第四話 平和な日 前編

 カリスト討伐に成功した翌日も、わたしは小鳥たちのさえずりに目を覚ました。

 仰向けのまま天井を見上げれば、数羽の小鳥たちがぴよぴよと鳴きながらわたしを見下ろしていた。やはり、その子らが何を言っているかは分からなかった。

 ベッドから這うように抜け出し、高く伸びをする。昨日はあんなことがあったし、随分遅くに床に就いたものだから、あまり疲れがとれていないようだ。それに加え、体の節々が少し痛むような気がする。まあ、年のせいでそう錯覚するだけかもしれないが。


 わたしは大きなあくびをしながら、動きの鈍い体を引き摺るように寝室を出た。すると、居間のほうから何やら話し声が聞こえる。

 はは~ん、またリーザが勝手に人の家に入って来たな。きっと今日も、集まってきた鳥や小さな獣たちと戯れていることだろう。

 今思うと、わたしがここに越してから毎朝あの子の顔を見ている気がする。いや、実際にそうだった。どうしてこうも、わたしはあの子に懐かれてしまったのだろうか。


 わたしは、勝手に家に上がられることに関しては特に何か思ったりはしない。むしろ、誰か居てくれたほうが賑やかになって良いものだ。何せこの家は村から離れているせいで静かなものだから。

 しかし、子供一人だけで来るのはあまり感心しない。村からこの家までそう離れているわけではないが、ここは森の中なのだ。この森に危険や獣や輩がいないことは確認済みだし、警戒を怠ってはいないものの、万が一にも何か起こったときに子供だけでは危険すぎる。一人の大人として、ここはびしっと言ってやらないといけないな。


 そうして、一つの決意と共に居間へ向かう途中、わたしは小さな違和感を感じた。聞こえてくる子供の声。どうもそれが一つではないのだ。注意深く耳を澄ませば、聞こえてくるのは三種の声。そしてもちろん、どれも聞き覚えのある声だった。

 廊下から居間に出ると、そこには思ったとおり、あの子たちがいた。


「あっ、おねーさんだ。おはよー」


 妙にわたしの家にやってくる子、リーザ。


「おはよーっ、マジョのねーちゃんっ!」


 わんぱく坊主、シヴ。


「おはよう、ございます。セレスさん……」


 少し引っ込み思案な子、ミーナ。

 元気に朝の挨拶をしてくれたその三人は、小さな森の仲間たちとともに居間で戯れていた。

 わたしは居間の隅から、静かに部屋を見渡した。乱れた絨毯、乱雑に置かれた机や椅子、開かれた薬品棚、そして机の上には薬品のビンがいくつも立っている。おまけに、獣や子供たちのせいか、床は所々土で汚れていた。

 全く、よくもこうも散らかしてくれたものだ。わたしは急に頭痛に襲われたようにこめかみを押さえ,

 ため息混じりにこの子らに問いかけた。


「はぁ~、で? 朝っぱらからこんなにもわたしの家を散らかしたのは一体誰?」


 その瞬間、皆の視線が一斉にシヴの元に集まった。人語を理解しないはずの獣たちでさえ、シヴを見つめている、気がする。

 当のわんぱく坊主は悪びれる様子もなく、感じの良い笑い声を上げた。


「なははっ、なんかめずらしそうなもんがたくさんあったからさ、つい。ってか、そのビンとか全然開かなかったぞ」


 机の上に無造作に並べられた薬品詰めのビンを指差して、坊主は言った。そのビンの中には、滅多に手に入らないような薬草や、一口飲めば死んでしまうような毒草などが入れられていた。あぁ、ほんとに、万が一にも開けられないと対策をしておいてよかった。


「全く……。あれは開かないんじゃなくて、開けられないの。あのビンには全部魔法がかかってて、それを解かないと開かないのよ」

「へぇ~、どうして?」


 尚も、自分のしたことの意味を理解していない様子の坊主は、何とも機械的に聞き返してきた。その態度に、わたしはつい大人気なく憤りを感じてしまい、こう言い放った。


「あんたのようなおバカが勝手に薬草をいじらないようにする為よ!」

「ひぃっ」


 わたしの怒号に、シヴは涙目になる。


「だからやめたほうがいいって言ったのに……」


 そんな坊主の様子を見て、ミーナはぽつりと呟いた。リーザは構わず動物達と仲良く遊んでいる。

 わたしは一つため息を吐き、両手を叩いて皆の注意を引き付ける。


「さぁ、みんな! 散らかしたこの部屋をきれいにするわよ! ほら、あんたたち三人はこの箒で土を掃き出して。薬品はわたしが片付けるから」


 用具入れから箒を三本取り出し、ちびっ子達に配る。シヴは勿論、ミーナも素直に箒で土にまみれた床を掃き始めた。しかしその中で、リーザはどこか不服そうな表情を浮かべた。


「わたし散らかしてないよ。全部シヴくんがやったもん」


 それを聞いて、坊主は一層落ち込んでしまった。しばらくの間は、シヴはほかの二人には頭が上がらなくなるだろう。

 確かに、言い始めたのも、実際にやったのも坊主だけかもしれない。しかしこの世には、一人が悪さをしたことで発生した責任をその人の属する集団全員が被る、というしきたりがある。人はこれを、連帯責任と呼ぶのだ。今ここで集団行動における決まりを教えるのも、大人の務めなのだ。

 わたしは片膝立ちになってリーザと目線を合わせる。


「いい? リーザ。これは連帯責任なの」

「れんたいせきにん……?」

「あなたにはまだ難しい言葉よね。まぁつまり、友達が悪いことしたら、自分も一緒になって反省するってことよ」

「ふぅ~ん。でもわたし、シヴくんとはそんなに仲良くないよ」


 一瞬、場の空気がピシッ凍りついたような気がした。実際にシヴは箒を持ったままその場に固まっている。

 この空気を作った原因であるリーザは、箒を持ったまま頭の上にはてなマークを浮かべている。わたしは何とかこの微妙な空気を振り払おうと言葉を探す。


「……い、」

「い?」

「いいからさっさと掃除しなさぁ~い!」


 ***


「ふぅ、やっと終わった」

 しばらくの掃除の末に、わたしの家の居間は元の姿に戻っていた。既に動物達は家から出て行ったようで、残ったのはわたしと、くたびれた様子のちびっ子が三人。

 まあ、発端はこの子達とは言え、片付けを素直に手伝ってくれたのだから少しは労うのもいいかもしれない。

 わたしは棚の中からクッキーの入った箱を取り出した。


「あんたたち、掃除お疲れさま。ほら、これ食べていいわよ」


 床にへたり込んでいる子らに箱を開けて中を見せると、瞬く間に顔に喜色を浮かべた。


「い、いいの? 食べて……」


 今回の犯人であるシヴがおずおずと訊いてきた。さすがのわんぱく坊主も遠慮がちになっているようだ。

 わたしは安心させるように満面の笑みで答えた。


「もちろんよ。三人とも頑張ったものね」

「やったー!」


 わたしから箱を受け取ると、三人は机を囲ってそれを食べ始めた。クッキーを食べる子供らの浮かべる顔は、なんとも無邪気なものだった。

 わたしは朝食にと、パンとチーズを一切れ、果物を持ってその輪に加わった。

 パンを齧りながら、わたしは子供達に訊いた。


「それで、今朝はみんな揃ってどうしたの?」


 リーザは毎日のように我が家に来るが、シヴとミーナに関してはここを訪れるのは初めてだろう。どうして今日に限っては、みんな揃って我が家に来たのだろうか。

 わたしが質問すると、何かを思い出したかのように坊主は急いで口の中のものを飲み込んで言った。


「そうだった。なぁ、マジョのねーちゃん。聞いたぜ、デカい怪物をぶっ倒したんだって」


 怪物……カリストのことか。奴のことは子供たちには関わらせていないはずだが、きっと昨日の討伐の後に大人の誰かが話して聞かせたんだろう。


「なぁなぁ、怪物ってすんごいデカかったんだろ? ねーちゃんはどうやって倒したんだ?」


 やっぱり男の子だからか、シヴがやたらと食いついてくる。そうか、この子は全部聞いたわけじゃないのか。

 あまり生々しい話をしても仕方が無い。まぁ、ここは適当にあしらうとしよう。


「わたしは魔女よ。そりゃあもう、わたしの魔法で木っ端微塵になったわ」

「おぉー! すげー! かっけー! オレもねーちゃんみたいに強くなりてぇ」


 わたしは胸を張りながらそう言うと、坊主はますます興奮気味になる。ところで、女に対してかっこいいと言うのはいかがなものだろうか。

 隣ではじゃぐシヴの様子を一瞥して、ミーナはぼそっと呟いた。


「む~、シヴくんったらまたそんなこと言って。おっきな怪物と戦うだなんて、あぶないんだからやめてよね」

「お前に心配されるすじあいはねぇ。見とけよ、すぐにオレも強くなって、立派な騎士になるんだ」


 将来の夢を語る少年の目はきらきらと輝いていた。


「騎士になって、村のみんなを困らせる獣とかをせーばいしてやるんだ。まぁ、そんときになったら生意気なミーナのことも守ってやるよ」

「も、もう……。バカ……」


 シヴの言葉を聞いた途端、ミーナは顔を赤くして俯いてしまった。可愛らしい反応に、わたしは思わず口許を緩めてしまう。


「そっかぁ。シヴは将来は騎士になるのが夢なのね。勇ましいわね」

「うん? いさましーってなんだ?」

「ふふっ、かっこいいってことよ」

「ほんとか? オレ、かっこいいか? なははっ」


 わたしにおだてられて、シヴは気持ちが浮ついている。得意になる坊主を尻目に、わたしはミーナに話しかけた。


「ミーナは? 将来何になりたいの?」

「わ、わたしは……お嫁さん、とか」

「お嫁さんだぁ? なははっ、お前とケッコンするやつはご苦労なもんだな」


 ミーナの独り言のようにぽつりと言った言葉を耳聡く聞いていたシヴが、わたしたちの間の話に割って入って来た。ミーナは目に涙を溜めて、手をふるふると震わせている。


「ちょっと、それってどーゆー意味よ!」

「だから、お前とケッコンするやつはいないってことだよ」

「なな、なんですって~?」


 あぁ、この坊主が乙女心を解さないばかりに。シヴとミーナは今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうな勢いだった。

 こんなところで暴れられてまた散らかされるのも困る。ここはなんとか話題を変えなければ。


「そ、そうだ! リーザは将来の夢とかあるの?」

「ん、わたし?」


 目の前で口喧嘩があったにも関わらずクッキーをむしゃむしゃしていたリーザは、ぱっと顔を上げた。


「ん~とね、わたしはね、薬師になるの」

「くすし? なんじゃそりゃ」

「お医者さんのことよ」


 知らない単語にまたもや首をひねる少年にそっと意味を教えると、少年は納得がいったように頷いた。


「そっか。お前のかーちゃん医者だもんな」

「お医者様になるだなんて、リーザちゃんすごいなぁ」


 さっきまで喧嘩腰だった二人の注意をなんとかそらすことができた。再び居間が荒らされる危険は退けることができたようだ。


「あっ、もうクッキーがなくなっちゃった」

「え~、マジか~」


 リーザが取った一枚を最後に、箱の中は空っぽになってしまった。さっきまで元気だった子供たち三人は、急にしゅんとなってしまう。数あるものだ。食べれば無くなるのは仕方が無い。

 しかし、わたしもついさっき朝食を食べ終えたところだったので丁度良かったのかもしれない。賑やかな朝は中々楽しかったが、そろそろお開きにするとしよう。


「それじゃあ、あんたたち。クッキーも無くなったことだし、そろそろ村に帰ろうか」

「はーい……」


 少し活力の無い返事とともに、わたしたちは村へと続く道を進み始めた。


 ***


 村に着いたわたしは、子供たちと別れてマナナさんの家に向かった。昨日のカリストとの戦いの中で破れてしまったローブの代わりとして新しいローブを縫ってくれるということになったので、これからそのための採寸をするのだ。

 新しいローブが一体どのようなものに仕上がるのか。わたしはワクワクした気持ちを抑えつつ、マナナさん宅のドアを叩いた。


「ごめんくださ~い」


 すると、ドアはすぐに開かれた。ドアの奥から現れたのは騎士団長を務めるアレルさんだった。正直彼が家にいるとは思っていなかったので、少々面食らってしまった。


「おう、セレスさんか。待ってたぜ」

「はい、お待たせしてしまってすみません。ところで、アレルさんは今日はお休みですか?」

「おうよ、今日は非番なのさ。おっと、客人を玄関に立たせてちゃあいけねぇな。ささ、上がりな」

「どうも、お邪魔しま~す」


 アレルさんに促され、家の奥へと進んでいく。マナナさんは居間の椅子に座っていた。彼女の目の前の机には、既に道具一式が揃っていた。


「あら、セレスさん。お待ちしておりました」

「おはようございます、マナナさん。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ。さぁ、長話もなんですから、早速始めましょうか」


 マナナさんは巻尺を手に取り、わたしの前へ進み出る。わたしはマナナさんの言うとおりのポーズを取りつつ、体のあちこちを採寸されていく。その手際から、彼女がかつてその道の専門であったということは簡単に推測できた。病の床に伏し、長い月日が経とうとも、その腕前はまるで錆びてはいないようだ。

 あっという間に採寸は済み、マナナさんは結果を紙にまとめていく。


「よし、終わり。お疲れ様、セレスさん。今晩までにはできると思うから、夕暮れ時になったらまたここに来ておくれ」

「わかりました。では、楽しみにしています」

「それともう一つ。あなた! そこで何してんだい!?」


 マナナさんはわたし越しに誰かに呼びかけた。振り向くと、しゅんとしたアレルさんが廊下の影からひょっこり現れた。


「な、何って俺は、ただ玄関の見張りをしてただけだぜ?」


 所々上ずった声でそう話す彼は、明らかに動揺していた。そんな彼を見て、マナナさんはすっかり呆れ顔だった。


「あんた……どうせセレスさんのこと、覗こうとしてたんでしょう?」

「ぐっ、そんなこたぁ考えたことねぇな」

「でも残念だったねぇ。服を脱がなくても採寸はできるんだよ」

「俺は、その……あ! そうだったやんなきゃいけねぇこと思い出した! んじゃ俺はこれで」


 そして、アレルさんは脱兎の如く逃げ出した。そんな彼の後姿を見送り、マナナさんは大きなため息を一つ吐いた。


「やれやれ、困ったもんだねぇ。あの人には後でしっかり言い聞かせておくから、どうか気を悪くしないでおくれ?」

「あ、あはは……」


 わたしは何と言えば良いか分からず、愛想笑いを浮かべるばかりだった。

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