第四話 平和な日 後編

 新しいローブ制作のための採寸も終わったので、わたしはいつもの日課である畑仕事のために村の西側へと向かう。すると、ちょうど畑のある方角から一人の男性が歩いてきた。良く見れば、それは猟師のセノスさんだった。


「おぉ~い! セレスさ~ん!」


 あちらもわたしのことを認識したのか、遠くからわたしの名を呼びながら手を振ってくる。わたしもそれに答えるように胸の前で小さく手を振った。

 わたしに何か用があるのだろうか。そう思っていると、彼は小走りでわたしに近づいてきた。


「ちょうど良かった。あなたを探していたんですよ」

「わたしを? ……ということは、誰かけが人か病人がでたんでしょうか? でしたらすぐに向かいましょう」

「あぁ、いや、違うんです。けが人も病人もいませんよ」


 どうやら、わたしの心配は無駄だったようだ。

 セノスさんは一呼吸おき、目をきらきらとさせながら口を開いた。


「聞きましたよ。セレスさん、弓術が達者だとか」

「え? 弓、ですか?」


 わたしの頭上にはてなマークが浮かぶ。一体いつ、わたしは村人に弓の腕前を披露したことがあっただろうか。

 しばらく考えて、わたしはやっと答えに辿り着いた。あぁ、昨日のカリスト討伐の時だ。あの時、薄暗い中でカリストの心臓部に見事矢を命中させたのだった。まあ、その後は当初の狙い通りには運ばなかったが。おそらく、そのとき側にいたアレルさんがそのことを話したのだろう。


「そこで、セレスさん、折り入ってお願いがあります」


 セノスさんは急に改まった態度を取る。


「な、何でしょうか?」

「僕と一緒に、狩りに行きませんか?」


 狩り、か。これはまた急なお誘いだ。しかし、一体なぜ一緒に狩りに行きたいと言うのだろうか。まさか、単にわたしと一緒に狩りがしたいわけでもないだろう。何か理由があるのだろうか。

 わたしの怪訝そうな表情を読み取ったのか、セノスさんは付け加えて言った。


「つい昨日まで、村の南側にはカリストがいたじゃないですか。普段の僕たち猟師の狩場は南の森なんです。でも、奴がいつ襲ってくるか分からなくて、ここしばらくは狩りに出ていないんです。

 一方で、北の森は安全ですが、生息している動物も少ないし、しかもあそこは子供たちがよく遊び場にしてるんです。だから、北の森に狩りに行くわけにもいかず……。そうするうちに村に残された肉の蓄えも残り僅かになってしまったんです。なので、カリストがいなくなった今、是非ともセレスさんに蓄えの補充のために手伝っていただきたいのです」


 なるほど、そんな事情があったのか。確かに、狩猟を中心に生活しているこの村では、肉の貯蔵が尽きるというのは死活問題だろう。村の皆の助けとなるのなら、わたしは協力しないわけにはいかない。

 しかし、わたしは今畑仕事に向かう途中だ。せめてレァハさんには一言許しを貰っておいたほうが良さそうだ。


「そういうことでしたら、わたしもお手伝いさせていただきます。しかしその前に、レァハさんに一言伝えてきますね」

「あぁ、それは必要ありませんよ。ついさっき僕が話しをつけてきましたから」


 なんとも用意周到なことだ。わたしが彼のお願いを聞き入れると分かっての行動だろう。

 まあそれも、悪い気はしない。それに、久々に狩りをすると聞いて腕が鳴る。


「それじゃ、行きましょうか」

「はい」


 セノスさんの後に続き、わたしたちは久々の狩りへと出かけた。


 ***


 静かな森の中。聞こえてくるのは小鳥の囀りと草葉の擦れる音、そして小川を流れる水音だけ。

 所々には柔らかな木漏れ日が差し、そこには小さな野花が懸命にその光を全身に浴びている。

 そして、その近くには中型の草食動物が、首を地面に垂らしながら草を食んでいる。


 獲物はこちらに気付いていない。わたしは物音をたてずに弓を横に構え、矢を番える。音をたてないように、すっくりと弓を引き絞っていく。獲物は相変わらず、無防備に草に夢中だ。

 わたしは、射抜いてくださいと言わんばかりのその喉笛に狙いを定め、矢を放った。

 放たれた矢は鋭い音と共に緩い放物線を描いていく。そしてその矢尻は、最後まで何も気づくことのなかった獲物の首を貫いた。

 森中に苦しみ悶える声が響く。痛みと恐怖のために獲物は暴れ、周囲の草を踏み荒らす。しかし、その動きも次第に鈍くなり、ついにはその場に倒れ込んだ。


 わたしは草陰から立ち上がり、急いで獲物のところまで駆けていく。その場に着くと、まだ獲物に息はあった。

 獲物は小さく口を動かしながら、細い声を絞り出している。貫通した首がらは止め処なく血が流れ出て、周囲を赤く染めていく。


「痛いよね、苦しいよね。ごめんなさい。せめて、安らかに眠って」


 獲物の頬に手を添えて、そっと呟く。すると、獲物の声は途切れ、遂にはその場に動かなくなった。

 獲物の死を見届けると、わたしはその首筋からゆっくりと矢を引き抜いた。矢にべっとりとついた血を布で拭い、矢筒に戻す。

 さて、この大きな獲物をどうやって村まで運ぼうか。ひと一人、それも女が運ぶにはこいつは重すぎる。誰か助けを呼ぼうにも、目を離した隙に他の獣に食われでもしたら元も子もない。さて、どうしよう。


「おっ、セレスさん、やりましたね」


 あれこれ思案していると、後ろの茂みからわたしに話しかける声が聞こえた。振り返ると、そこにはセノスさんが弓を片手に立っていた。


「あぁ、セノスさん。丁度いいところに。この獲物を村まで運ぶのを手伝っていただけませんか?」


 セノスさんはわたしのお願いを聞き届ける前に、獲物の前に立っていろいろと観察しだした。


「ふぅ~む。これほどの獲物となると、村まで運ぶのに時間が掛かりすぎて肉の質が落ちてしまう。幸いにも近くに川が流れているので、これはもうここで軽く解体しましょう」

「こ、ここで解体するんですか?」


 思わぬ提案に、わたしは仰天してしまう。解体とは、所謂精肉場で行うのではないのか。

 しかし、ここで一つ問題が発生した。わたしは獣の解体の経験がないのだ。


「あ、あの、わたしは獣の解体の経験がないのですが……」

「なに、大丈夫ですよ。すぐに終わりますから、見ていてください」


 そう自信満々に言うと、セノスさんは腰のベルトに備えられたナイフとロープを手に、作業に取り掛かった。

 近くの木の枝に獲物を逆さに吊るし、ナイフで首を裂いて血抜きをする。その後は地面に下ろし、腹を裂いて内臓を綺麗に取り出した。

 取り出した内臓を地中深くに埋め、捌いた獲物を近くの小川できれいに洗う。彼の行ったこれまでの一連の動作は、素人から見ても玄人のそれだとはっきりと感じられるものだった。

 一通りの作業が終わると、セノスさんは満足そうな顔で獲物を抱えた。


「さぁ、村に持って帰りましょうか」

「は、はい」


 彼は獲物の前半分を、わたしは後ろ半分を持って、わたしたちは村へと歩いて行った。


 ***


「いやぁ、助かりましたよ。セレスさんのお陰で、食糧危機に陥らずに済みました」

「いえいえ、わたしは少しお手伝いしただけですよ」


 あれからまた狩りを続け、食料庫が潤う頃、空は夕日の赤で眩しく染まっていた。

 夕暮れ時……そうだ、わたしの新しいローブを受け取りに行かなければいけないのだった。

 狩りのことですっかり忘れていた大切なことを、わたしは夕日を見て思い出した。早くローブを受け取りに行かなければ、マナナさんを待たせてしまう。


「わたしはこれから用事がありますので、これで失礼します」

「はい、また機会があれば、一緒に狩りに行きましょう」


 お互いに軽く会釈をし、わたしはその場を後にした。


 ***


「ごめんくださ~い」


 マナナさん宅に着き、ドアを叩く。すると、今回はアレルさんではなくマナナさんが玄関のドアを開いた。


「お待ちしておりましたよ。さっ、上がってください」

「では、お邪魔しま~す」


 マナナさんに通され、わたしは居間に向かう。すると、その壁の一角に一着のローブが掛けられていた。マナナさんはそれを手に取り、わたしに差し出した。


「これが新しく新調したローブです。体に合うかどうか、試してみてください」


 そう促され、わたしはそれを羽織ってみる。


「おぉ、これは……」


 なんとも良い着心地だった。

 全体的な意匠は以前のものを踏襲していながら、着心地は格段違った。生地には薄く、かつ丈夫な布が使われているため、全身を覆っているが比較的涼しく、そして動きやすい。さらに、この短時間で仕上げたとは思えないほど丁寧できめ細やかな裁縫がなされている。

 この生地は値の張るものだったに違いない。そして、このローブをこの短時間の内にこれほどの質で仕上げたマナナさんの腕前も見上げたものだ。


「……もしかして、お気に召しませんでしたか?」


 わたしが感動のあまり言葉を詰まらせていると、マナナさんが不安そうに尋ねてきた。わたしが何も感想を述べないことで不安が募ったのだろう。


「いえ、そんなことはありません。わたしはただ、このローブの素晴らしさに感動していたのです。マナナさん、このような素晴らしい贈り物を頂いてしまって……ありがとうございます」


 そう言うと、彼女はほっとしたように顔を綻ばせた。


「それは良かった。わたしに出来る事といったら、これくらいしかありませんから。それで喜んでいただけるなら、わたしも嬉しいのです」


 そう言って微笑む彼女は、夕暮れ時の薄暗い家の中で一際眩しく見えた。


 ***


「ふぁ~、あぁ眠い」


 夜、わたしは机に向かいながら、睡魔と闘っていた。

 目の前にはさまざまな薬草たち。どれもここ一帯で採れたものだ。それらの、薬としての性質や副作用などを一つ一つ実験によって調べては、ノートに記していく。


 なんとも時間と労力のかかる作業だろうか。まあこれは別に医者としてやっているのではなく、あくまで個人の趣味みたいなものだが。

 一つの薬草について調べるだけでも膨大な時間が必要となる。しかも調べる薬草が一つや二つではない。この時代のこの地域にのみ自生する薬草は両の手足では数え切れないのだ。これらをすべて調べ終わる頃には一体どれほどの月日が流れていることだろうか。


「ふぅ~、今日のところはここまでにしておこう」


 切りの良いところで今日の実験は終えることにした。そろそろ集中力も切れてきたところだったので、丁度良かったのかもしれない。

 わたしは椅子から立ち上がり、伸びをする。そしてぼんやりと前を眺めると、そこには壁に掛けられたローブがあった。今日、マナナさんが縫ってくれたものだ。

 あの村とわたしの友好の印。わたしが勝手にそう思っているだけだが、確かな繋がりを持てたことにわたしの心は踊った。これから長い付き合いとなるのだ。繋がりは大切にしなければ。


 机の上の蝋燭の火をそっと吹き消し、寝室へ向かう。暗闇に包まれた我が家は、興奮さえ収まるほどに静かだった。

 そういえば、今晩は獣の唸り声は響かない。つい昨日の晩にカリストを討伐したのだから当然だろう。これで、村の皆も安らかに休めるというものだ。

 布団に包まり、そっと目を閉じる。途端に睡魔がわたしを襲った。

 心に温かなものを感じながら、静かに眠りの海へと沈んでいく。

 今日は、良い夢が見られそうだ。

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