第三話 逢瀬 前編

 次の日、毎日の日課を終えたわたしは一人台所に立っていた。

 今日の昼頃、わたしを獣の爪牙から守って下さった騎士様にお会いできる。そして、お昼をご一緒するんだ。まぁ、騎士様が来てくれればの話だけど。

 開け放たれた窓から空の様子を伺う。雲がまばらに浮かんではいるが、良い天気だ。

 日が頭上高くに輝くまでにはまだ時間がある。その間に、精一杯の準備をしなければ。まずはお弁当からだ。


「あら、珍しい。お弁当を作ってるの?」


 不意にセラ先生に後ろから声を掛けられた。後ろを振り返ると、先生は嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「昨日言ってた、例の騎士様に会いにいくの?」

「そうよ。昨日ね、今日のお昼頃にまた会いましょうって約束したの。まぁ、わたしが一方的に取り付けたような感じだったから、来てくれるかは分からないけど……」

「そう……彼、来てくれるといいわね」

「うん……」


 昨日のことを思い出す。あの時、興奮や恥ずかしさのあまり訳がわかんなくなっちゃって、彼の返事を聞くこともなく飛び出してしまった。あぁ、せめて返事だけでも聞いておくべきだった。

 でも、今更後悔しても仕方ない。今は彼に、カイル様に喜んで頂けるような美味しいお弁当を作らなきゃ。


「まぁ、あんまり気を張り過ぎないように、頑張りなさい」


 そう言うと、先生はわたしの背中をぽんっと叩く。その瞬間、どこからか良い香りが漂ってきた。その香りのお陰か、心が安らいだような気がした。

 ふと台所の隅に目を遣ると、そこには一本の蝋燭が立ち、小さな火を点していた。この蝋燭からこの香りは漂ってきていたんだ。ハーブの香りを放つその蝋燭は、先生からのほんの気遣いだろう。わたしはそれが嬉しかった。


「ありがとう、セレス先生……」


 先生に聞こえないほどの小さな声で、そう呟いた。


 ***


 弁当の詰まったかごを腕に抱えながら、箒に乗って空を飛ぶ。目指すのは昨日騎士様とお話したあの湖の畔。

 ……来て、くれるかな? 来てくれるといいな。

 不安と期待の気持ちを同時に胸の中に宿しながら、わたしは風に髪をなびかせる。いつもは心地よかった風も、今だけはまるでわたしの行く道を塞ごうとしているかのよう。


「大丈夫。きっと、きっと来てくれる」


 そう自分に言い聞かせ、わたしは風を切って飛んでゆく。


「ふぅ、到着」


 しばらくして、目的地である湖の畔に降り立った。

 まずわたしは周囲を見渡した。しかし、そこに人影はない。あるのは表情もなくただ立つ木々だけだ。

 次に空を見上げた。日はわたしの頭上に眩しく輝いている。まるで、わたしの中の不安を際立たせているようだった。

 時間は昼頃。しかし、ここに騎士様は来ていない。

 そっか、彼は、カイル様は来てくださらなかったのか。それも仕方の無いことだ。つい昨日、たった一度会っただけの関係だ。彼にわたしと再び会う理由があるだろうか。

 わたしは大きなため息を吐きながら、近くにあった倒木にゆっくり腰掛けた。わたしの胸の中にさきほどまで宿っていた期待も不安は既に無く、代わりに喪失感がそれを満たしていた。


 わたしは一体なにをしていたんだろう。わたしは一体何を期待していたんだろう。わたしは夢を見ていたんだ。昨日のあれは運命の出会いで、これから彼との甘い逢瀬が始まるんだっていう夢。でも、それは現実には起こりえないことだったんだ。養子とはいえ、彼は格式のある騎士の家の出だ。わたしのような小さな村の貧民とつり合うような相手じゃかったんだ。わたしはそれを深く痛感した。

 ……先生に何て言おう。わたしにも春が来たと喜んだ先生に、もう一気に冬までやって来ちゃったよ、なんて言ったら、きっと悲しむだろうなぁ。

 もう一つ、大きなため息を吐く。

 帰ろう。帰って、先生の美味しい紅茶を飲もう。そう思って倒木から腰を浮かしかけたその時、背後から草の擦れる音が聞こえた。

 まさか、そんな! 来て、くれたのか!?

 恐る恐る後ろを振り向く。するとそこには、肩で息をしている騎士様が、カイル様が立っていた。


「済まない。待たせてしまったね」

「あっ……あぁ……」


 驚きのあまり、わたしは声を発することが出来ず、まるで酸欠の魚のように口をパクパクさせるばかりだった。そんなわたしを見てか、彼は目を細めて口許を緩めた。


「でも、良かった。まだ君が待っていてくれて……」


 弁当の詰まったかごを腕に抱きながら、彼と向かい合って立つ。彼の視線が優しくわたしを捉える。わたしは、そんな彼に釘付けになった。


「あ、当たり前じゃないですか。わ、わたしの方からお誘いしたのですから……」


 さっきまで帰ろうと思っていただなんて言えない。わたしは心の中で、彼を最後まで信じられなかった過去の自分を恨んだ。


「そうか。でも、待たせてしまったのは僕の方だ。僕のことを待っていてくれてありがとう、リーザさん」

「い、いえ、そんな……」


 頬が熱くなるのを感じる。それに、心臓も高鳴って止まない。彼にまでその音が届いてしまいそうだ。


「おや? そのかごは何だい?」


 わたしの方へとゆっくり歩み寄ってくる彼は、わたしの腕に抱えるかごを見るなりそう尋ねてきた。

 かご……そうだ、これに入った弁当でお昼をご一緒しようって話だったんだ。

 わたしは彼にかごを差し出すようにしながら言った。


「こ、これ、お弁当です。わたしが作りました。是非お召し上がり下さい!」


 彼はそれを受け取り、そっと蓋を開く。すると、彼は息を漏らした。


「おぉ、これは美味しそうだ。本当に僕が食べて良いのかい?」

「はいっ! カ、カイル様の為に作りましたっ!」


 すると、彼は一層顔を綻ばせた。


「嬉しいなぁ。丁度腹が空いていたんだ。じゃあ、遠慮無く頂くよ」


 彼は先ほどまでわたしが座っていた倒木に腰掛けた。わたしも、思い切って彼の隣に座った。昨日より近い距離に彼を感じた。

 わたしの作ってきたお弁当はサンドイッチだ。彼はその内の一切れをかごから取り出すと、わたしが丹精込めて作ったそれを静かに口へと運んだ。

 彼は何と言ってくれるだろうか。わたしは彼の感想を待った。


「……おいしい」

「えっ?」

「美味しいよ、リーザさん。こんなに美味しいものを食べたのは久しぶりだ」

「ほ、ほんとうですか!? うれしぃ」


 わたしの料理を、カイル様に褒めて頂けた。喜んで召し上がって下さった。わたしは文字通り、舞い上がらんばかりだった。

 彼は美味しそうにわたしの料理を頬張る。そして、見る見るうちに一切れを平らげた。

 その様子を眺めていると、彼は唐突にかごをこちらに差し出してきた。


「これは本当に美味しいよ。リーザさん、君も食べたらどうだい?」

「えっ? わたしも、ですか?」


 そんな、これはあなた様のためを思って作ったのに、わたしが食べるなんて。それに、殿方の前で物を頬張るのは見られて恥ずかしいような……。

 わたしが思いがけない事態にまごついていると、彼はさらに勧めてくる。


「そんな、遠慮することはないよ」

「し、しかし……」


 確かに、かごの中から覗くわたしの料理は美味しそうだ。食べたいような気がしないでもない。しかし、しかし~……。

 ぐぅぅ~っ

 その瞬間、間抜けな音が辺りに響いた。わたしは咄嗟に自分のお腹を押さえた。が、それはもう手遅れだった。


「はっはっは、君の腹は正直なようだ」

「うっ……うぅ」


 彼は爽やかに笑う。わたしは恥ずかしさのあまり消え入ってしまいたくなった。

 彼はかごの中から一切れを取り出し、わたしに差し出した。


「さぁ、君も一緒に食べよう。一緒に食べれば、もっと美味しくなる」

「わ、わかりました」


 おずおずとそれを受け取り、そっと口に運ぶ。一口、また一口と、それを齧ってゆく。

 ……本当だ、おいしい。

 きっとこれは、単にわたしの料理が美味しいんじゃない。きっと、あなたが言ったように、あなたと一緒に食べるから美味しいんだ。

 幸せだった。この一時が。あなたと一緒にお弁当を食べているだけなのに。たったそれだけのことが、わたしの胸を幸せで満たしてくれた。

 こんな時間がいつまでも続いてくれたらいいのに。そんなことを願う一方で、現実はそうはならなかった。気がつけば、弁当の入っていたかごは既に空になっていた。


「君の作ってくれたこの弁当、本当に美味しかったよ。ありがとう」


 彼はわたしの目を見て礼を述べる。それがなんだか気恥ずかしく、わたしはつい目を逸らしてしまった。


「いえ、お礼には及びません。それに、わたしも嬉しかったんです。その……カイル様にわたしの料理を、お褒め頂いて」


 顔が赤くなるのを隠そうと、俯きつつ答える。すると、彼は少し照れくさいような声になった。


「あはは……その『カイル様』ってのは止めてくれないかな。どうも落ち着かなくなる。それに、僕はそんな大層な身分じゃなからね」

「は、はぁ……。では、一体どのようにお呼びしたら……」


そう尋ねながら、恐る恐る彼の顔を見上げる。彼は頬を仄かに赤く染めながら、わたしから目を背けるように斜め上を見上げていた。


「そうだなぁ、僕の仲の良い友人は皆、僕のことを『カイ』って呼ぶよ。だから、君にもそう呼んでほしいな」


 そ、それはまさか……! わたしを親密な間柄の人間として見てくれるということなのか!? これは良い兆しなのかもしれない!


「わ、わかりました。その……カ、カイさん」

「うん、その方が、僕としてはしっくりくるよ」


 やったぁ! 彼との距離がまた一つ縮まった気がする。ここでもう一押しだ。


「で、では、わたしからもお願いします、カイさん」

「ん? 何だい?」


 わたしは心を落ち着かせるため、一つ深呼吸をした。


「カイさんだけ呼び名を決めるのは、その、不公平と言うものです。ですので、よ、よろしければ、わたしのことは是非『リズ』とお呼び下さい」


 若干の上目遣いで申し出る。すると、彼ははっとした顔になった。


「それもそうだね。分かったよ、リズ」

「は、はい!」


 嬉しいっ! 彼との心の距離がどんどん近づいていく。彼のことが益々愛しくなる。

 わたしが思わず声に上げそうになるのを必死に堪えていると、カイさんは不意に立ち上がった。どうしたんだろうかと思いながら、その顔を覗き込む。


「あぁ、もうこんな時間か……」


 空を仰ぎながら、彼はそう呟いた。

 そっか。彼はもう帰らなきゃいけない時間なのか。仕方ないよね。彼には騎士としての任務があるのだから。

 空になったかごを抱え、わたしも立ち上がる。


「あの、すみません。お忙しい中、お時間を割いていただいて」


 そう言って頭を下げると、彼はわたしに振り返って爽やかな笑顔を浮かべた。


「そんな、リズが謝ることじゃないよ。今日は、その、僕も君に会いたいって思ってたから……」

「えっ……」


 恥ずかしさのせいか顔を赤くしながらも、彼は真っ直ぐにわたしを見つめた。


「リズ、もし君がいいのなら、また明日も、君に会いたい。また君の料理を食べたい。また、君と話がしたいんだ」

「……」


 聞き間違いじゃないよね!? カイさんが、またわたしに会いたいだなんて!? どうしよう!? 頭の中が真っ白になる!


「ど、どうかな……?」


 答えを促され、空っぽな頭の中で必死に答えを考える。


「……こ……」

「……こ?」

「こちらこそっ! よろしくお願いしますっ!」


 なんとか返事を絞り出し、頭を下げる。わたし、ヘンなこと言ってないよね!?

 恐る恐る顔を上げる。すると、彼は笑っていた。


「あははっ、君は面白いなぁ」

「あっ、うぅ……」


 あぁ、やっぱりヘンなこと言っちゃってたんだ。恥ずかしい~。

 俯くわたしに、彼はそっと言葉をかける。


「うん、じゃあまた明日。日が天高くに届く頃に……」

「は、はいっ! 必ず行きます!」


 最後の言葉を交わし、カイさんは木々の間へと消えてゆく。わたしはその後姿が見えなくなるまで、その様子を遠くから眺めていた。


 ***


「ただいま~」

「おかえりなさ~い」


 家に帰り居間へと抜けると、先生は何かしらの薬の調合をしていた。その作業の手を止め、わたしに視線を向けてきた。


「ふふっ、その様子だと、例の彼とはいい感じなのかしら?」

「えへへ~、分かっちゃう?」

「分かるわよ、そんなこと。そんな気の抜けた顔を向けられたらね」


 そう言われ、わたしは自分の頬に手を当てる。自分でも驚くくらい、頬が緩んでいた。


「そんなふにゃふにゃした笑顔をその彼に見せてないでしょうね?」


 と、先生はそんないらぬ心配をする。


「大丈夫だよ~。彼と会ってる時なんか、もう緊張でそれどころじゃないんだから」

「それはそれで心配だわ」


 先生の心配をよそに、わたしはソファに腰掛け、天井を仰いだ。緊張で凝り固まった体がほぐれていくような気がした。


「それで、今日はどんな進展があったのかしら?」


 調薬の作業に戻った先生がそう尋ねてきた。わたしはさっきまでの出来事を頭の中で再生する。


「うんとね、彼、カイルさんっていうんだけど、お友達からは『カイ』って呼ばれてるんだって。それでね、わたしにも是非そう呼んでほしいって言ってくださったの」

「それはすごいじゃない」

「だからね、わたしも彼に『リズ』って呼んでもらうことにしたの」

「まぁ! やるじゃない」

「うん! あとね、それだけじゃないの。カイさんね、わたしとまた会いたいって言ってくださったの!」

「……」


 先生驚きのあまり、危うく手に持ったビンを落としかけた。

 気がつけば、先生は涙ぐんでいた。


「ちょっ、先生、どうしたの!?」

「あら……? やだ、わたしったら」


 その細く美しい指先で先生は涙をすくう。


「可笑しいわよね? 自分のことじゃないのに、嬉し涙なんて」


 先生はそう言いながら、尚も涙を零す。それが、わたしは嬉かった。だってそれは、先生がわたしのことを真剣に見てくれている証拠だから。


「そんなことないよ、先生。わたし、とっても嬉しいから」


 そう言うと、先生は益々涙を溢れさせた。


「リズ、わたし、応援してるからね?」

「うん、ありがと」


 再び天井を仰ぎ、わたしは思う。

 これから彼と、どれほどの逢瀬を重ねることが出来るだろう。どれほど心を通わせることができるだろう。

 そして、その行く末には、どんな未来が待っているのだろう。

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