第二話 出会い 後編

 ……遅い。

 既に日は傾き、窓から橙色の光が差し込む。もうすぐ夕方だ。それなのに、リズはまだ家に帰ってきていない。

 確か、薬草を摘みに行くと言っていた。全く、こんな時間になっても帰ってもないだなんて、一体どこまで行ったことやら。


 どうしよう。捜しに行ったほうが良いだろうか。もしかしたら、あの子の身に何かあったのかもしれない。もし、獣に襲われていたりしたら……。はっ! まさか帝国の人間に捕まっていたりしているのでは……?

 そう思った途端に落ち着かなくなった。こうしちゃいられない。リーザを捜しに行こう。

 そう決意し、玄関に立てかけてある自分の箒に手をかけようとしたとき、目の前のドアが開かれた。そこには、今から捜しに行こうとしていたリーザが立っていた。


「あぁ、リーザ。おかえりなさい」

「あ、先生。ただいまぁ」


 リズを思わず抱き寄せる。すると、リズはなんだか上の空な様子だった。

 リズから体を離し、その両肩に手を添える。


「リズ、随分遅かったけど、何かあったの? 怪我とかしてない?」

「うん、わたしは大丈夫」


 そう言うと、リズはそのまま居間へと歩いていく。その後姿に覇気は無く、何か考えに耽っているように見えた。

 リズを居間に通した後、わたしは紅茶を淹れた。それを盆に載せて居間に持っていくと、リズはソファに座りながらぼんやりと天井を見上げていた。

 そんな様子のリズに、紅茶を注いだカップを差し出す。


「はい、紅茶淹れたわよ。飲むでしょう?」

「うん、ありがと」


 カップを受け取ったリズは、それに静かに口を付ける。わたしも彼女の隣に座り、紅茶を一口飲んだ。


「リズ、何かあったの? 薬草はちゃんと採れたの?」

「……」


 質問を投げかけるが、リズは答えない。その目は虚ろで、ここではないどこかを見ているような気がした。


「……今日ね……」


 唐突に、リズは口を開いた。


「今日ね、とっても素敵な人に出会ったの……」

「素敵な人?」

「うん。カイル様っていう騎士様なんだけど、わたしが獣に襲われそうになったときにね、颯爽と現れてわたしのこと守ってくれたの」

「……そう」


 心なしか、リズの目はうっとりとしている。虚空を見つめるこの子の目には、その騎士様が映っていることだろう。こんな様子のリズを見るのは初めてだ。

 ……もしかして、この子はその騎士に恋してしまったのだろうか?


「ねぇ、リズ。あなたまさか、その騎士の子のこと……好きになったのかしら?」

「……うん、多分そう」


 リズは胸を押さえた。


「あの方のことを考えるとね、胸が高鳴って止まらないの。ねぇ、先生。これってきっと『恋』よね?」

「……えぇ、そうね。きっとそうよ」


 そうか、この子にも春が来たのね。まあ、この子も年頃なのだから、当然なのかもしれないけど。

 この子からそんな話を聞かされて嬉しくなったわたしは、なんだか急に意地悪をしたくなってきた。


「そっかぁ、遂にあなたにも思い人ができたのね。昨日はあなた、『恋愛なんかよりも勉強よ』って言ってたから、わたし心配してたのよ。このままリズには春が来ることなく枯れ果ててしまうのかって」

「もぅ、なによ先生ったら。昨日までのわたしにはそんな春が来るような環境が無かったのよ。こんなちっぽけな村じゃ、男の人とのときめくような出会いなんて無いんだから」

「まぁ、そんなこと言っちゃって」


 それにしても、本当によかった。恋のこの字も知らない人生など、悲しいものだからね。


「それで、その騎士……カイルくんだっけ? その子はどこに住んでるのかしら?」


 そう尋ねると、リズは少し考えるように天井を見上げた。


「……ここから北に行ったところに山岳地帯があるでしょ? その近くの村よ」

「あぁ、あそこね」


 あそこならここからさほど遠くは無い。会いに行く分には問題ないだろう。


「じゃあ、リズ、これからその騎士様があなたを好いてくれるように頑張らないとね?」

「うん、わたし頑張る! 絶対わたしのこと、好きになってもらうんだから!」


 リズは立ち上がり、高らかにそう宣言した。

 再びソファに腰を落ち着けると、リズはわたしに顔を近づけてきた。


「ねぇ、先生。先生はこれまでに好きだった人とか、付き合った人とかいないの?」

「わたし?」


 突然の質問に驚いたわたしは、紅茶を飲む手を止め、カップをソーサーに戻した。

 これまでに好きだった人や、付き合った人、ねぇ。


「いるわよ。一人だけね」

「本当? ねぇねぇ、その人とのこと聞かせてよ」


 わたしが答えるなり、リズは興味津々になって身を乗り出してきた。


「……そんなに面白い話じゃないわよ?」

「それでもいいの。聞かせて?」

「ふぅ、分かったわ」


 一つ息を吐き、わたしは思い出す。遥か昔のあの出来事を。


 ***


「結構昔にね、わたし一人である森の外れに住んでたことがあったのよ。贅沢じゃなかったけど、不自由もないような、平和な日々だったわ。

 そんなある日のことよ。家の前に、倒れている男の人を見つけたの。その人は全身傷だらけでね、気を失ってたの。

『大変! はやく治療しなくちゃ!』って思って、とりあえずその人を家の中に入れようとしたの。その時に気づいたの、その人が後生大事に一振りの剣を抱えていることにね。それで分かったわ。この人は騎士なんだって。


 看病を始めてから、その人が目を覚ますまでに三日が経ったわ。

 目が覚めるなり、その人、家から飛び出そうとしたわ。まるで何かに駆られるようにね。わたしはそれを止めようとしたわ。その時の彼の体はまだ完全に治ってなくて、無理に体を動かせば危険な状態だったから。なんとか彼を説得して、わたしの治療を受けるようにしたの。その間に、彼はいろんなことを話してくれたわ。

 彼はある騎士団の隊長で、ある任務の為に遠征に来ていたの。その任務というのが、ある獣の討伐。その獣が普通のやつなら良かったんだけど、そいつは違った。なんと魔法を使うのよ。

 騎士団の仲間たちは皆その獣にやられたそうよ。そして、唯一彼だけが命からがら逃げてこられたの。

 彼は任務を遂行しようとする意思と、仲間の死に対する復讐心に駆られていた。そんな彼を見て、このまま一人で行かせるわけにはいかないって思ったの。


 彼の体が完全に治った時、やはり彼は例の獣を倒しに行くと言ったわ。その時、わたしは言ったのよ。『あなただけでは心配。わたしも行くわ』ってね。彼は渋々認めてくれて、二人で例の獣を討伐しに向かったの。

 そいつは本当に手ごわかったわ。純粋な力の面だけを見ても、他の獣のそれとは格が違った。しかもその上魔法の力が加わった奴には、本当に苦戦を強いられたわ。

 それでもなんとかわたしが奴の攻撃を弾いて、その隙に彼がその首を討ち取ったの。晴れて獣は討伐され、彼は任務を遂行したと共に仲間の仇もとったの。


 ここで、わたしと彼は分かれる筈だった。もう二度と会うことは無かった筈なの。彼は自分の国に戻って、わたしはそれまでと変わらず森の外れで一人生きる、そう思ってた。わたしはそれが寂しかったけど、仕方の無いことなんだって諦めてた。

 でも、彼と別れた数日後、わたしの家のドアを叩く音が聞こえたの。客人なんてこれまでほとんど無かったから、驚きながらそのドアを開いたわ。そうしたら、その彼が目の前に立ってたの。

 その時、彼はわたしに言ったの。『お前のことが好きだ。俺と結婚してくれ』って。その時に、あのセレシアの花も貰ったのよ。わたし、すっごく嬉しかった。きっと、それまでで一番嬉しかったと思う。わたしも彼のことが好きだったから」


 ***


「その後、わたしと彼は結婚したの。その後も生活は質素だったけど、とっても幸せな毎日だったわ」

「素敵!」


 わたしが話し終えると、リズは興奮したように瞳をきらきらさせていた。


「そんな素敵な恋をしただなんて、やっぱ先生は隅に置けないなぁ」

「素敵な恋だなんて、それはもう大分昔のことよ」


 何気なしにそう言うと、リズははっとしたように口許を押さえた。


「どうしたの? リズ」

「……ごめんなさい、先生。辛いこと思い出させちゃったかな……?」

「辛いこと?」

「うん。さっきの先生の話、大分前のことなんでしょ? ってことは、その話に出てきた先生の恋人はもう……」


 あぁ、なんだ。そんなことを気にしていたのか。


「リズ、あたながそんなことを気にする必要はないのよ。確かに、彼がいなくなって悲しい気持ちはあるけど、その記憶は今ではわたしの大切な思い出。彼は今でも、わたしの中で生き続けてるのよ」

「うぅ、先生……」


 そうは言ってみたものの、リズはやはりこの話をさせたことを後悔しているようだった。この重苦しい空気を換える為、わたしは立ち上がり手を一つ叩いた。


「あら、気づいたらもうこんな時間。リズ、お腹空かない? そろそろ夕飯にしましょうか」

「う、うん。わたし手伝うよ」

「そう、それは助かるわ」


 リズと共に台所へ向かう。

 さて、今晩のおかずは何にしましょうか。……そうだ、今日はリズの好物の魚料理にしましょう。

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