第三話 襲撃 後編

 その夜、作戦は決行となった。防護壁の修復が不十分な中で一晩明ければ、奴が壁を破壊し村を襲う恐れがあると判断したからだ。

 南の防護壁の裏に、わたしとアレルさん、その他ウルカさんを含めた四人の騎士達が集まっていた。


「おめぇら、もう一度作戦を確認するぞ」


 アレルさんは声を潜めながら皆に向かって言った。


「おめぇら騎士の四人は、出来るだけ奴の注意を引き付けろ。だが、無理はするな。危ねぇと感じたら真っ先に離脱しろ。いいか、奴の間合いにはぜってぇ入んじゃねぇぞ。今回の作戦に、死者は不要だ」


 アレルさんの言葉に、騎士の四人は皆一斉に頷いた。


「盾と槍は持ったな? だが、言っておくが、そんなものは気休めにしかならん。おめぇらの仕事は囮だ。変な気起こして突っ込むんじゃねけぞ。奴をぶっ殺すのはセレスさんに任せるんだ」

「はい、わたしに任せてください。必ず皆さんを生きたまま村に帰します」


 わたしがそう言うと、皆はほっとしたような表情を浮かべる。それを見て、アレルさんは少し声を張った。


「じゃあ、おめぇら、しっかりやれよ。全員、配置につけ!」

「おう!」


 その号令と共に、四人の騎士は防護壁の外へ向かう。わたしとアレルさんは壁の上に立ち、外の様子を伺う。

 それにしても、どうしてアレルさんはこの作戦に参加しているんだろう。わたしはあれほど絶対安静だと言ったのに、その言葉を押し切って現場に来てしまうものだから、主治医としては困りものだ。

 少しくらいは文句を言っても構わないだろう。


「アレルさん、わたしはあれほど来ないでくださいって言ったのに、どうして来たんですか? そんな血の足りない体で……。貧血でも起こして倒れても、わたしは知りませんよ?」

「がっはっは、バカ言ってんじゃねぇ。部下が危険に晒されてるってのに、頭が家で暢気に寝ていられるわきゃねぇだろ?」


 ううん、そういうものだろうか。まあ確かに、団長がいるお陰でほかの騎士たちは安心して戦える、というのはあるのかもしれない。


「そう言うお前さんこそ、ほんとにそんなもんで奴を倒せるのか?」


 今度はアレルさんのほうから口を開いた。彼の指は、今わたしの持っている弓矢を指していた。


「大丈夫ですよ。こう見えてわたし、こういうの得意ですから」


 自慢げに言うわたしに、彼はなおも心配そうな眼差しを向けてくる。


「しかしなぁ、弓矢で奴は倒せんぞ?」

「安心してください。この矢にはわたし特製の魔術が組み込まれています。魔法が決まれば、例え相手がカリストでも木っ端微塵です」

「そうか、それなら安心だ」


 わたしとアレルさんは、再び南方を見据える。ここからでもよく感じる。奴の悪臭が。恐らく奴にも、人間のにおいを感じているはず。敵は間違いなく近くにいる。

 相手はカリスト。獣の中でも、人が最も恐れる猛獣だ。


 ほとんどの獣は火を恐れる。もし今回の相手が小動物ならば火が有効だっただろう。しかし、これから対峙する相手は人間よりも遥かに大きな獣。しかも、大きな復讐心をその身に宿している。そんな相手には火はまるで効かないだろう。そんなものお構いなしに突っ込んでくるはずだ。

 持久戦に持ち込むこともできない。戦闘時間が長引く程、前線に立つ騎士たちの命を危険に晒すことになる。

 ならば、狙うは一撃必殺。


 わたしの持つ矢の先には、相手を内部破裂させる術式を仕込んである。魔法の性質上、できるだけ敵の心臓部の深くを狙わなくてはいけないが、騎士の皆さんが囮となってくれるから十分狙えるだろう。

 防護壁の前に置かれた数本の松明が、辺りをぼんやりと照らし出す。わたしたちはじっとその時がくるのを待った。

 わたしはふと、直感的に何かを感じ取った。これは、殺気!


「奴が来ました! 気をつけて!」


 わたしがそう叫んだのとほぼ同時に暗闇から大きな影が飛び出してきた。影は一人の騎士にその剛腕を振るったが、騎士は間一髪でこれを避けた。

 松明の炎が、黒い影を照らしだす。黒く荒れた毛皮に、立ち上がれば人の三倍はあろうほどの巨大な体躯。背中には数本の折れた矢が刺さっており、わき腹には一本の剣が深々と突き刺さっていた。左目には深く切りつけられた痕があり、右目は血走りぎらぎらと闇夜の中で光っていた。

 わたしは少しだけ怯んでしまった。このカリストは、わたしがこれまで見てきたどれよりも巨大で、どれよりも殺気に満ちていた。


「おめぇら! 怯むな!」


 わたしの隣で、アレルさんが叫ぶ。カリストはその声に反応し、わたしと向かい合った。

 カリストはこちらへ突進しようとする。が、それを騎士達が槍を構えて阻止する。そのとき、カリストは立ち上がり、その剛腕を振り上げた。

 今だ!

 わたしは弓を引き絞り、その曝け出された奴の胸元へ向かって矢を放った。

 勢いよく放たれた矢は真っ直ぐに奴の胸元に突き刺さり、その瞬間奴は若干の怯みを見せた。わたしはすかさず呪文を唱えた。


「フラム・ロード!」


 わたしは勝利を確信していた。ここにいる誰もが、奴を討ったと確信していた。しかし、現実は甘くはなかった。

 わたしの呪文に呼応するように奴の体が破裂することはなく、代わりに矢の突き刺さった部分が小さく爆発を起こした。奴の胸部には小さな穴が開き、そこから血が流れ出す。しかし、それは致命傷からは程遠い。


 しまった! 矢尻がまるで刺さっていない。奴の厚い毛皮は矢を全く通さなかったのだ。

 カリストは怯み、後ずさりながらも、その剛腕を振り上げた。奴の狙いは、ウルカさんに定まっていた。


「くそっ!」

「ちょっ、セレスさん! 何してる! 危ねぇぞ!」


 わたしは防護壁を飛び降り、ウルカさんのほうへ走る。後ろからアレルさんが引きとめようとしているが、そんなことに構っている時間はない。

 奴はウルカさんめがけて腕を振り下ろす。彼は恐れからか、まったく避けようとしない。


「ウルカさん、危ない!」


 わたしは彼を突き飛ばし、カリストの前に出る。奴の剛腕は既に目の前に迫っており、今からでは回避できない。

 わたしは既の所で空気を圧縮した即席の障壁を張る。しかし、それでも尚強烈な奴の一撃にわたしは突き飛ばされた。


「かはっ……!」


 視界が回転する。奴の鋭い鉤爪のせいかローブは裂け、左腕からは血が流れ出していた。

 体勢を立て直し何とか立ち上がった時、奴はけたたましい咆哮を上げた。それに負けず、アレルさんも声を張り上げで皆を奮い立たせている。

 奴は狂ったように暴れ、騎士達はそれに勇敢にも立ち向かっている。


 このままじゃ皆が危ない。


 わたしは奴に向かって駆け出した。奴との距離を詰める中、わたしはローブの内側に仕込んでいた短刀を抜き、その刀身に即座に術式を組み込む。

 十分奴と距離を詰めたところで、わたしは声を張り上げた。


「おらっ! デカぶつっ! お前の相手はわたしだ!」


 カリストはこちらを振り返った。それと同時に、わたしは奴の胸元めがけて跳んだ。

 奴は再びわたしに向かって剛腕を振り下ろす。わたしはそれに怯まず、両目を閉じ、呪文を唱えた。


「ロトン!」


 その一瞬、辺りは白に染められた。

 カリストも、仲間の騎士達でさえ、突然現れた閃光に目を眩している。

 わたしは呆然としている奴の胸元に空いた穴に短刀を深く突き刺し、叫んだ。


「フラム・ロード!」


 すると、奴はうなり声を上げながら苦しみだした。胸部はまるで空気を押し込まれているかのようにどんどん膨らんでいく。

 そして、それが限界にまで達した時、それは爆ぜた。

 周囲に奴の血やら肉片やらが飛び散った。すぐ目の前でそれを浴びたわたしは、あまりの強烈な悪臭に吐きそうになった。


「やった……のか?」


 目眩ましからやっと開放されたらしい騎士の皆さんは、目の前に広がる光景に驚くあまり目をしばたたかせている。わたしは彼らにそっと言った。


「えぇ、村を脅かしていたカリストは、この通り退治されましたよ」


 わたしの言葉を聞いた瞬間、ようやく状況を理解したらしく、騎士たちは雄たけびを上げた。


「遂に、奴を倒したんだ!」

「あぁ、全部セレスさんのお陰だ!」

「仇を討ってくれて、俺たちの無念を晴らしてくれて、ありがとうっ……!」


 わたしの元へ駆け寄ると、皆は口々に感謝の言葉などを並べていく。アレルさんに至っては、目の端に涙を浮かべていた。

 アレルさんはわたしの前へ進み出て、その大きな手をわたしの肩に力強く置いた。


「ありがとう……あんたにゃ、感謝してもし足りねぇ」


 そう言うと、彼はほろほろと涙を流した。わたしはその太い腕に手を添えながら、笑顔で彼に言った。


「感謝には及びません。当然のことをしたまでですよ。なんたってわたし、魔女ですから」


 ***


 その後、カリストを討伐したわたしたち一行はその首を引っさげて帰途についた。

 村人は皆、深夜であるにも関わらずわたしたちの帰りを村長宅でずっと待っていてくれたようだ。

 村長宅のドアを叩くと、すぐさまドアは開かれ、村長をはじめ村人全員がわたしたちの凱旋を祝福してくれた。


 しばらくの間、皆は涙を流し、肩を抱きながら仇敵を討ったことの喜びを分かち合っていた。

 その様子を遠目から温かい気持ちになりながら眺めていると、不意にマナナさんがわたしに話しかけてきた。


「おや、セレスさん。あなたボロボロじゃない。大丈夫? 怪我はない?」


 わたしははっとしながら自分の体を見下ろすと、ローブは所々裂け、大分土に汚れていた。しかし、既に傷はない。帰り道の途中、村の皆に心配はかけまいと思い予め治癒魔法をかけておいたのだ。


「心配してくださって、ありがとうございます、マナナさん。ですが、わたしは大丈夫ですよ。代わりに、このローブはこれで着納めでしょうけど……」


 このローブとは長い付き合いだったので、分かれるのはちょっぴり悲しい。しかし、それも仕方の無いこと。新しいのを仕立てるほかない。

 別れのしるしとでも言うようにローブの袖を撫でていると、マナナさんは閃いたように目を見開いた。


「なら、わたしがセレスさんの新しいローブを仕立てましょう」

「え? 本当ですか?」


 思いもよらぬ嬉しい提案に、わたしの声は弾んでいた。


「もちろんですとも。あなたには随分と助けられておりますから。それに、わたしにできるお礼の形と言えば、裁縫ぐらいしかありませんから」

「マナナは昔、西の王国で服屋を開いてたんだ。こいつの縫う服は、そりゃあ売れたもんよぉ」

「もう、あなたったら。昔の話はやめてくださいな。恥ずかしいわぁ」


 気がつけば、アレルさんが会話に割って入ってきていた。そして、マナナさんの思わぬ過去を知ってしまった。

 服屋、か。わたしはこれまで、自分の着るローブは自分で縫っていた。そのほうが安くつくし、意匠も自分の好みに合わせられるから。

 しかし、ここでマナナさんに新しいローブを縫ってもらい、それをこの村人たちとの繋がりの証とするのも良いかもしれない。わたしがこの村と関わるのも、そう短い間ではないのだから。


「マナナさん、嬉しいです。是非とも、わたしの新しいローブを仕立ててください」

「えぇ、喜んで」

 わたしのお願いを、彼女は素敵な笑顔で引き受けてくれた。


 ***


 わたしが北の森に越してから数日、いきなり大きな出来事に巻き込まれてしまった。が、そのお陰で一層村人たちとの信頼が厚くなったことだろう。

 これからも、さまざまな事件や厄介事が起こるとこだろう。そのときには、この村の一員として尽力しよう、とわたしは心の中で密かに誓った。

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