第一話 はじめまして 後編

 村長宅に挨拶に伺った後、わたしは他の村人の挨拶に回った。村長の言っていたとおり、どの人も魔女であるわたしに対して好意的に接してくれた。さらには、お祝いということでさまざまな贈り物を貰ってしまった。恥ずかしいことにわたしは粗品の一つも用意していなかったので、また今度、お返しに何か用意するとしよう。


 それにしても、挨拶回りの途中で二つ気になったことがある。

 一つは、この村には医者に相当する役職の人がいなかったということだ。たとえどんなに小さな集団であっても、医者の存在は必要だ。集団の規模が小さければ小さいほど、住民が病や怪我で動けなくなったときの影響は大きい。それを防ぐ為にも、医者の存在は必ず確保しなければいけない。

 しかし、今日わたしが挨拶に回った中で、自らを医者だと名乗った人はいなかった。一体なぜ、この村に医者がいないのだろうか。まさか、これまで村にその類の人間を招いたことがないわけでもないだろう。


 気になったことの二つ目は、村の中に一軒、空き家があったことだ。いや、正確には、鍵がかかっていて入れない家と言うべきか。しかし、村に建つ家の軒数と住人の数を考えると、どうもその家には今人は住んでいないらしいのだ。

 その家はまだ古くなく、家主がその家を離れたとすればそう時間は経っていないだろう。さらに言えば、その家からは微かに薬品のにおいが漂っていた。

 もしかすると、あの家は医者のものであり、その肝心の医者は今村を留守にしているのかもしれない。まあ、気になるところは明日にでも村長に聞いてみることにしよう。今日はもう疲れてしまった。


 わたしは小さな疑問を抱えながら我が家へと続く道を進んでいく。まだ日は完全に沈んでいないのに、森へ入った途端に周囲は暗く閉ざされてしまう。その薄暗い中を、わたしは構わず進んでいく。

 しばらくして、目の前に夕日に照らされた我が家が見えてきた。さて、帰ったら何をしよう。新たな薬の研究でもしようかしら。


「ねぇねぇ、おねーさん」


 不意に、後ろから声を掛けられた。振り返ると、そこにはなんとも見覚えのある幼女が立っていた。確か昼間にわたしの家と村長宅で見かけた子で、名前はリーザといったか。

 リーザと同じ目線になるようにしゃがみ、やわらかい声でわたしは答えた。


「どうしたのかしら、リーザちゃん」

「おねーさんって、ほんとーにまじょなの?」


 リーザは大きな目をきらきらさせながらそう尋ねてきた。

 どうもこの子は魔法に興味があるらしい。このご時勢になんとも珍しい。しかし、わたしとしては嬉しいことだ。


「そうよ、わたしは魔女。それもとびきりすごい、ね。何たって、幾万もの魔法を操ることだえきるんだから」

「わー、すっごーい。ねぇねぇ、まほう、まほう見せて」


 わたしのローブの裾に手を掛けながら、今度はそうせがんできた。あぁ、なんと可愛いことだろう。そんな目で見られたら、わたしも甘くなってしまう。


「うふふっ、ちょっとだけよ」

「やったー」

「じゃあ、こちらへいらっしゃい」


 わたしは近くの切り株へ腰掛け、リーザを自分のひざの上へちょこんと座らせた。


「いい? 良く見ててね」


 わたしは前へと腕を伸ばし、人差し指だけを立てる。そして意識を集中させると、指の先に一つ、煌々と光る球を生み出した。


「わぁ~、火がでた、火がでた~」

「ふふっ、これは火じゃないわ。ほら、触ってごらん」


 わたしはそっと指をリーザの目の前に持ってくる。彼女は恐る恐る、わたしの指先に追随してきた光の球に触れた。


「はぁ~、あつくないよ~」

「でも、とても綺麗でしょう?」

「うん、すっごいきれー。すご~い、まじょさんすご~い」


 リーザがわたしのひざの上ではしゃぐ。その様子を見て、わたしの心は温かな気持ちに満ちていく。


「ねぇねぇ、もっと見せてー」


 全く、子供というものは好奇心に正直なものだ。


「うふふっ、いいわよ。じゃあ次は……」

「リーザぁ~、リーザやぁ~」


 ふと、南の方角からこの子の名を呼ぶ声が聞こえた。村人がこの子の帰りが遅いのを心配して探しに来たのだろう。

 回りを見渡せば、空は茜に染まり、森の中は真っ暗だった。確かに、子供が出歩くには少々危険かもしれない。

 やがて、森の中から一つの灯りと供に影が浮かび上がる。白髪で、年老いた顔つきのその人は、村の村長だった。


「あ、そんちょーだ」


 リーザは森から村長が現れたのを見ると、わたしのひざから飛び降り、一目散に彼のところへと走っていった。


「おお、リーザ。ここにいたのか」

「うん。あのね、まじょさんがね、まほう見せてくれたの」

「おお、そうかそうか。それはよかったのぉ」


 村長はリーザの言葉に耳を傾けながら、わたしの方へ向かってきた。


「どうもリーザの相手をしてくださったようで、ありがとうございます」


 そう言うと、彼はわたしに頭を下げた。


「そんな、わたしは大したことはしておりません。それに、わたしも少し嬉しかったのです。子供と触れ合うのは、久しぶりだったものですから」

「そうですか。それは良かった」


 いつし空は暗くなり、辺りは見通しのきかぬ闇に覆われ始めた。遠くからは獣の遠吠えが聞こえてくる。この森に凶暴な獣は生息していないはずだが、早いとここの二人を村に帰したほうが良いだろう。


「村長さん、もうすっかり暗くなってしまいました。獣が出ないとはいえ、真っ暗な森の中をその小さな灯りのみを頼りにするというのは、少々心許ないことでしょう。そこで……」


 わたしは両腕を広げ、先ほどのものよりさらに大きな光の球をいくつも生み出していく。球はふわふわと空気中を浮遊し、やがて森の中で一列に並んでいく。


「あの光の球たちに沿ってお進みください。その先は村に続いております」

「わぁ~、すごくきれ~」

「おぉ、なんと。ありがとうございます、セレスさん」

「いえいえ、これくらい。では二人とも、おやすみなさい」

「えぇ、おやすみなさい」

「おねーさん、バイバーイ」


 リーザは何度も振り返り、わたしに手を振ってくれる。わたしも胸の前で手を振りながら、しばらくの間、去り行く二人の影を見送っていた。


 ***


 夜、月が眩しく照る下で、わたしは家の隣に設けた露天風呂に浸かっていた。


「はぁ~、極楽、極楽」


 なかなか今日は疲れの溜まる一日だった。引越しのために家財を新居に運び入れ、それが終わった後には、挨拶回りのために村中の家々を歩いて回ったのだ。

 しかしその疲れも、風呂に浸かっている内に体から湯へと溶け出していくように取れていく。


 ああ、なんと幸せなひと時だろう。そう思いながらまぁるい月を眺めていると、遠くから獣の鳴き声が聞こえた。日の入り時に聞こえたものと違い、大型の獣を思わせるようなけたたましい鳴き声だった。

 もしやこの近くに住み着いているのだろうか。だとしたらいつからなのか。何にせよ、少し気をつけたほうが良いかもしれない。

 再び、その獣の声が響いた。わたしは少し不吉なものを感じながら、風呂を後にした。

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