第二話 出会い 前編

 翌日、日課である畑仕事や薬学の勉強、魔法の練習を一通り終えたわたしは、家で村長の関節痛のための薬を調合していた。

 一つ一つの薬草をすりつぶし、目的の成分を抽出する。それらを釜に入れ、水に溶かして熱する。そうすると、釜の中で反応が起こり、薬として使える物質が出来上がるのだ。このとき、魔法は本当に便利だ。火で釜を熱そうものなら火力調整が難しいが、魔法なら感覚的に調節が出来るので比較的楽なのだ。そうして出来上がった物質を取り出し、乾燥させ、錠剤にすれば薬の出来上がりだ。

 この一連の操作は難しくはないが手間なので、この際だから数日分を一気に作ってしまおう。そう思い立ち、薬品棚から使う薬草を取り出そうとする。しかし、ある一つの薬草がもう僅かしか残っていなかった。これでは一度にたくさん作ろうにも作れない。薬を作るのは足りない薬草を採ってきてからにしよう。

 えぇと、この薬草は確か、この森を北に抜けた先にある山岳地帯に自生していたはずだ。んじゃ、今から採りに行ってくるとしよう。


「先生、ちょっと薬草採ってくるね」

「は~い、気をつけてね~」


 居間を出る際に振り返って先生に声を掛ける。すると、先生は手元の本に注いでいた視線をこちらに向けてそう答えた。

 わたしはそのまま玄関に向かい、そこに立てかけてある二本の箒の内の一本を手に取る。これはわたし専用の箒だ。これで飛んでいけば目的地まで一刻もかからないだろう。

 外に出たわたしは、早速箒に腰掛ける。そして意識を集中させると、徐々に箒が浮かび上がり、その高度を上げていく。箒に組み込まれた、空を飛ぶ為の術式がしっかり作動してくれているようだ。


「さぁ、行こうか」


 そして、箒は高度を保ったまま少しずつ速度を上げていく。頬を撫でる風が心地良い。

 あぁ、この空を飛ぶ感覚は何度体験しても堪らないなぁ。

 わたしは風を切る快感を一心に感じながら、目的地までの短い空路を進んでいった。


 ***


「おっ、生えてる生えてる」


 山岳地帯に着いたわたしは、早速目的の薬草を見つけたことで興奮してしまう。背の低い植物たちが所々に生えるなかで、その薬草が群れを成して生えていたのだ。まるで、わたしに採られる為にそこにあるかのようだ。


「いや~、今日のわたしはついてるなぁ~」


 ほくほく顔になりながら、薬草を一本一本手で摘んでは持ってきた袋に入れてゆく。摘んでも摘んでも、中々薬草はなくならない。すぐに、一つ目の袋が薬草で一杯になった。わたしは二つ目の袋に手をかける。

 ……この時、わたしは完全に油断していた。

 それも無理はないだろう。この地域には何度も薬草を採りに来ていたし、ここで何か危ない目に遭ったこともなかった。だから、わたしはすっかりここは安全なのだと思い込んでいたのだ。

 だから、わたしの背後から忍び寄るその気配に、わたしは最後まで気がつかなかった。


「っ!!」


 突然、背後から殺気を感じる。

 近い。『敵』はすぐ後ろにいる。振り返る暇すらない。

 わたしは咄嗟に前転し、体を捩って背後に振り返る。その衝撃で、折角集めた薬草が袋から出て散らばってしまった。しかし、今はそんなことに構っている時間はない。

 わたしのすぐ目の前、さっきまでわたしが暢気に薬草を摘んでいたところには、小型獣が立っていた。奴は牙と爪を剥き、目をぎらぎらとさせ、低い唸り声を上げている。


 何故、ここにこの獣がいるんだ? この種の獣は、ここより更に北に行った先の地域に生息していたはず。ここを住みかにしているだなんて聞いていない。

 そして、この種は群れを成すはず。なのに、今わたしの目の前にいるのはたったの一頭だけ。まさか、群れからはぐれてしまったのか?

 いくつもの疑問が浮かび上がり、それらについて考えを巡らす。それがあまりに長くて痺れを切らしたのか、目の前の獣がわたしに向かって飛び掛ってきた。

 動きが素早い。しかし、相手は小型獣。しかもたったの一頭だ。わたしの相手ではない。

 わたしは身をかがめ、敵との間合いを計る。じっと、その時を待った。


「そりゃあぁぁっ!」


 敵が十分近づいたところで、わたしは全力の回し蹴りを繰り出す。空中にいたその獣は、それをもろに脇腹に喰らい、遠く彼方へ蹴り飛ばされていった。

 わたしの回し蹴りを喰らってもなお、なんとか獣は立ち上がった。しかし、奴にはすでに再び襲い掛かる気力は残っていないようで、そのままとぼとぼと歩き去っていく。


「あっはっは、一昨日来やがれ~」


 去り行く獣にそう言い放つ。さっ、散らばってしまった薬草をかき集めなくては。わたしはかがみ、袋に摘んだ薬草を再び入れてゆく。

 ……わたしはやはり、油断していたのだ。

 敵は一頭だけだと思い込んでいた。だが、あの種の獣を見かけた時点で、他に仲間が潜んでいるという可能性を考慮するべきだったんだ。それなのに、わたしはそうしなかった。目の前の薬草ばかりに目が眩んで、細部にまで注意を向けることを怠っていたのだ。


 わたしがそれに気がついたときには遅かった。わたしは瞬時に、自分は既に奴らに囲まれていることを悟った。背後におぞましいほどの殺気を感じる。今振り向けば、無数のあの獣が眼前に現れることだろう。

 どうする? どうすればいい?

 考える暇すら、わたしには無かった。首元に、奴らの荒々しい息がかかったような気がした。

 その時だった。


「はああぁぁっ!!」


 突然聞こえたのは、若い男の人の声と、いくつもの獣の上げる情けない鳴き声。

 恐る恐る後ろを振り向く。すると目の前では、白い鎧を身に纏った一人の騎士が剣を振るい、次々と襲い掛かる小型獣をなぎ払っていた。

 この騎士様は、わたしを助けてくれたのか。

 わたしはその騎士様の背後に守られながら、彼の戦う勇姿をこの目に焼き付けていた。


「貴様で、最後だっ!」


 遂に騎士様は最後の一頭を切り捨てる。すると騎士様は懐から紙を取り出し、剣に付いた血のりを拭き取ってゆく。そしてそれを腰に提げる鞘に収め、天を仰いだ。きっと、死んだ獣たちを悼んでいるんだろう。

 やがて騎士様はわたしに振り返る。凛々しい顔立ちをした彼の切れ長の目がわたしを捉える。

 騎士様は片膝立ちになり、そっと手を差し伸べてきた。


「お嬢さん、ここは危険だ。安全な場所まで案内しましょう」

「は、はぃ」


 情けない声と共に騎士様のその男らしい手を取り、わたしたちはその場を後にした。


 ***


 山を降りた先にある原っぱのある所に、小さな湖があった。その畔にわたしと騎士様は来ていた。

 騎士様は周囲を見回し、わたしに振り返った。


「ここなら奴らもいない。もう、大丈夫だよ」

「は、はぃ。ありがとうございますぅ」


 惚けたような返事を返すわたし。そんな様子を見てか、騎士様はその綺麗な顔を曇らせた。


「お嬢さん、お怪我でもされましたか?」

「ケガ? いえ、わたしが大丈夫ですぅ」

「そうですか。それなら良かった」


 そう言うと、騎士様は安心したように顔を綻ばせた。素敵な笑顔だった。

 その時、彼の左手から鮮血が滴るのが見えた。獣の返り血ではない。騎士様の血だ。見ると、その左腕には袖の上から牙で突き通したような穴が数箇所開いていた。


「き、騎士様! 大変! お怪我をされています!」


 わたしが慌てたような声を上げた一方、彼は全く気にする様子もなく左腕を持ち上げた。


「これですか? こんなもの、放っておけば自然に治りますよ」


 あっけらかんとしながら彼は笑った。しかし、わたしはその傷を放っておくことは出来なかった。


「いけません、騎士様。わたしが治療します。さっ、腕をお出し下さい」

「いや、しかし……」

「お出し下さい」


 少し語気を強めて言うと、騎士様は素直に袖をまくり、その腕を顕にした。

 傷は思いの外深くは無い。これなら、わたしの治癒魔法で綺麗に治せることだろう。つい昨日先生から認められたばかりだが、大丈夫、失敗はしない。

 わたしは傷口に両手をかざし、意識をそれに集中させる。すると、その周囲が淡い光に包まれる。


「おぉ、これは……」


 騎士様が驚きの声を漏らす。

 傷口からの出血は止まり、血管は繋がり、皮膚は再生してゆく。程なくして、腕の傷は綺麗さっぱりなくなった。

 騎士様は傷口のあった箇所を指でなぞる。しかし、そこにはつるつるの肌があるだけだ。

 彼は感嘆の声を漏らした。


「驚いたなぁ。お嬢さんは魔法が使えるのかぁ」

「は、はぃ。そうなんです。まだまだ駆け出しですけどぉ……ん?」


 魔法? わたし今、魔法を使ったのか? 知らない人に対して。

 恐る恐る騎士様の纏う鎧へ目を向ける。するとその肩当には、帝国のシンボルが刻まれていた。

 わたしは総毛立つのを感じた。

 帝国の人間に魔法を使う所を見られてしまった。それも、よりによって騎士に。

 殺される、殺されるっ! 逃げなきゃ! 早く!


「あ、あのわたし……失礼しますっ!」


 騎士様に背を向け、箒に飛び乗ろうとする。しかし、その既の所で手首を掴まれた。


「待って! 僕は君の敵じゃない!」


 彼はわたしにそう叫ぶ。しかし、そんなもの、到底信じられるはずが無かった。


「そんなの嘘っ! そうやって油断させて、わたしを捕らえる気でしょ!?」


 必死になって彼の手を振りほどこうとする。しかし、力で女が男に勝てる筈が無かった。

 わたしの手首を掴んだまま、彼はわたしに訴えかける。


「違う! 僕には分かるんだ。君が悪い魔術師じゃないって。君は僕の傷を癒してくれた。悪さをする魔術師がそんなことをする筈が無い。


 君は良い魔術師だ、そうだろう? だから僕は、君を傷つけたりはしないよ!」


「……」

「君と少し、話がしたいんだ」


 本当、なのか……? 信じていいのか……?

 彼に対し背中を向けている今の状況で、わたしを捕らえるなんて彼にとっては簡単なことだろう。それをしないってことは、本当にわたしを捕まえる気が無いのか?


「……本当に、わたしを捕まえたりしない? 殺したりしない?」

「しないよ。決して」


 わたしの手首を掴む彼の手から力が抜けるのを感じた。今なら逃げることは簡単だろう。

 しかし、わたしはそうしなかった。何故かは分からないけど、この騎士様は嘘を吐いているようには思えなかったから。

 彼はその場に腰を下ろした。わたしも、振り返って彼の隣に一人分の間を空けて座った。


「僕の名はカイル・アーガレア。君の名前は?」

「……リーザ、です……」

「リーザ、か。良い名前だ」

「……どうも」


 互いに名乗り合うと、沈黙が降りてきた。彼は空を仰ぎ、わたしは膝を抱いて地面を眺めていた。


「……見ての通り、僕は帝国騎士だ。だけど、産まれは帝国から東へ進んだ先にある小さな農村なんだ」

「……」


 わたしは何も言わない。しかし、彼は続けた。


「昔、僕がまだまだ小さな子供の頃に、村で病気が流行ったんだ。それで、多くの村人が死んだよ。僕の両親もね。僕も病気で死ぬんだと思ってた。だけど、ある日村に一人の魔術師が来たんだ。その人は何も言わず、見返りもなしに村のみんなを治療してくれた。そのお陰で、僕は今もこうして生きているんだ」


 彼も幼い頃に両親を亡くしたのか。わたしと似たような境遇だ。


「その数年後、両親を亡くした僕は帝国のある一家の養子になることになったんだ。その家は騎士の家系だった。僕は小さい頃から剣の腕は立つ方だったから、それでその家に貰われたんだと思う。


 それで初めて帝国に来て驚いたよ。あそこに住んでる人は、みんな魔術師を嫌ってるんだ。何も悪さをしていない彼らを平気で差別するんだ。そりゃ、中には悪い魔術師もいるだろう。でも、全員がそうって訳じゃない。実際、僕は一人の魔術師に命を救われた。だから、帝国に来たばかりの最初は、本当に自分の目を疑ったよ」


「そう、だったんですか」


 彼はよどみなく話す。そんな彼の声を聞いて、彼の言っていることは本当なんだと、そう思った。

 彼は魔術師を、わたしを助けてくれた。それなのに、わたしは酷いことを言ってしまった。


「あ、あの……すみませんでした。わたし何も知らなくて、先ほどは酷いことを言ってしまって」


 彼に向かって頭を下げる。しかし、彼は全く気にしていない様子だった。


「いいよ、あれぐらい。それに、君が帝国に対して危機感を持つのは当たり前さ。実際、彼らは魔術師に対して友好的ではないからね」


 彼は微笑みかけてくる。わたしの口許が自然に緩んだ。


「ところで、君のような女性があんなところで何をしていたんだ? どうやら草を摘んでいたようだけど」


 わたしの腰に提げている薬草の入った袋を指差しながら、彼は尋ねてきた。そうか、素人からはこれが普通の雑草に見えるのか。


「これはただの草じゃありません。薬草なんですよ。ある薬の材料にこれが必要なんですけど、もう少しで切れそうだったので摘みに来たんです」

「そうだったのか。君は魔法を使うだけじゃなく、薬も作れるのか」


 騎士様は感心するように言った。

 ところで、どうして帝国騎士様がこんなところにいるんだろう? ここは帝国から大分離れている。何か用事が無い限り、こんなところまで来ることは無いと思うんだけど。


「騎士様こそ、あそこで一体何をされていたんですか? 何かの任務に就いていたんでしょうか?」

「僕かい? あぁ、君の推測通り、ある任務に就いていてね。さっき君を襲った、あの獣を覚えているかい?」

「はい、覚えています」


 小型で群れを成す習性を持った獣。そして、奴らはこの地域には生息していなかった筈だ。


「あの種の獣が突然北の地域からこちらに流れてきたらしい。それで、この近くの村があの獣の被害に遭っているんだそうだ。困った村人たちは帝国に要請を出した。それで、僕を含めた騎士の小隊が派遣されたんだ。あの獣たちを駆除するためにね」

「そうだったのですか」


 騎士の小隊が派遣されるほど、この件は深刻なのだろう。身をもってその恐怖を感じたわたしには分かる。あの獣一頭だけならともかく、束になってかかってこられては、普通の村人はたまったものじゃないだろう。

 そんな脅威となる獣を打ち倒し、村人たちの平和を守る騎士様。あぁ、素敵。


「あの獣の群れに立ち向かうだなんて、すごいです、騎士様」

「すごいだなんて……僕は騎士の中で格段に腕が立つわけじゃない。地位だって高くはないんだ。僕より優れた騎士は帝国には数え切れないくらいいるさ」

「そ、それでも、間近であなた様の戦う姿を見たので分かります。とても勇ましくて、その……惹かれちゃいます」

「あ、ははは、参ったな」


 思い切ってそう言ってみると、彼は照れたように頭を軽く掻いた。

 あぁ、何だろう、この気持ち。彼といると、胸の高鳴りが収まらない。もしかして、これが『恋』っていう気持ちなのかな……?

 彼にもっと近づきたい。そう思い、彼との距離を縮めようとした時、彼は急に立ち上がった。


「もうこんな時間か。すまない、そろそろ僕は戻るよ」

「え? は、はぃ……」


 任務に戻ってしまわれるのですか? まだほんの少ししかお話していないというのに。

 彼はわたしに背を向け、歩き去ろうとする。もしここで引き止めなければ、もう二度と、この人とは会えないような気がする。そんなのは嫌だ! もっと彼と一緒にいたい!


「あ、あの! カ、カイル様っ!」


 彼の背中に呼びかける。彼は歩む足を止め、わたしに振り返った。


「どうしたんだい? リーザさん」


 名前を呼ばれ、胸がドキリとする。

 わたしは胸を手を当て、興奮を落ち着かせるようにして言った。


「ま、また明日も、あなた様にお会いしたいですっ!」

「明日、かい?」

「はいっ。明日の、日が頭上に輝く頃、この場所でお待ちしております! でで、ですのでっ、もしよろしければ、ぜ、是非来てくださいっ!」


 興奮と恥ずかしさのあまり頭の中が真っ白になったわたしは、彼の返事を聞くこともなくそのまま箒に飛び乗り、どちらへとも構わずまっしぐらに飛んでいった。

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