第五話 両親の行方 前編

 それからの日々は、まさに平和そのものだった。

 畑を弄り、子供たちと戯れ、偶に狩りに出かけ、村人と他愛無い話をする。新たに病人やけが人は出なかったので、わたしは医者としてではなく、ただの村人としての生活を営んでいた。

 そんな何気ないような日々が、とても幸せに感じた。

 しかし、そんな幸せな日々はあっという間に過ぎてゆき、気がつけばあれから十日が経っていた。


 ***


 今日も今日とて、わたしは小鳥の鳴く声に目を覚ました。ベッドに仰向けのまま天井を見上げれば、梁に留まった数羽の小鳥たちがわたしを見下ろしてさえずっている。やはり、何を伝えようとしているかは分からなかった。

 わたしはいつものように、まだはっきりとしない頭のままベッドから起きて身支度をしていく。それが終わり、寝巻きから普段着のローブへ着替えると、途端に頭が冴えたような気がした。日中いつも着ているだけあって、ローブを着ると気持ちが自動的に切り替わるのだ。

 わたしは多少冴えた頭で居間へと向かった。


「あっ、おはよー、おねーさん」

「おはよう、リーザ」


 そこには、もはや当然のごとくその子はいた。

 わたしの住むこの森の南にある村の娘であるこの子は、わたしがここに越してから毎朝欠かさずここに遊びにくる。こんな朝早くに娘一人で森に立ち入るなど感心できないことだが、村の大人達がそれを許すほどここは安全だということだ。


 リーザがわたしの家に毎朝遊びに来る理由は訊いたことがないので分からない。が、恐らくは、この森は元々わたしが越してくる前からこの子の庭みたいなものだったのだろう。

 何にせよ、誰かが朝に家まで遊びに来てくれるというのは、わたしにとってみれば有り難いことだ。一人で迎える朝は寂しいものだから。


 それで、今日はこの子は一体何をしているのかと思い遠目から窺うと、リーザは机に向かい、自分の体には不釣合いなほどに大きな本を広げていた。植物の挿絵と文章がずらりと並ぶその本は、恐らくわたしの植物図鑑だ。

 あの図鑑には各植物の名称や生息域などの基本データから、どのような薬の材料として利用できるかまで事細かに記されている。薬師を目指すあの子にとっては良い教材になるかもしれない。しかし、難しい単語などが多いので今はまだ理解し難いかもしれないが。

 わたしは朝食にと、パンとチーズ、それと果物を一つ持ってリーザの向かいに座った。パンを一口齧りながら勉学に励むこの子をぼんやりと眺める。彼女の視線は真っ直ぐ本に向けられている。


「勉強熱心ね」

「うん、早くお母さんみたいなりっぱなくすしになりたいから」

「そう……」


 リーザの両親、か。わたしがここに越してから随分と日が経ったが、この子の両親は未だ帰ってきていない。


「わたしのおとーさんとおかーさんね、てーこくっていう所に行ってるんだって」

「帝国に?」

「うん。おとーさんとおかーさんが出かける前にね、教えてくれたの。わたしも付いて行きたかったけど、ダメっていわれたの」

「……そっか」


 この子の両親が帝国に? まあ、彼らがこの子に直に言ったのだから間違いはないだろう。しかし、それにしても帰ってくるまでに時間が掛かりすぎているのではないか。

 村から帝国までは、徒歩でなら二日、馬を駆れば半日とかからずに着けるはず。帝国で一体何の用事があるかは知らないが、わたしが越してくるより前に彼らが出発していることを考えれば、この子の両親はもう既に帰ってきてもいい頃だと思う。

 しかし、現にまだ帰ってきてはいない。まさか、何か事件や事故に巻き込まれた、なんてことはないだろうか。

 果物を齧りながら、ぼんやりとリーザの方を眺める。リーザは相変わらず図鑑に目を向けているが、その目はどこか遠くを見ているような気がした。


「……おとーさんとおかーさんに会いたい」


 リーザはぽつりと呟いた。その声は悲涼に満ちていた。


「……」

「前にね、そんちょーにお願いしたことがあるの。おとーさんたちに会いたいから、てーこくまで連れてって、て。そしたらね、ダメだって」

「……そっか」


 こんな分厚い本で薬学の勉強をする子でも、やっぱり子供。親が恋しくなるのは当たり前だ。そして、村長は『両親に会いたい』というこの子の願いを聞き届けなかった。ということは、何かしら理由があったはずだ。それは一体……。


「そうだ!」


 わたしは考えを巡らそうとしたが、それはその大きな声に阻まれてしまった。前を見ると、何かいいことを思いついたと言わんばかりに目を輝かせたリーザがこちらを見つめていた。


「……どうしたの? そんな大声を上げて」

「おねーさんはさ、マジョなんだよね? だったら、てーこくまでまほうでひとっ飛びで行けるんじゃない?」

「ひとっ飛びねぇ。まあ、出来るっちゃあ出来るけど……」

「だったら、おねーさんのまほうでわたしをてーこくまで連れてって?」


 リーザは身を乗り出しながら、後生だからとでも言っているかのような顔を向けてくる。

 確かに、わたしの魔法でなら帝国とこの村を往復するのに三刻もかからないだろう。この子の両親を捜して会わせることも考えればだいたい半日ほどかかるだろうか。

 しかし、これだけの時間村を留守にするのだ。村長にバレないはずがない。そして、村長はこの子が帝国に行くのを許さなかった。いや、もしかしたら、両親に会いに行くことを許さなかったのかもしれない。そこには必ず理由があるはずだ。

 その理由が何であるか分からない以上、わたしの独断でこの子を帝国に連れて行くわけにはいかない。せめて、しっかり村長と相談してからでないと。

 だから、この子には申し訳無いけれど、今回は諦めてもらうしかない。


「ごめんね、リーザ。今は、あなたを帝国に連れて行くことはできない。けどね、きっといつか連れて行ってあげるわ」

「う、うん……わかった」


 先ほどとは打って変わり、リーザは肩を落としてしゅんとしてしまった。可哀そうだとは思うが、わたしも身勝手なことはできない。分かっておくれ。

 ショックを受けて勉強する気力が失せてしまったのか、リーザは図鑑を閉じて元の本棚に戻していった。そして、そのまま村に帰るつもりなのか、玄関のほうへととぼとぼ歩いていく。


「またいつでもいらっしゃい。そのときはご馳走してあげるから」


 少しでも元気を出してほしいと思い、小さな背中に声をかける。しかし、リーザは背中を丸めたまま振り返ることもなく「うん……」と小さく呟くだけだった。


 ***


 いつものように午前中の畑仕事を終えたわたしは今、村長の家に向かっていた。目的は一つ、リーザの両親についていろいろ尋ねるのだ。

 思えば、あの子の両親についてはわたしがここに越してきた初日の挨拶回りのときに村長から少し聞いただけで、詳しいことは何も知らないのだ。しかし、今やわたしも立派なこの村の一員。隣人についてほとんど知らないというのは可笑しな話だ。

 村長宅に着いたわたしは、早速玄関のドアを叩く。程なくしてドアは開かれ、家の中から村長が顔を出した。


「おや、セレスさん。一体何のご用件でしょうかな?」

「急にお邪魔してすみません。あの……少しお話したいことがありまして……」

「分かりました。立ち話もなんですから、どうぞ上がってください」

「はい、お邪魔します」


 居間へと進み、以前と同じように手近な椅子に腰掛ける。村長は一旦台所へ向かい、しばらくしてからお茶を載せたお盆を持って来た。


「どうぞ、粗茶ですが」

「どうも」


 茶で満たされた湯呑みを受け取り、一口啜る。以前ここで頂いたものと同じ味がした。やはり美味い茶だ。

 村長もわたしの向かい側に座り、茶を啜った。


「それで、お話があるとのことでしたが……」


 しばらく茶を楽しんでいると、村長のほうから話を切り出した。わたしははっとし、居住まいを正す。


「そ、そうでした。こほん……その、お話というのは、リーザについてです」

「あの子について……もしや、あの子が何か迷惑をおかけしたのでしょうか?」

「い、いえいえ、そんなことは全く。ただ、今朝に一つ、あの子からお願いされたんです」

「お願い……ですか」

「はい、自分を帝国にいる両親に会わせてほしい、と」


 そう言った瞬間、村長の眉がピクリと動いた気がした。


「……それで、セレスさんは何と?」

「今は連れて行ってあげられないと言いました。あの子が言うには、以前に村長さんにも同じことをお願いしたが、聞き届けてもらえなかったそうじゃないですか。村長さんがあの子を帝国に連れて行けない理由がもしあるとするなら、わたしもあの子を帝国に連れて行く訳にはいきませんから」


 村長は、安心と困惑が入り混じったような、微妙な表情を浮かべている。やはり、あの子の両親にはわたしの知らない何かがあるのかもしれない。

 わたしは率直に尋ねた。


「教えて下さい、村長。何故リーザを両親に会わせてあげないのですか?」


 村長は両目を閉じ、大きく息を吐いた。やがて開かれたその目には、僅かな諦めの色が見えた。


「やはり、隠し通すことはできませんな」

「隠す……ということは、やっぱりあの子の両親に何かあったのですか?」

「まあまあ、そう急くものではありませんよ」


 わたしが身を乗り出して訊くと、村長はのんびりとした口調でわたしの興奮をなだめる。そして家の中をぐるりと見回してから、彼は声を落として言った


「今から話すことは、決してリーザに話さないと約束していただけますかな?」

「……はい、約束します」

「分かりました。では、お話しましょう。あの子の両親について……」


 わたしは固唾を飲んで村長の言葉を待つ。やがて彼は、静かに語りだした。


 ***


「あれは、セレスさんが北の森に引っ越してくる二十日ほど前のことだったかのぉ。リーザの両親は帝国へ向かった。詳しい目的は訊いてはいなかったが、恐らくはここらでは採れん薬の材料の買出しに行ったのだろう。


 帝国に辿り着くためには、東の森を抜けなければならん。セレスさんも知っているじゃろう。あの森は危険な獣達が生息している。じゃから、村の決まりであの森を通るときには騎士を一人以上伴うことになっておるのじゃ。

 前に話したように、あの子の父親は誇り高き騎士じゃった。じゃから、夫婦二人であの森を抜け、帝国に向かったのじゃ。

 あの二人は馬を駆って行った。馬の足ならば村と帝国を一日ほどで往復できる。向こうでの用事のことも考えて、三日も経てば帰ってくる、とワシらは思っていた。心配などしておらんかったよ。これまでも帝国への買出しなど何度もあったからのぉ。


 しかし、その二人はいくら待てど暮らせど村に帰っては来なかった。気がつけば、二人が村を出てから五日が経っていた。

 もしや何か事件に巻き込まれたのではないかと危惧したワシらは、村の騎士の半数と男達で帝国に向かった。もちろん、東の森を抜けてのぉ。

 ワシらが恐ろしいものを目にしたのは、ちょうど森のど真ん中じゃった。森の中の道を進んでいたワシらは、どこからともなく異臭がするのを感じたのじゃ。普段、その森に何か異臭を放つものなど無かったはず。嫌な予感を感じながらも、私達はその臭いの元を探った。


 それはすぐに見つかったよ。道から少し外れた茂みの中に、二つの死骸があったのじゃ。

 詳しく調べるまでもなかったよ。そのときは未だ原型を留めていたその死骸は、明らかに、リーザの両親じゃった。見るも無残な姿じゃった。二人は全身に獣に噛まれた痕があり、身ぐるみ全てを剥がされ、一切の荷物は残されていなかった。


 単に獣に襲われたわけではないのは一目見ただけで分かった。二人は盗賊に襲われたのじゃ。相手が単なる獣であれば、いくら束になって襲い掛かろうとも、あの子の父親ならば敵わぬ筈がないからのぉ。しかし、そこに人間の知恵が加われば話は全く違ってくる。二人の荷物や、馬の死骸が無かったことからも、相手が獣ではないことが分かる。おそらく、あの二人を襲った後、盗賊は荷物をすべて奪い、馬を駆って逃げたのじゃろう。

 ワシらは二人の死骸を村に持ち帰り、葬儀を執り行った。誰もが彼らの死を悼んだよ。むごい最期じゃったが、せめて安らかに眠ってくれと、何日も祈ったもんじゃ。


 ワシらは、彼らの死を村の子供たちには話さなかった。たった一人の子供であっても、そのことを知れば確実にリーザの耳にも入る。まだ年端も行かぬあの子にとって、この現実は酷すぎる。

 あぁ、リーザ。なんと可哀そうな子であろうか。未だ親に甘えたい盛りじゃろうに。一体何故、何の罪も無いあの子がこのような辛い現実を突きつけられねばならぬのか。

 ワシがあの子にしてあげられることは何もない。ただ、あの子を哀れに思うことしかできんのじゃ」


 ***


「そんなことが……」


 リーザの両親の身に起こった事の顛末を話し終えると、村長はその目に涙を溜めていた。彼はその涙を指ですくい、茶を啜る。そして、気分を落ち着かせるように深く息をついた。

 やがて湯呑みが空になったとき、村長は深々とわたしに頭を下げた。


「セレスさん……今まであなたにもこのことを隠してきた。本当に申し訳ない。ただワシらは、無関係なあなたに余計な心配を掛けたくなかったのじゃ」


 わたしは複雑な心境だった。

 彼の気持ちは分かる。確かに、わたしはリーザの両親とは面識もない赤の他人だ。そんな彼らに対して、わたしの関与する余地はないかもしれない。

 でも、わたしは今やこの村の立派な一員だと確信していた。それだけじゃない。わたしと彼らは、リーザという娘を通して繋がっている。決して無関係ということは無い筈だろう。

 確かに人は、余計と思われる心配や面倒事に他人を巻き込むのを避けようとするだろう。でも、わたしたちは『隣人』、いや、それ以上の『仲間』じゃないか。『仲間』というのは、心配事も面倒事もみんな共有して、一緒に乗り越えるものだろう?

 わたしはまだ、この村の一員になり得ていなかったのだろうか。


「村長さん。一つ、お願いがあります」

「……なんですかな?」


 わたしにはまだ、挨拶をしていない村人がいる。彼らにもちゃんと挨拶をしなければ。


「リーザの両親のお墓まで、案内していただけますか」

「……わかりました。ワシに付いて来てください」

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