第三話 襲撃 前編
かくして、リーザの母親がこの村を留守にしている間、わたしが臨時の医者となった。
医者になるにあたって、村長はリーザの家の鍵をわたしに譲ってくれた。リーザの家が病院の役割を果たすのだから、まあ当然だろう。
しかし、如何せん村の規模が小さいものだから、けが人も病人もほとんどいない。現在進行形で診ている患者は、長らく病を抱えているというマナナさんだけだ。
よって、日中わたしはリーザの家で患者が訪れるのを待つのだけれど、一向に誰もやってこない。健やかであるのは全くもって結構なことだが、来もしない患者を待つのはなんとも退屈なのだ。
なので、わたしは副業を始めることにした。村の西側にはそこまで広くない田畑が広がっており、数人の女性たちがその世話をしている。因みに、男性たちは狩や防護壁の修復、戦闘訓練などが主な仕事だ。
田畑では、主食となる穀物に数種類の野菜類、さらには果実を実らせる木も十数本植わっていた。
わたしたちは、これらに川から汲んだ水をやり、周りに生えた雑草を抜き、変な虫が付いていれば追い払い、と中々に重労働な毎日を送っていた。
それでも、毎日懸命に汗を流す村人たちの顔をとても活き活きとしていた。その中でのリーダー的存在であるレァハさんが言うには、危険を顧みずに村の外に出て村の為に尽くす男たちが、自分らの育てた穀物や野菜で笑顔になるのが嬉しいのだそうだ。その気持ちは、わたしにもなんだか分かる気がする。
だから、肩や腰が痛くなるような毎日だけど、その分とても充実していたと思う。
そんな平和な日がしばらく続いた。
***
それは、突然のことだった。
「セレスさーん! たいへんだー!」
わたしたち女性陣がいつものように田畑をいじっていると、村のほうからわたしを呼ぶ声が聞こえた。その声の持ち主は、騎士でありレァハさんの夫でもあるウルカさんだった。
ウルカさんの呼び声に対し、わたしよりも先にレァハさんが駆けつけた。
「あなた、一体どうしたの? そんなに慌てて……」
「大変なんだ。壁を修復してたら、急に奴が現れて。団長が、アレルさんが!」
ウルカさんはパニックになっているらしい。その慌てようから、何か恐ろしいことが起こったことは明白だった。わたしを呼んでいたということは、けが人が出たということか。
わたしは声を落ち着かせ、ウルカさんに問いかけた。
「落ち着いてください、ウルカさん。一体何があったのか、ゆっくり教えてください」
ウルカさんは一旦深呼吸をして、少しずつ言葉を絞り出して言った。
「俺たち、男共数人で、壊された防護壁の修復をしてたんだ。みんな油断してた。昼間だから、奴は出ないって。あいつは夜行性だから。そしたら、急に地鳴りが聞こえて、現れたんだよ、奴が。突然のことだったから、俺たち気が動転して。なんとか追い払ったんだけど、団長が、腕をひどく噛まれたんだ。セレスさん、急いで来てくれ。このままじゃ団長が死んじまう!」
なるほど、ウルカさんの言う奴というのは恐らくカリストのことだ。そして、奴は昼間にも関わらず現れ、そして団長の腕を噛んだ。
これは酷い事態だ。
「ウルカさん、アレルさんは既に病院に?」
「あぁ、もう運び込んである。頼む、団長を救ってくれ」
「わかりました、すぐに向かいます」
わたしはそう言い残し、アレルさんの待つ病院まで走って行った。
***
アレルさんは、既に病院のベッドの上に寝かされていた。応急手当が施されているらしく、全身の至るところに包帯を巻かれていた。
アレルさんの寝かされたベッドの側には、二人の男性がアレルさんを見守るように立っていた。
「あ、セレスさん。来てくださったのですね」
内の一人がわたしの来訪に気がつき、声を掛けてきた。二人は安堵したような表情を見せた。
「セレスさん、団長を助けてください。団長は、俺らを庇って……」
「必ず助けます。お二人は、冷たい水とタオルを持ってきてください」
「は、はい!」
男性二人は、そのまま病院の外へと駆けていった。
さて、早速治療をしなければ。ことは急を要する。
わたしは、順にアレルさんの体に巻かれた包帯を解きはじめる。彼の負った傷は、ほとんどが軽い切り傷やかすり傷のようだ。これらに対しては心配ないだろう。
問題は彼の左腕だ。カリストに噛まれたのだ。まず無事では済まない。見てみると、多重の包帯が巻かれているのにも関わらず、左腕からはぽたぽたと鮮血が滴り落ちていた。
わたしはゆっくりと、その包帯を解いていく。
「うっ、これはひどい」
思わず、小さく声を上げてしまった。
アレルさんの左腕は、二の腕の部分がごっそりと抉られ、筋繊維どころか骨まで見えている。骨まで奴の牙が届かなかったことが唯一の救いだ。仮にそうなっていれば、アレルさんは左腕を失うことになっていただろう。
「あ、あんた……セ、セレス……さん、か……」
わたしの存在に気がついたらしく、アレルさんは頭をもたげてこちらへ目を向ける。その白い顔には、大量の汗を滲ませている。
「ほかの……野郎共は、無事か……?」
自分がこのような有様になっても、仲間の心配とは、見上げた精神だ。
わたしは彼の目を真っ直ぐに見つめながら答えた。
「心配ありません。皆さん無事です。アレルさんのことも、わたしが必ず助けます。だからどうか喋らないで。傷に響きます」
「そっかぁ……そりゃぁ、ありがてぇ……」
そう言い残し、アレルさんは再び眠るように目を閉じた。
とにかく、早くこの腕の傷を塞がないと。しかし、ここにある薬じゃこの傷は癒せない。ならばここは、魔法を使うしか手は無い。
わたしは両の手の平を腕の傷を覆うようにかざし、意識を集中させる。そして、静かに呪文を唱えた。
「ラハル・ヒエラ」
その瞬間、傷は淡い光の包まれた。光の中で傷口付近の細胞が活発化し、細胞分裂を繰り返してゆき、徐々に傷が塞がっていく。そして遂に、完全に傷口は塞がれた。
アレルさんの顔を覗き見ると、先ほどまでの苦悶の表情とは一変、安らかな顔で眠っていた。
「セレスさん、水とタオル、持って来ました」
丁度良いところに、先ほどの男性二人が戻ってきた。二人ともが水の張った桶とタオルを腕に抱えていた。
「ありがとう、こちらに置いてちょうだい」
わたしはベッドの隣に設置されている台を指して言った。二人は言われた通りにすると、アレルさんの様子を少し離れた場所から伺いながら小さな声で訊いてきた。
「それで、セレスさん。団長は、助かるんでしょうか……?」
位置的に死角になっていて、治った腕が見えないのだろう。わたしは二人にちょいちょいと手招きをし、良く見える位置まで呼び寄せた。
「そ……そんな、あんなに酷かった傷が、きれいに無くなってる……」
「一体、何をしたんですか?」
二人は半分混乱したように尋ねてきた。わたしは、アレルさんのかいた汗をタオルで拭き取りながら答えた。
「魔法を、使ったんですよ」
「まほう……?」
頭の上にに疑問符を浮かべる二人に向かって、わたしはちょっぴり自慢げに言った。
「えぇ、なんたってわたし、魔女ですから」
***
あれから、アレルさんの負ったほかの傷にも薬草を塗りこみ、一通りの治療を終えたわたしは、床を濡らした彼の血の掃除をしていた。そのときだった。
「アレル!!」
彼の名を呼ぶ声と共に、病院に何人かの村人たちが入り込んできた。その集団の先頭には、ウルカさんや村長にささえられたマナナさんが立っていた。
「あぁ、アレル、アレルや」
マナナさんは、ベッドに伏した彼を見るなり、二人の支えを借りずに足早に彼の元へと向かった。
「よかった……ほんとうに、無事で……」
彼女はアレルさんの側に立つと、彼の手を優しく両手で包んだ。そういえば、マナナさんとアレルさんは夫婦だった。それなら、彼女がこれほどまで心配したのも納得だ。
やがて気がついたのか、アレルさんはゆっくりと体を起こそうとした。慌てて、わたしは再び彼をベッドに横にさせた。
「急に起き上がってはいけません、アレルさん。先ほど負った傷のせいで、随分多くの血を失いました。しばらくは絶対安静です」
「あ、あぁ、すまねぇな。セレスさん、あんたが治してくれたんだろう? あんがとな……」
急に彼はお礼の言葉を口にした。ほかの人が見ている中でそのような言葉を口にされると、照れくささもひとしおだ。
「いえ、わたしは医者ですから。当然のことをしたまでです」
わたしはそう否定したが、今度はマナナさんが口を開いた。
「いいえ。セレスさん、わたしの旦那を救ってくれて、本当にありがとう」
気がつけば、彼女は目の端に涙を湛えていた。
***
「村長、いい加減、あのデカぶつをなんとか始末しねぇと」
日が傾き、空が茜に染まる頃、村人一同は村長の家に集っていた。そして今は皆で大きなテーブルを囲い、まさに会議の途中であった。そして議題は勿論、村の南方に住むカリストの対策だ。
夜行性であるはずの奴が昼間に行動し、村人に危害を加えた。これまでは守りに徹するばかりであったが、こんな事態が起きてしまった以上、このまま耐え続けるわけにもいかないというのが、この村の騎士団の総意であった。
しかし、村長や女性たちは中々その意見に頷くことが出来ないでいた。彼、彼女等からすれば、大切な住人や夫たちを死地に向かわせるようなものだ。カリストとはそれほどまでに強く、恐ろしい獣なのだ。
それにしても、分からないことがある。何故、この村の南方に住まうカリストはこの村を執拗に襲おうとするのか。
奴は何度も防護壁を壊すことを繰り返してきた。その意味が、奴の狙いが、今日の出来事のおかげではっきりと分かった。奴は壁を破壊することで、人間にその壁を修復させようとする。人間は昼に行動するため、修復に来るのは勿論日のある内だ。奴はその頃合いを計り、人間に襲い掛かったのだ。もし仮に人間が壁の修復に来なかったとしても、そのときには壁をすべて破壊し、対獣障壁を乗り越えて村を蹂躙しに来るだろう。どの道、わたしたちには防護壁を修復する以外の助かる術は無いのだ。
しかし、何故そのカリストはこの村を執拗に襲おうとするのか。奴はこの村に対して何かしら恨みでも抱いているのだろうか。そこが疑問なのだ。
「村長さん、一つ、質問してもいいですか?」
カリストを討伐しようと提案し続けるアレルさんと、一向に頷かない村長さんとの間に割って入り、わたしは訊いてみた。
「む? 何ですかな」
村長はアレルさんの言葉を制し、わたしの質問を促す。一斉に皆の視線がわたしに注がれた。
「ずっと疑問だったのですが、どうしてそのカリストは、この村を執拗なまでに襲うのでしょうか。どうも、奴は何か恨みを抱いていて、それを晴らそうとしているようにわたしは思うのですが」
「おぉ、そうでしたな。セレスさんには、まだお話していまでんでしたな」
そう言うと、村長はイスに座り直して目蓋を閉じた。
「では、お話しましょう。私達とあの獣の間に、一体なにがあったのかを」
そして、彼は静かに語り始めた。
「あれは、セレスさんがこの村にやってくる7日程前のことじゃった。夜に突如、一体のカリストがこの村を襲ったのじゃ。
私たちは、村の騎士達を総動員してこれに立ち向かった。戦いは夜明けまで続き、なんとか奴に深い傷を負わせ、追い払うことができた。じゃが、それと引き換えに二人の勇敢な騎士が命を落とした。
奴は恨んでおるのだよ。私達が奴に深手を負わせたことを。そして今も、奴は賢しらに知恵を絞り、復讐せんと猛っていることじゃろう」
「そんなことが……」
復讐に燃えるカリスト。これを討伐せんとするならば、一体どれほどの動員しなければいけないのだろうか。これを討った時、一体何人の騎士が命を落としていることだろう。
アレルさんは尚も村長やマナナさんたちを説得している。村長たちは尚も首を縦に振らない。
一体どちらが正しいのだろう。奴を討伐に向かえば必ず死者がでる。放っておいても、奴は復讐を諦めることはしないだろう。
ならば、一体どうすれば良いのか。
わたしは何をすれば良いのか。
それは簡単な質問だ。
わたしは、今度は皆に向かって言った。
「わたしが、カリストを討伐しますよ」
瞬間、場が一気に静まった。しばらくして、アレルさんが口を開いた。
「な、何言ってんだ。女のおめぇに勝てる相手じゃねぇ。おめぇさんが奴を倒しに行こうもんなら、午後のおやつ感覚でさっくりといかれちまうぞ」
「この人の言う通りよ。あなたのような華奢な娘が敵う相手じゃない。死にに行くようなものよ」
アレルさんに続き、マナナさんもわたしに異を唱え始めた。
その後も、わたしが討伐するという意見に反対する発言が次々と上がる。こうも否定されると、さすがのわたしも少しだけ落ち込んでしまう。
そんな中で、村長だけは何も言わずにわたしを見つめてくる。もしや、村長ならわかってくれるのではないかと思い、わたしはおずおずと口を開いた。
「そ、村長はどう思いますか?」
村人たちは一斉に口をつぐんだ。全員が彼の答えに耳を傾けている。彼は少し間を空けると、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「ワシものぉ、セレスさん、あなたに奴の討伐を任せたくはない。皆と同意見じゃ。じゃが、あなたのその言葉からは確かな自信が見えた。何か、策がお有りなのですかな?」
皆の注目が、今度はわたしに注がれる。わたしはそれを受けて、ほんの少し気恥ずかしい気持ちになった。
策、ねぇ。これがそうだと言えるかは分からないけど、やることは一つだ。
「策ならあります。とびきりでかい魔法をお見舞いしてやるんですよ」
わたしの言葉を聞いた瞬間、皆が一斉にざわめき始めた。
「おぉ、そうだったな。セレスさんは魔女だったな」
「確かに、剣が効かなくても、魔法なら奴を倒せるかもしれないな」
「村長、セレスさんならきっとやってくれますよ」
どうやら、村の皆さんはわたしのことをはっきり魔女だと認識していなかったようだ。
次々と上がる皆の声に、村長は一人黙って耳を傾ける。やがて右手を上げて発言を制すると、彼はわたしに向かって小さく頭を下げた。
「セレスさん、あなたはまだこの村に来てまだ日が浅い。それに加え、この件はあなたには一切無関係だ。にもかかわらず、あなたにこの重役を押し付ける私達を、どうか許してほしい。セレスさん、私達の敵を、仲間の命を奪った憎っくきカリストを、討ってはいただけませんか?」
その言葉の後、皆がわたしに向かって頭を下げ始めた。
誰もがわたしを頼りにしている。ならば、わたしはそれに応えよう。
わたしは力強く、皆の前で宣言した。
「わたしに任せてください。必ずや、この村を脅かす獣を討ってみせましょう」
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