第五話 両親の行方 後編

 村の北西。少し小高い丘となっているそこに、墓は静かに佇んでいた。

 木製の柵で囲われた小さな墓地には、いくつもの墓標が規則正しく並べられている。どれも古さを感じさせないほど綺麗に世話をされているようだった。

 村長とわたしは、墓と墓の間を縫うように進んでいく。村長のあとを付いて行くと、彼は一つの墓の前で止まった。


「これが、リーザの両親の眠る墓です」


 彼の手が示す先には、一際新しい雰囲気を醸す墓が置かれていた。まだ切り出したばかりを思わせるつややかなその表面には、二つの名が横並びで刻まれていた。どちらも、聞いたことのない名だった。


「この二人が、あの子の両親……」


 独り言のように、わたしは呟く。そしておもむろに膝をつき、両目を閉じて手を合わせた。


 はじめまして。わたしの名前はセレス・ウルフィリアス。ご覧の通り、魔女です。

 わたしは十数日前に村の北にある森に引越してきました。急に越してきたにも関わらず、その初日から村の皆さんにはよくしていただいております。娘さんのリーザちゃんとも、懇意にさせていただいております。

 わたしは今、なりゆきでこの村の医師をしております。聞けば、奥様はこの村の前任の医師であるそうじゃないですか。ということは、奥様はわたしの先輩となりますね。先輩に負けぬよう、わたしも精進していきます。

 ところで、今日こうして突然参りましたのは、村長からあなた方お二人のことを伺ったからです。わたしはこれまで、お二人についてほどんど聞かされておりませんでした。わたしはてっきり、お二人はご存命だとばかり思っておりました。

 しかし今日、数十日前にお二人にどのような悲劇が降りかかったのかを聞きました。酷い最後だったと聞かされました。わたしは、お二人の死が不憫でなりません。

 お二人は、きっと多くの未練を現世に残してしまったことと思います。特に、娘さんに対しては心配が募るばかりでしょう。

 しかし、どうか心配なさらないでください。娘さんの成長は村人全員が見守っております。わたし自身も、いざというときにはあの子の助けとなりましょう。

 ですから、お二人はどうか安らかに眠ってください……。


 わたしは閉じていた目を開き、おもむろに立ち上がった。


「もう、よろしいのですか?」


 隣に立っていた村長が尋ねてくる。


「はい、もう挨拶は済みました。行きましょう」


 そう言って、わたしは歩き出した。行きとは逆に、帰りはわたしが先導する。

 振り返ることなく、肩越しにわたしは尋ねた。


「お墓に名前が彫ってあるのに、子供たちには気づかれないのですか?」

「はい、子供たちは墓に近づきませんから。恐らく、幽霊の類を怖がっているのですよ」

「……そうですか」


 村長の返事をぼんやりと聞きながら空を見上げる。黒く厚い雲を浮かべている空は、まるで人の心にも黒い陰を落とすかのよう。


これは、一雨降るかもしれない。


 ***


 このままで本当に良いのだろうか?

 その日の夜、雨降り空の下で、家に篭るわたしはそんなことを考えていた。

 本当に、両親の死を隠すことがあの子のためになるのだろうか。

 あの子は、自分の両親がちゃんと生きていて、帝国に居ると信じている。でも、本当は既にこの世にはいないのだ。村のみんなはそれをあの子に隠している。

 大人たちの思いは分かる。傷つけたくないって気持ちはわたしも同じだ。けれど、バレない嘘なんてない。いつか、リーザは嘘をつかれていたことに気づくだろう。そのとき、あの子はどれほど傷つくだろうか。


 優しい嘘も、重ねれば鋭い刃となり得る。


 わたしが本当にあの子のためにできることは、一体何だろうか?

 わたしは自分に問いかける。しかし、答えは出ないまま。


「……今日は、研究はやめにしよう」


 毎晩続けていた薬草の研究。しかし、こんな状況ではそんなものは手につかない。わたしは諦めて、今日はさっさと寝ようと片付けを始めた。

 そのとき、玄関のほうから物音が聞こえた。

 こんな時間に、それもこんな雨降りのときに客人だろうか。わたしは少し不可解に思いながらも物音のしたほうへ向かう。玄関に着くと、そこにはずぶ濡れのリーザが立っていた。


「……こ、こんばんわー」

「……あ、あんた、一体どうしたの? あ、いや、その前に体拭かなきゃ。そこでちょっと待ってて」


 わたしは急いで奥の部屋から大きめの布を二枚引っ張り出す。一枚は体を拭く用、もう一枚は服が乾くまでの間羽織る用だ。


「ほらリーザ、服を脱ぎなさい。拭いたげるから」

「……うん」


 リーザは素直に服を脱ぎ、わたしはそのずぶ濡れの体を丁寧に拭いていく。拭き終わったら、この子を暖かい暖炉の側に連れて行った。

 暖炉をわたしとリーザ、そして濡れた服で囲む。隣で膝を抱えているリーザは、なんだか元気がないようだった。

 わたしはゆらゆらと揺れる暖炉の火を眺めながら訊いてみた。


「一体、こんな時間にどうしたの?」

「……わらわない?」

「笑わないわ」

「……あのね、おねーさんにね、会いたくなったから」

「わたしに? どうして?」

「おねーさんが似てるの、わたしのおかーさんに」

「……そっか。……お父さんやお母さんに会えなくて寂しいのね」


 リーザの頭の上にぽんと手を置く。すると、この子はわたしの肩にもたれかかってきた。そのまま、優しく頭を撫でる。


「おねーさん」

「なあに?」

「まほう、見せて」

「ふふっ、いいわよ」


 わたしは暖炉の火に手をかざし、意識を集中させる。そして、手繰るように手を引くと、まるで紐で繋がっているかのように火が暖炉の中から飛び出した。

 火は次第にその姿かたちを変えていく。魚や鳥、そして獣へと。

 炎を纏った動物達は、軽快にわたしたちの回りを飛び始める。


「……きれい」

「……そうね」


 そうして、わたしたちはただ火の舞う光景を二人で眺めていた。

 リーザの濡れた服が乾く頃、玄関のドアを叩く音がした。恐らく村長さんがこの子を迎えに来たのだろう。丁度良い時間だ。

 わたしは回りを舞っていた火を暖炉に戻して立ち上がった。


「リーザ、もう服乾いてると思うから着替えなさい。いいわね?」

「うん、分かった」


 返事を聞いて、わたしは玄関に向かった。

 玄関のドアを開くと、案の定そこには傘を差した村長が立っていた。彼は走ってここまで来たのか、息を切らしていた。


「突然お邪魔してすみません、セレスさん。あの、リーザはここに来ていませんかのぉ?」


 あぁ、やっぱり。村長はあの子が帰りが遅いのを心配して捜しにきたのだ。


「えぇ、あの子は今奥にいますよ。あっ、来た来た」

 わたしが呼ぶ前に、わたしたちの話し声が聞こえたのか、リーザはとことこと歩いてきた。村長はしゃがみ、リーザと目線を合わせた。


「おぉ、リーザ。出かけるなら、せめて行き先を一言言っとくれ。そうじゃないと心配するだろう」

「うん……ごめんなさい」

「うむ、分かってくれたなら良い。セレスさん、こんな時間にすみませんなぁ」

「いえいえ。この子が来てくれて、わたしも嬉しかったですし」

「それなら良かった。では、私たちはこれで失礼します」

「はい、お気をつけて」


 きびすを返し村へと帰っていく二人の後姿を見送る。

 村長さんに手を引かれて歩くリーザを眺めていると、何だか彼女がこの雨に溶へ入ってしまうような、そんな錯覚を覚えた。

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