの球を形成した。
これまたこの球に手をかざすと、中から小さな泡がぶくぶくと上がってくのがわかる。空気中に浮いたまま、水の球が沸騰していくのだ。
十分に水が温まればこれをポットに注ぎ、しばらく茶葉を蒸らせば紅茶の出来上がりだ。
カップに出来立ての紅茶を注ぎ、付け合せにクッキーを数枚用意してテーブルに並べる。さて、お茶会の準備も整ったことだし、早速いただこうと……。
「……あら?」
開けっ放しの広い玄関から、小さな影がこちらを覗いているのに気が付いた。
どうやら女の子のようだ。年端も行かず、幼さ全開なその子の大きな瞳は真っ直ぐにわたしを見据え、頭の右側に一つに纏められた髪は小さく揺れていた。
察するに、あの子は南へ少し行ったところにある小さな村の子だろう。引越しの片付けも終わり、今日は快晴。丁度このお茶会が終わったらその村に挨拶に伺おうと思っていたところだ。この子と今の内から懇意にするのもいいだろう。
わたしはじ~っとこちらを見つめ続けるその子へとちょいちょいと手招きをした。
「お嬢ちゃんもお茶会する?」
「……」
わたしの言葉を聞くなり、女の子はきびすを返して走り去ってしまった。まあ考えてみれば当然か。見ず知らずの人間にお茶会に誘われて、ほいほい付いていく子供なんていないだろう。
ちょっぴり悲しい気持ちになりながらも、気を取り直して、あたしはまだ淹れたばかりの紅茶にそっと口を付けた。
***
「んっ、ん~~」
外に出たわたしは、太陽の暖かな光を浴びながら伸びをした。
空を見上げれば清々しい程の快晴。今日は絶好の挨拶日和だ。
「それにしても、この森はほんと良い所ねぇ」
わたしは改めて自分の家の周りを見渡す。日の光が良く差し込む小さな原っぱと、それを囲むようにそびえる背の高い木々。青々と茂る樹木の葉の下には、木漏れ日を浴びてとても元気そうな花々が咲き乱れている。
ああ、なんと穏やかな光景だろう。我ながら良い場所を選んだものだ。
っと、いけないいけない。村の皆さんへ挨拶に行かないといけないんだった。既に太陽は若干傾き始めている。暗くなる前に全員に挨拶したほうが、相手方の迷惑にもならないだろう。
まあ、予め村長さん宛てに、わたしが村の近くに越してくるという旨の手紙を出しているから、問題なく話は進むだろう。
わたしは身に纏っている紺色のローブの襟元を正し、紺色の魔女帽子を深く被る。よしっ、身なりは大丈夫だ。
身だしなみを確認し終えたわたしは、いつも持ち歩いている木製の杖を片手に、新居を後にした。
***
村に着いたわたしは、まずその小ささに驚かされた。
立ち並ぶ建物はほんの十軒程しかなく、まるで活気というものが感じられなかった。
村の隅に設けられた田畑もまた小さいところから察するに、この村の住人は獣や野鳥を主に食べているのだろう。
そうして村を軽く回っていると、村の北西に他のものより一回り大きな家が建っているのが見えた。どうやらあれが村長宅らしい。
わたしは早速その家へと向かって行き、そのドアを鳴らした。
「ごめんくださ~い」
ドアの向こう側へそう呼びかけると、程なくして内側からドアは静かに開かれた。
「どちら様かな。……おや、初めて見る顔ですな」
家の中から現れたのは、齢八十ほどの白髪の老人だった。
わたしの顔を見るなり、この家の持ち主であろうその老人は少し驚いたような表情を見せた。
「失礼ですが、あなたがこの村の村長ですか?」
わたしがそう質問すると、その老人は少しはっとしたような目をして答えた。
「いかにも、ワシがこの村の村長でございます。もしやあなたは、この村の近くに引っ越してきたという方ではありませんか?」
「はい。わたしが、つい数刻前に北の森へ越してきました、魔女でございます」
村長の質問にそう答えながら、軽く頭を下げる。その様子のわたしを見てか、村長の声は先ほどよりも明るさを含んで聞こえた。
「ああ、やはりそうでしたか。送られてきた手紙からおおよそのお話は伺っております。既に村人達にも、その手紙の内容は伝えてあります。おっと、玄関での立ち話とは失礼しました。どうぞ、お上がり下さい」
そう言って一度頭を下げると、村長はわたしを家の中へと通してくれた。
わたしを家に上げると、ドアを閉めながら村長が言った。
「お茶をお淹れします。奥のイスへお掛け下さい」
「お心遣い、ありがとうございます」
お礼を述べつつ家の奥へと視線を移すと、そこにはとても大きな四角いテーブルと、それを取り囲むように置かれた何脚もの椅子。恐らく村の中でのことについて、会議などをするためのものだろう。
わたしは一番手近な椅子に腰掛け、持ってきた杖をテーブルへ立てかける。すると、すぐに村長がお茶の入った湯呑みを二つ、盆に載せて運んできた。
「どうぞ。まだ熱いのでお気を付け下さい」
「どうも、ありがとうございます。頂きます」
村長とわたしは湯呑みを取り、少しだけ茶を啜った。仄かな苦味の中にわずかな渋みを感じる、美味い茶だった。
お互い一口づつ茶を飲んだところで、村長は切り出した。
「では改めまして、ワシはこの村で村長をしております、名をアイヴァンという者です」
「ご丁寧にどうもありがとうございます。わたしは、この村の北にございます森に越してきた魔女、セレス・ウルフィリアスと申します」
こうして改めて自己紹介を終えたところで、村長はふっと頬を緩めた。
「それにしても、あなたのような別嬪さんが引っ越してこられるとは、なんとも嬉しいことですな」
「ふふっ、どうもありがとうございます」
わたしは少し照れながら答えた。
「ほっほっほ。見てのとおり、この村は小さい。帝国が復興し大きくなるにつれ、村の若人たちはここを離れ、皆帝国へと流れていってしまった。そんな最中、あなたのような若い娘さんがこの村に移住なさった。ワシとしてはなんとも嬉しいことじゃ。ワシら村人一同は、あなたを歓迎しますぞ」
そう言うと、村長が右手を差し伸べてきた。わたしはその手をとり、握手を交わした。
「その温かな心に、感謝いたします。……あら?」
村長と握手を交わし終えると。わたしはあることに気が付いた。閉じられた玄関のドアが開かれ、その前に小さな影が立っていた。良く見れば、それは先ほど新居にて見かけた、年端も行かぬ幼女だった。
わたしの視線に気が付いた村長も、同じく玄関の方を見遣る。すると、彼は何とも柔らかな声でその子に呼びかけた。
「おお、リーザか。ほれ、そんな所にいないで、お前もこの方に挨拶をしなさい」
村長は手招きをする。しかし、幼子はわたしのことを一目見ると、外へと走り去ってしまった。
「すみません、セレスさん。あの子は少し、人見知りをするものですから」
村長は小さく頭を下げて言った。
「いえ、構いませんよ。……その、お孫さんですか?」
あの子の走り去っていった方角を眺めながら、わたしは尋ねた。その時、村長は一瞬表情を曇らせたような気がした。
「いえ、あの子はワシの孫ではありません。今は、あの子の両親が長いこと留守にしておりますから、代わりに面倒を見ているのです」
「そうなのですか……」
親に長く会えないとは、まだまだ幼いあの子には少し酷なことかもしれない。まだまだ甘えたい盛りだろうに。
わたしが少しあの子のことについて考えていると、村長は茶を一口飲み、話を切り出した。
「ところで、セレスさんは本当に魔女でいらっしゃるのですか?」
「はい、見てのとおり、わたしは魔女でございます」
村長は一通りわたしの風貌を眺めると、再び顔を綻ばせた。
「ほっほっほ。全身を覆うローブに、鍔の広い三角帽子、そして杖。確かに、昔伝え聞いた魔術師の正装に間違いありませんな」
そう言うと、今度は真剣な顔つきで、声を落としてわたしに問いかけた。
「しかし、よろしいのですか?」
「それは、どういう意味でございますか?」
「セレスさん、あなたも知らぬわけではないでしょう。遥か四百年前の、帝国を襲った悲劇です。一体誰が、あるいは何があの災厄を引き起こしたかは明らかになっていないとされていますが、あれは一人の魔女の仕業であるというのが一般的な見解です。
あの日から魔法は忌み事とされ、魔女や魔術師は次々と処刑されました。あれから長い月日が経ち、その考えが風化してきているとはいえ、未だに、特に帝国には、魔術師たちに対する過激な思想を持った人々が多いと聞きます。
幸いこの村にはそのような人間はおりませんが、あまり大っぴらにそのような格好をなされては、いつあなたに危険が及ぶかわかりませんぞ」
村長は心配そうな目でわたしを見つめてくる。
確かに、彼の言うとこは本当だ。多くの魔法使いたちが虐げられ、拷問され、死んでいく様を、わたしは何度も目にしたことがある。現代ではさすがに処刑はされないだろうが、路上で石くらいは投げられるかもしれない。
しかしわたしには、このローブや魔女帽を脱ぐことや、杖を捨てることはできない。
「そのお心遣い、痛み入ります。しかし、わたしのこの格好には理由があるのです。ご安心ください。村の皆さんに迷惑はかけません」
「……そうですか。わかりました。ですが、困ったことがあれば、遠慮無く相談して下さい。村人全員が、あなたの力となりますよ」
「どうも、ありがとうございます」
そうしてわたしたちは、もう一度握手を交わした。
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