第二話 医者になる 後編

「おや、セレスさん。いらっしゃい」

「こんにちは、マナナさん。病を患っているとお聞きしましたが、具合はいかがですか?」


 わたしが奥の寝室に着いたとき、マナナさんはリーザから何やら診察のようなものを受けていた。どうやら、マナナさんの飲む薬は体調によって量が変わるらしい。


「ほほほ、見ての通り、この子が薬を飲ませてくれるものですから、わたしは元気ですよ」


 そう答えるマナナさんは、その言葉に違わず穏やかな顔をしていた。その間も、リーザはせわしなくマナナさんの診察を進めていく。


「うん。はい、おばさん。今日の分のおくすりだよ」

「ありがとう、リーザちゃん」


 リーザから渡された数粒の錠剤を、マナナさんはゆっくりと飲み下していく。わたしと村長は、その様子を静かに見守っていた。

 やがてすべての薬を飲み終わると、マナナさんはまた穏やかな表情を浮かべた。


「ふぅ、ありがとう、リーザちゃん。大分元気になったよ」

「えへへ、えへへ」


 マナナさんはリーザの頭を撫でる。撫でられているリーザは、やはり嬉しさを隠せないようだ。


「セレスさんも、お見舞いに来てくださって、ありがとうございます」


 急に感謝の言葉を述べられ、少しだけ戸惑いを感じてしまう。


「そんな、わたしは何もしていません。お見舞いの品も持ってきていませんし……」

「そんなことはありませんよ。わたしは中々外へ出られませんから、わざわざ会いに来てくださること自体が、大変嬉しいのです」

「そう言って頂けると、わたしもありがたいです」

「ねぇねぇ、おばさん。えほん、えほんよんでー」

「ほほほ、いいわよ。貸してごらん」

「やったー」


 リーザは一体どこから持ってきたのか、一冊の絵本を抱えてきた。それを受け取ったマナナさんは、とても落ち着く声でそれを朗読し始めた。リーザはマナナさんのベッドの縁に腰掛け、その声に耳を傾けている。


「ほっほっほ、ワシらはお邪魔かもしれませんな。セレスさん、そろそろお暇しましょう」

「そのようですね」


 村長に促され、わたしたちはマナナさんの寝室を後にした。


 ***


「随分と、リーザに懐かれてしまいましたな」

「そうでしょうか……」


 わたしと村長は、マナナさんの家を離れてからのんびりと村を散策していた。


「そうですとも。よっぽど、あなたの見せた魔法が気に入ったようですな」

「もしそうなら、ちょっと嬉しいですね」


 急にそんなことを言われ、わたしは頬が紅潮するのがわかる。わたしはどうやら照れ症らしい。

 そういえば、リーザ絡みで村長に訊きたいことがあったのを思い出した。


「村長、リーザの両親についてお訊きしてもいいですか?」


 わたしがそう言った時、村長の顔から笑顔が一瞬消えたような気がした。が、それは気のせいだったようだ。村長は相変わらずな落ちついた声色で言った。


「どうぞ、ワシが答えられる範囲でなら」

「あの子の父親か母親は、もしや医者ではないですか?」


 わたしの質問に、村長は表情を崩すことなく答えた。


「えぇ、お察しの通りです。あの子の父親は誇り高き騎士、母親は聡明な医者でありました」

「なるほど。と言うことは、あの子の母親がこの村の医者ということですね」

「はい、この村の住人は皆、あの子の母親に随分と助けられました」


 なるほど。しかし、その医者は今は村を留守にしている。あの子の父親は騎士だと言っていたので、ひょっとしたら二人で帝国にでも薬の材料を仕入れに行っているのかもしれない。が、その間にけが人や、病人が出たら大変だ。


「村長さん、わたしから一つ提案があります」


 わたしがそう言うと、村長は少し興味有り気な目をこちらに向けてきた。


「一体、何でしょうかな」

「この村には、今現在医者がいない、そうですよね?」

「はい、その通りですな」

「しかし、そんな状況でけが人や病人が出ては大変です。そこで、リーザの母親が戻ってくるまでで構いません、わたしを医者として働かせては頂けませんか?」


 わたしの提案を聞いた途端、村長は目を輝かせ、わたしに詰め寄った。


「よ、よろしいのですか?」

「もちろんですとも。ご安心ください、薬学や医学には覚えがあります」

「おぉ、ありがとうございます。セレスさん、あなたは本当にお優しい方ですな」

「いえいえ、そんなことはございません」


 またも、わたしは照れてしまう。わたしは照れ隠しついでに、もう一つ気になっていることを訊いてみることにした。


「村長、それで、あの子の両親はいつ……」

「そんちょーう! たいへんだー!」


 わたしが質問をしようとしたところで、その言葉を遮るかのように、一人の男の人がこちらへ走ってきた。彼は確か、この村の騎士団長のアレルさんだ。


「どうした、アレルよ。そんなに慌てて」

「大変なんだ。南の防護壁がまた壊されてやがるんだ。これで一体何度目だ? またあいつの仕業かは知れねぇが、これじゃあ夜もおちおち寝れやしねぇ。村長、早急に対策を練らねぇと」

「状況は分かった。私は一度、壊されたという防護壁の様子を見てくる。アレルは先に、他の騎士を私の家に集めてくれ」

「おう、わかった。気を付けて行けよ、村長」


 そう言い残して、アレルさんは兵舎のほうへと走っていった。村長はわたしに向き直り、一つ頭をさげた。


「話の途中に申し訳ない。聞いての通り、急用ができてしまった。私はこれで、失礼します」


 そして、村長も足早に去っていった。

 何やら穏やかではないことが起きているようだ。騎士団長の言う防護壁がどれ程のものかは知らないが、それを壊した奴というのは、相当凶暴であることだろう。まさか、昨晩に聞いたあのけたたましい咆哮の持ち主ではないだろうか。

 もしもそうなら、このままでは村にどんな被害が出るか分からない。わたしも、個人で少し調査をしたほうが良いかもしれないな。


 ***


 その夜、わたしは一人、村の南方へと向かう。防護壁が壊されたという現場を少し調査するためだ。

 それにしても、やはりというか、夜の村は実に静かだ。恐らくは皆眠っていることだろう。おちおち眠っていられないと言っていたアレルさんも、今頃はきっと夢の中だ。


 村の家々の横を通り過ぎ、しばらく歩く。しかし、中々例の防護壁までは辿り着かない。もしかして、既に村人たちによって片付けられてしまったのだろうか。

 そんな一抹の不安を感じながらも歩を進める。すると突然、きつい悪臭がわたしを襲った。

 風は南から吹いている。それはすなはち、この悪臭の元がこの先にあるということだ。

 わたしは先へと進みながら、このにおいの正体について思考を巡らす。何度か嗅いだことのあるにおい。長時間嗅いでいれば吐き気さえ催すほどの不快な獣臭。間違いない、『カリスト』だ。


『カリスト』、人々に最も恐れられている獣の一つ。成人男性の二倍ほどの身の丈を持ち、その巨体から生える腕は木の幹を彷彿とさせる程の剛腕、さらに、大きな手足の先には鋭い鉤爪を持つ。

 人を丸呑みできるほどの大きな顎には鋭い牙が生え揃い、顎の力は岩をも砕くとも云われている。

 全身を黒い毛皮に覆われており、夜、闇夜に紛れて狩をする夜行性である。

 その獣が、この村の近くをねぐらにしているというのか。それでは確かに、安心しては眠れないな。


 しかし解せない。アレルさんの言い方から察するに、こうして防護壁が壊されるのは初めてではなく、わりと頻繁に起きているようだ。ところが、今のところは村人に対して被害は出ていない様子。

 それはつまり、この近くに住まうカリストは村を守るための壁だけ壊し、村人には手を出していないということだ。

 カリストは、一般的に知能の高い獣だと云われている。それなのに、そんな妙ちきりんなことをするだろうか。奴のこの行動には、何か理由があるのではないか。例えば、村の中に入ることが出来ない、とか。


 頭の中で考えを巡らす内に、どうやら目的地に着いたようだ。わたしの目の前には、無残にもへし折られた、かつて防護壁だった木材が転がっている。肝心の防護壁は、その一部が見事に削られ、人間二人が並んで通れるほどの穴が開いていた。。

 全く、そんな中途半端なことをするだけで村人を襲わないとは、やることがまるで陰湿ないじめだ。そう思いながら木の残骸に近づいたとき、わたしは不意に、何とも言い難いいやな感覚を感じた。

 その正体が何か、わたしはすぐに察しがついた。


「へぇ~、対獣障壁、か」


 わたしは防護壁近くの地面を掘った。すると、そこには想像通りのものが埋まっていた。


 対獣障壁。その名の通り、獣除けだ。

 立方体の形をしたこれは、所謂魔法道具。魔法の力を道具に宿し、魔法を操れない人でもその効果が得られるように開発されたもの。

 そして、この対獣障壁。これは周囲にある信号を送ることができる。感覚の鈍い人間には捉えることは出来ず、感覚の鋭い獣のみが感じることのできるその信号は、観測者に対していやな予感を感じさせるのだ。本能のままに生きる獣がこれを感ずると、この先は危ない、進んではいけないと認識し、これを退けることができるのだ。

 なるほど、だからカリストは壁を壊すばかりで村には一切入ってこなかったのか。


 いや、待てよ。この防護壁は対獣障壁の効果の範囲内に設置されている。しかし、獣を退けるためであれば、防護壁に要らず、障壁だけで事足りるはずだ。

 しかし、村人は実際に両方を設置し、カリストは壁のみを破壊していく。これには何か理由があるのではないか?


 何故、カリストは障壁の範囲内にいるにもかかわらず、本能に抗い壁のみを破壊するのか。

 いや、逆なのだ。カリストは村に入るために壁を破壊するが、途中で障壁の影響に耐えられず、退散するのだ。そう考えれば、奴の行動にも村人の行動にも説明がつく。もし防護壁が無ければ、カリストは障壁を無理にでも突破してくるだろう。


 それにしても、この対獣障壁の配置、どうも何か意図されているように思える。

 わたしのいつも通る村の北側には、これは埋まっていなかった。それはつまり、北には恐れる獣はいないということだ。しかし、村の南側にはこれが埋まっている。それはつまり、退けたい獣がいるからだ。しかし、それでは筋が通らない。なぜなら、南から入れないのであれば、北へ移動し、そこから入れば良いのだから。

 しかし、実際にそれは起きていない。ということは、獣にとってここ一帯の地域は南北に分断されているのだ。

 村には幅の広い川が東西に横切っている。そして、カリストは水に濡れるのを嫌う。カリストは川を渡れないのだ。

 つまりこの障壁はカリストから村を守るために埋めたもの。魔法に対して排他的なこの時代に、この村の南方を守るだけの対獣障壁を買い揃えるには随分苦労したことだろう。まあ、それほど必死であるということなんだろう。普通の人間では、カリストには太刀打ち出来ない。それほど相手は強大なのだ。


 村に対し執着を見せるカリストと、その襲撃を防ごうとする村人。どうもこの両者には、何かしらの因縁がありそうだ。

 まあ、調査はこんなものでいいだろう。敵の正体も、この村の対策も知れた。収穫は十分だろう。

 なに、心配することはない。奴がこの防護壁を越えるには時間が掛かるし、わたしたちがその間に壁を修復すれば持ちこたえることはできる。何かが障壁を張るこの立方体を地中から掘り出して退かさない限り、村人が被害を受けることはないだろう。


 まあ、それを永遠に続けることはできないが。最悪、奴が村人に危害を加えるようなら、わたしが直接手を出すくらいはしてもいいだろう。

 とりあえず一安心したところで、掘り起こした対獣障壁を元通りに埋め、わたしは帰路についた。

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